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「母という呪縛 娘という牢獄」
こちらもaudibleで。話題になっていた時に気になっていたのだが、怖くて手を出せなかった。audibleで見つけて思い切って聴いてみた。
これも聴きながら何かするとかは難しく。息ができなくなるような気持ち、というか、息がしにくくになりながら、一気に聴いた。
本当に壮絶だった。これは牢獄というより、地獄だ。凄まじい支配欲と執着。家庭という密室の中で、吹き荒れる激しい暴力。父親の不在。
家庭という密室の中で、自分のいる環境が普通で、他の家庭がどうか分からない。そこが逃げるべきところなのか、ごくありふれたことなのか知ることはなかなか難しい。離れてみて、安心できる居場所を確保できて気づけることもあるし、あの時助けを求めても良かったのだと、知ることができる。様々なことにつまづいてから、おかしさに気づくこともある。
もし、ずっと離れることができなかったとしたら、どちらかが死ぬまでそれが続くかもしれない。どちらかが死ぬまで、というのは私は実感を持って分かるところがある。
よくこれが書けたな、と思う。これだけ克明に思い出し、書くことができるのは、すごいことだと思う。もう思い出したくもない、と思うのだけれど、過去を直視して向き合い、乗り越える、という気迫を感じる。
最近カウンセリングでも感じる事だが、過去を乗り越えて前を向くという作業には、過去を直視し、向き合い、その時自分がどう感じていたのかを振り返ることが重要なのだと思う。
それを無かった事や、自分の捉え方の問題として切って捨て、自分1人で新たに生き直す事は、結局乗り越えることにならないのでは、と思う。何かの局面で揺り戻しが来る気がしてならない。
幾つになっても、不都合な過去と向き合い、自分の感情を直視して飲み込んでいく(この表現が合っているかよく分からない。認識する、理解する、整理するという意味では飲み込むだけれど、他方何かを我慢する、隠すみたいなイメージがあったりするので)事が必要なのてはないか。選ばなかったのではなく、選べなかったことに思いを巡らせ、選ばなかった選択肢にも思いを馳せ、悔し涙を流す。
そういう時間のかかる歩みの遅いやり方でしか、前には進めないのではないか、と。
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