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運動会の「係児童」は全員にさせるべきではない

運動会では、必ずといっていいほど「係児童」が存在する。応援団をはじめ、用具係、1~3着を誘導する係(決勝係などとよばれる)、放送係など多様にある。多くの学校は、運動会を「子供たちがつくり上げるもの」と位置付けているため、1人でも多くの子供に何らかの「係」を割り当てようとする。しかし、この形式的な「係」による役割委譲は非常に危険である。本稿では、①係を担う子供の経験価値、②運動会全体のクオリティーの2つの観点から、運動会における係児童の意義と適切な運用について述べていく。

特別活動としての運動会

学習指導要領では、運動会は「体育科」ではなく、「特別活動」の中の「健康安全・体育的行事」に位置付けられている。「特別活動」とは、『他の教育活動では容易に得られない教育的価値を実現する体験的な活動』として、その重要性が明記されている。また、『この体験的な活動は、ともすると単調になりがちな学校生活に非日常的な秩序と変化を与える』とし、学校生活に「非日常感」をもたらすための行事であることが強調されている。

また、学校行事を通してさまざまな資質・能力の向上を目指すことから、行事の運営には積極的に児童を参加させることがいわれている。前稿では、運動会が「する」「みる」「ささえる」の3つのスポーツへの関わりがすべて体験できることを示したが、本稿で述べる運動会の「係児童」は、運動会の運営に携わるものであり、「ささえるスポーツ」にあてはまるものとなる。

特別活動の目標を達成するには、運動会を通して「ささえるスポーツ」の体験をより多くの児童が味わえた方がよいことは想像に容易い。また、学校特有ともいえる過剰な「平等意識」が、すべての児童に同じ機会を提供しなければならないと、無理やり仕事を作って与えようとすることも起こりがちである。しかし、「特別活動」としての運動会の価値を最大化し、係活動の意義と目標を実現するためには、本当に必要な係にだけ適切な人数で充てなければならないのだ。逆説的ではあるが、係に従事する人数を限定した方が(学年の人数規模にもよる)、係活動が生み出す価値を大きくすることができる。以下、その理由を述べていく。

スポーツボランティアのモチベーション分類

「係」として運動会の運営に従事することは、社会スポーツにおいてはスポーツイベントの「ボランティアスタッフ」と同様の位置づけとなる。「ボラティア」と聞くと、「自発的に」「相手のために」というイメージが強く喚起されるが、実際のスポーツイベント(プロリーグの試合、地域のマラソン大会など)では、相当数のボランティアスタッフが「駆り出され」ている。中にはグッズがもらえたり、賃金が発生する有償ボランティアと呼ばれるものもあり、スポーツを「ささえる」仕事をするには様々な動機があるのが現実である。

それらを分類した清宮・依田・門屋・阿部(2021)の研究では、スポーツボランティアに従事する人は、大きく5つのタイプに分けられるとした。

【義務型】
・やらされている感覚
・相手のためでも、自分のためでもない
・このタイプは男子が多い
・スポーツボランティアの経験がない人が多い

【互酬型】
・相手のためでもあり、自分のためでもある
・自己のスキルを活用できるという感覚が強い
・女子は5つのうちこのタイプが最も多い

【労働型】
・人にいわれたからやっている
・金銭的報酬がインセンティブ
・アルバイトのような感覚

【貢献型】
・相手のためになっていることは理解している
・自分のためになるとは思っていない
・本当はやりたくないが、奉仕は大切と理解しているので引き受けている

【自発型】
・自主的な参加
・相手のためにという気持ちが強い
・このタイプはスポーツボランティア経験者が多い
・男子は5つのうちこのタイプが最も少ない

このようにみても、すべてのスポーツボランティアスタッフが「ボランティア精神」に基づいて従事しているとはいえないことがわかるだろう。5つを比較すると、ボランティアへの参加意欲は【互酬型】が最も高く、【義務型】【貢献型】が特に意欲が低いことが明らかとなった。豊田・金森(2007)の研究では、強制的なボランティア参加(【義務型】に相当する)でも、実際の活動を通してその価値に気づき、再びボランティアに参加したい(【互酬型】または【自発型】に相当する)という意欲が高まる可能性があることを示し、それを『発掘型体験学習』と称した。しかし、スポーツボランティア経験者の約4割が、経験後も依然【義務型】に属することもわかり、このような学習効果は必ずしも起こるわけではないことが示唆された。

学校の運動会での係児童は、【労働型】になることはまずありえない。また、多くの子は自らやりたがるため【互酬型】または【自発型】に属している可能性が高いと考えられる。しかし、「全員に何らかの係を割り振る」とすれば、必ず【義務型】や【貢献型】も出てくるはず。係児童を「やらされている感」を出さないため、あるいはやりながら充実感を味わえる『発掘型体験学習』を起こすためには、何が必要なのだろうか。

経験価値が高くなるボランティア活動とは

スポーツイベントを「ささえる」体験による満足感を得られるには、ずばり「人とのインタラクション」が感じられることが必須である。インタラクションとは、つながりや交流を意味し、自分の仕事が誰かのためになっていると実感できることが重要になる。スポーツイベントには、必ず「する人」「みる人」「ささえる人」が存在する。それぞれの立場の人とどのようなインタラクションが起こるのか、いくつかの例を挙げる。

(1)「する人」とのインタラクション
・マラソン大会で、給水所のスタッフをしながら、選手に声をかけた
・サッカーの試合でボールボーイをして、選手にボールを素早く渡せた
・陸上大会の招集所でスタッフをしていたら、選手に「ありがとう」と声をかけてもらえた

このような直接的な選手との交流や、選手がより快適に試合に臨めるための手助けができたと実感することが、スポーツを「ささえる」ことの満足感につながる。

(2)「みる人」とのインタラクション
・駅伝大会で走路員をしていたら、沿道の観客から「ありがとう」と声をかけてもらえた
・自分の席が見つからない観客に、座席まで案内した
・観客席に清掃をしていたら、観客も手伝ってくれた

このようにより快適な観戦体験を提供することに貢献したり、観客と協働したりする体験をすることで、スポーツボランティア活動への満足感につながる。

(3)「ささえる人」とのインタラクション
・市民マラソン大会の「受付チーム」がとても雰囲気がよく、楽しく仕事ができた
・今回のボランティア体験を通じて、新たな友人が増えた

このように、「ささえる人」同士のインタラクションでは、仕事内容そのものへの満足よりも、人とのコミュニケーションへの満足によるものが多い。

一方で、次のような場合は、ボランティア従事への満足感が低くなる可能性がある。
・マラソン大会で救護スタッフとして従事したが、傷病者は出ず、ただ待機するだけだった
・会場の後片付けに従事したが、実際のイベントの様子もわからず、ただの肉体労働という感覚しかなかった

このように、ただ仕事をこなすだけで、まったくインタラクションが生まれない活動では、スポーツボランティアへの満足感が低く、以降のボランティアに対するイメージが悪くなってしまう恐れがある。したがって、運動会においても子供がその係に従事することで、誰と、どんなインタラクションが発生するのかを十分にイメージしなければならない。インタラクションが起こらない活動に従事させると、かえって「つまらなかった」というネガティブなイメージを残すことになるのだ。

なんでも子供がやればいいわけではない

もう1つの重要な点は、「運動会全体のクオリティー」である。前述のとおり、運動会は特別活動であり、『非日常感』を味わうための行事である。これが達成できたかどうかは、運動会という一日を終えたときに「あ~楽しかった!!」とどれだけ思えるかで決まる。

過去の経験を思い出してほしい。家族や友人との旅行、テーマパークでの休日など『非日常的な一日』を満喫したとき、あなたは必ず「サービスの消費者」だったはずである。運動会も同様に『非日常的なスポーツイベント』と考えたとき、子供はそのイベント(行事)の「消費者」として高い満足感を得られなければならない。運動会を「つくる側」と「味わう側」に分ければ、「ささえる人」=係児童は「つくる側」であり、「する人」「みる人」は運動会という場を「味わう側」になる。つまり、子供は運動会の大半を「味わう側=消費者」として満喫するのであり、係児童は一時的に「つくる側」に立場を移して仕事をすることになるのだ。

これまでずっと子供の「つくる側」としての経験価値を述べてきたが、ここで一度「味わう側」にいる子供の経験価値を考えたい。そこを考えると、運動会の運営のある部分は必ずしも子供にやらせなくてもいいということがわかる。あなたがサービスの消費者であるとき、子供が仕立てたそれなりのサービスと、大人が仕立てた完成度のサービスのどちらがより高い満足感を得られるだろうか。ここで問いたいのはそういう話である。

特に子供ではなく大人がやるべきは、運動会の「演出」の部分である。運動会中は常に音楽が流れ、楽しい雰囲気を創り出している。競技中には放送係の子供が「赤組さん、頑張っていますね!」のような「テンプレート」を順番に並べていく。これが風物詩のようにもなっている。

しかし、このマイクを大人が握り、まるでショーかのように進行したらどうだろうか?競技間を機械的に人を入れ替えるだけでなく、短いトークで会場を盛り上げ、応援席にコールをかけて煽り、競技中は熱狂的な実況をする。Bリーグの会場でDJがアナウンスしたり、バレーボール会場でみんなで「日本、チャチャチャ!」をするようなあの感覚である。こういう演出は子供にはできない。大人がこういう演出をすれば、必然的に応援団の振る舞い方も変わってくるだろう。

まとめ

ここまで運動会の「係児童」の意義とその効果的な運用方法について述べてきた。まとめると、
①【互酬型】【自発型】のような能動的に「ささえる」活動に従事できる子供が係児童をやると、体験する効果が高い。
②『発掘型体験学習』によって「ささえる」スポーツの良さに気づかせたければ、係児童と他者のインタラクションが生まれる活動に従事させるべき。
③運動会の「演出」に関わる部分は、子供に委譲せずに大人がやった方が、運動会を「味わう側」としての子供の満足感が高くなる。
となる。

これらの点から考えれば、「必要な場所に必要な人数だけ」係児童を配置することが、最も効果的な運用であるとわかる。なんでも子供にやらせたら、イベントとしての運動会のクオリティーが落ちるし、数少ない仕事を大人数で分割しすぎると、「たったそれだけ」の活動ではインタラクションが生まれず、係になった子供の満足感が得られない。このバランスをとって価値を最大化させることが、真に運営側である教師の目指すところなのだ。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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