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「庭とエスキース」

 前からお気に入りの本屋で年中推されているので、気になっていた。いきなり買う勇気はなかったので、図書館で借りる。

「庭とエスキース」
https://www.msz.co.jp/book/detail/08795/

 自給自足の生活をしながら、自分の庭を作り続ける弁造さんと、筆者である写真家との交流を記した本だ。
 簡単にまとめるとこんな感じだけれど、これはなんだろう、交流よりも伝承のようなものだ。思想や自然の知識や知恵、生き方、というその人を丸ごと口頭伝承されたものを書き起こしたもの、という感じだ。

生きることのなかには、生きている時間も逝ってしまった後の時間も含まれている

弁造さんの生きた時間は、生き生きと筆者のなかに息づいていると感じる。過ごした日々や、亡くなった後の様子も。
 亡くなった後の日々を綴ったところにも、大きな感情の揺れなどは描かれないものの、「弁造さんの不在という存在」がしっかりと描かれており、弁造さんを失った喪失感の深さをひしひしと感じる。

 弁造さんの人生が特別だから、と思うかもしれないけれど、一般的な価値観からみて、成功した人というわけではない。決して特別ではないけれど、世界でただ一つの弁造さんの特別な物語だ。何か成功していたり、特別だったり、何者でもなかったとしても、生きることの尊さのようなものが伝わってくる。
 本の中に挟まれている写真にもそういうものが写っているような気がする。その写真は、庭の写真であったり弁造さんの写真だったりするのだけど、全ての生き物の尊さと、一瞬一瞬の美しさを感じる。

 この本を読んで思い出したのは「断片的なものの社会学」の言葉たちだ。隠されているわけではないけれど、誰の目にも触れないような小さな物語。その一つ一つの物語の力強さや、美しさ、その独特さに心を動かされる。そういったものを何者でもない私たちも同じように生きているはずなのだと。

 私は冗談ではなく、カフカの数々のネガティブ発言を同じことを考えている人がいるんだな、くらいに思えるほどネガティブなのだけれど、こんな私の背中もそっと押してくれるのだな、と温かいものを感じた本でした。

※写真は弁造さんの庭ではありません。




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