強制横スクロール


真っ白な肌をした巨大な相撲取りに、頬ずりされながらどこまでも押されていく。

そんな夢から覚めると、実際に俺の身体は引きずられていた。建築基準法を守っているのかも怪しい古いアパート。背中が変色した畳に擦れて熱い。

俺は、顔面を薄い襖に押しつけられ身動きできなくなった。ゆっくりだが、揺るぎない力で絶えず押されている。

顔面で襖を突き破り、身体ごと厚紙の戸を抜けていく。ひっくり返った拍子に後ろを確認してみた。だが、そこには誰もいなかった。

恐怖で心臓が締め付けられた。ポルターガイスト現象?俺は、幽霊に暴行されてるのか?

だが、安アパートの中には陽が燦々と差している。とても幽霊が出る状況には見えない。

身体を前に押しやる力はずっと続いていて、俺の身体は引きずられ、今度はトイレのドアに押しつけられそうになったので慌てて開けた。

だが、次の瞬間にはそこが行き止まりだと気付いた。トイレの壁で圧死する自分の姿がありありと浮かぶ。

その瞬間、上部の小窓から外の光が見えた。俺は、便座に足をかけて死物狂いで開けた小窓に上半身を突っ込んだ。もがいてるうちに、前に押しやる力に捉えられる。

実質賃金は下がってるのにバカみたいに物価だけ上がるアベノミクス効果がこのときばかりは俺の命を助けた。俺は栄養失調寸前まで痩せていたのだ。

俺の貧相な身体がトイレの小窓をすり抜けてアパートの共用廊下に転落する。

柔道のオリンピック金メダリストに一本背負いをかけられたような衝撃。

内臓がダメージを受けたのか、吐き気がする。目の前に、半透明の光る蠅が無数に飛んでいるように見えた。

寝転がって休む暇もなく、安アパートの敷地と建売りの一軒家を隔てるブロック塀が迫ってくる。

塀をよじ登って向こう側に飛び降りると、一軒家と一軒家の隙間はぎょっとするぐらい狭かった。

狭すぎる額縁に飾られた縦長の絵のように、向こう側に景色が見えている。

思わず、回り込もうかと首を振って辺りを見回し、距離感と自分の脚力を計算してるうちに見えない力にとらわれた。

拳3つぶんくらいしか隙間が無い空間に、身体が押しやられていく。

身体を横にして押し込んだが、大根おろしで胴体を削られるような心地で、薄汚い壁であばら骨を延々と擦られた。

いたいぃ、と誰かに聴かせたいなんて自意識も無く口から漏れでた。

ようやく抜け、家の柵を乗り越えると涙があふれでた。思わずアスファルトにしゃがみ込む。だが、泣いても許してくれる人間などおらず。ただ無慈悲に次の障害物が迫ってきた。

その瞬間、気付いた。後ろを振り返ると自分が通過した後には何も無かった。

ただ真っ白な、虚無の空間がそこにはある。

□□

やっとの思いで、街に出た。

だが、虚無の白い壁は何の慈悲も無く背後に迫り続けた。

一度、壁と距離をとって振り切ろうと全力疾走してみたが無駄だった。こちらが早く移動すれば壁も同じように早く進むだけだ。

路地裏から駅前の繁華街に出た瞬間だった。

OLらしい一人の女が、『ぶーん』と口走りながら方向転換して、こちらに向かってきた。

一瞬、抱き止めてやりたい遊び心を感じたが、嫌な予感がしてとっさに身を避けた。

OLは俺の背後を交差して歩いていたサラリーマンとぶつかって、その瞬間、真上に火柱を上げて爆発した。

女の両足首だけが、道路上にぽつんと残っていた。

呆然自失している間も、力は俺を捉えて、背後では数え切れない口が『ぶーん』『ぶーん』『ぶーん』『ぶーん』と声を発した。

見ると、順序正しい配置で、様々な方向から人が向かってくる。シューティングゲームの画面そっくりだった。

決して、プレイヤーを殺すだけが目的ではなく必ず逃げられる経路が残されている。そんな配置。

前に押しやる力と向かってくる歩行者の速力が組み合わさって一瞬も気が抜けなかった。


歩行者同士が接触し、あちこちで爆発が起こる。


頭をフル回転させて、通行人の位置関係を必死で把握しながら移動を続けた。少しでも迷ったら前に押しやる力に捕まって目の前の通行人と爆死する事になる。


急に、辺りが暗くなってきた。


照明を絞るような急速な暗転だった。


前方から、光輝くパレード隊がやって来る。


スポットライトを浴びた移動する舞台上。


シンデレラ姫とかミッキーマウスとかがいるべきその場所に、見覚えのある女がいた。


女は、知らない男と激しいディープキスをしている。


別れるとき、ほとんどストーカーみたいになってすがりついた相手なので後ろ姿を見ただけで分かった。

元カノだった。

それだけで妊娠しそうな濃厚なキスを中断すると、元カノは振り返って俺を見た。

蛇みたいな冷たい目だった。

とても1度は愛し合った相手に向ける目とは思えない。

俺は、未練がましくいまだに使っていた誕生日プレゼントに元カノからもらったカルバン・クラインの安物の財布を投げつけた。

元カノはキスを再開していて見ちゃいなかった。

安物の財布がアスファルトでわびしい音をたてて転がったとき、周囲が明るくなる。

風景が奇妙に歪んで見えた。

まるで、数世代前のゲームのグラフィックみたいに粗いドット絵のような風景。

空はクレヨンを塗りたくったような雑な青。

周囲のビルは小学生の落書きのような画力で、曲がっていた。

小学生の落書きをアニメーション化したような粗いドット絵の通行人が迫ってくる。

前に押しやる強制力も健在だった。

現代ハリウッド映画みたいにリアルだった通行人の爆死シーンは、ファミコンレベルのコミカルな絵に変わっていた。

自分の拠って立つ世界がチープなファミコングラフィックの世界に変質していく。得体の知れない不安感が胸の奥から広がっていった。

世界は、定期的に暗転した。

そうして、そのたびにシューティングゲームのボスキャラみたいな感じで思い出したくないトラウマに関連した人物が現れてくる。

前の職場でさんざんパワハラを働いてきた元ラグビー部の体育会系上司。

故郷を出るときに見捨てた認知症気味の母親。

それらのボスキャラだけは現実と同じ鮮明でリアルな絵柄だった。

景色のグラフィックの粗さがさらに酷くなってきたと思ったら遥かな前方で地平線がまるごと断崖絶壁になっていた。

その断崖から、景色が、色が、光が、砂粒のような粒子になってこぼれ落ちて行く。

断崖絶壁から先の空間は完全な暗闇。何も存在しない。

背後の壁は、一定の速度で迫ってくる。

俺は、決死の覚悟で断崖から暗い虚空へと跳躍した。

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