ぼくが悪い子だからお父さんとお母さんは戦争をはじめた


自慢に思っていた、アメリカ映画みたいなお父さんお母さんの笑顔。しっかり白い歯を見せて、ほがらかに笑っている。

次に顔を上げた瞬間、お父さんの顔は笑顔のまま血に染まっていた。お母さんの顔は、笑顔のまま赤い飛沫を付着させている。

ぼくは、デパートから買ってきた商品を床に置いてレジ係ごっこをしているところだった。お父さんお母さんはダイニングキッチンで仲良く料理をしていた、はずだった。

お母さんの細い手には包丁が握られていて、お父さんの顔には赤い筋が何本も走っていた。

お父さんは赤い笑顔のままお母さんに飛びかかった。笑顔が握る包丁が真っ直ぐ脇腹の辺りに突き出される。

キッチンの前に二人はもんどりうって倒れ込んだ。

お父さんは脇腹から包丁を生やしたまま、笑顔でお母さんの首を絞めていた。

お母さんは包丁をより深く差し込もうと、包丁の柄のてっぺんに何度も掌底を打ち込んでいた。笑顔で剥き出しの前歯に返り血が付いてる。

ぼくは、わけが分からなくなってしまって、立ち上がると大声で両親にエールを送り始めた。

「フレーフレーお父さん!フレーフレーお母さん!」

だんだんと、お父さんの脇腹に掌底を打ち込むお母さんの動きが弱々しくなってきた。お父さんは、満面の笑みでお母さんの喉を潰しにかかる。

――その日、世界中のお父さんお母さんが殺し合いを始めた。

その日1日で4000万人以上の孤児が生まれたという。

金属の、林檎みたいなものが首を締めるお父さんの傍らに転がった。

お父さんはその歪な形の果実を見て、笑顔で首を傾げた。そのあと、のんびりとした動作でぼくの方に視線を送ってくる。

赤い歯を見せて、より笑顔を強めると、お父さんは言った。

「宿題、やったか?」

手榴弾の爆発が、お父さんの身体を砕いた。お父さんとお母さんは最後にひとつになった。

□□

お父さんでもお母さんでもない人々の手によって子供たちが避難させられていく中、戦いは熾烈を極めていく。

最初は、身の回りの品で殺し合っていたお父さんお母さんたちだが、報復のたびに攻撃手段はエスカレートしていって、今は軍用兵器が主流になった。

市街地のあちこちにバリケードが形成され、日夜撃ち合いが続く。

父と母の殺し合いを止めようとする子供たちのグループが生まれた。小さな子供たちは愛らしい声で戦争の停止を訴えながら戦火の市街地を行進する。

不思議な事に、例え他人の子供であってもお父さんお母さんたちは危害を加えようとはしなかった。

子供たちのデモ行進が通過するときだけ、戦火はぴたりと止む。

雨が降り、嵐になっても、子供たちは戦場の中心から退こうとはしなくなった。

最も巨大な戦線の中心に子供たちは立ち尽くし、そのまま食事もとらずに数日が経った。

冷たい雨が、子供たちの頬を濡らし、やがてそれは雪に変わる。

お父さんお母さんたちは武器を手に笑みを浮かべたまま、奇妙な静寂を保っていた。

一人のお母さんに異変が起こった。笑顔の頬に涙の跡が走っている。

異変は、伝染病のように広がった。

あちこちで、笑顔のまま涙を流すお父さんお母さんがいた。

人の壁を作って戦争を止めていた子供たちの中の 一人が空腹のあまりに倒れ込む。

すると、最初に涙を流し始めたお母さんがじりっと歩いた。何か苦痛に耐えるように身体を震わせながら、一歩、また一歩を進める。やがて何かを引き千切るように走り出した。倒れた子供に向かって。

何かが崩れたように、両陣営のお父さんお母さんが、子供の列に向かって走り出した。

両側から津波が押し寄せるような凄まじい光景だった。

戦場の中心で、家族がひとつになった。

それはただの男と女と子供の組み合わせではなく、確かに親子に見えた。


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