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無垢の金の指輪 #佳日のほとり Vol.02

こんにちは、こんばんは。
編集者・ライターをしている栗田真希です。

週刊noteマガジン『佳日のほとり』。日曜日に、そのときわたしにとって「よき日々をもたらしてくれる」ものを紹介しています。

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みなさんは、自分の手は好きですか? わたしは10代や20代のころ、あまり好きになれませんでした。いまも見下ろす手はちいさく、指の長さは短く、幼いころから変わらぬふっくら感。すらりとした指に憧れたものです。そのせいもあって、指輪はあまり好んで着けてきませんでした。

ただ、どんな自分にも、ずっと付き合っていると慣れます。たまに握手をすると褒められ、友だちに「やわらかい手だね、さわらせて」とねだられ、そんなふうに過ごすうちに「まあ、これはこれで愛嬌があるわね」と認められるようになりました。

あと、「自分のものであれば卑下してよい」という考えを捨てたということもあります。たとえば、友だちが自分とそっくりな手をしていたら。わたしはその手を「嫌い」「かっこ悪い」とは思わないでしょう。なのに自分であれば嫌ってひどい言葉を与えてよいというのは、おかしな話です。

生まれて授かったかたちは自分だけのものでありすでに完璧で、より好きになりたいときには工夫をすればよい。遠回りをしたものの、いまはそう思えます。爪を綺麗にとジェルネイルも試しましたが、あれこれ手を動かすときに邪魔に感じてしまい、指輪で手を飾るようになりました。

自分の手を愛でられるようになったのと、ハワイで指輪を買ったのは、同じくらいの時期だったような気がします。ハワイアン彫りのピンクゴールドの指輪を、奮発して買いました。もう二度と来ない土地かもしれない、と思うと買い物の勇気が出るというもの。この指輪をきっかけに、指輪を好きになりました。

それまで、ちいさな天然石がついた指輪など、安価なものを買ってみることもあったのですが、メッキが剥げてしまったり、手入れができずにすぐ黒ずんでしまったり、服にひっかけてしまったり……などトラブルがありました。

ですが、14金でできたハワイアンジュエリーの指輪は、変色したり傷ついたりすることがなく、うっかり温泉に入ってしまったときも問題は起きませんでした(ほんとうは外したほうがいいですけど)。彫りの華やかさがありつつ、さほど凹凸のないシルエットで日常使いがしやすいところが気に入り、ほぼ毎日着けています。

指輪をする暮らしに慣れてきて、新しい指輪がほしくなってきたときに目に留まったのが、フジイサミさんのつくる『銀、真鍮』の指輪。シンプルなのに存在感があって、ずっといいなあと思っていたのです。いつもはオンラインでの受注販売をされているのですが、6月に珍しくイベントに出店されていたので、自分の指輪のサイズのわからないわたしは「このチャンスに試着しよう!」とお伺いしてきました(『銀、真鍮』ではサイズを測るリングゲージも販売しているので、自分で測って買うことができます)。

たくさん試して、実物を見せていただいて、その場で予約をしました。じつはふたつ買ってしまったのですが、今日は7月末に届いたひとつをお見せします。

まず箱がとてもすてきで、左下のところに『銀、真鍮』とさりげなく押してあります。

箱を開けると、こんな感じ。ため息が漏れます。製品だけでなくパッケージまで、華美ではなくシンプルに美しい。

選んだのは、「無垢の18金の指輪」です。名前もシンプル。『銀、真鍮』というだけあって、シルバーや真鍮のアクセサリーも多いのですが、一生着けていられるものがほしいと思ってゴールドに。今年の自分への誕生日プレゼントという言い訳で予算を決めました。

どの指に着けるか考えずにイベントに行ったところ、フジイサミさんが両手の小指に着けているのがとてもかっこよく、「小指は生活していて邪魔にならないのでずっと着けている」とおっしゃっていたのが印象的で決めました。たしかに、小指はメインで動かすことのすくない指なので、着けっぱなしにするにはちょうどいいです。

いまは、ずっと身につけて過ごしています。ゴールドの控えめな輝きが光によって異なるので、ときどき作業の手を止めて眺めてしまいます。

朝、カーテン越しの光を浴びて。
夜、ライトの下で。

いまは表面がつや消しなのですが、使い込んでいくうちにつやが出るとのこと。そんな経年変化も楽しみです。

どうしてシンプルでありながら、心地よい存在感があるのか。それはこの指輪がフジイサミさんの手作業によってつくられているからだと思っています。地金をカットし、溶かし、繋ぎ、叩き、成形し、磨く。そうした工程を自らされています。

買うときにフジイサミさんにお話を伺っていたら、もともと自分のための指輪づくりからスタートしたとおっしゃっていました。「こんなものがほしい」と使い手として思い、つくり手として腕を振るう。だからこそ、使いやすいのでしょう。着けていることを忘れてしまうくらい身体になじんで、しっくりきます。

たまに外すときは、小皿に置いていくことが多いです。なくさないように、気をつけています。

ふちに金彩が施された小皿に置いてみたり。


以前は、指輪だけでなく、アクセサリーというもの全般に苦手意識がありました。自己顕示欲を示すためのものというイメージ。着飾ることへの抵抗感。
強く見せたいがためにアクセサリーを身につける人もいるでしょうが、それだけと考えていた当時の自分の視野のせまさがかわいいです。それは結局、他人からの見え方を気にしていたからこその感情だったのでしょう。

TPOは大切ですが、なによりも自分をうれしい気持ちで満たすために、アクセサリーを身にまとうのだとわたしは思います。

とくに指輪はよく視界に入るものです。スマホをさわるとき、パソコンのキーボードを打つとき、文字を書くとき、料理をするとき、手を洗うとき。自分の手をいちばん目にするのは、自分。だから、他人にどう見えるか考えるより、自分がよい気分でいるために、指輪をしたいのです。美しいものが、身体の一部かのようにそばにある。こんなに心強いことはありません。

フジイサミさん
https://twitter.com/z_ytkt

『銀、真鍮』
https://ginshinchu.com/

Instagram
https://www.instagram.com/ginshinchu

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▼前回の『佳日のほとり』

Instagramはじめました!(できたてほやほや、です)
https://www.instagram.com/kajitsu_no_hotori/


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