脂肪/筋肉=消費者/生産者
昨日、都内で用事があったのでちょうどいい機会だと思い、東京国立近代美術館で開催中の「ピーター・ドイグ展」に行ってきた。
美術に関してはほぼ無知に等しいレベルの知識量なんだけれど、大学のキャンパスメンバーズ制度が適用されて無料で入れることと、美術館という空間が新しい発見に満ちていると考えてるので、時間がある時はよく美術館に足を運ぶ。
ピーター・ドイグさんは、1959年生まれスコットランド出身の現代美術家で…云々
とまぁ彼に関する説明は美術に詳しい方がしているはずなので、ここでする必要は無い。
気になる方はこちらを参照。
今回この記事を書こうと思ったのは、この展覧会を見終えて、ひとつ思ったことがあったから。
それは、
僕たちは生産者にならなければならない。
ということ。
もう少し解像度を上げると、
サービスを一方的に浴びまくるだけの消費者ではなく、自ら何かを生み出す側になる機会をつくる必要があるのではないか。
という感じだろうか。
僕は、美術館に行く度、楽しみ方が分からなくて悶々としたまま会場を後にすることが多い。知識があれば楽しめるのかなと思い、事前に画家のことを調べたり、キャプションを一生懸命読んだりするのだけど、いつも消化不良。
大半の人は、作品の前に立って、数分間にらめっこしながら順路を辿っていく。みんな何を考えながら観ているのだろう。
ふと、作品を見るだけでもいいけど、それだけじゃつまらないな、と思った。
芸術家は作品を通じて鑑賞者に自己顕示がしたいの? 俺、絵うまくね!って。そうではなくて、彼らは作品を通じ、鑑賞者に何かしらの「問い」を投げかけているではないか?
美術を学んでいるわけではないけれど、アートには「答え」が無いとよく聞く。だとするならば、そこで提示されているのは、芸術家による、一個人としての現実世界への応答(=「解」)であって、そこにはまだ余白がある(他の解を探る余地がある)。
その余白をどう埋めていくのか、その余白から何を生み出すのか、
それが鑑賞者の役目ではないだろうか?
楽しみ方は人それぞれだから、色んな応答の仕方があっていいと思う。知識を蓄えて静かに鑑賞したり、作品の前に立ってボーッとしたり、踊ってみたり。
ただ、僕個人の意見としては、作品を通じて自分なりのアウトプットを創作するのは、本来の?意味でより鑑賞者然としているな、と思う。
ボーッとしたり踊ったりするのも立派なアウトプットだけど。
そんなことを考えながら会場を出ると、こんなものを見つけた。
小〜高校生向けの企画で、ピーター・ドイグの作品からインスピレーションを受けて、物語を作ってみようというもの。
入選した作品を幾つか読んだけれど、「そういう風に考えるのね!!」と唸らされてしまうような、意外な視点で語られた物語が多い。自分には無い視点が散りばめられていた。
気になったのは、高校生の割合が少ないということ。このサイトには入選した物語しか掲載されていないので、全体の応募数に対して少ないかどうかは分からないけれど、年齢が上がるにつれて、こういう企画に対して消極的になる傾向があるのだとしたら、少し寂しい。
なんなら、子供より大人の方がやった方がいいと思う。
ビジネスの世界では「イノベーションを起こせ」とかよく言われているけれど、
サービスを享受するだけの人間に、いったい何が生み出せるというの? 流れてくるものを一方的に消費するのは、ただの家畜。太った脂肪を鍛えることで、使える筋肉になるのでは?
とまぁ、穏やかな空間でかなりラジカルなことを考えていました。こういう話って、美術館の中で話せたらいいのになぁ、と思います。案外みんな同じこと考えてるかもしれない。
口開けて待ってるだけの消費者ではなく、生産者になる機会の必要性を認識させられたピーター・ドイグ展でした。
なんかめんどくさいこと考えてしまったけど、美術館は楽しい場所です!!
では、今日はこの辺で。
ばいばい〜。
P.S.
最近卒論用に読んでいた上野千鶴子の『情報生産者になる』という本に影響されたのがモロわかりで恥ずかしい。
物語企画、インスタグラムに写真を載せて200文字くらいで物語書いて、って手軽に出来そうだけど、事情を知らない友達が見たらちょっとびっくりしそう。それ用のアカウント作ればいいのか!
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