見出し画像

【マスク依存症】 ~脱却できた未来の自分へ~


小学6年生の冬、インフルエンザ予防のために毎日マスクをするようになった。
このときはまだ、「マスクなんか良いな」ぐらいの感覚。
インフルエンザの時期が終わるとともに、マスク生活も終了。
中学1年生の冬も、インフルエンザ予防のために毎日マスクをした。

それ以降、気づいたら、マスクをはずせなくなっていた。

中学2年生以降は、一年中マスクをつけていた。

なにかの予防でもない、風邪をひいているわけでもない、咳が出るわけでもない、花粉症でもない、なんでもないのに、マスクをつけて過ごした。
飲食をするときと、家で過ごすときと、家族と過ごすときと、部活中以外は常にマスクをしていた。
体育大会でもマスクをしたまま走っていて、さすがにおかしい、と後日母から言われたっけ。
高校生で、マスクを二枚重ねにしていた方が安心感があることに気づき、冬は二重で過ごしていた。


マスクをしていないと、ずっと不安。
マスクをしていないと、「今私はマスクをしていない」という意識が脳内を支配する。
そして、マスクの予備も常備していないと、不安に襲われるようになった。「マスクの予備がない、今つけてるのが使えなくなったらどうしよう」という思考で頭がいっぱい。

気づいたら、完全なマスク依存症になっていた。


高校卒業後、3年間の看護専門学校に進学した。その頃から、お昼ご飯を食べない生活スタイルになり、学校生活の中でマスクを外しているのは水分補給の時だけになった。看護学校の卒業式の日、みんなと写真を撮るためにマスクを外すと、「マスク取った顔初めて見た!」と何人かに言われた。3年間も過ごしてきたのに。



「マスクしてるだけなんだから誰にも迷惑かけてないし、外さなきゃいけない場面では素直に外すし、マスクつけてて自分が安心できるならそれでいいじゃん。」
と、ある時期まで思っていたが、
いつからか、
なんとなく、
しぜ~んに、
「マスクしないで生きられるようになりたい」
と思うようになった。
「マスク依存症脱却に向けて頑張りたい」
と思い、色々と方法を考えてみたりもした。
けれど、
「いやでも、マスクなしの生活なんて絶対無理!」
とマスクを手放すことを諦めて、
でもやっぱり、、、と考え直して。。
心の中で、行ったり来たりを繰り返した。


数年間の葛藤の後、
一生マスクが手放せないなんていやだ。普通に生きられるようになりたい。
という思いを原動力に、
マスクをしないで過ごす不安と、今までマスクをしているのが当たり前だった私が突然マスクをしなくなった際の周りの反応への恐怖、
それらと戦うための心の準備を少しずつ始めた。
焦らなくていい、ゆっくりでいい、自分のタイミングで始めて自分のペースでマスクから離れていけばいい、そう思いながら、いつなんのタイミングで、どういう方法で、依存症脱却大作戦を実践していこうか考えていた。

そして、看護学校卒業後に、1人で県外へ出て助産専門学校に進学することが決まったとき、
「絶好のチャンスだ」
と心から思った。
私のことを誰も知らない、そして私も誰のことも知らない、必然的にそんな状況になる。だから、
「最初からマスクなんてせずに過ごそう」
「なんなら一人暮らしの家にマスクなんて1枚も置かなければいい」
「この新しい環境で絶対依存症脱却するんだ!自分変わるんだ!」
と盛大に意気込んで、一人暮らしを始めた。
なんなら、助産学生としてのあれこれより、まず第一にマスク依存症脱却大作戦のことを目標に掲げていたんだから。

しかし、タイミング悪く、看護学校を卒業する頃に世の中にコロナが登場し、県外で一人暮らしを開始し助産学校に入学する頃には、全世界的にマスクを徹底的につけて過ごすようになっていた。
「やっと覚悟を決めて、動き出すことができたのに、なんで」
そう考えれば考えるほど悲しくなり、依存症脱却から離れていく気しかしなかった。
もっと依存度が高まるんじゃないか、とも思った。


今の日本はまだ、マスクをつけて過ごすのが当たり前の世界が広がっている。
ただ、少しずつ、マスクを外して良い条件が認知され始め、一時に比べたらマスクを外せる場面も増えてきた。
私は、これについての賛否を述べたいわけではない。
この、少しずつマスクを外していこうとしている流れ、今後コロナが世の中的に落ち着いてほとんどの人がマスクをしないのが当たり前になっていくであろう流れに、全力で便乗して、マスク依存症を脱却したいと企んでいる。
企むもなにも、勝手にしろという感じだろうが。

ちなみに、少しずつ作戦はスタートしている。
マスクを外して良いとされている条件下では、なるべく外して過ごすよう心がけている。
マスク生活になってから出会った人達にマスクの中の顔に見慣れてもらうために、自然なタイミングでマスクを外した姿を見てもらえるように、計算して外してみたりしている。(自然なのか計算なのかややこやしい。)
“マスク依存症であること”どころか、“マスクが全く苦ではないこと”や“マスクが好きなこと”すら話さないようにして、“あくまでコロナの影響で仕方なくマスクつけてますよ感”を醸し出せたらな、とか考えながら過ごしている。(醸し出せているかは置いといて)

まだまだ、精神的に調子の良い時でないと、マスクは外せない。
いくら状況が許そうと、自分のタイミングが合わなければ、マスクは外せない。
マスクの予備も、必ず持っていないと不安になる。

けれど、マスクを外して過ごせる時間は過去の自分から考えると、確実に増えている。
初めてご飯に行く人の前でも冷静を装ってマスクを外すことはできるようになった。(装っているだけで、心の中は荒れているが。)
依存症脱却に向けての気持ちも、折れていない。
世の中の流れに乗れなかったら、今度こそ、良いタイミングなんてこないと思っている。今ほどに絶好のチャンスになるタイミングなんて、きっと私の今世の人生ではもう訪れないであろう。
だから、この波に便乗するんだ。
依存症脱却してみせるんだ。
マスクなしの生活を当たり前にしたいんだ。

でも、そう思いすぎて、焦って追い込んで苦しくなってしまわないように、しなくては。
苦しくなって余計にマスクが手放せない精神状態になってしまっては、本末転倒。



マスク依存症から脱却できた未来の私へ。
時代の流れを利用して、波に乗って、マスク依存症脱却を試みようとしている段階を生きている私が、自分とマスクの関係についてじっくり振り返り、脱却成功に向けての覚悟を綴りました。
これまでにいったい私は、何円分のマスクを消費してきたんだろう。
これまでにいったい私は、何枚の写真にマスク姿で写ってきたんだろう。
これまでにいったい私は、何度マスク依存症になった自分を責めてきただろう。
そんなことを振り返ることすら忘れてしまうくらいにマスクのことなんて自分の意識からなくして、“普通に”生きていける日々を楽しみに。頑張ります。




コロナが流行るまでマスクなんて全くつけなかったという大多数の人からしたら、めちゃくちゃ意味のわからない内容の投稿なんだろうな、と思うと同時に、こんな投稿をする自分のマスクに対する執着度、依存度の高さを実感して、ほんの少しだけ、先が思いやられた。

でもきっと大丈夫、ゆっくりでいいから。
















最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?