見出し画像

ライターじゃなくても、生きてはいけちゃうのだけど。

波佐見町へ引っ越す前。コピーライターをやめると決めてから、わたしは迷っていた。花屋さんで働こうかとも思って、当時東京で住んでた町の商店街の花屋さんに通って仕事終わりに花束をつくる練習をしていた。それに接客には自信もある。わたし、どっちへ行く?

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

わたしの「働く」の原点は、大学生のとき4年間続けた販売のアルバイト。家電量販店でカメラを売るバイトだ。最初は未熟で泣くこともあったけれど必死に食らいつき、気づけば派遣会社でトップの販売成績をキープするようになっていた。周りの人にもずいぶんとしごかれ、かわいがられ、お世話になった。毎週のように飲み会をしたり、新製品のカメラを持ってみんなで写真を撮りに行ったりした。

販売・接客のいろはを学び、人見知りを多少克服した。よくある電話口で声色がすこし変わるみたいな感じで、販売のスイッチが入るといつもより社交的で明るくなれる。

それから社会人になって、経理をしたり、コピーライターをしたり、フリーでライターをちょっとしたり、経験を重ねて。

わたしには、わかっていた。うぬぼれもあるけれど、販売・接客をさせたらわたしは強い。実際に、コピーライターを辞めたあと、すぐ飲食店から「うちで正社員として働かないか」と誘われたこともあった。ふだんのわたしはボーッとしてるから会ったことある人は信じられないかもしれないけど、スイッチが入ると人格がちょっと変わるのだ、ほんとに。

わたしは、ライターじゃなくても、たぶん生きていける。仕事にしなくても、書くことはできる。

その上で、どうやって、生きていこう?

いろんな職種をあらためて見渡してみた。いろんな仕事が、まぶしく見えた。

でも。

「これからも書き続けてください」
「絶対、書く仕事がいいと思う」
「くりたさんは、コピーライターに向いてますよ」

尊敬する人たちからの言葉が、結局、わたしに書く仕事を選ばせた。自信なんかこれっぽっちもなかったけど、「あの人たちがそう言うんだったら」と思えた。

そして、その選択をしていてよかったなあと、いまになって思うのだ。わたしのことだから、どんな選択肢を選んでも後悔なく生きてると思うけれど、でもよかった。

書く仕事を選んで、書く人たちとつながって。出会えた人たちが、とても素敵で、うれしいことがたくさん起きている。

当時いまよりもひよっこだったわたしに言葉をかけてくれた人たちのすごさを、時がたつほど思い知る。わたしも、周りの人に言葉をプレゼントすることをサボらずにいたい。

30minutes note No.936

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。