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ヤマノテ・ループ・ライン(5)

乗客5:大塚〜東京

山手線の改札を通り、まずはトイレでいつもの点眼をした。

鏡を見ながら、目薬がこぼれないよう、タオルで閉じない瞼を押さえる。

目薬をしまい、タオルをしまい、指でほんの少し口元を微笑ませて元に戻す。

自分が周りの人と違うと気付いたのは、幼稚園の年中くらいだった。

周りの人にある表情というものが、自分にないと認識できたのがこの頃だった。

家の洗面台で自分の顔に触れながら、そして顔を何とか動かそうとしながら、楽しいと言って笑うケイタや、いじわるされたと言って泣くナナのようにできない自分にもどかしさを感じた。

あの時も指で自分の顔を動かした。表情らしきものが形作られるも、それはいびつで不格好な変形でしかなく、手を使わずにもとに戻すこともできなかった。

悲しいような気がしたが、涙が出ないどころか、自分の顔に悲しみの表情が浮かぶこともなかった。

母にその疑問をぶつけたその夜、両親が揃って神妙な顔をして向き合った。母は「あなたはほかのお友達のように笑ったり泣いたりできない病気なの」と言って涙ぐんだ。「でも、あなたが何か気にすることないのよ。あなたは何も悪くない」と付け加えたが、子ども心にそうは言ってほしくなかったなと思った。

「メビウス症候群」という、自身が持つ症状の正式な病名を聞いたのは、中学校に上がってすぐの頃だった。

どんな経緯でその病名を聞くことになったかはもう覚えていない。

「メビウス症候群」が日本に千人程度の患者数がいる(というより、日本には千人程度しか患者数がいない)先天性の疾患で、国に難病指定されていること。
原因がはっきりしてないが、遺伝の可能性は低いということ。
治療法は確立していないということ。

そんな説明の一つ一つがショックで、前後の細かいことを覚えていないのだ。

唯一救いだったのは、私の症例については、並行して起こりうる他の障害が少なく、限りなく周囲の人と同じ生活が送れそうな見込みであること。

その見込み通り、小中学校は地域の学校に通ったし、高校大学も特別な配慮などを受けることなく進むことができた。

大学進学後も、講義やゼミなどに問題なく通えているし、職を選べばバイトもできる。

だからと言って、なんの苦労もなかったかと言えばそんなはずはない。

表情がないというのは、コミュニケーションにおける大きなハンディキャップで、初対面で心を開きあうということは、今までほとんど経験していない。

度々ある記念撮影では、いつもカメラマンに「笑って」と要求され、そのせいで撮影に時間がかかってしまうことさえあった。

楽しく過ごしているのに怒っていると引かれたり、つまらないのかと心配されたりというのも精神的に辛い。

それでも、病院との連携や学校への根気強い説明など、両親が自分のために尽力してくれたことへの感謝は尽きない。

ホームに上がるとちょうどよく電車が滑り込んできた。

昼間でもそれほど空いていない山手線ではあったが、運良く席が二人分空いていて座れた。

すると、どこからか男の子が駆け寄って来て、引き連れた父親に座りたいとせがんでいる。

席を見つけて喜んだのも束の間、一人では座れないだろうと諭され落胆する、その感情がハッキリと表情に表れるのを羨ましく見つめる。

表情豊かでかわいい子だ。

父親は父親で、困惑と申し訳なさを全開にして我が子のわがままを詫びている。

もしかしたら、私の機嫌を損ねたと思われてるかもしれない。

私は、自分が不機嫌などではないことを示す意味も込めて、その親子に席を譲った。

父親は驚いたような理解が追いつかないような顔をしながら、礼を言って二人で並んで座った。

男の子は座った後で私の顔を見上げてこちらの顔色を伺うような顔をしている。
怒っていると思っているのかもしれないと思い、胸の前で小さく手を振ってみた。
すると男の子は安堵感に満面の笑顔を乗せて手を振り返すと、いそいそと靴を脱いで後ろ向きになり、車窓からの眺めを楽しんでいる。

駒込で降りた人と目が合った。

気が強そうな女性だったが、眼差しに優しさを感じたのは気のせいだろうか。

田端で男の子の隣が空いたので座る。

見るとはなく男の子の方を見たら、なんとさっきの車窓を眺める姿勢のまま寝ていた。

感心して眺めていたら、気配を察したのか父親がこちらを向いた。

怪訝な表情に見えた気がしたが、考えすぎかもしれないし、コミュニケーションのつもりで「寝ちゃってますね」と言ってみた。

すると、父親は我が子が寝ていることに気付いていなかったようで、慌てた様子で礼を言いながら向き直させ、もたれかけさせていた。

なんて温かい光景なんだろう。

私の父親は仕事人間で、家事育児にはほとんど関わらなかった。

その上、表情のない我が子との関わりに悩んだ末に、最低限の関わりしかしないという選択をとった。

今、山手線で席を並べるこの父親は、おそらく日々この子に関わってあげているのだろう。

もしこの子に何かしらのハンディキャップがあるとしても変わらないだろうか。

何となく、この父親なら変わらず関わってあげるのではないか。
そうであってほしいという願望も込めて。

日暮里に着くと、父親は眠った我が子を起こさぬように、かつ降り遅れることのないように立ち上がり、扉に向かおうとした。

そこで、男の子が脱いだ靴がそのままなことに気付き声をかけると、父親が「あ、」と声を上げた後少し間をおいて「ありがとうございます」と頭を下げ、靴を手に提げて降りて行った。

あの間は、「すみません」と言いかけて改めたのではないか。

だとしたら何なのか、よくはわからない。

上野からは5歳くらいの女の子が乗ってきて、私の顔に興味を持ったようでまじまじと見つめている。

何か返そうかと思っていたら、母親がこちらを一瞥した後、女の子に何か耳打ちした。

「え?」というような顔をした後、また私を見た。

そっと右手の親指と人差し指で作った指ハートを向けると、女の子はニコッと笑って指ハートを返し、くるりと反対側を向くと、それ以上はこちらを向かなかった。

子どもは私に対して遠慮なく目線を向けてくる。
不思議なものを見た目だ。

大人はそれを失礼なことと諫めてやめさせる。

実は、そのやめさせることの方がよっぽど失礼なのだ、と私は思っている。

不思議なのは仕方ない。自分でも不思議なくらいだ。

でも、目を逸らさないでほしい。

私は異質かもしれないが、それでも同じ社会で生きる同胞なのだ。

大人こそ、目を向け続け、私たちを知ってほしい。

電車は東京に着いた。

立って降り口に向かう。

扉の窓越しに、乗車を待つベビーカーの親子が見えた。

扉が開き、見とはなしにベビーカーの方を見ていたら、母親と目が合った。

母親は敵対心にも近い目をこちらに向けて車内に乗り込んだ。

なぜ?と悲しい気持ちになったが、ベビーカー乗車に不満を抱いていると勘違いされたのかもしれないと思うと、腹立たしくはならなかった。

大なり小なり、みんな社会の荒波にもまれ、抗い、時には溺れながらもなんとか泳いでいるのだろう。

階段を降りるとトイレに向かった。

点眼をして、鏡の中で微笑の作り物をこしらえる。

自分の顔を戻しながら、胸に提げた表示板に、本心が表示されたらコミュニケーションとれるかな?と思い立った。

でもすぐに、伝わってはいけない本心まで表示されたら逆効果じゃないかと思ったら自分が愚かしかった。

鏡の私は、真顔のままだった。

(了)


本章の作成にあたり、「メビウス症候群」の基礎的な部分は下記サイトを参照しました。


また、エピソードの中には、下記リンクの内容を参考にした内容が含まれています。


この作品は全5話です。

第1話はこちらからどうぞ。


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