【対談】少女革命ウテナ考察 フェミニズムの視点で見る「革命」の意味

『少女革命ウテナ』は1997年4月2日から同年12月24日まで放送されたアニメである。全39話。
幼い頃に自分を助けてくれた王子様に憧れ、自分も王子様になりたいと願うようになった少女・天上ウテナは、入学した鳳学園で「薔薇の花嫁」と呼ばれる少女・姫宮アンシーと出会う。エンゲージした者に「永遠」に至る「世界を革命する力」を与えるという「薔薇の花嫁」をかけて戦い続ける生徒会役員(デュエリスト)たちは、ウテナがかつて王子様から貰った指輪と同じ「薔薇の刻印」と呼ばれる指輪を持っていた。ウテナもまたこの決闘ゲームに巻き込まれ、その背後にある「世界の果て」へと迫っていく…。

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【考察の経緯】

筆者(62b)が『少女革命ウテナ』を観てあまりにもよかったので友人に勧めたところ、友人もすっかりハマってくれたのでLINEで延々と考察を送りあったことがあった。その考察を読み返すと解釈がとても腑に落ちるものだったので、考察を編集してまとめたものがこのnoteである。
友人(以下Y)はジェンダーやフェミニズムについて詳しく、考察に関連の話が端々に入ってくる。
なお、Yは劇場版を観ていないので劇場版は考察には入れていない。会話しているうちに考察が広がっているので、会話形式となっている。

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○ウテナが王子様になれなかったこと
(最終回でウテナが「僕は王子様になれなかった」というセリフについて)

62b「ボクは最初観た時、ウテナが『王子様』にはなれなかったのが悔しかったけど、王子様にはなれなかったけど『革命』は起こしたんだよな」

Y「わかる!見終わった後正直不全感を抱いたというか、え……みたいな」

Y「でも、それこそまさにアンシーが最後に暁生に言った「何が起こったかわかってない」状態だったのかなって。最初は王子様になれなかったのが悔しかったんだけど。
今思うと、王子様にならなかったことが革命なんじゃないかって」

62b「『お姫様を救う王子様』『王子様に救われるお姫様』、その関係に革命が起こったわけだ」

Y「なんかさ、黒薔薇編よかったよね。ミソジニーの対象としてのアンシーが強調されててすごい良かった」

62b「黒薔薇編のアンシーって大して活躍しないのに(暗躍はしたけど)めちゃくちゃデカいよね。みんないろんな理由で殺しにかかってくる」

Y「黒薔薇編、最後のアンシーの大切な人のそばにいられるならそれ以外の人間なんてどうでもいいみたいな」

Y「なんかさ、若葉にしても香苗にしても、アンシーがいるから王子様と結ばれないみたいな、お姫様が報われない理由はいつも魔女(アンシー)っていうのが黒薔薇編で濃厚に描かれてて結構好き」

62b「薔薇の花嫁=魔女っていうのがね、すごくなんかね」

62b「で、アンシーが薔薇の花嫁であることを受け入れてるのは、自分がディオスを救うために選んだ道であるからで」

62b「最終回でアンシーがウテナに『あなたはわたしの好きだった頃のディオスに似てる』っていうけど、つまりアンシーは『好きだった頃のディオス』のために、今はそれほど好きではない暁生に抱かれてたのかなって思って泣いちゃったわ。」

62b「茎子の回(21話)で、「好きな人のためなら自分なんていくらでも誤魔化せる」って、そのことを言ってるんだなって気付いた時泣いた」

62b「アンシーは自分が好きでもない男(現在の暁生)のために百万本の剣に貫かれる運命を受け入れててさ、でもそれは『自分が好きだった男(ディオス)のために選んだ』っていうことで、自分を騙してて」

62b「で、ウテナは『自分が好きだった男(ディオス)』に似ていて、気高い理想もあり自分のために行動してくれてるんだけど、女の子だったわけで、
その「女の子だから」っていうハードルの高さが、ある意味その時代(ウテナが放送してた時代)を表してるのかなって思ったりした」

62b「まぁウテナもなんだかんだアンシーのこと忘れて浮気してたからかもしれんけど(暁生といちゃついてたり)」

Y「なんか私はちょっと違う見方をしちゃうんだよね。違う見方っていうか、すごくメタ的な目線で見ちゃう。ウテナとアンシーっていう人格を尊重できてないようにも感じるからちょっとなんとも言えないんだけれど」

Y「私はアンシーとウテナって名誉男性になってしまったフェミニストだと思ってて、
アンシーはお姫様と王子様の物語(シンデレラストーリーとか王子様幻想と言うべきか)を最初に否定したのかなと思って」

Y「ウテナの面白いところは、男性の苦悩もすごく描いてるところだなぁと思うんだけど、薔薇物語でディオスが凄く傷ついてるのって、膨れ上がる王子様幻想に男性が応えられなくなってきたことの象徴だと私は捉えてるんだけど」

Y「それについて言及したのがアンシーかなって」

Y「ただ、その言及の仕方が『男の人だって大変なんですよ!私はちゃんとわかってるから!』みたいな」

62b「なるほど」

Y「ちょっと男に都合のいい女(いわゆる名誉男性、今でいうチンよし女?)かなって
アンシーみたいな女がいるせいで男ががんばらなくなる(=王子様がいなくなる)→アンシーが王子様を封印したみたいな」

Y「あの剣はアンシーが男性を擁護したことに対するバッシングだと思ってて
というのもアンシーを貫いた剣はお姫様の『家族』が持ってる剣なんだよね」

62b「家族?」

Y「うん。薔薇物語で(ディオスが倒れていた)小屋に押しかけてるのってお姫様の家族じゃない?(34話)」

62b「若い頃のディオスと子供のアンシーを責めてたのは、確かに助けを求めてる人の家族やったね。娘を助けて欲しい!みたいな」

62b「確かに助けを求めている本人は来てなかった気がする」

Y「私あの『家族』っていうのは社会の象徴だと思ってて」

Y「世の中のジェンダー規範を維持するために、少女達に白馬の王子様を信じ込ませたいっていう社会の要請。だから、ディオスって社会が祀り上げたアイコンなのかなって」

62b「社会の要請に対して、それを反対する女を『魔女』として吊し上げて百万本の剣で突き立てる。それがアンシーの運命だと…」

Y 「だから、ディオスが活躍してくれないと娘をお姫様にしてあげられなくなる。だから『うちの娘を助けてほしい』と小屋に押しかける」

Y「実際、フェミニズムの文脈で悪女とか魔女として糾弾されてきた歴史上の人物を見ると、みんなフェミニストというか、当時の女性像とは外れる人たちだったのよ」

Y「だから都合の悪いことを言う女はみんな悪女とか魔女。アンシーはまさに魔女だったのかなって」

Y「ディオスはお姫様になりたい(お姫様になることしか女には生きる道がないと思っている)少女にとってはまさにレゾンデートル(存在理由)みたいなもので
アンシーは少女達のレゾンデートル(永遠のもの)を隠した魔女なのかなって」

62b「それでアンシーは女からめっちゃ嫌われて…。でもアンシーがディオスの力を封じた理由は、『ディオスを守ろうとした』っていうのが悲しいな…。」

Y「悲しいよね…その悲しさに共鳴して、アンシーの革命を引き継いだのがウテナかなって思った」

62b「ウテナがアンシーに共鳴したのが「可哀想だから」っていうのが、すごく単純でウテナらしくて好きなんだよね」

Y「アンシーの革命の方法は男性に押し付けられた王子様幻想を否定することだったけど、それをしたら王子様幻想を寄る辺にしたい人たちにめちゃくちゃ叩かれた」

Y「だから、ウテナは別の方法で革命しようとするんだけど、ウテナは『男性に王子様になってもらわなくても、自分達が王子様になれば生きていけるよ』っていう少女達の新たなレゾンデートルになるようなイデオロギーを作ろうとした」

62b「そう考えると、最後にウテナが『王子様になれなかった』の意味が改めてわかってくるなぁ。ウテナが王子様になることは本来アンシーが望むところではなかった」

Y「だけど、それってウテナはアンシーとは違う形で名誉男性になるんだよね」

62b「そうなの?」

Y「だって、自分が男のようになればいいんだってことだからさ」

Y「名誉男性って2種類いるじゃない
男に都合のいい女と、男の真似をする女と
前者がアンシーで後者がウテナ」

62b「すごいわかる」

Y「ウテナはギリギリまでその方法で少女達(アンシー含む)を救おうとするんだけど
それでは救えないってことが証明されてしまった」

Y「だからアンシーはウテナを刺した(否定した)のかなって思う」



62b「わぁ〜」(クソデカスタンプ)



62b「ボクあのときアンシーが何故刺したのか、ずっといろいろ考えてたんだよね、
でもそれは結構腑に落ちる」

Y「アンシーの『あなたは昔のディオスに似ている。だからこそ私を救えない』みたいな、あの台詞はすごく意味があるなって思ってて。」

62b「オレはその後の「女の子だから」っていうのが気になって、『じゃあもしウテナが男だったら、どんな結末だったのか?』っていうのが気になってしまってた
でもむしろ『昔のディオスに似ているから』救えないってのは、新しい視点だわ」

Y「アンシーが百万本の剣に刺されてまで否定したかったヒロイズムとかマチョイズムを、ウテナは少女たちに引き継がせようとしたんだよね。それはアンシーの望むところではなかった」

62b「面白いな。最終回の暁生がウテナに『アンシーは薔薇の花嫁であることを選んだ(だから剣に貫かれても構わない)』ってところで、暁生自身は自分の力を封じられたのを恨んでて、それをアンシーにぶつけてる自己責任論とミソジニーの象徴なんやろなって気がした」

62b「かつ、アンシーもその自己責任で罪を背負うけど、それは『好きだった男のため』という自己暗示で自分を騙してたんだろうなって」

Y「フェミニズムが男性から嫌われる理由の一つに、ジェンダーフリーが進むことで男性の既得権益がなくなることがあると思うんだけど」

Y「アンシーは『男性は別に王子様じゃなくてもいいんだよ』と呼びかけることで、男性の重荷も降ろしたけど、その重荷を背負っていたことで得ていた利得も降ろさせちゃったのかなって。その成れの果てが暁生なのかなって」

62b「フェミニズムが台頭することで男性(人の希望を応え過ぎて傷付いたディオス)にも恩恵があるのに、ディオスは既得権益を失ったことを恨んでる…ってコト!!?」

Y「少なくとも王子様扱いはされなくなっちゃったよね(その割に暁生はマッチョに描かれてるけど)」

62b「暁生の女遊びは『女好き』というよりは、女を無碍に扱うコトで恨みを晴らしてる感じがある。フィアンセのあの人とか(香苗さん)」

62b「あと黒薔薇編の時子とか。時子はホント根室教授に当てつけるためだけに付き合ってた感じがする」

Y「暁生はさ、『俺をこんなにしたのはお前のせいだ』みたいな。なんていうか『お前ががんばらなくていいっていったんだよな?』みたいな。
なんかアンチフェミでいるじゃん。『男女平等とか言うけどそうなった時に苦労するのはお前ら女だから?』みたいなこと言う人」

62b「最終回で暁生がアンシーに「俺が王子様であれば良かったか?」みたいなこと言っててズル〜こいつ言い方ズルい〜って思ったもん」

Y「わかる〜!私、最後にアンシーの棺が開いたのはウテナが自分の方法じゃ革命できなかったってことを認めたからだと思うんだよね」

Y「助けられなくてごめん、みたいなこと言ったタイミングで薔薇の門が棺に変わらなかったっけ」

62b「確かそうだった。一回シーンはさむやつ。あのアンシーが飛び降りそうな回想シーン※が切り替わるタイミングかなにかで棺が変わってたから、扉こんなんだっけ?って思った記憶がある」

(※これは記憶違いで、正確にはウテナがアンシーがいてくれて幸せだったということを扉に向かって語りかけるシーンで変わる)


Y「そうそう、あそこのタイミングで連帯したのかなって。同情から共感に変わったというか」

62b「でもウテナは最後まで王子様になろうとしたんだよね」

Y「うん。ウテナはアンシーの悲しみに触れて『助けてあげたい』とかそういう同情とか義憤でこれまで突き進んできたけど」

Y「ウテナ自身も革命できなかったことを認めたことで、同じく革命できなかったアンシーに共感することができた。対等な立場で連帯できたのかなって思った」

Y「でも最後まで王子様になろうとして、王子様になんてなりたくない少女とか、少女達を王子様になんてしたくない世間からバッシングを受ける(剣に刺される)ことになった」

62b「『王子様になろうとした』ことによるバッシングがあの剣…」

62b「ボクは子供の頃のウテナが、ディオスに「(アンシーは)王子様しか救うことができない」って言ったのを信じて王子様になろうとしてたから(本人は忘れてたけど)、アンシーを助ける方法=王子様になることを盲信してたのかなって思ってた。」

Y「私が思うには、ディオスはその時点で封印されている存在(世間では揺らいでる価値観)だからね」

62b「そうそう、暁生自身ディオスの力を取り戻せないことに対してさほど関心もないしね」

62b「びっくりするくらいあっさり諦めたもんね、まぁ次があるか、みたいな」

Y「最後にアンシーはウテナに『ただ剣に刺される哀れな人』じゃなくて、『革命に挑んだ勇敢な人』として見つけてもらえたから、だからアンシーも今度は自分が見つける側に回ろうと思えたんじゃないかなぁ」

62b「暁生は既に気高さを失ってるから、王子様でなくなった理由をアンシーに押し付け、痛みを全部引き受けさせて、自分は被害者としてたまに取り戻そうとする、まさに悪い男なんだよなぁ。」

62b「あの最終回のアンシー、「今度は私が見つける番」ってセリフめちゃ好き」

(少女革命ウテナ考察その2に続く)

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