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被爆校舎と運動会

コロナが流行する数年前のことです。
五月の日曜日、甥っ子の運動会を見に行きました。

長崎市立城山小学校。
長崎市の北西部に位置し、長い坂道をのぼった山の手にあります。
風薫るどころか真夏並みのキョーレツな日差し。
運動場の周りには保護者が持ち込んだ色とりどりのミニテントが張られ、日傘や帽子、タオルなどで直射日光を避けながら応援する人々でごった返していました。

(暑っ! こりゃたまらん……)
昼食後、照りつける太陽と人の多さに閉口し、運動場を逃げ出した私。
甥っ子が出る次の競技まで、涼しい場所を探すことにしました。

(ン? 何やろこれ……)
裏門近くで見つけたのは、ひっそり佇むくすんだ外壁の建物。
看板には『旧城山国民学校校舎』とあります。
薄暗くしんとして、そこだけ時間が止まっているかのようです。

「よければ、どうぞお入りください」 
入口横の小窓がすっと開き、眼鏡の女性に声をかけられました。

リーフレットをもらい、おそるおそる中へ――。
数名の見学者がいましたが、外の喧騒とは別世界の静謐さ。
(あっ、もしかしてここ……)
以前甥っ子が言ったことを思い出しました。

「ぼくらの学校には、被爆校舎のあるとばい」

昭和20年8月9日、長崎市に落とされた原子爆弾で、爆心地から500メートルの位置にあったこの学校は壊滅的な被害を受けました。
たくさんの児童と教師が亡くなったそうです。
この旧校舎は『長崎原爆遺跡』として、国指定の史跡にもなっているとのこと。

そんな貴重な場所を興味本位でのぞいていいものか……躊躇する背中を押してくれたのは、優しく「おいでおいで」と招き入れてくれるような雰囲気。校舎ならではのぬくもりでしょうか。
さほど広くない空間に、ゆっくり足をすすめてみました。

まず目についたのは、壁に埋め込まれた木煉瓦。
原爆の高熱で黒く炭化しています。

そして、被爆した人々の衣服や所持品の数々。
被爆前後の校舎の風景や、亡くなった教師(10代も多数)の集合写真など、さまざまなパネル写真や地図も展示されています。

壁やガラスケースの狭い空間に、一点一点丁寧に展示してあるそれらの品々。焼け焦げて穴が開き、引きちぎれた衣服が爆風の激しさを物語っています。

驚いたのは、<展示品との距離>。
建物の規模や収蔵品の多さでは、長崎や広島の原爆資料館とは比べものになりません。
ですが子ども目線で、じっくり近くで観察できる展示品からは、原爆のリアルさ、恐ろしさ、悲しさが生々しく伝わってくるのです。
手作り感あふれる展示方法ゆえに、何十年か前に実際にここで生きていた人々の体温が、笑い声が、そこかしこにあふれているようです。
原爆犠牲者を”身近に„感じたのは、初めての体験でした。

同時に胸を打たれたのが、子どもたちが懸命につづった平和を願う文章や、国内外から届いたたくさんの折り鶴や手紙。

ああ、甥っ子はこの小学校へ通えてよかった。これからもたくさんの子どもたちにここを訪れてほしい!)
言葉にならない感動がこみ上げ、そして痛感しました。

「戦争は、核の悲劇は、二度と繰り返してはならない!!」

運動場へ戻ると、目に映る情景がさっきまでとは違って見えました。
明るい太陽の下、競技に励む子どもたちと大人たちの大歓声。
にぎやかな音楽やアナウンス。
笑顔にあふれた幸せな情景です。

「どこ行っとったとね。ダンスの始まるよ」
応援席へ戻った私に、姉がペットボトルを差し出しました。
それは『お~いお茶』。

フタを開けるとき、少しだけ胸が痛みました。
水を求めて死んでいった人々の姿が頭をよぎったのです。
口へ運ぶと、冷たいお茶がのどを通っていきます。
「ああ、おいしい!」
それはまさに〈生きている味〉

(お~い!)
私は青空へペットボトルをかかげ、心で呼びかけました。
(原爆で亡くなった先生方や子どもたち、天から見守って下さい。この平和を守り続けていきますからね)
爽やかな緑色のお茶が光を反射し、キラキラとゆれていました。

#お~いお茶と初夏の思い出  #戦争 #原爆 #長崎

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