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ヤマノテ・ループ・ライン(4)

乗客4:池袋〜日暮里

電車好きで助かるのは、電車でお出かけを厭わないこと。

電車好きで困るのは、電車でお出かけに異常にも思える興奮を見せること。

パパ友にそれをグチったら、

「うちのは電車とか乗り物嫌いで、ちょっと乗ったら飽きてグズって大変だから、電車好きの方がいいよ」

とたしなめられた。

それでも、あまりの興奮に大騒ぎするので、周りの目が気になることもしばしばだ。

池袋のデパートで北海道の物産展と乗り物系のフェアが同時期にあって、その両方をハシゴするという暴挙に出たため、だいぶくたびれた。

朝一で北海道、最低限で終わらせて乗り物。

ハードスケジュールだったが、息子が思いのほか北海道物産展を楽しめたのは幸いだった。

さすがに疲れただろうから、帰りの電車はおとなしいだろうと思いながら、池袋駅の山手線外回りのホームへ上がった。

そして、自分の認識の甘さに、今愕然としている。

疲れているのは私だけだ。

息子は山手線だけでなく、線路を挟んで向こうに見える東武東上線の電車にまず興奮する。

山手線と違って、何種類かの車両がある東上線は、息子の鉄道好奇心(なんてものがあるのかは知らないが)をくすぐるようで、食い入るように見つめている。

おかげで山手線の電車を3本見送ったが、その分休めたんだと言い聞かせることとした。

さすがに私が退屈してきたので、「日暮里のレストランが閉まっちゃうよ」と声を掛けたら、屈託のない笑顔で「行かなきゃね!」と言って山手線に乗る気になってくれた。

レストランが閉まっちゃうのは噓だが、子育てには小さな嘘は必要だ。

息子は、すでに興味を東上線からレストランのランチに移しており、滑り込んできた山手線に鼻歌交じりで乗り込んだ。

乗り込むと、息子が目の合ったお姉さんに愛想よく手を振る。

お姉さんも手を振り返してくれたが、そのお姉さんがオネエだと気付いて、思わず「すみません」と詫びてしまった。

詫びてから、いったい自分は何に詫びたのかと煩悶してしまった。

相手がお姉さんだったら、というか、オネエじゃなかったら、きっと詫びることはなかったと思う。

何か、触れてはいけないものに触れてしまった感覚があったかもしれない。

そして、それを偏見と呼ぶことにも思い至っていた。

ある日、妻と会話している中で、いわゆるLGBTQや障害者などのマイノリティに、自分の子が該当したらどうしようみたいな話になった。

というか、私が一方的に、我が子がマイノリティになることの恐怖というか、懸念を吐露していたといった方が正しいかもしれない。

その時妻が語った言葉は、だいぶ心に刺さったし、反省も促された。

自分や自分に近い存在がマイノリティになることに抵抗があるのは、自分や自分に近い存在がマジョリティであると妄信しているにすぎないと思うの。
でも、誰しもがマイノリティに分類される可能性を秘めている。
たとえ今マジョリティであっても。
生まれながらにマイノリティに属している人の苦悩はわからない。
でも、自分がマジョリティであることに驕ったり安住したりしてたら絶対にいけないと思う。
マジョリティか、マイノリティかを分類すること自体がナンセンスなんだっていう意識をもたないと、誰かが苦しい社会を変えることはできない。
誰かが苦しい社会は、いずれ自分が苦しい社会になる。
みんなが苦しくなく生きられる社会を築くにはどうするか。
この子が苦しまずに生きられる社会をどう築くか。
私はそれを考えながら、日々仕事してる。

妻は特別支援教育に携わっている。
それ故の発言であることはわかっている。

それでも、いやそれ故にか、妻の放ったマイノリティとマジョリティに関わる話は重かった。

今、我が子はオネエに屈託なく手を振った。
私はそのオネエに必要もなく詫びた。

子どもがもつ公平な視線を、歪めて狭めるのは大人だ。

マイノリティに対して自然と抵抗感や差別感情をもつことは、おそらくない。

それは、大人がもつ歪んだ視線がもたらすものなのだ。

電車は大塚に到着した。

二人分の席が空いたが、気付くのがわずかに遅れて、そのうちの一人分に先客が座ってしまった。

ちらりとオネエと目が合った気がする。

ところが、その空いた一人分の席めがけて息子が突進した。

空いた席の一つを埋めたのは、仏頂面の男性だった。

分が悪い。直感的にそう思った。

しかし、詫びを言って息子を引き離そうとした時、仏頂面の男性が、仏頂面のまま「あ、どうぞ座ってください」と席を譲ってくれた。

息子も、男性の仏頂面にややとまどっている様子だったが、男性が胸の前で小さく手を振ったので、満面の笑みで手を振り返した。

男性はそれでも仏頂面のままだったが、心なしかほっとしたような表情に、見えなくもなかった。

息子はさっそく靴を脱ぎ、後ろ向きに座って車窓からの景色を楽しみ始めた。

ふと顔を上げると、電車は駒込に停まっていた。

こちらに温かい目線を向けたオネエが降りていくのが見えた。

オネエだろうが、仏頂面だろうが、それぞれに当たり前の日常がある。

それぞれの当たり前の日常が、当たり前の範囲内で交差しているだけなのだ。

その当たり前の日常を、マイノリティとマジョリティに分けているのはだれなのか。何なのか。

田端につくと、居眠りしていたサラリーマンがいつの間にか起きて電車を降り、我々に席を譲った後、我々の前に立っていた仏頂面がその席に座った。

見るともなしに見ると、目が合ってしまい、またうっかり詫びてしまいそうになった時、先に仏頂面が口をさほど開かずに言った。

「寝ちゃってますね」

え?と思ったが、言われてみたら、息子が車窓を眺める体制のまま、しっかり眠りに落ちていた。

慌てて礼を言い、起こさないよう、落とさないよう気を付けながら前を向かせて自分にもたれかからせた。

子どもは理解が追い付かないほどの体勢と速さで眠りに墜ちる。

とはいえ、やや考え事が過ぎたのだろう。
あまりに気付かなさすぎた。

それにしても、仏頂面の男性は、その表情のなさと優しさのギャップが激しい。

もしかしたら、そのギャップで今まで誤解を受けて苦労してきたのではないだろうか。

だとしたら、やはりそれは苦しい人生だろう。

息子は、親が心配になるくらいに愛想がよく、誰からも愛されるキャラクターである。
そのキャラクターをこの先も活かせれば、何かしらのハンディを背負ってもはねのけられる気がする。

多少親バカかもしれないが、この子なら大丈夫だろう。

間もなく日暮里に着くというアナウンスが流れた。

息子が起きる気配はない。

疲れていても無理はない。

とりあえずそのまま抱っこして降りよう。

日暮里に着き、抱っこのまま降りようと立ち上がった時、仏頂面の声がした。

「あの…」と言いながらうずくまり、手渡してきたのは、息子の靴だった。

「あ、」

「すみません」と言いかけたのをぐっと飲みこみ、「ありがとうございます」と微笑みを添えて返した。

「いえ、お気を付けて」

仏頂面は、仏頂面のままそう返してきた。

でも、心なしか、微笑んだようにも見えたが、気のせいかもしれない。

乗客5に続く


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