やさしいだけの人
やさしいね。
そんなふうによく言われるタイプの人間だ。
やさしいだけで、他に何もない。
やさしいだけで終わる人。
幼い頃から言われ続けてきたこともあって、その言葉には、あなたはつまらない人だという隠れた意味がこめられている気がする。
特徴がなくて褒める要素のない人に対し、とりあえずとして、その言葉を使っているような。そんな酷い考えが、ぼくの心の奥底から前触れなく出てくる。
直感のその場で出た、フワッとした言葉は気をつけなければいけない。日常的に使う言葉だからこそ、言葉の重みを感じにくい。だから、それらの言葉を使うには配慮が必要で難しい。
そう感じていながら自分でも、何であんなこと言ったんだと毎日といえるペースで後悔している。
いちばんすきな花(ドラマ)を見ていると自分と重なるところがあって、特に学生時代を思い出す。
やさしくて好い人たちだけれど、自分がないような、自分が出せていないような、自分がわからないような。他人との距離が、近くもないけど遠くもない感じ。
やさしいねと言われても、それは具体性のないただのやさしいで、口数が少ない、大人しいだけで真面目だと言われる。
世間的には、褒め言葉なんだろうけれど何だか喜べない。
誰も本当のぼくを見ていない。
そんなふうに感じていた頃のいろんな自分をいちばんすきな花を見ていると思い出す。
近頃、他人との大きな価値観の違いが億劫で、本心を見せないことが多くなった。相手の意見を受け入れているように見せて、そのまま流すことも多くなった。
作中にある男女間の友情は成立するのかのように価値観の違いというものが、日に日にぼくの中で重要なものになっている。
価値観の違いや相手を尊重することは当たり前だけれど、そこに引っ張られないで、自分が大切にしているものには、迷いなく行動できる自分でいたい。
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