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live my life🌟12.18🎂

1967年12月18日の真夜中
雪など滅多に降らない町に降り積もった
白き光の結晶❄️

逆子で
産声さえもあげれなかった私の生命に
『生きなさい』とお尻を叩く
助産婦さんの声が響き
私は生まれた

空から降り注ぐ星のしずくのように
新しい生命は育まれ産声をあげる

私の父は穏やかで大人しい人だった

元徳川家の家臣で士族だったらしく
第二次世界大戦で長男家系の世継ぎが戦死し
家屋は崩壊
父はその名前と徳だけを受け継いで
広島から食の都大阪へと職を繋いだ

『人間真面目に生きてさえいれば
 一生食に困ることはない』

そう言って贅沢を嫌い
家系を継ぐこともなく
母も姉も働き詰に働いた

私も子どもの頃から母や姉を手伝い
自分でバイトを重ねて
デザインの専門学校に進学した

漫画家になる夢を実現しようと
新しい原稿を東京の編集部まで
持ち込みしようとしたところ
当時彼氏だった今の主人に嫌がられ
長男を身籠り19歳の春に結婚💒

幸せだったはずなのに
不確かな記憶が脳裏を離れない

『私には他に結婚の約束をした人かいたはず…』

子どもを育み産み落とす度に
忘れようとした記憶が甦る

『女の子を産む約束をしてたはず…』

3人目に女の子が生まれた時に
微かな記憶が甦り
父に問いただした言葉

『広島の従兄弟にはお兄さんがいたはず』

父の妹(私の乳母)は糖尿病で
子どもは一人しか産めず
私の記憶に残っていた男の子は
父方の本家に預けられていた

胎児は授かってから生まれるまでに
十月十日の年月を必要とする

従兄弟の兄と弟の歳の差は11ヶ月
産後15日では女性の身体は戻らない

父の妹はその時期大阪で養生していた

私が生まれる前も
父と母は姉の家にお世話になっていて
私がお腹に入ったことを
母は降ろさない月数になるまで
父に教える事が出来なかったという

『誰の子どもかわからない』

という疑問符なんて
どうでもいいかのように
私の存在を父は喜んでくれた

従兄弟の兄さんも同じ想いで
血の繋がりなどどちらでも良いかのように
私が成長してお嫁さんになってくれる日を
心待ちにしてたらしい

思春期の自我拡散

もう覚えてはいない過去と現実
それでも人は真実を求める

阪神大震災の後
約束どおり空に虹の橋を掛けるため
飛行士🧑‍✈️になった従兄弟の兄さんは

思い出せない約束ごとに悩み
裸足で泣きながら災害の後の街を
まだ生まれたばかりの長女を探している
私の姿をテレビで見つけ
訓練中のヘリコプター🚁で
最寄りの小学生の運動上に降りたらしい

川に捨てられても微笑みを浮かべ
まるで蓮🪷の花に浮かんでいるようだと
手を差し伸べてくれたのは
色が白くて柔らかい素肌をしていた
父の妹の声だったんだ…

年子で殆ど母の愛を知らずに育った兄は
私ではなく私の母性を求めていた

『会いません
 私は子ども達の母親ですから』

頑なに出逢いを拒んだ私のこの言葉を
兄さんはどう受け止めたんだろう

あれからもう30年

私は母親を卒業して
おばあちゃんになった

そして夢を叶え
来年の夏には『いのち』の絵本が
文芸社より出版される

私は一個の人間になる

娘とか嫁とか女とか母親とか
定められた立場を超えて

一個の人間として向かい合う

育まれるかけがえのない『いのちのもと』
大切な記憶
鼓動の中に感じる『いのち』の温もり
私の中で育まれていく
『いのち』の絆
その全てに受け継がれていく魂
胸に手をあてて
心を澄ませは聞こえてくる
大切な『いのち』の鼓動
老いた母を今は私の息子が手を繋ぎ
支えてくれている

当時の私の母子手帳に書かれていた言葉
『産むな産ますな障害児』

血の濃い🩸所からは奇形が生まれる

『従兄弟とは結婚させん!』
そう叫んで扉を閉ざして以来
私は広島には行けなくなった

父は長男家系の長男としと従兄弟の弟に
受け継がれいた名前を残し絶家にした

従兄弟の兄は離婚し
実家の近くに住んでいると聞いたけど
その連絡先を教えてくれる人はいない

『兄さんは兄さんなのに…』

母は私を産む前に男の子を一人失っている
私はずっとその人の魂を
その時に母が失った
本当の兄の魂だと思って生きてきた

ツインレイの真実

私達は必ず巡り合う

全てを赦し 全てを委ねて
真実の愛の求めるままに

最後まで読んで頂きありがとうございます
この想いが届くと信じて
『いのち』の完成を祈願致します!

2023.12.18 🎂56years old

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