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New体育論-Management Perspective-

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小学校で体育を指導しながら、スポーツ産業のマネジメントを学んだ私が、スポーツが発展するためにあるべき体育の姿を様々な切り口から解説するシリーズ。これまでにはなかった「新しい体育の…
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#運動会

運動会の表現種目に関する一考察

ここ数年はさまざまな分野で「あたりまえの見直し」がされてきている。学校もその例外ではなく、各校の努力で様々な部分にメスが入れられていることだろう。特に大きな見直し点の1つが学校行事であり、運動会の在り方は多くの学校で再検討がなされているはずである。 しかし、なかなか大幅な変更に踏み切れないのは、ある意味運動会の象徴ともいえるだろう「表現種目」の存在がかなり大きく影響しているのではないかと思う。実際、運動会準備や練習の大半がこの表現種目に向けられたものであり、正直表現種目さえ

表現運動のゴールとして「発表会」は必要なのか?

「表現運動」や「ダンス」の単元は、多くの体育指導者の頭を悩ませるものである。何を指導すべきかわからない、どのように指導すべきかわからない、そもそも自分が踊れない…など、現場が抱える問題も広く、深い。 したがって、これまでは運動会の表現種目の練習をそれに充てて「しのいで」きた。学年や学団など大勢の子供が音に合わせて一斉に踊るその様は、たしかに「映える」ものだし、観る者には大きな感動を与える。しかし、当の子供たちには一体どのような体験が残っているのだろうか?練習を重ね、最後に「

運動会の「係児童」は全員にさせるべきではない

運動会では、必ずといっていいほど「係児童」が存在する。応援団をはじめ、用具係、1~3着を誘導する係(決勝係などとよばれる)、放送係など多様にある。多くの学校は、運動会を「子供たちがつくり上げるもの」と位置付けているため、1人でも多くの子供に何らかの「係」を割り当てようとする。しかし、この形式的な「係」による役割委譲は非常に危険である。本稿では、①係を担う子供の経験価値、②運動会全体のクオリティーの2つの観点から、運動会における係児童の意義と適切な運用について述べていく。 特

運動会の「二層構造」を解き明かす

昨年度は多くの自治体が運動会の中止や縮小を余儀なくされた。新年度になって、新しい運動会の形を模索する必要に迫られている。「新しい様式」への変革が言われるようになって早一年が経ったが、本質を残したまま上手く「フォルムチェンジ」できた運動会はどれだけあるだろうか?本質を理解していない人が勝手に表面だけをいじくり、結果的に「骨抜き」状態で身もふたもない運動会になってしまった学校はないだろうか? 新しい運動会の姿を模索する前に、まずは「運動会」という年1回の特別な行事が持つオリジナ

組体操に潜む「感動」という罠

本稿は、先日Twitterで組体操に関する問題提起をされた方からのリクエストをいただき、組体操に関する一考察を書いたものである。 まず、その問題提起となったツイートがこちら とある中学校の体育祭での一場面だろうか。「10段ピラミッド」という”超大技”にチャレンジし、非常に危険な崩れ方をする映像である。発信者はこれを「虐待」と表現し、一歩間違えれば「殺人」とも言われかねないと警鐘を鳴らしている。私もこれには完全に賛同であり、結論から述べれば「運動会・体育祭に組体操をはじめと