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大好きは元気ですか

4歳の娘は可愛いものが好き、そして好きなものが多い。

気が多いとも、言うのかな。

例えば彼女をひとたび100円均一に伴えばただでは帰れない。というものも最近の100均というのはどこのどたなたも御存じの通りひところの「ちょっと便利で安かろう悪かろうモノがでんと並ぶ雑貨屋」ではなくなっているのですよね。
 
そこには、定番のプラスチックの小分けケースに食事用の皿小鉢、その他にちょっとしたオモチャに季節の飾りに食品に……商品は数かぎりなく置かれていて、ちょっとしたお化粧品や、それから髪留めや髪ゴムやアクセサリーもたくさんたくさん置いてある。
 
そのこまごまとした髪留めやアクセサリーなどを、ひところは「歩くこけし」と称された4歳の髪が伸びて、岸田劉生画伯のお嬢様とよく似た髪型になった今、とてもとても好むのです。
 
100均一の「アクセサリー」のコーナーに4歳の立つとき、身長100㎝と少しのひとりはやっと結えるようになった髪を揺らし、頬を桜色に染めて、何個も何個もそれを手に取り
 
「あたしねえ、カワイイのがだいすきなの、ハートでしょう、お星さまでしょう、それからパップケーキのうえのきらきらのお砂糖のやつもだいすき」
 
自分の世界はベビーピンクとパウダーブルーとそれからレモンイエローの色彩のみでできていて毎日ふわふわのファーのソファに転がり、とりどりのマカロンだけをたべて暮らすのよと、そういう世界のことを話し始めるのです。尚、パップケーキというのは私の誤字ではなく、娘は今「カップケーキ」の発音が「パップケーキ」なもので、これは間違いではありません。
 
まだ可愛い言い間違いの世界にも暮らしている4歳児。パップケーキのお砂糖のきらきらであるアラザンは全部つまんで先に食べてしまう4歳児。
 
それで、そのマカロンの世界のお嬢様に「いや、べつになんも買わへんで」なんて言ったところではあそうですかとその場を退くわけもなく、母である私はただこの子の姉が図工に使う木工用ボンドを買いたかっただけなのに、空色のシフォン生地の中にキラキラのスパンコールをぎゅっと閉じ込めたシュシュなどをいくつも買わされて帰宅したと、そういうことなのです。
 
自宅に帰り、そのキラキラとしたシュシュで髪をぎりぎりポニーテールにした娘はそれはもうご機嫌で、ただご機嫌な幼児というものはやたらと床を転げまわったり、ソファにごろんごろんと寝転んだりするもので、結局ものの数秒でそのやっとの長さの髪をかき集めて作られたポニーテール(もどき)はバラバラとくずれて、丁度この日の午後2時すぎ、リハビリの先生のいらっしゃる時間に
 
「あ、髪の毛がぼさぼさだねえ、いっぺん外しなよ」
 
と言って私がそれをさらりと、ぱらりと外してから先生をお迎えした時の娘というのがまた
 
「エッ?娘ちゃんどうしたんや?僕やで?」
 
娘の訪問リハビリを担当になってからやっと半年、最初のうちは酷い人見知りに阻まれていた先生との関係性をやっと信頼であるとか友情で結び、笑顔で玄関に出迎えるようになった理学療法士の先生から自分の姿を、机の下にもぐり、母親である私の背後に隠れ、部屋の隅に丸まって、とにかく顔を見せないようにしているのです。
 
それは十分に先生を困惑させてしまう仕草と態度で、先生は驚きつつ哀しみの声を上げたのでした。

「僕とはぐくんできた信頼はどこにいってしまったのや」

でもそれは、
 
(だって、折角先生が来るからと思って真新しい髪飾りでお洒落をした私をママが台無しにしたんだもの)
 
というのがその理由だったのらしい。私が「もしかして、シュシュ、外しちゃったから?」と言うとウンとうなずき、そして私が慌ててもう一度髪を結い直してやるとたちまちにこにこと先生の前に出ていって、楽しいお遊び……という名のリハビリに興じていたというもの。
 
『乙女』と言う概念が、大好きな誰かのために自分を美しく装いたいと、少しでも己をよく見せたいのだという気持ちを内面いっぱいにした人のことであると定義するのであれば、この4歳は4歳でありながらまごうかたなき乙女であると申し上げなくてはなりません。大好きな人とは一番綺麗な自分で会いたいもの。
 
なんてかわいいことでしょう。
 
そんなことで、いつも娘のいうところの「お遊び」という名のリハビリに根気よく付き添ってくれる優しくて背の高い理学療法士の先生のことを娘は当然「大好き」なのだけれど、曰く
 
「S先生(理学療法士の先生)は2ばんめにすき」
 
とのこと。じゃあ一番は誰なんと聞いたらそれは
 
「H先生」
 
なのだそう。H先生とはこの娘が検査やら処置やら手術で入院する際に、病棟で主治医を務めて下さる小循環器医のドクターのこと。H先生とは1歳半で初めて出会ってから早3年、これまで十数回の入院生活の中、互いに刺す刺される、蹴る蹴られるの死闘を繰り返しながら信頼と親愛をはぐくんできた2人で、この娘の人生で一番大変な入院の時にそれは誠実な、真摯な態度で「絶対に家に帰したるぞ」と付き添ってくださった人であるし、H先生というのがまた「子どもが大好物」という雰囲気を全身から醸してはばからない、「その子、先生の担当の子ちゃいますよね」という患児も構い倒す、そういうタイプの小児科医なもので
 
『1番好き』
 
の称号は当然、お渡ししてしかるべきかと思うのですが、何しろ先生に会えるのは年に何回かある入院の時に限られるので、結果娘は箪笥のひとつの抽斗いっぱいに入院用のパジャマであるとか甚平を持っていて入院中は毎日、先生にそれを見せるのだからと
 
「レモンのじんべさん、ううんやっぱりちょうちょ、あ、ちょっとまってやっぱりくまちゃん」
 
などと言ってお召替えに時間のかかることと言ったらないのです。
 
でもこのH先生を「1ばんすき」と言っておきながらこの娘にはさらにその上の「殿堂入り」の人物があって、それは1人は現在も外来での主治医を務めるベテラン医師で、もうお1人は外科の先生なのだけれど、その人にはもう会うことができません。先生は今年の春、まだ桜も咲かない3月に突然大学をお辞めになって、そのまま一体今はどこでどうされているのか少しも分からない人になってしまったので。
 

大体のお医者さんというものは、どこかに所属を移す、なり、開業するなりしたら、現代の世の中にはインターネットという文明の利器があるものだから「今はこちらの所属です」というのが検索イッパツ、ほとんど分かるもののはずなのだけれど、先生は一体どこにいかれたものか、ひとつもその後が分からないのです。
 
まだ定年、還暦には幾分か早いお年だったしあんなに術場の、現場にあることに拘りのある人だったのに、どうしてどこにもいないのだろう。
 
先生は院内たったひとりの小児心臓外科医として、娘の3度のオペも術後管理も小児心臓外科医は俺一人という体制の中でこなし、担当患児の身柄がICUにある間は家にいると逆に休まらないのだとひとつも家に帰らずに、ある日私がICUに面会に行くと鎮静で意識が朦朧とした半目の娘と一緒に『おかあさんといっしょ』のDVDを見ていたとか、まさに「病院の父」の称号に相応しい人だったもので、私もついその後を追うような、先生のその後を調べるようなことをしてしまっているのですけれど少しも、分からないのです。
 
別に調べてそれで先生を粘着して追い続けたいとか、その姿を見に行きたいとかそういうつもりは一切ないのです。ただ勤務医という人々の中には「自宅は病院」「俺が寝ると患者が死ぬのだが?」「休み、何だそれは食えるのか」という働き方をしている方が少なくないというのが個人的な印象というのか実感で、そうすると中年以降に分かりやすく体を壊したり、何なら還暦丁度に急病で彼岸にお渡りになりましたという哀しい話も小耳にはさむもので、私はそれだけを今、心配しています。
 
先生はお元気なのですかと。
 
それで娘も、月に1回の小児外来に行く時、いつもの小児循環器医の、これもまた殿堂入りの外来主治医のいる診察室のお隣にある、もともとK先生の扱いになっていた診察室、略して6診を眺めては
 
「Kセンセイはどこにいるん?」
 
と聞くのです、でもそれはお母さんにはわからない。
 
他の先生や看護師さんに「K先生ってどうされているのでしょうね」と聞くこともできるのかもしれないけれど、もし万が一、先生は体調にいろいろあってもう臨床にはいないのだよという話であれば、そんなことは途轍もなく言いにくいだろうし、個人的なことをそうぺらぺらと、いくら元・担当患児とその親だからと言って話してはくれないだろうし、それを思うとこちらとしてもとても聞きづらい。
 
今、娘の「だいじなものいれ」と銘打ったクッキーの缶には、ずっと前にK先生の外科外来のある日につけるのだと言うので買ったキラキラのピンクのシュシュが入ったままになっています。
 
別にもういろいろ思う所があって臨床に出ていないよ、お医者はやめまして晴耕雨読の生活です。ということでも一向に構わないのです、娘の命を未来に繋げてくださった『殿堂入り』の先生が元気で、たとえば今日のような夏の夕暮れ、すこし高くなった空を見上げて細くたなびく秋模様の雲を指さしながら

「もうすぐ秋が来るねえ」

なんて臨床にある頃には考えることすらなかったことを考えて呟いて暮らしているのであれば、私も娘もむしろそちらの方が断然いいというか、全然構わないのです。
 
娘の大好きな、先生はお元気ですか。

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