
グラフィックデザインを勉強して人生が変わった話
グラフィックデザインとは?
デザインを本格的に勉強し始めてもう1年半が経った。芸術系の大学に入学したのでデザインを勉強するという環境には置かれていたものの、本格的に勉強しようと思ったのは1年生の冬からだったので、現在で1年半が経過していることになる。一口にデザインといっても様々なものがあるが、僕が主に興味を持っているものはグラフィックデザインだ。グラフィックデザインとは何ぞやという人のためにWikipediaではこう書かれている。
グラフィックデザイン(英: graphic design)は、主として平面の上に表示される文字や画像、配色などを使用し、情報やメッセージを伝達する手段として制作されたデザインのこと。
つまりポスターやリーフレット、雑誌などの紙面のデザイン、またロゴやWebのデザイン、必要に応じてイラストを描いたりというもの、それがグラフィックデザインであり、その出力は多岐に渡る。普段街中を歩いているときに目にする看板や、本棚にある書籍、さらにはプレゼンのスライドまで世の中にはグラフィックデザインは数多く存在している。今読んでいるこのnoteも、フォントは、文字の太さは、1段落に対する行数は、引用をどこに入れるか、など考えることもグラフィックデザインの1つである。
元々はゲーム制作をするために大学に入った
僕は小さいころからゲームが大好きで、それを仕事にできればいいなと思いながら大学まで進学した。大学を選んだきっかけもそれが全てである。だが、実際に3DCGや映像を作る課題をやっていたとき1つ重要なことに気づいてしまった。
面倒くさい!
僕は昔から面倒なことが大っ嫌いだった。数学や物理の回答だって面倒くさい解法を避けて常に最短ルートを辿れるよう勉強してきた。普段の生活でも面倒なことは極力避けて生きている。
3DCGや映像というものは制作の一つ一つの作業が非常に面倒くさい。3DCGは空間を把握しながら何度も何度も物体を回しながら制作し、映像は少し修正して再生して修正して...の繰り返し。それも含めて面白いと言っている人は周りに何人もいるが、僕にはそれが嫌で嫌でたまらなかった。
そもそも3Dができる人は頭が良い。僕は数学の勉強でも立体の問題が苦手だったので頭の構造が合ってないのかもしれない。
そんなこともあり、僕はそれらを勉強することを諦めた。そして1年生の冬に実家に帰る途中、ふとグラフィックデザインを勉強したいと思ったのだ。なぜだか知らないが無性に勉強したいという衝動に駆られた。根拠はどこにもない。だが本気で勉強したかった。
もともと絵を描くのは好きだった。小学生のときは45分の授業の中で35分くらい熟考して10分で描いた絵がクラスの中で評価されたり、中学生のときは美術の授業で本を作る課題があったのだが1人だけ飛び出す絵本を作って先生を驚かせたりした。また小さい頃に書道を習っていたこともあり、文字のバランスや美しさを測ることにも慣れていた。
そう、僕は小さい頃からグラフィックデザインに繋がる訓練をしていたのだ!
グラフィックデザインのアルバイトを一気に2つ始めた
アルバイトでグラフィックデザインをやり始めてからというもの、その腕はみるみる上がっていった。もともと不器用で成長が遅いことに定評のある僕だが、これに関しては自分でも驚く程すぐ腕が上がっていった。
まず始めたのは在宅のアルバイトで、和菓子と工場器具、デザイン思考を提供するクライアントからテレワークで仕事を依頼され、自宅でデザインをし、自宅で提出という内容のものだった。
そして同じくらいの時期に始めたアルバイトは、Web制作が主だが同時に広告代理店のような役割も果たしている会社で、週に3回ほどオフィスに出てデスクで作業する、という内容のものだ。こちらに関しては最初はコーディング要員で入社したのだが、1回成人式のチラシを作ったところ、思いの外評価されデザイン要員に回された。またプロのデザイナーさんが見てくれるので、その人に辛口コメントを言われながらもせっせと制作していたらめきめきと腕が上がっていった。やはり独学でやるのと指導者がいるのとでは成長のスピードや質が断然違う。
この2つのアルバイトをこなしていたらいつの間にか1年が経っていた。制作したものは100個を優に超えていた。暇な時はデザインに関する記事を毎日のように読んでいるので、寝ている時以外ずっとデザインのことを考えていた。毎日デザインに囲まれて生活していた。
そんなデザイン生活を送る中で、アルバイトや課題などで制作したものは以下のポートフォリオに載せているのでぜひ見て欲しい。
そして人生が変わった。
身の回りのものに対する考え方が変わった
まず高校生の時には全く気にも留めなかった街中の広告物や看板、店頭に並ぶ商品のパッケージ、日々配達されるチラシ、レストランで見るメニューのレイアウト、他人からもらう名刺、街中を歩く人々のTシャツのデザイン、他人のプレゼンテーションのスライド、Webサイトのページ、など身の回りに存在するほぼ全てのものが今までと違う観点で見えるようになった。
例えば「自分だったらこうデザインするのに」「ここの余白のバランスが左右で違うのには理由があるのか?」「このレイアウトは見にくすぎてちゃんと読む人はいるのだろうか?」「こういう使い方もあったのか!」「このフォントは街中のどこでも使われているな」など、多くの視点からものを見ている。ものがそこにただ存在するだけのもの、というものではなくなった。意識されてデザインされているものほど多くの発見があるし、輝いて見える。
考え方が変わると行動が変わり、行動が変わると他人からの評価も変わるものだ。まず大学の学園祭のロゴに自分のデザインしたものが採用された。これはとても嬉しかった。今年の大学の顔になるのだから。また、ポートフォリオをネットで公開したところ、あるデザイン事務所からお声がかかり、現在そこで3つ目のアルバイトをしている。そこの事務所のクライアントが超有名な企業や人物なので誇りを持ちながら働いている。
自分のしてきたことは間違いではなかった。
デザインというものはそれがグラフィックであれ、プロダクトであれ、建築であれ、何か1つ極めると他のデザインにも応用できるので、これからデザインを始める人はどれでも良いので何かに夢中になって続けてみると、ものに対する考え方が変わるかもしれない。
僕は依然としてこれからも猛進を続ける。