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「音色」 3  覚悟

 入院して、前の病院から通算3週間経ちました。夜は早く眠りに入り、朝の目覚めは早い。いつもの様に朝6時頃に「体重量ります」

ガラガラ

と奏でる移動式の体重計が病室まで運ばれる。「体重は62キロ切りましたね。三日間で2キロは減りましたね。」そして笑顔で、馴染みになった介助師さんが心を込め、さらに一つ思いやりの気遣いで「手術頑張れば、元気になりますよ」と励ましてくれました。

縁 感謝

「点滴の針、交換します」と病室に看護師さんの声が。毎日の24時間点滴で、何回もの針の交換。もともと注射が怖い、針が痛いと嘆きの繰り返し。「結構腫れていますね。どっか良い場所見つけます」と説得され「また、痛いんだろう」と目をつぶり、貧乏揺すり。そしてため息。

 看護師さんから、「終わりました」

痛くない

刺した針元に小さやカットバンがある。それが肌と針の緩衝材になっている。ふと名札が見え、家内の友人と同じ名が。顔を見ると、そう言えば地元にいる娘さんに似ているな?「出身は、もしかして、、」と尋ねると同郷でした。更に「お父様の名は、、、」

父です

家内の友人であり、結婚式にも来てもらい何かと楽しませてくれる仲間の娘さん。まさか、この病院で働いているとは、確か市内の別の病院だとの認識はあった。なんの縁だろう。家内からはこの病院で幼なじみの看護師さんに会って勇気を頂いた事や、そして同級生の娘さんが働いている。ちょっと心が安らぎました。

この病棟には心臓疾患の方が検診や小手術などで数日ごとに顔ぶれがかわります。先日もいろいろと長い間お世話になっている地元の方も相部屋になったりして、また病気で仕事も辞めたと嘆いている同年代も方もいたりして

皆んな、大変なんだ

と、自分も手術頑張らないと。落ち着けと心に。

 数日前に心臓の、それも大動脈弁が壊れていると説明されたとき

はーっ、

と声には出ない溜息のような、深呼吸でもしているような合図をしている自分に納得。

人工弁の種類の説明を受け「生体弁だと年齢的に心臓の活動が衰えていないので10年で交換する事になります。でも食事制限は緩やかかな、お酒も可能かな。」また続いて「機械弁だと一生ものです。ただ、ワーファリンという血液サラサラの薬は毎日欠かさずに飲みます。納豆もダメ。まだ制限はあります。お酒も辞める事に。」と先生から矢継ぎ早に説明され、なんかこの時は今まで体調の優れなく判断が鈍っていたのに

機械弁でお願いします

と素直に反応しました。

今まで思うままにお酒を嗜み「花街に咲く、宵待ち草」を繰り返していた数十年の自分にここに来て深く反省。還暦を迎えるとは、こう言う事なんだ、ひと区切りする時なんだと。後悔しているよりも新しい人生が始まる事に

ワクワク

この気持ちが心地よい。大河ドラマと被ってるかな、でもこれは本当。

4月26日 覚悟の朝  

札幌の病院への転院日。先週先生から「点滴、外せないので救急車で行きます。途中で札幌の病院の救急車に乗換します。」と打合せ。救急車の乗り換え、あるあるなんた。

この5週間ほとんど面会してない家内も同乗する事に。朝9時を少し回っ頃、太陽が雲から輝き、家内の幼なじみの看護師さんに見送りされ

ピーポー、ピーポー

札幌に出発。

次回、「音色」目が覚めた

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