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私の字と、自信をくれた「何気ない一言」

皆さんこんにちは。クソ腐女子のアンタレスです。

今日はゴールデンウィーク最終日だというのに、大雨が降ってしまいました。まあ、緊急事態宣言下でふらふら遊びまわるわけにはいかないのですが。

というか、自宅療養中の私はゴールデンウィークだろうが何だろうが気軽に外出できないので、いつものように過ごしましたとも。

さて、4月は割とnoteを更新できたので、そのままの調子で更新を続けたいと思い、記事を書いています。

そして、今回のテーマはタイトルの通り、「私に自信をくれた一言」です。

容姿も醜く、学校という社会に溶け込むこともできなかった私は、悪意のこもった言葉をたくさんぶつけられてきました。だからこそ、ちょっとした誉め言葉が救いになっていました。相手からしてみれば何の気なしに言った言葉かもしれませんが、私にとっては心の支えになっているのです。


まずは、小学生の時のことです。

私は書道を習っていたのですが、自分の字が綺麗だとはどうしても思えませんでした。

周りの女の子たちは、丸くて可愛らしい雰囲気の字を書けるのに、私の字は無骨でつまらなかったからです。

授業中に使うノート、プリントへのメモ書き、画用紙に調べたことをまとめる自由研究、どれをとっても、私の字では地味で無骨な雰囲気にしかなりません。他の女の子たちは、もっと華やかな雰囲気にまとめているのに。

母ですら、女の子たちの可愛らしい字を褒めて、私の字は可愛げがないと言ってきました。

だから、私は字が下手だと思い込んでいました。

そんなある日、私は、自分が可愛らしい字を書けなくて辛いということを父に相談しました。博識な父は、いつも私の知りたいことを教えてくれたからです。

父から返ってきた言葉は、意外なものでした。

「丸文字なんか書けなくていい。頭が悪いと思われるぞ」

「丸文字を書く人は頭が悪いと思われる」なんて、偏見だと思う人もいるでしょう。ですが、この言葉で、私の中の劣等感は軽くなりました。今の字のままでいいと言われた気がして、嬉しかったのを覚えています。


時は流れて、次は高校生の頃の話です。

高校に入った私は遊び惚けていて、学校の成績は良くありませんでした。特に苦手だったのは数学。中学生の頃から苦手意識があったのですが、高校ではもう全然ついていけなくなりました。

しかも、数学を担当する先生はかなり厳しい人で、私はしょっちゅう怒られていました。数学の先生は、私にとって恐怖の象徴でした。

ある時、私は課題を出すために、職員室を訪れました。数学の先生のデスクに向かって、先生に課題を提出。すると、わからないなりにどうにか問題を解いた私の課題を見た先生は一言、「あなた、字が綺麗ね」と言いました。

教師という立場の人に褒められた経験があまりなかった私にとって、その一言はとても嬉しいものでした。

結局、高校での私の成績が上昇することはなく、散々な成績で卒業したのですが、数学の先生のその一言だけは、今でも忘れられません。。


今でも社会の底辺をうろつく私ですが、「字を肯定された・褒められた」という体験は、「私にも肯定される部分があるんだ」という自信に繋がっています。

できることなら、もっともっと、周りの人に肯定される人間になりたいものですが、その道のりは遠そうです。

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