飛行機のなかで思い出すこと。
翼を広げた機体は轟音を立てて、日常にはない奇妙な浮遊感とともに飛び立つ。飛行機に乗ると西加奈子さんの小説「うつくしい人」を思い出す。
こんにちは、こんばんは。くりたまきです。
夕方、飛行機に乗って羽田空港から長崎空港へ。そして車を40〜50分ほど運転して、波佐見町に帰ってきた。
飛行機の離着陸はいつもどこかで不安で、だから小説のなかの飛行機についての描写を思い出すのかもしれない。
もうだいぶ慣れたけれど、かすかな不安はずっと残り続けるだろう。だって、空を飛ぶって、どうかしてる。
ひとりで飛行機に乗ることには慣れた。いちばん遠くだと、タイまでひとりで行った。国際線は、国内線とは違うピリピリ感がある。荷物検査やパスポートのあれこれを、どうやって乗り越えてたのかまったく思い出せない。
ただ、「ひとりでも、どこへでも行こうと思えば行けるのだろう」という自由の手ざわりだけは思い出せる。
それからいつも、最初の「ひとりでの遠出」を思い出す。旅とは言えないものだったけれど、大学生のとき就活生だったわたしは新横浜から新大阪まで新幹線に乗った。最終面接のためだった。
それまでの試験や面接は東京支社で行われていたけれど、最終面接だけは本社のある大阪で行われた。
家族旅行もほぼ車での移動だったから、新幹線に乗る機会もあまりなかった。ひとりで乗るのははじめてだった。面接の不安と、不慣れな土地への不安。すこしの興奮。リクルートスーツで新幹線の座席シートに座っている自分が窓に映ると、なんだか他人のようで不思議だった。就活、面接通過、スーツにヒール、新幹線、大阪、最終面接。なにもかも実感がなかった。
結果、無事に面接に受かり、東京と大阪を何度も行き来することになった。何回も新幹線に乗ったけれど、いちばん覚えているのは、その最初のひとりでの新幹線の記憶だ。ハタチをとっくに過ぎていても、日帰りの横浜大阪間の移動で疲れ果てていた、若い日の自分。
あのときの自分を隣の席に座らせているような気持ちで飛行機に乗ると、ずいぶん遠くまで来たような気がするのだ。
30minutes note No.891
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