この本、気になっており、図書館で予約していた。以前に「PLAN75」を観て、こうなってしまうのではないか、という危機感もありで、手に取ってみた。とはいえ、私は安楽死には比較的賛成の立場ではあります。しかしながら、日本での導入は難しいのでは、と思っています。これは読む前の意見です。この辺りも変わってくるのだろうか。
読み始めてすぐ、自分は何も知らなかったのだな、と思う。
そして、自己決定についてかなり甘くみていた。
メモをとりながらとも思ったのですが、とりあえず読み通し振り返りながら気になった点を。
カナダの事例が衝撃的。2016年に合法化されているのだけれど、かなり進んで?いる。
あっという間に安楽死の対象者が拡大している。そして、カナダでは高齢者問題大臣が、以下の発言をしている。
安楽死はケアなのだろうか。
そんなオランダ、ベルギーでさえ、対象者が拡大し、捉え方が変わってきているそうなのだが、カナダではケアと呼ばれ、捉え方が全く違う。
カナダでは適切な公的支援を得るよりも安楽死の方が手続きが簡単、ということもあるそうだ。これは排除でしかない。
安楽死を判断するにあたり、「QOL」という言葉も出てくる。これもかなり恐ろしい。常々思うのだが、QOLは人から判断されるものなのだろうか。これは個人がどのように感じるかであって、他者から判断されるものではないと思うのだが。。。
数々の事例が取り上げられ、いったん合法化された後に安楽死の要件がじわじわと緩和されていく様は背筋が寒くなる。個人の権利が確立され、重んじられているように思われるアメリカでもそのようなことが起こっている。
安楽死は自己決定のはずが、どんどん自己決定が曖昧になってくるような気がしてならない。
そして子どもへと拡大されている。ベルギーなどでは終末期に限りではあるが、認められているそうだ。これは一線を越えているように思うのは私だけだろうか。
以下の一言は衝撃的。
自分の死にたい、という気持ちで安楽死という制度に賛成して良いものなのだろうか、という気持ちがふと浮かぶ。なし崩し、すべり坂、そういう現象を目の当たりにすると、少し怯む。
ここでまた新たなキーワード「医学的無益性」が出てくる。ここでも具体例が出てくるのでぜひこの本を読んで欲しいのだけれど。
個人的には医療分野にも資本主義の嵐が吹き荒れているのでは、と思う。安楽死の無益な治療論にも影響を及ぼすのでは、と思ったりする。これはかなり恐ろしいことだと思う。
うまく気持ちをまとめることができないけれど、無益性の議論はかなり恐ろしい。
この問いはとても大切な気がする。「死ぬ権利も「生きる権利」も両方あるべきではないのだろうか。
この本は279ページあるのだが、上記で引用したように前半だけでかなりの内容の濃さだ。少し時間をかけて読むことをお勧めします。
後半は日本での障害者医療についてや、家族による自殺幇助などの家族をめぐる話、コロナ禍で議論になった「無益な患者」論、などなど、話は尽きない。
最後まで是非とも読み通して、もう一度安楽死について考えてみてほしい。
安楽死について本当に自分はなにも知らなかったと思う。読み終えてみて、制度としての安楽死を認めるべきか、と問われると私は答えられない。むしろ反対に近寄ったかもしれない。私にはこの「すべり坂」「なし崩し」を抑えるすべがあるのか全くわからないから。そして「生きる権利」がすべての人に与えられるべきではと思うので、「死ぬ権利」だけが与えられる状況は権利なのだろうか、と著者とともに疑問に思う。
色々読んだ上で、ではあなたが当事者となった時「安楽死」を選びませんか?と言われたら、選びたい私もいる。大変難しい。