ホームベースのような一冊——平出隆『ベースボールの詩学』(講談社学術文庫)

 先日、国際的な野球の祭典、WBC2023が活況のうちに幕を閉じました。日本の一野球愛好者として、大変に幸せな数週間だったと思います。2009年大会決勝の韓国戦、イチローが鋭い一振りで弾き返した打球がセンター前へと抜けていく、あの瞬間に背すじを走った興奮が、生々しく甦りもしました。あの十四年前の優勝時に比べて、選手たちの体格は一回りかもう半回りほども大きくなり、精緻な技術と戦略性の高さが持ち味だった日本の野球は、いつの間にか、力と速度によっても世界の強豪国と正面から渡り合うようになった。これから日本の野球はどうなって行くのか。正直なところ、個人的には、かつての「小さな野球」にも、それはそれで慎ましい美徳があったと思います。しかし無常も世の習い。今シーズンのプロリーグもちょうど開幕したことですから、知性と技術と速度と力とが、なるべく高い水準で融和する境地に期待しつつ、引き続き、楽しく観戦して行くつもりです。
 さて、そうしたどこか熱っぽい気分がまだ醒めきらないうちに、一冊の本を読むことができました。こちらも大変によい内容だったので、感想を書き留めておきたいと思います。
 平出隆『ベースボールの詩学』(講談社文芸文庫)。この本は、自身も草野球チームの監督兼三塁手をつとめる詩人による、《ベースボール=詩》論です。しかしなぜ、この異質なふたつの名詞が、等号で結び合わされているのか。平出自身がその疑問に、力勁い断言で答えています。「著者にとっては、詩的想像力の運動性とベースボールの白い躍動との同定こそがすべてなのである」。つまり、ベースボールの起源に遡行することで、この遊戯にして競技の核心となる「躍動」を掴み出し、それと白紙上で展開する「詩的想像力の運動性」との同一性を示すこと。そして、そうした探究の過程そのものを、一本の緊迫した放物線として組織すること。それこそが、おそらくこの本の狙いなのです。
 そうした一連の試論にあって、近代ベースボールの歴史を、実際に本場アメリカの聖地をいくつも訪れながら辿っていく平出の足取りは、それ自体として上品な紀行文の風格を備えています。また、その起源を古代エジプトの「豊穣の祭式」にまで遡り、アメリカ南北戦争による競技人口拡大とプロリーグの結成を経て、平出自身の近過去に至るまでの、豊富な挿話を網羅した調査には、「学術文庫」にふさわしい射程の広さと深度、先行研究に対する敬意が感じられます。さらに、後半の章から、「わが国で最初のベースボール・ポエット」、正岡子規の短歌や俳句、アメリカで人口に膾炙した野球詩「ケイシー打席に立つ」などの作品をもとに繰り広げられる一連の批評は、まさしく「ベースボールの詩学」の実践練習に他なりません。加えて、万葉の長歌から折口信夫の言霊説まで、広範な時空間の詩論とも対話しながら、ベースボールという球技の特性と起源を鋭く見抜いた最終盤は、「ベースボール=詩」論の古典にして、現時点でのほとんど結論と言ってよい。
 文庫版にして250ページあまりの文量に、これだけの多面的な魅力を凝縮したこの本は、野球と文学を愛する日本語の読み手たちにとって、何度もそこから出発してはまた戻っていくべき、ホームベースのような一冊となるでしょう。同じく平出の『白球礼賛 ベースボールよ永遠に』(岩波新書)も、これから読んでみたいと思います。

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