病床六尺舌先三寸胸一寸5

最近日本凄い、というTVや動画をよく目にします。
 それを批判している国を愛せない可愛そうな人もいるし、そういうモノがなければ気がつけないほど自分の国を良く知らないかわいそうな人もいます。

 日本は必ず山があって、川は世界からすればまるで滝のような急勾配を一気に流れ落ちる。
 人間がへばり付いているのは沖積平野でそれは水害との戦いだった。
 暖かい国は水が足りず、寒い国はつい近年まで飢饉で子供を身売りしていた。
 農業は重労働で腰まで水に浸かる深田へ稲を植える景色は昭和38年ごろまで普通に見られた。

 地震が多く、噴火で町や村が飲み込まれることもしばしば。美しい湖沼群や温泉と引き換えに苛烈な自然と隣り合わせで暮らす。

 
 そんな地形だからこそ栄えた文化や思想があるのであって、無理に外へ外へと膨張する時、日本は間違えを起こします。

 それは太平洋戦争のことではありません。

 明治維新のように『内に取り込む』姿勢ならば日本はするりと日本的に形を変化させ取り入れていくのですが、新自由主義のように『外へ放り投げてゆく』ことをすると日本人は他の民族よりも簡単に魂をなくしてしまいます。

 氷河期世代を生み出してなお、少子化対策も何もせず見殺しにするこの日本は
 まさにバブル崩壊後にたくさんの魂を失った。

 自分はここまで生きてきて、好きなことをやらせてもらった『後ろめたさ』がありました。
 どこかで孝行したいと。

 でももうそれも辞めました。

 痛みに襲われ1年間寝たきりになってしまった時、
 罵声を浴びせたのは家族です。

 わたしの介護をさせてやろうと思います。
 復讐とかそういう高尚なものですらありません。
 
 もう痛くて時代に抵抗する力もありません。
 これが昔は走り回り、上司と怒鳴りあい取っ組み合いをしていた男なのかと思うと絶望しか
 ありません。

 ただただ生きたかっただけです。

 きっとそういう意味では、完璧な障害者や難病指定されている方のほうが
 『ヌルゲー』でしょう。
 見えない、見てもらえない境目にこそ闇はあります。

投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。