「悪の凡庸さを問い直す」
これは出た時から読みたかった本。「悪の凡庸さを問い直す」。これは有名なアイヒマンに対するハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」という言葉から来たものだけれども、一般の解釈は少し違うと聞いて気になっていた。
「悪の凡庸さ」とは広く知られている言葉ではないだろうか。果たしてそれが、アーレントがどういう意味で使っていたのかは、あまりよく分かっていない気がする。
今、定着している解釈は以下のものかと思う。これは1999〜2002年ごろに盛り上がったものらしい。
少し前からこの解釈は違う、という話は聞いてはいたのだけれど、何が違っていて本当はどうなのかを、知りたく手に取った。とてもエキサイティングな本だと思うし、面白い本。とりあえず「エルサレムのアイヒマン」は既読。
5月24日に「関心領域」という映画が公開される。私も見に行くつもり。ここでまた一般的に信じられている「悪の凡庸さ」が話題になるのでは、と田野先生は呟いていたように記憶している。だから映画観る前にこの本を読まねばと思っていた。この本の編著をご担当されている田野先生のX(旧Twitter)、かなり面白いのでおすすめです。
気になったところをいくつか。
アイヒマンのさまざまな記録をもとに、現在まで、歴史研究的にどう変わってきたか、哲学的に「悪の凡庸さ」をどう捉えていくか、というのが歴史学者の視点、思想哲学研究者がそれぞれの立場から細かく記されていてとても面白い。
こうして論を作っていくのだな、と漠然と。
最後の小野寺拓也先生、香月恵理先生、矢野久美子先生、百木漠先生、三浦隆宏先生、田野大輔先生の対話が興味深いし、とてもエキサイティングだ。対話で議論を深めるってこういう事なのか、というのも見える。対話型の本って不得意なものもあるけれど、これは本当に勉強になったというか。
なかでも、主体性とエージェンシー(行為主体性)の議論は面白かった。
あとは、「忖度」という私が日本的だと思っていたものが、この時にも作用したのではないか、という話も出てきて、「忖度」は組織のなかでは生まれてきてしまうものなのかなと。
「悪の凡庸さ」ではなく、「悪の浅薄さ」の方がいいのでは、という議論もありここもまた面白い。
言葉を正確に正しく使う、その正しさとはどこから見てなのか、言葉たらずと言っても良さそうなアーレントの「悪の凡庸さ」を、それぞれの立場から解きほぐし、それぞれが出す意見や考え根拠みたいなものが、ぶつかり合うという感じでもなく、淡々と提示されてそれについて穏やかに誠実に話し合う。大人としてとるへぎ対話の姿も見たような気がした。
最後のブックガイドと映画の紹介もあって良い。この本、とても良かった。
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