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アイドル・プロデューサーほど楽しい仕事はない!VOL1.

今、僕の仕事は女性アイドル(以下、アイドル)のプロデュースがメインなのですが、音楽業界に入った当時は自分でアイドルと関わる仕事をするとは全く思っていませんでした。ところが何故、今はアイドルのプロデュースを手がけるようになったのか、その経緯と魅力を書いてみたいと思います。

日本最初のアイドルは1971年デビューの南沙織だと言われます。僕が11歳の時なので僕に歴史とほぼ日本のアイドル史は並走しています。

最初にアイドルを意識したのはアイドル元年の71年デビューの天地真理ですね。なぜか、ほぼ再評価はないので、当時の人気をイメージしづらいかと思いますが夜の7時にレギュラー番組がありました。現在までビッグ・ブレイクしたアイドルでもゴールデン・タイムにレギュラー番組をやっていたアイドルはいないと思います。ハマると言っても番組を楽しみにして、小6の頃なのでシングルを買うくらいの可愛いものだったと思います。その後73年にキャンディーズと花の中三トリオと呼ばれた山口百恵、桜田淳子、森昌子がデビュー。76年のピンク・レディーがデビュー、しブームを巻きこして言ったのですが僕自身は洋楽を聞くようになり、さらにデビット・ボウイ、TーREX,ロキシー・ミュージックといったブリティッシュ・ロックにハマり、さらに遠藤賢司、頭脳警察、外道といった日本のロックにも惹かれていったので、アイドルにはほぼ興味を失っていたというより、むしろバカにしていました。

その後にハマったのは80年代前半でした。その理由は松田聖子は楽曲とアレンジ、中森明菜は歌唱力、小泉今日子はクリエイティブで面白いと感じたからです。ですが沼にハマるというほどではありませんでした。その後のおニャン子クラブ、モー娘、AKB48がブレイクしますが個人的にはスルーでした。仕事も当時、僕が在籍していた東芝EMIというレコード会社は何故か女性、男性ともにアイドルはほぼいなかった(本田美奈子くらいです)ので縁がありませんでした。当時、関わっていたBass Ball Bearの小出君に「ロックバンドのくせにアイドルが好きとか言うのダサいからやめろ」と今思えば酷い事を言ったもので、大変に反省しています。

ですが2012年ビッグ・バンが来たのです!それはBiSとでんぱ組.incの出現です。惹かれた理由はどちらも芸能界ではなくライブハウス、秋葉原のメイド・カフェイといったいわばストリートから出て来た事、音楽的にもオルタナティブ・ロック、電波ソングといった従来のアイドルのあり方のいわゆる「逆張り」をしていた事が面白いと思いました。特にでんぱ組.incには、どハマりしました。年間50本、台湾のライブも見に行きました。50歳すぎて初めてアイドルの沼にハマったわけです。宇多丸さんが言うように「アイドル・ソングはアイドルでしか得られない多幸感がある」という事を体感しました。

他にもベルリン少女ハート、ゆるめるモ!、Negicco、バニラ・ビーンズ、バンドじゃないもん!など面白いアイドルがたくさん出てきてチェックするのが楽しかったです。その内にアイドル・イベントを主催したり、みきちゅというSSWでアイドルという子も育成し色々経験を積み学習もしました。

そしてバンドのディレクションで学んだ事をうまく合わせれば僕なりのアイドルのプロデュースが出来ると思い、そのタイミングで寺嶋由芙ちゃんと出会いソロ・デビューのプロデュースをさせてもらい、さらに、その後オーディションとスカウトでメンバーを集めフィロソフィーのダンスのプロデュースを始めた訳です。

アイドルのプロデュースをやりだして感じたのはファンの熱量が高い事です。バンドやSSWだとワンマンは客が入ってもイベントだと極端に集客は減ります1/10程度かもしれません。

アイドルの場合は1/3程度かと思います。アイドル・ファンはライブが長かろうか短かろうが関係ないんです。見れるライブは出来るだけ見ようとします。アイドル用語で「オマイツ」という言葉ありますが、これは「お前(この現場)いつでもいるな」の略語で、バンド界隈ではこんな言い方は無いですね。フィロソフィーのダンスは2019年の全国ツアー10本、全通(全部通して来る)のファンは10〜15人はいたように思います。担当していたバンドのツアーでは地方でもいつもいるようなファンはあまり見かけた記憶がありません。

余談ですが、コロナ以前、頻繁にライブ(年間100本近く)をやっていた頃、毎回、地方にもかなりの頻度で来てくれる車椅子のお客さんがいました。そこそバリアフリーの世の中になっては来たとは言え地下のライブ・ハウス等に車椅子で来るのはかなり大変です。彼と話した時に「人生に喜びを与えてくれてありがとう」と言われて、かなりグッと来ました。ライブを見るために外に出る、地方にも行く理由が出来た事で彼の日々を充実させる事にフィロソフィーのダンスはなっていた訳です。この仕事していて良かったと思える瞬間でした。

そしてアイドルは経済が回るのも大きな魅力です。

物販の売り上げ的にも一概には言えませんがバンド系だと客単価1000円越えれば良いと言われますがアイドルの場合は3000円程度でしょうか。買い上げに応じての特典会を行えばさらに売上は上がります。

クラウド・ファンディングもアイドルと親和性が高いです。資金調達もフィロソフィーのダンスで言えばまだ一介の地下アイドルだった、デビュー1年後のワンマンライブで目標額100万のところ280万、2年目のミュージック・ビデオの制作費は目標が200万のところ356万、3年目の生バンドでのワンマン・ライブでは目標額300万円のところ、なんと1200万円が集まってしまいました。(メジャー・レーベルでは基本的にCFは禁止なので残念ですが)

アイドルは、そこで儲けたお金をクリエイティブに回せるんです!

ファンが愛と忠誠心と遊び心に溢れている事もアイドルが面白い理由です。アイドルのTシャルは背中の上にそのグループのロゴが入っている場合が多いです。その理由は後ろから見て、そのグループのファンだと分かった場合、イベントで前の方の場所に譲らなければならないからです。アイドル・フェスではロック・フェスにいるような最前を取るために興味なくフェンスに持たれているファンはいないんです。さらにあるグループでは新規ファン、女性ファンが来た場合、古参のファンは場所を譲るというルールがあるそうです。

アイドル・イベントの会場でファンはロッカーを使わず、フロアの後ろの方に荷物が積んであるという事が良くありますが、これも少しでもアイドルに落とすために無駄なお金は使わない、ファンで物を盗むような人はいないと信じているからですね(でも間違われる可能性はあるので辞めたほうが良いかとは思います)

聖誕祭、ワンマンなどで「ファン有志から」といった匿名のお花がいくつも届くのもアイドルの文化です。ただ様子がおかしくなっているファンがいるのも事実です。例えば車移動でツアーをしているグループの握手会に「これで移動してください」と新幹線のチケットを人数分渡そうとしたファンがいたそうです。うっかりMac Bookが欲しいなんて書こうものなら、親戚、友人たちにも配れるほどの台数が届くと思います。

今はCDの売上枚数=チャートではないので意味がなくなってしまったのですが、以前は「オリコン・チャートに入れるためみんなでCDを買ってください!」とファンを煽る事は良く行われました。

フィロソフィーのダンスはあまり露骨にやるのは嫌だったのですが「アイドルの通過儀礼として一度はやってみるか」という事で2018年の8月は毎日のように特典会をやりました。ですが「チャートに入れたいのでCD買ってくだい、握手します、チェキ撮れます」と言ってもファンは乗って来ません。特典会の衣装を浴衣、ギャル風、セクシー風と嗜好をこらす。メンバーがかき氷を作って出す、1958年からやっているビンテージなスナック(現在は閉店)を貸し切ってメンバーがママ、とチーママになりメンバーが作ったお通しを出し、カラオケを歌うという会をやったのですが、そこその枚数を買わないといけないのですが毎回即完でした。屋形船にメンバー(浴衣着用)と乗れるという回もやりましたが、これも結構な枚数の購入が必要なのですが、あるファンからは「安すぎてどうもありがとう」と言われました。(結果オリコン・ウィークリー・チャート7位という結果が出せました)

ファンが嬉しがって乗れる販売施策をやれば、それ相応の金額が必要であってもファンは喜んでお金を使ってくれるので、工夫のしがいがあるんです。

話は若干外れますが、アイドルのライブは基本的にカラオケで行われる場合が多いの出演者の転換の時間がほぼありません。実はバンドのライブ・ハウスの転換は人生最大の時間の無駄だと思ってるんです。サウンド・チェツクのノイズはうるさいし、話も出来ないし、15分くらいだから外に出るほどでもないし、アイドルのライブはそれがないのは最高だと思いました。

とりあえず今日はここまで、VOL2に続きます。次回はクリエイティブについての面白さについて書こうと思います。




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