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香港老照片の年代判別法

私は古い写真が大好きです。

特に、自分が生まれる前~住んでいた頃(1978~80年)の香港の写真を見るのが好きで、毎日のようにネットをチェックをしています。ですから見つけた写真がいつごろ撮影されたものなのかは気になるところです。
ニュース性のある写真であれば(例えばクリス・パッテンが写っているので返還直前とか)推測は容易ですよね。
この写真は明らかに戦前のでしょとか、これは60年代っぽいな~とか、写っている事象と雰囲気で総合的に判断しています。
この記事では、私なりの年代判別法をつづってみたいと思います。
但し、正確性を保証出来るものではありませんのでそこはご容赦下さい。


モノクロかカラーか

カラー写真技術自体は戦前からあるのですが、大衆に普及したのは戦後になってからです。
香港は日本同様終戦後しばらくの間は決して豊かとは言えない生活でしたから、高価なカラーフィルムに庶民の手が届くようになるのは高度成長の軌道に乗る70年代からです。
ですから、香港のカラー写真のほとんどは1970年以降のものであると推測出来ます。
それでも60年代の香港の町並みが写されたカラー写真が見つかることがあります。おそらく欧米からの旅行者が撮影したものと思われます。大変貴重な資料です。


ファッション

私のもっとも不得意とする分野はファッションです。
もともとあまり興味がないのです。
それでも判断の手助けにはなります。

戦前に洋服を着る香港人は裕福な人に限られていましたから、私の基準では「洋服を見つけたら戦後と思え」です。
さらにわかりやすいのは「旗袍(チャイナドレス)」です。
私が香港に住んでいたのは1978~80年なのですが、自分の記憶の中では旗袍で出歩く女性は一度も見かけませんでした。
旗袍はオーダーするぐらいのものですから(もちろんレディメイドもありますが)、それなりに高価です。食うや食わずやの収入では買えないはずなので、香港が豊かになりつつあった60年代の服装なのだと思います。よって私の基準では「旗袍を見たら60年代と思え」です。
70年代も面白いです。サイケデリックな意匠のワンピースなんぞが見つかったりして、よくこんな洋服を着ていたもんだと思います。
なお、くどいようですが私の不得意分野なので正確性を保証出来るものではありません。


建物と看板

建物をチェックするのはやはり確実な方法です。
特に、中環のビルディング群は名前の知られた建物が多く、建築年代もきっちり記録されているので判断しやすいです。

私は香港島側に住んでいましたので、どうしても香港島側に知識が偏ってしまっていますが、私が見るポイントの一つに「怡和大廈」があります。
今では他の高層ビルに囲まれて目立たなくなっていますが、1973年竣工当時はアジアで一番高いビルでした。サンシャイン60竣工の前です。
ビル名も当初は「康樂大廈」であり、現在の名称に変わったのは1988年からです。もし写真にキャプションがついていて「康樂大廈」と書いてあれば、1973年~88年の間の写真ということになります。習慣というものは恐ろしいもので、私は今でもつい旧名称で呼んでしまいます。

80年に竣工して康樂大廈の高さを初めて抜いた「合和中心」もチェックしやすいです。ちなみにサンシャイン60もここに抜かれています。70年代から、日本と香港はビルの高さを競い合っていたかのようです。
「合和中心」は中環ではなく灣仔のしかも山側にあるので、当時の私はなんでこんな所に?と思ってしまったのですが、今でも灣仔で一番目立つビルですね。写真にこのビルが見つかれば1980年以降の風景という事になります。

「滙豐總行大廈」「中銀大廈」も言うまでもなく中環の代表的なビルです。
現在の滙豐總行大廈は1985年、中銀大廈は1990年の竣工ですから、写真に写っているかどうかで年代を判別出来ます。

建物のチェックは確実ではあるのですが、建物の寿命は数十年、時には100年を超えるのでざっくりとした年代しかわからないことが多く、又その建物が何という名称の建物なのか知らないとお手上げ、という欠点があります。
例えば、無名の唐樓が立ち並ぶ裏通りなどはその唐樓が三階建てであれば恐らく戦前の建築で、五階建てであれば比較的後期の建築と推測出来ます。四階建てはその中間でしょうか。
ざっくりしすぎですね。
それを補う目安のひとつは看板です。

通りにある唐樓は一階が商店になっていますから、必ず店名の看板が出ています。
店名を見ただけで「これは○○道のXX公司、19XX年開店」といった具合にすぐに判明することもありますが、これは相当な知識がないとどうにもなりません。
店名が「司公某某」みたいに右から書いてあれば古い、左から書いてあれば比較的新しいことが推測出来ます。

看板に電話番号が書いてあれば判別の手立てになります。むしろこれが確実かもしれません。
電話が引かれた当初から60年代半ばころまでの番号は5桁です。のちに番号の不足から6桁に増やされ、1989年末には7桁になり、1995年には8桁になって現在に至ります。
なお1989年までは市外局番があり、香港島は5、九龍は3、新界は12(1981年からは0)が5桁及び6桁の前についていました。5, 3, 12はそれぞれH, K, Nと表記されることもあります。
市外局番が廃止されても番号を見れば年代のみならずエリアも判別出来るので、電話番号はとても有用な資料です。

広告看板も時代を写す鏡です。
最近は発光ダイオードの広告看板が主流になりつつありますが、ネオン管の派手な看板は香港らしさを充分に堪能できるアイテムだと思います。当然戦前に普及していたものではありませんし、逆に最近は探すのが大変になってきました。残念です。

80年代までは大きな看板と言えば日本企業が最も多く、続いて欧米系企業、地元企業の順でした。巨大ではありませんが、日本人にとってインパクトがあった「ぢ」の看板もありました。
かつて日本企業の広告看板はとにかく目立ち、シチズンの看板が当時の世界最大だったこともあります。ビル3棟の屋上を占領する巨大な看板です。
最近もPanasonicの巨大看板がおろされて、時代の変化を感じました。

日本がバブルに踊る少し前くらいからはGoldstar(現LG)など韓国企業の広告看板が見られるようになり、韓国経済の発展を感じたものです。ですから、韓国企業の広告看板が目立つ写真は80年代半ば以降のものと推測出来ます。

さて、100%確実な広告看板があります。
映画館の絵看板です。
映画の上映期間なんて短いものですから、これは間違いようがないですね。ネットで調べれば一発でしょう。
問題は、そんな都合よく映画館が写りこんでいる写真がほとんどないことです。
お粗末。


交通機関

私がもっとも注目するのは交通機関です。
香港はあれだけの狭い空間に鉄道、飛行機、船、タクシー、バスなどあらゆる交通機関が詰まった、乗り物マニアにはたまらない場所でもあります。
それぞれ初運行時期がわかっていますので、写真に写りこんでいれば判断の材料としては大変確実です。

まずは鉄道。
鉄道と言えば九廣鐵路とトラムだった香港に地下鐵路(地下鉄)が開通したのは1979年です。写真に地下鉄の車両か駅が写っていれば1979年以降ということになります。もし建設中の写真があってどの線なのかがわかれば、かなり正確な年代が特定できますし、駅名も完工当初と現在とは違っているところもあるので判定の一助になります。例えば「中環」站の英語名は開業当初「Chater」でしたが、1985年に「Central」に改められています。

九廣鐵路は1983年に電化されていますので、ディーゼル機関車が深緑の客車を連結していればそれ以前の写真ということになります。電化後も車両の更新はありますから、詳しい人であれば判断は容易です。
また地下鉄同様駅名の改変もあります。例えば中文大學の最寄り駅「大學」站は1956年開業ですが当初の駅名は「馬料水」で、1967年に現在の駅名に改称されました。

香港電車(トラム)はその110年を超える歴史の中で様々な変化があります。運行当初から1949年までは一階建てでしたし、二階建て車両でも戦前と戦後ではボディが異なります。1978年~82年まではトレーラー車両が運行されていたりで時代の特定は比較的容易だと思います。もちろん1961年から採用された広告車両も判断の有力な一助になります。
なお、トラムと言っても山頂纜車(ピークトラム)の写真は同じ車両を長く使い続けますので判別が難しいです。

輕鐵もありますね。1988年の運行開始ですから、写っていればそれ以降の写真ということになります。そしてどんどん路線拡張されていますから駅名で推測することもできますし、新旧車両の導入時期も調べればわかりますのでこれも有力な手掛かりです。

飛行機。
なんと言っても啟德機塲ですよね。
かつての香港は格安航空券の一大販売拠点でもありましたし、結構色々な航空会社が乗り入れています。コンコルドが飛んできたこともあります。
飛行機が好きな人であれば、機種にそれほど詳しくなくても機体の塗装を見れば大体の時期がわかると思います。
また航空会社の栄枯盛衰が激しいので、例えば今は倒産して存在しない「パンナム」が写っていれば、1991年以前の写真ですね。

マニアじゃないから機種なんてわからないよ!という人でも、もしスチュワーデス(って最近言いませんね。笑)が写っている写真があれば、制服を調べることで年代の特定が出来ます。(いやもっとマニアックか…)

船。
これはちょっと難しいかもしれません。
香港で船と言えば天星小輪(スターフェリー)の知名度は断トツで、その他の船は日本人客が利用する機会はあまりないと思います。どんな船がいつ、どこに運航していたかご存じの方、あなたはマニアです。
大体スターフェリーですら、船体を見ただけでは年代の特定は困難だと思われます。現役で運航しているのはすべて1950~60年代の機材なので、かなりざっくりとしかわかりません。
スターフェリーを判断材料にするなら、船体より碼頭がどこに存在するかをチェックしたほうが確実かもしれません。

かつてスターフェリーに乗り遅れた人がよく利用する「嘩啦嘩啦(ワラワラ)」という小型船が運航していましたが、地下鉄の開通後ほどなくして姿を消してしまいました。名前の由来はスクリューの回る音だとか、water waterだとかいう説がありますが、真偽のほどは怪しいです。
もし写真にワラワラが写っていればだいたい地下鉄開通以前の年代と推測出来ますが、そもそもワラワラがどんな船なのか?「あっワラワラだ!」と判断出来る人がいるものなのか?
日本人にはムリそうです…。

もう少しわかりやすい例を挙げてみます。
船の知識がまったくない人でも、 自動車が積載されている船の写真をみれば「カーフェリー」だと気づくと思います。
カーフェリーの運航は1933年3月6日に始まりました。
戦後カーフェリーを運営していたのは「油蔴地小輪」ですが、海底隧道が出来てからは需要が減り続け、1998年1月25日に一般定期運航を終わらせました。ですからカーフェリーの写っている写真はそれ以前の時代と推測できます。

ただし注意点がひとつ。
海底隧道は危険物積載車は通れません。当然現在でもカーフェリーで海を渡るしか方法がないので、危険物積載車専業のようなかたちで不定期の運航は継続しています。
タンクローリーが積載されているカーフェリーの写真は、案外新しい時代のものかもしれません。

路線バス。
鉄道マニアに匹敵するオタク度を誇るのがバスマニアだと思います。鉄道会社がバスも運行している場合も多々ありますし。
とはいえ、バスと言うものはそんなにマニアでなくともある程度の年代と地域の予測がつきます。
香港の路線バスは1933年に営業運行を開始しました。当初は「九龍巴士」「中華巴士」の二社体制で、九巴は九龍と新界、 中巴は香港島の独占営業権を獲得しています。バスのフロント部には行き先表示の方向幕がありますので、香港島か九龍半島側かの特定ができます。
ただし海底隧道が出来てからは独占がくずれたので、この判定方法は使えません。

車体に書いてある広告も判断材料になります。漢字が右から読む場合など、相当古い写真であると推定できます。
もちろんマニアックに車種などで判断することも可能(というよりそのほうが確実)です。マニアも上級になると、車種と車番/ナンバープレートと行先表示幕を見ただけで路線と年代をすぐに判定できるようになります。
ただしバスの寿命は一般的に長く、かつては20年くらい使うこともザラにありましたから、車種以外の要素を加味して判断する場合でも±5年程度の誤差を含むと考えるのがよいでしょう。

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中華汽車公司 China Motor Bus 「Guy Arab Mark V (25 ft)」, 営業運転期間1965-1984年


ミニバス。
もちろん車種で判断することが確実ではありますが、実は小巴も路線バス同様、車種が不明でも判断出来るポイントがあります。
それは乗車定員です。塗装に書いてありチェックできます。
小巴が走り始めたのは1950年代で、当初は非合法(いわゆる白バス)でした。乗り合いタクシーという名目だったようですが、そんな許可は出されていません。
白バス時代の乗車定員は9席でした。その後12席の小巴がごく少数あらわれましたが、1970年に合法化された時に小巴は14席と決められました。
更に1988年には16席に定員が増加されました。もし14席と16席の小巴が一緒に写っている写真であれば、その撮影年代は1988年~90年くらいまでの非常にタイトな時期と考えられます。
現在は19席ですね。
また、定員の書いてある赤/緑の塗装がボディをぐるりと帯のように回っていればほぼ80年代までです。90年代にはこの塗装が屋根に移動しました。

もうひとつの判断材料は色です。
カラー写真であれば、赤か緑か区別がつきますよね。緑小巴が走り始めたのは1974年からなので、写真に写っているのが緑であればそれ以降となります。
ちなみに緑小巴の第一号路線は「中環⇔山頂」です。

小巴の車種は路線バスほど多くありませんので、マニアまではいかないけどバスに興味のある人なら判別はそれほど難しくはないと思うのですがどうでしょう?

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日産エコー, 70年代中期モデル (香港オリジナルのショートボディ) 


タクシー。
私が最も信頼しているのはタクシーの車種です。すみませんマニアです。
バス・トラックと違いモデルチェンジのサイクルが頻繁ですし(日本車の場合4年ほど)、なにしろ距離を走りますから廃車になるのも早いです。
意外に思われるかもしれませんが、香港のタクシーはほとんど新車で輸入されています。それで年代の特定がしやすいのです。

ざっくりと説明しますと、60年代末ころまでは結構いろいろな車種が走っていましたが、次第に「ベンツ」が増えてきました。70年代からは徐々に「セドリック」に代替わりし、90年代からは「クラウン」の天下でした。現在は「クラウンコンフォート」が主流ですが、すでに生産終了していますので今後は減る一方です。
もちろんその間細かい変化がいろいろあるのですが、それを含めて説明するのはここでは避けたいと思います。めちゃくちゃ長くなるので。すみませんマニアです。

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日産セドリック 430型(DATSUN 220C) 1979~1983年

車のナンバープレート。
香港はナンバーの売買が自由なので、100%確実ではありませんがある程度の目安になります。車に詳しくなくてもわかります。
一番古いナンバーは1〜9999までの数字だけのものです。この4桁を使い切った後は数字の前に「HK」がつきました。「HK」を使い切ると「XX」がつき、それも使い切ると「AA」、次に「AB」、次に「AC」…で、今に至るというわけです。
私が日本に帰国したのが1980年末ですが、アルファベットは「CE」か「CF」くらいまで進んでいたと思います。
もっとも最近は規制緩和により、数字とアルファベットの組み合わせがほぼ自由になったので、年代の判別は非常に困難になってしまいました。

なお、これとは別に83年からナンバープレートの色が変わっています。
以前は自家用車が白地に黒文字、トラックとタクシーが黒地に白文字、バスとハイヤーが赤地に白文字だったのですが、法改正によりフロントプレートが白地に黒文字、リアプレートが光反射素材の黄色地に黒文字ということになりました。これは車種を問わず全車統一されました。

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83年の法改正により、79年頃発行されたナンバーを色変更したリアプレート。

先日アオシマ製1/24プラモデル「香港タクシー(DATSUN 220C, 1979年)」をポチりましたが、ナンバープレートが「XX3288」なのはまあ許すとして、絶対ありえない前後とも白地に黒文字で唖然としました。事前リサーチが不足していたようですね。たびたびすみませんマニアです。

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(箱の絵ではナンバープレートがDATSUNになっているけど、入っていたデカールが前後とも白地に黒文字の「XX3288」だった…。)


私が常にチェックするポイントはこれで全部です。
この記事が皆さんのお役に立てますように。

(…でもなんの役に立つのだろうか?)


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