見出し画像

「創作」は軋轢を超える?

2018年4月末、約3年間住んだ飛騨市での生活を卒業しました。
酸いも甘いも含め愛する飛騨を身体的に去った理由は、身体的に距離を置くことで、心身的に愛し続けたいから。
決断した日から愛の重みが増してきて、寂しさは募るものの、結果的に見れば良い決意だと思っています。まるで、家族と距離を置くと良い関係になるように…。

飛騨を愛する理由は星の数
凛とした職人気質、伝統のしきたり、ツンデレなカルチャー・・・
飛騨の文化は、「そうば、やんちゃ、こうと」として表現されています。

私はこの3年間で、移り住む前には到底想像できないほどの学びと経験を得ました。

私が働いた(株)飛騨の森でクマは踊る(通称:ヒダクマ)は、“飛騨市”と“とびむし”と“ロフトワーク”の共同出資会社、所謂、三セクです。市と連携する狙いは、自治体が自分ごととして関わり、互いのノウハウやネットワークを生かし、地域へ利をもたらす。ゆくゆくは日本全体を盛り上げるようなプロトタイプを構築していくことを目指し。

私はここで、一企業のブランディングや売上のためだけに働くのではなく、社会の状況を俯瞰しながら、地域環境や人々に向き合い、課題をチャンスに変えていく視点を養うことができました。

また、仕事を通じて地域住民の方達と触れ合い、彼らが友人であり、仕事仲間であり、師匠になるという、得がたい関係性を築くことができました。
自己主張しない飛騨の一人一人の方の才能を引き出し、光を当てる ー そんな活動を通じて、少しずつコミュニティーの直径が大きくなっていくことを楽しむことができました。

飛騨では一人一人が皆、師匠。その師匠たちに学んだことで、今、意識上にあることを以下にまとめてみました。

強い結束、『結』のカルチャー
1年に1度の祭り「飛騨古川祭り」のために、祭りが終わった直後から練習に励み、X Dayまでに一気に団結し、力を発揮する。その団結の文化が生活のそこかしこに現れている。この祭りの存在が、人々をつなげ、「結」の文化を継承し続ける所以。日本は祭りのおかげで昔からこうした強い結束力のあるコミュニティが連綿と引き継がれているんですね。ただそれも時代とともに見られなくなってもきていますね。

自然との共生は当たり前
森を愛で、恩恵を受けながら、体を動かし手を動かし、丁寧につくり、暮らす。春には(富山へ)ホタルイカを釣りに海へ、山菜や薬草を摘みに山へ、秋には紅葉を愛で、キノコを採り、米を収穫し、次の春に備える。木を入手し、薪ストーブで暖をとり、家具をつくり、家をつくる。自然の鮮やかな色をそのまま暮らしの色に取り入れて草木染めでファッションを楽しむ・・・自然のリズムを知っていて無理はしないし、無理を与えない。山や動物の声を聞きながら、地球に優しく、スマートに暮らしているのです。

生きることへの余裕
大自然が豊かで自給自足ができるから、肝が座っている。
お金は必要最低限で済む。
「お金があったらラッキー!」と、富山に映画を観に行く。居酒屋へ行き饒舌になる。
「つくる」力があれば焦らない。地に足のついたサバイバル能力と度胸が備わっている。

『死』への気づかい
飛騨は人口の3割が高齢者。みんな気配し合い、助け合う。家に訪問しては様子を見ながらお花を飾る。亡くなると、霊柩車がその通りを出るまで、家々の人々が一斉に並び、お見送りする、皆で厳かに静粛に葬る。
詳しくはこちらに記録しました。

そして、以下には、仕事を通じて個人的に感じたことをまとめました。

地域と都市をつなぐ難しさ
地域で米や野菜を作り、木を伐り製材し、材料に加工する人がいるから都市で毎日食を得て生きてゆける。地域で生きる人たちへ敬意を払わずに生きることはエゴでしかない。
元々は都市に住んでいた自分自身も反省をしつつ、自分の仲間たちを含む都市の人たちを森に誘い、その気持ち良さを味わい、生命の素晴らしさに感動したり、自身を内省したり、おばあと一緒に野菜をつくる経験などを通じて、都市と地域を繋ぐ活動をしました。それらの経験を通じて、日常の消費行動や生活スタイルに少しでも良い影響があるように。
しかし、永遠に交わることのない平行線を辿っているような積み重なるやるせなさも同時に味わっていました。

人間とは
人間とは、当然ながら慈しみもあれば、憎しみも持ち合わせた生き物。
都心では、人が何をやろうが自由、というマインドがある一方で、負の感情の示し方も高度で、対処のしようがなくて、究極精神を病んでしまうこともあるけれど、地域はもう少し人間臭く泥臭い。
飛騨で一番強く感じたのは、“妬み”という重い感情。周りと歩を合わせて進む『相場合わせ』の文化だから、調和を崩したり、杭が出ていると叩かれる。調和の文化は素晴らしいものでもありながら、時に大きな負のパワーとなって人を動かし、人を傷め、脅威をも生み出す。
でも、妬みや嫉妬の感情は、人間に備わった防衛本能であり、排除しようとしてもできないもの。でもそれを野放しにして足を引っ張り合っていては、一歩進んで二歩下がり。先に歩を進める意思があるなら、感情を制御しながらその先の高みを目指す、自身を研ぎ澄まして行くしかないと思う。それなしに社会や文化の進化・発展はない。

矛盾の中に進化の粒がある
『地域創生』ー もはやトレンドワードですが、地域創生の定義は何なのか?何をもって「創生」や「活性した」とするのか。それを誰が認めるのか?そもそも地域創生は必要なのか?という疑問を今、感じています。
年間多くの観光客を受け入れる町や村も、一部の地域住民にとっては経済的な側面で万々歳かもしれないけど、オリジナルの文化や伝統が失われたことに悲観的な人もいるかもしれない。
移り住んだ当時の2015年、あれほど素晴らしい価値のある飛騨を盛り上げたい、もっと世界中の人に飛騨のことを知ってもらいたい、と意気込んでいた私は、地域創生に必要なのは、人々の思いと熱量で、みんなが自分ごととして未来を共に描き、そこへ向かって創る、実験する、を繰り返せば実になるんだと考えていました。でもそこには、そんな一筋縄にはいかない大きな壁が立ちはだかっていました。

都市と地域、クラフトとデジタル、行政組織と一般企業、若者と年長者 ー その両極をつなぎ合わせることは至難の技、でも同時に興奮もすることでした。しかしそこには、矛盾も介在する。
その両極を繋げようとせず、その性質をそのまま受け入れ、絡め、融合させながら包み込み、創造していく。その結果を見て両極が納得し合う。『アウフヘーベン(止揚)』のように、そのものとしては否定しながら、更に高い段階で統一し解決することが必要かもしれない。
それには想像力が必要で、どんな世界がいいのか、どんな未来がいいのか、どんな自分でありたくて、どんな人達と触れ合い、どんな暮らしをしたいのか?とヴィジュアライズすることが必要だと思うのです。

芸術は軋轢を超える
富山の利賀村で世界の劇団を招き、40年近くにわたり、演劇フェスティバルを続け、小さな村の復興に挑戦している鈴木忠志の言葉には実感があり、私の心の師匠です。
「芸術家には、異質性がはっきりしている中で同質性を示す使命があります。『文化』にも考え方が2つあって、宗教や言語、生活スタイルを”文化”と称すると、集団のまとまりを強くする壁ともなり、純粋であればあるほど排他性を持つ。
でも『芸術』は違う。”文化”が違っても人間は共通だ、とアピールしてきたのが芸術です。だからドストエフスキーもカフカも他民族から受け入れられた。逆に言うと、他国に受け入れられ、初めて芸術としての価値がわかる。同じ国や民族の中だけで愛されるのは「娯楽」。芸術には普遍性があるものです。芸術の同質性を踏まえ、共通の問題意識をアピールしよう、という思いでやっています。」

「創作」を通じて軋轢を超える
私は、FabCafe Hidaを「飛騨プラネット」ー 様々な星が混在する飛騨の中の宇宙空間であり、クリエイティブの交差点 ー として、混沌を楽しみ、全てを包み込めるような場づくりを目指しました。『創作』を通じて、伝統と先端、クラフトとデジタル、若者と年長者などの対極にありそうなものをつなげることでしか、光は見えてこないと考えたから。
時に、伝統とAIを融合させようとする外国の学生で溢れた合宿スペースに様変わりし、近所のコーヒーを飲みに来てくれた人達を驚かせたこともあります。理解を醸成するためには、長期的な努力が必要です。
FabCafe Hidaには、伝統的で質の高い木工技術とデジタルを使いこなす若手スタッフが増えてきました。色々形を変えながら、蝶へと変容していくのが楽しみです。どうぞ今後ともよろしくお願いします!

思い、考え、実行し、評価し、再挑戦し、実験を繰り返すことでしか光を見出すことはできないし、その過程で自分なりの答えが見え、特定の思いが消化されたり、変化したり、昇華されたりするんだと思うのです。

私は今、“TRANSFORMATION(変容)"の時期です。
体と心と内臓、最後に脳が、そう合図をくれました。

この後の自分の未来について理想の形はありますが、どのようにそこへ行き着くかはまだ未知数です。ひとつだけ確かなのは、私はやっぱり森が好きだし、飛騨のツンデレな人々が大好きです。だから、新たな角度で森のある飛騨に関わる日を想像しながら、着実な一歩を踏み進めていこうと思います。

ありがとうございました、スターアニスの香りの飛騨よ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?