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およげたいやきくんの歌詞が大人になっても気になってしまう

一度は聞いたことのある人も多い「およげたいやきくん」の歌の歌詞が気になる。たい焼きを食べるたびに思い出し、オートで脳内再生される。そのたび思う。たいやきは輪廻転生しているのか?そのうえ意識を共有している?

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

今日は日曜日らしく楽しくお出かけして、もうくたくたなので、他愛もないたいやきの話をして寝ようと思います。勝手な「およげたいやきくん」の歌詞の妄想です。こんなつまらない大人になりたくなかった。

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およげたいやきくんの歌詞はこうはじまる。

まいにち まいにち ぼくらは てっぱんの うえでやかれて いやになっちゃうよ

焼かれたたい焼きは、その日のうちに売れて誰かに食べられて死ぬ。そのはずなのに、毎日焼かれている自覚がある。つまり、生まれ変わっている。

そしてその輪廻転生を、お店のたい焼きたち全員が鉄板の上で…生まれる瞬間にはすでに…知っている。しかもお店のたい焼きたちにはお互いに毎日焼かれている認識がある。こわい。

そして歌詞はこう続く。

あるあさ ぼくは みせのおじさんと けんかして  うみに にげこんだのさ

主語が複数形から自分だけになる。自我の芽生え。そして店のおじさんと喧嘩…ということは意思の疎通ができてるし、もしかしたら会話さえ成立してる可能性がある。

しかもたい焼きが海に飛び込む。自殺行為だ。なのに海を泳げる。

ここまで歌詞を読むと、店のおじさんは魔法使いなのでは?と思う。輪廻転生する共通意識のあるたい焼きを毎日焼き、会話さえできる。魔法。しかも海を泳げるたい焼き焼けるんだからもう魔法使い以外の適した解釈がわたしには思い浮かばない。

このあとの歌詞では、楽しく海を満喫していたたい焼きくんだけど、浜辺の釣り人に釣り上げられて、食べられるところで終わる。

海水でびちゃびちゃのたい焼きをおいしそうに食べられる人はいない。そもそもたい焼きくんは海を泳いでしばらく暮らしていた。

ここでもうひとつの魔法の存在に気づく。

お店のおじさんは、たい焼きに防水加工を施すことができる。そうでなければ話が成り立たない。だから海も泳げたのだ。

そして輪廻転生しているから、この曲はエンドレスリピートする。海を泳ぎ釣り人に食べられたたい焼きくんは、またお店の鉄板の上で誕生するのだ。

そりゃ、「やんなっちゃうよ」ね。

ということで、波佐見町にあたらしくできたたい焼き屋さんのたい焼き、おいしかったです。おやすみなさい。


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