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「客観性の落とし穴」

 年末に回ってきて手元にあったのだけれど、なんとなくaudible祭りになってしまっていて、手に取るのが遅くなってしまった。そして最後まで読めず、再度読むことにする。

 第1章から4章までが、客観性と数値化がテーマという事で、今とても重んじられている客観性がどこから出てきて、どのように発展?してきたか、どのように社会に影響を及ぼしてどうなってきたか、を分かりやすく解説してくれる。
 5章以降は、その客観性と数値化によって見えなくなってしまったものがどういうものなのか、どう考えていけば良いのかが語られる。
 なんだか難しそうだな、と思って少し躊躇したりもしたけれど、とても分かりやすい文章、丁寧な解説で読みやすかった。

 私がハッとさせられ、もやもやしていたことをはっきりと言語化してくれた文を長いですが、引用する。

「働く意思のない人を税金で救済するのはおかしい」というような学生の授業コメントを読んでいて気になるのは、彼らが統治者の視点に立って語っていることである。国事を決定する権力の視点から「善悪」を判断する。学生は統治者になり代わって思考しているのだが、実はそれは国家権力の論理に思考を乗っ取られてしまっているということでもある。学生は1人の市民なのだから、自らの生活の実感から、あるいは近くにいる家族や友人の視点から社会課題をかんがえることができるのではないだろうか。そのためには「一人ひとりの個別の経験」の視点にこだわることが大事になる。

 客観性や数値化だけを真理として物事をとらえていくと、一人ひとりの個別の経験などは、消えていってしまう。見えなくなってしまう。
 これもバランスかとは思うのだが、今はそのバランスが大きく客観性や数値化へ偏っているような気がしたりもする。
 もちろん客観性や数値化は重要な視点だと思うが、それによって失われるものも忘れずに常に認識しておかなければいけないのでは、と思う。

 ここ以降でではどうしていったら良いのか、が語られるフェーズなのだが、悲しいことに時間切れ。超特急の斜め読みになってしまったが、西成での小さなコミュニティの有り様から、居場所、ケアなどについて触れられている。次回はきっちり最後まで読みたい。できれば近いうちに読みたい。

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