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小説:きみに、遺言として(コンビニ幽霊3)

こちらの続きで、これが最終章になります。一番初めの『コンビニ幽霊』を書き始めたのが去年の8月で、それからこつこつと書いて3部あわせて11万字程、1冊の小説分になりました。読んでいただけると嬉しいなと思います。

結局僕らがヨルの「どうしても」と切望していた金沢行きを実行できたのは、月の入れ替わった12月の始めの暦の割には空気の柔らかな良く晴れた冬の日のことで、それはあのストレス耐性の物凄く強そうな、実際とても意思堅強であって実際に人を素手で殴らせても相当に強い真里をして

「誰の趣味か知らないけど相当加虐的、サディストか」

と言わせた緻密に過密な医学部の試験の都合がその大半の理由であったのだけれど、それであまり予定が押すと僕達のいまある場所からずっと北側に位置する金沢という地域ではもう雪が降りだして何なら少し積もってしまうかもしれないねと、そうしたら雪の降り積もる土地の肌に突き刺さるように冷たい空気や湿気というものは、とりわけ寒さに弱いヨルの体には良くないのではないかと、特に寒冷地と言う訳でもないこのあたりの冬の冷気にさえすぐに体温を奪われて途端に指先や頬の色を冷たく青白くしてしまうヨルの事を心配していた僕と真里に対して

「いや、雪がある方がいっそ暖かいんだぞ、それに依里ちゃんはこれまで雪なんか殆ど見た事も触った事もないんだろ、雪があったらきっと喜ぶよ」

そう言ったのは東北生まれの康太で、これまでずっと雪の降らない地方で暮らしている僕には康太のその雪国生まれの人間らしい言葉を「へえ、そんなモンなんだ」と感心して聞いたけれど、予定の推している原因に自分がなってしまっていることにかなり責任を感じているらしい様子の真里は、そのイラつきのようなもを何故か康太にむけ「雪がある方がまだあたたかい」という言い分を

「雪がある方が寒いに決まってるじゃん、康太先生、なに乙女みたいなこと言ってんの」

それって根拠は?と言って康太が

「だって雪があって…雪は水分だから湿度がある方が体感温度は高いもんだろ」

それは俺の実体験としてそうなんだって、と真里に説明しても真里はその康太の言葉を

「それって康太先生個人の見解でしょ、望郷の念とかその手の感覚的なモノから来てる錯覚なんじゃないの。そういうとこ康太先生っていちいち感傷的って言うかさ、体育会系と乙女って紙一重なとこあると思うんだよね、大体康太先生って冬でも半袖着てるじゃん」

そう言って、大半のスタッフが半袖である康太の職場のスクラブの事まで引き合いに出して色々と妙な難癖をつけて少しも信用しないで

(金沢市 はつゆき いつ)

そういうものをしきりにキーワード検索していた。それでも、真里が言うところの相当にサディスティックであるらしい医学部の試験も11月の末にひとまず終わり、講師、准教授、教授それぞれに対して「クソ、アイツら全員殺す」なんて、それはちょっとヒポクラテスには聞かせられないよなと僕が正直な感想を述べて笑って結果尻を蹴り上げられるなどした普段の5割増しで攻撃的な真里もやっと

「まあ無事に終わったんやし、半殺しくらいにしといたる」

それは何故だか関西弁の、それでも真里の真里らしい平静を取り戻した頃、それまでLINEで簡単なやり取りをしながら準備をしていた旅行の、最終の予算とか集合場所とかそういうものの打合せを直前だけれどちゃんと会って話そうよと真里が言うので、待ち合わせた大学の学食で真里とヨルが横に並び、僕がそれに向かい合うようにして座って、それでもまあ半分はどうでもいいような雑談をしていたのだけれどその話の途中に真里のタブレットをじっと見つめていたヨルが

「レンタカーってちょっと借りるだけなのに結構高いモンなんだね、あとこのSUVって何?何の略?」

そんなことを頬杖をつきながらぽろりとこぼした時だ、ヨルのその言葉に対して真里が

「SUV??sports とutility?あとわかんないな、何だっけ。まあいいや、でもさあ高いって言っても自転車借りるのと違うんだから、こんなもんなんじゃないの、それに4人で頭割りなんだし、依里ってそういうとこ本当にケチっていうか気が小さいって言うかさあ、もっとこう…」

と言ったその後に続く言葉をふと止めてヨルにだけ小さな声で耳打ちをした、それについてヨルが真里の顔を見ながら「あっ」と小さく頷き、そして真里はそのヨルの反応を受けて自分の、赤い革のケースに収められているマホでどこかに連絡をしていた。真里のスマホのケースはぱっと目の覚めるような朱に近い朝焼けの赤で、同じデザインのヨルのものは穏やかな夕闇のような紺。以前、真里のその赤がとても目を引いたので「それいいね、ちゃんとした革のやつ?」と聞いた時に真里が「いいでしょ依里とお揃い」と言って嬉しそうに得意そうにしていたものだ。それは例によって真里達とは別に暮らしている整形外科医で一見娘に理解があり実のところは差別主義者である父親にふたつお揃いで買わせたものらしい、聞けば僕でも知っているようなハイブランドの結構すごい値段のものだった。でも当然そういう世事に疎いヨルはその価値も値段も多分よく知らない、ただの妹とお揃いのスマホケースであるということしか。真里には「わかってると思うけどヨルにはコレが結構な値段のモンだってことは絶対に黙っておいてよ」と言われている。

「シュウ、車だけど、タダでいけるみたいよ」

「ウン、だからその分費用の概算から差し引いといて」

車にかかる費用がタダになると僕に言ったのはヨルの方で、そして続けて移動の費用の方は予算から全部差し引けと言ったのは真里の方だった。そして、顔かたちの造作が殆ど同じであると言えるほどに極めて似てはいてもそれは別々の、例えば同じ太陽であったとしてもひとりは眩しい朝の陽光でもうひとりは夕暮れ時の残光で、そのくらいに雰囲気を纏う2人だと僕が思っている真里とヨルは

(ああでも、君たちは本当にもとは全くひとつのものであった双子なんだよな)

心からそう納得できるような、数ミリずれもない完璧に同じ角度に口角を上げた全く同じ笑顔を僕に見せてくれた。それはとても楽しそうなもので僕も何となくなんだかわからないけれど笑った。

ふたりで普通に横に並んで普通に微笑んでいたら、君たちは本当にただの仲の良い双子の姉妹なんだよな。僕は何かよくわからないけれど真里とヨルが車はタダだというのでその分の費用を予算から引いて頭割りをして、じゃあこんな感じなと僕がざっと計算して手元の紙ナフキンにボールペンで書いた数字を見せて、ああそうだと思って

「VはVehicleだよ、車両って意味」

そう2人に言うと、長期入院の末に留年して2回目の高校3年生をやっているヨルに

「あのさあシュウって理系で、この前教えてもらったけど数学なんかⅢでもCでも平然とスゴイ勢いで解くし、今計算したそれって暗算でしょ、それに理科系科目は化学も生物も物理も全部できるんだよねえ、文系科目が苦手だって言ってたけど英語もそこそこできた訳じゃん、何でリハビリテーション学部なの、真里と同じ医学部にしたらよかったのに」

そんな妙な関心のされ方をした。いや『車両』位わかるでしょ普通と僕は言い、それはまあ英語はともかく国語が壊滅的でどう考えても全然成績が足りないし、大体医学部って成績だけじゃない適性の問題もあるだろ、僕は人の死に立ち会うのがイヤなんだよ、今後の人生でそういうのは出来るだけ少なくしたいんだ。僕はヨルへの返答としてこの前半部分のみを答えてあとの、後半部分は黙っておいた。



そうして当日、指定された待ち合わせ場所の、まだほとんど車の影も警備員の姿もない早朝の大学病院前の車寄せの端に真里がヨルを乗せて自ら運転して運んで来た車というのが、静かに澄んだ湖面のようにぴかぴかの一点の曇りもない車体の白銀色の高級車で僕は思わず真里の顔を凝視した後やや小さなそして微妙に上ずった声でこう聞いた。

「これはあの…レクサスとかいうやつ…を借りたの?誰に?」

「あーウン、確かそんな名前だったと思う。レクサスのえっとRX?って何かよく知らないけど、とにかく頑丈そうで乗り心地が良さそうで体のでっかい康太先生が乗ってもそれほど手狭にならない感じの車って確か誰かがもってなかったかなってずっと考えてたんだけどそう言えばパパが持ってたんじゃないかなあって、ホラあの、学食にいたときに思い出したの。だから即連絡してみたんだけど、そうしたらパパの名義のだとレクサスとアウディがあるけどっちがいいんだって言うから、なんかわかんないけどカッコイイ方貸してって言ったら貸してくれた。タイヤも雪道用のヤツに替えてきてるからね。それになんか付き合いで凄くいい保険に入ってるんだって、だからその辺にぶつけて多少へこんでも多分平気だし、それにパパの家に車ならまだ他にも何台かあるみたいだし」

あの日、学食で自分達が母親と暮らしている自宅に車はないけれど医者をしている父親の方が車を何台も持っていると、それをほぼ同時に思い出した真里とヨルは、真里の方がその場で父親に連絡をしてその日のうちに仕事場である病院にいる父親を顎で使い雪道用のタットレスタイに履き替えさせるという無茶振りを実行させたのらしい。それでそのタイヤを履き替えるために持ち込んだディーラーで整備士によって一点の曇りもない鏡のように磨き上げられた車を今日自分がここまで運転して持って来たのだと得意そうにしている真里と、僕の知っている国産車よりも遥かに豪奢で凝った造りの車内の後部座席にちょんと座って嬉しそうにしているヨルを尻目に、僕と康太はその鏡面に映る自分達の顔を眺めて、康太は確実に蒼白な顔色をしていたし、僕も流石にこれにはやや緊張した。

「これって一体幾らぐらいするのかな、大体見ず知らずの他人の持ち物だし、ぶつけても平気なんて言われても追加オプション諸々含めて総額1千万とかそういう感じのシロモノだろ、僕のバイト代の何年分なんだよ」

ごく普通の家庭の生まれ育ちでこういうものにはあまり縁のない人生を今日の今まで送っている僕が誰に聞くともなしに口の中でぼそぼそと小さく呟くと、耳ざとい真里が

「そんなこと無いと思うよ、私の今年の学費分くらいでしょ?諸経費抜きって感じの」

そんな返事が返って来た。それに仮に事故か何かでうっかり廃車にしてしまったとしてもちゃんと保険でカバーできるし、水は高きより低きに流れるって言うじゃない?お金はあるところから世間に回した方がいいんだからとこともなげに言うので、僕はまあそれならいいのかなと一応の納得をして、真里もそうそう、だってどうせパパのなんだからと頷いたのだけれど、そうしたら僕と真里は康太のいつもの腹式呼吸の大声で2人まとめて叱られた。

「バカ!こんなに頑丈にできてる筈の車がぶつけるかぶつけられるかして廃車になったりしたら保険とかリカバーとかそれ以前に俺も含めてお前ら全員大怪我だぞ、それどころか下手したら全員死ぬぞ、朝から縁起でもないこと言うな!」

とにかくもし万が一事故を起こすとか巻き込まれるとかして、それで怪我をしたとしても僕と真里と康太は普通の人間として普通に救急搬送されてそれなりの治療は受けられるのだろうけれど、ヨルに関しては体内の造りが健康な人間のそれとは、主要な血管であるとか心臓だとか肺、そういう体内のいろいろなものの状態と形状が先天的に、そしてそれを手術で何度も作り変えているので後天的に、とにかくかなり違っているので、ヨルの体を初めて目にする医者に治療可能なものなのか、それは皆目分からないのだから慎重すぎるほど慎重にしないといけないんだと、それが康太のこの朝の訓示であって、結局この4人の中で1人だけ社会人で年齢も27歳と、やや年嵩である康太はこの旅行の間中ずっとヨルの事を心配をする羽目になるのだった。

とりあえず今年、夏休みに免許を取ったばかりだと言う真里が、高速に乗るまでは自分が運転したいし何なら高速道路も暫く運転したいし、所詮パパの車なんだから少し位へこんだりこすったりしても平気だよと何度も言うのを

「やめてくれ、俺の一生のお願いだから」

そう言って、車寄せの敷石の上に土下座でもしそうな勢いで制し、結局年齢に比例して一番運転歴の長い康太がこの旅行の間とんどの移動中にハンドルを握ることになった。これについては僕も一応は運転免許を持っているし、まあ普段全く運転しないペーパードライバーではあるけど、でものんびりとした牧歌的な田舎道くらいなら運転できると思うから途中で変わるよと康太に言ったものの

「ダメだ、お前は俺が見ていると時折右と左が解ってない時がある」

あとな、雪道をなめるな。そう言って俺は死んでもハンドルを離さないぞと決然とした表情をして宣言したもので、ヨルはそれを聞いて

「木口小平だ」

と言ってなんだか楽しそうに笑っていた。ヨルの言う木口小平というのを僕も真里も何の事だか全く分からなくて何なのそれとヨルに聞いたら、それは日清戦争で最後まで突撃ラッパを手放さなかった兵士のことであるらしく僕はそもそもどうして戦場にラッパが必要なのかとか、あと日清戦争っていつあったんだっけとか、まあ文系科目が壊滅的だった人間としてはその辺がよくわからなかったのだけれど、それは1894年のことでその木口さんという人は戦死した後に教科書に載るような英雄なり島根県にはその人の銅像まであるのだそうだ。ヨルはそういう知らなくても死なない程度の割とどうでもいい事をとてもよく知っている。でも康太はそんなヨルの豆知識を耳に入れている余裕はないらしく、ごく生真面目にとても真剣な表情で

「真里ちゃんと柊也には依里ちゃんの命を任せられないからな、もしもの事があったら、俺は依里ちゃんのお母さんと依里ちゃんの外科内科、とにかく主治医担当医全員の前で腹を切る」

そう言った。康太は、これは普段からだけど、不特定多数の誰かへの愛に溢れていてそれが溢れ過ぎていて時折、結構重い。そう言えば付き合っている男にフラれる時は大体「お前、重いんだよ」と言われるのらしい、ちょっと普通の人間には真似できないレベルに情のある優しいやつなんだけど裏を返せば確かにちょっと生真面目すぎなのかもしれない。でもその康太が言うには、僕と真里はどうも倫理であるとか良心というものに対しての意識が軽くかつ緩く信用がないらしい。それで結局出発の始めから康太がハンドルを握り、その白銀色がゆっくりと公道に向って動き出した時、康太がああそうだ、と思い出したようにして

「あのさ、依里ちゃんて、主治医の先生にひとこと言ってきてるよな、ちょっと旅行に行ってきますって、それで過去の病歴とか手術歴とか服用薬とかそういうのが書いてある書類とかその手のモノって今日、ちゃんと持って来てるよね?」

そういう事を、この日は多分、自宅で母親と真里に金沢はきっとここよりうんと寒いのだから絶対に着て行きなさいと説得されたのだろう、ふかふかとしたムートンのブーツに真里とお揃いのコートを、あの春の熊みたいに幸せそうな色のコートを着て後ろに座っていたヨルに聞いたのだけれど当のヨルは

「康太先生の言ってるのって診療情報提供書のこと?そんなのないよ。それ関係は保険証と障害者手帳と、あとはお薬手帳…は家に忘れた。だっていつ頃どんな手術して今どんな薬を服用してるかとか、その手のことは自分で一部も漏らさずに私が全部説明できるし、薬は現物がここにあるじゃん。それに今は私、成人の循環器科の方に診てもらってるんだから子どもの頃の手術歴なんか今の先生はカルテでしかしらないよ。その人にちょっと遠出するからっていちいちそういうの書いてってお願いするの嫌なんだよね、向こうだって面倒だと思うし。それに何か大げさじゃない?大体体調がいいから今日ここにいるんだし大丈夫だよ」

後部座席の隙間に置かれた大きな紙袋の中から何語かわからない言葉の書かれているプレッツェルの小袋をひとつ取り出して、ぱりぱりと開けながらこともなげにそう言い、康太はゆっくりと動き出していた車のブレーキを多分かなり性急にぐっと踏んだ。車は停まり慣性の法則に従って僕らの体はシートにぐっと強く押し付けられて、ヨルはその拍子に菓子袋を足元に落としてしまったらしい

「ちょっと康太先生、今ので全部落としたんですけど」

そう言って小さな子どものように怒った。そのやや身勝手な感じはまあいつもの事だけど、でも今のその色々未携帯の状態がヨルにとって結構まずい事なのは流石に僕にも分かる。それって人間としてはただでさえ特殊枠というか健康な僕より遥かに突発的晴天の霹靂的事故とか事件とかとにかく何かがあった時の救命率が著しく低いヨルがほぼ丸腰ってことだろう。それで康太は後ろを振り返って

「あのさ『説明できるし』ってそれは依里ちゃんの意識が明確で明瞭な場合はってことだろう、もしも依里ちゃんが出先で倒れるとか怪我するとかして意識レベル300とか200とか、とにかくそれが全く無い場合はどうすんだよ、覚醒下でも名前も言えないような場合もあるだろ。俺も依里ちゃんの病名とかは大体の手術歴はカルテで何度も見てるしある程度は記憶してるけど、そこまで詳細な今の大体のホラえーと、直近の血液検査の数値とか服用薬のこととか、そういうのは分からないぞ、なあ俺、今から依里ちゃんのお母さんに電話していいか?」

康太はそんな風にヨルを叱るようなことを言った。実際ヨルに不測の事態が起きた場合、普段からいつも一緒にいる真里でも、そしていくら真里がヨルの双子の妹で同時に医学生であると言ってもまだ1年生でそれらしいことは殆ど習っていないし、ヨルの、教科書には一切記載されていないような特殊な症例のことを専門医にこと細かく説明できるような知識と見識はまだ全然ないらしい。その辺は僕も全く同じかそれ以下だ。しかしヨルはその事を

「ママに連絡するとかやめてよ、昨日だって直前になって『やっぱり心配』だなんて言い出して凄い言い合いの末に真里と2人で家出するみたいにしてやっとここまで来たんだよ。そこに今康太先生から電話なんかあったら、あの人のことだからお店放り出してついてきちゃう。あのねえ、現地でもしもの事があったとしてもそんなの全然大丈夫、だって今から行く先にちゃんとした専門医がいる訳だしさ。目的地に着くまでに康太先生が事故らなかったらいいだけのハナシでしょ、ホラ、もう行こ」

ヨルはそう言って康太の結構本気のそして懇願に近い訴えを殆ど意に介さず、それよりも道が混み始める前に早く目的地にむけて出発しようと、高速道路を走る車に乗るなんてうんと小さい子どもの時以来なんだよねと言ってあんまり嬉しそうに笑うので、僕達はそんな無垢と無辜のかたまりのような遠足の日の小学1年生に対してなんだかもう何も言えなくなり、固い表情でハンドルを握る康太は

「いいか、俺は今日、下道は20kmで走るし高速は80㎞以上出さない」

目的地への到着時刻予測と実際が果てしなく乖離してしまいそうな宣言をして、しぶしぶと早朝のまだ車通りの少ない駅前の通りに、ハンドルを握る両手にぎゅっと力を入れ、そして何度も深呼吸をしてから、真里とヨルの父親の多分とんでもない値段の車を音もなく滑らせた。



僕がヨルから、あの秋の日に突然言い出した旅行の目的地が一体どうして金沢なのか、それはヨルのただの気まぐれの思い付きの金沢なのか、それとも何か明確で確固たる目的のある金沢なのか、その真相を聞いたのは旅行の前々日の事だ。その日僕は夕方までが授業でそれから数時間後にバイトの深夜シフトに入るという予定になっていて、それで普段から「勝手に入って勝手に使っていいぞ、かわりに掃除しといてくれ」と言われている康太の部屋に、玄関扉の鉢植えの下に隠してある鍵を使って入り、そこで風呂を借りて何か食べてそれでまた大学の方に今度は病院の方に出直そうとそう思っているところにヨルから突然、いつも通り何の前置きもなく

『ねえ、いまどこ?』

という連絡が入ったのだった。それで僕が

『学部棟の1階、いまから康太のとこ』

という簡素で簡易な文面をヨルに宛てて送信しようとした瞬間に左手に何か大きな紙袋を提げたヨルが学部棟のエントランスに現れたという案配で、僕はいつものことではあるけれどまるで警察犬のように僕の追跡と発見の早いヨルの特殊能力にやや感心しつつ、同時にその時ヨルの提げていた大きな紙袋が目について「それ何」と聞いた、体の小さなヨルにはやや持ち重りのして見えるクラフト紙の袋が普段じゃないかと思ったからだ。そうしたらそれは

「遠足のお菓子」

であるらしい。妹の真里よりも、まあ真里は相当な激昂型で劇症型の人間で場合によっては感情を暴力に置き換えるタイプであるのでそれに比べてということだけれど、その真里に比べるといつもやや表情筋の薄い、物静かな印象のあるヨルはこの日珍しくはしゃいでいて、いつも普通の人間に比べると全く健康的であるとは言えない指先と頬の冷たい青白さが、その上向き加減の興奮した気持ちに比例してなのかほんのりと温かな色に上気していて、それを見た僕が

「なんか今日テンション高めじゃない?それになんか顔、赤くない?大丈夫?発熱してんじゃない?」

なんならここの隣が病院だぞ、今から行くか?僕はそう言って、これは数年前まで僕が兄の傍らにあって看護師の真似ごとをしていた頃の癖ではあるのだけれど、何も考えずに反射的にヨルの額に掌で軽く触れてその体温を確認していた。そして多分周囲の人間のそういう行動に慣れているヨルはヨルで僕のこの動作に対してごく普通に

「熱なんかないよ、お母さんか」

と言って笑った。そして僕が触れてみたところ多分平熱であるヨルが言うのには、ヨルは人生史上修学旅行というものに一度も一切参加した事が無いし遠足というものにもせいぜい1回位しか行ったことが無いのだと言う。それでヨルとしても大変に珍しく「浮足立っている」のだそうだ。へえ、自立歩行も人生の後半には自発呼吸もままならなかった僕の兄の冬也さえとんでもない大荷物を抱えて付き添いの看護師と一緒に修学旅行に行ったことがあったのにな。僕がそう言うと

「それはあれでしょ、シュウのお兄ちゃんが支援学校に通ってる子だったからじゃないの、そういう学校には車いすとか他にもいろいろ医療機器なんかを抱えてるちょっと移動が大変な子を旅行とか遠足とかに連れて行くっていう経験も人員もちゃんとあるでしょ。でも私は普通の公立の小学校と中学校に真里と通ってたから、まあ今はどうか知らないけど当時は極端に虚弱だとか時間ごとの服薬があるとかその手の体の問題のある子は校外学習なんかの時には『保護者付き添い要』っていうのが暗黙の決まりだったらしくて、でもママは離婚して直ぐの1~2年の間はお店の立ち上げと運営で超忙しかったし、その頃一緒に暮してたママの方のおばあちゃんは膝が悪くて旅行の付き添いなんかはちょっと厳しかったし、それが小6の時かな、だから就学旅行は双子を代表して真里だけ行くのでいいじゃんて空気だったんだけど、真里がそれをどうしても納得しなくて、自分が常に依里の横についてるし自分が実質保護者みたいなモンなんだからそれじゃだめなのかって校長室に乗り込んで校長先生相手に相当頑張って、もう半分校長室を占拠するみたいにして交渉したんだよ。でもまあ無理なら仕方ないじゃない、もういいよ、ありがとうって私の方が諦めて行かなかったの。そうじゃなくても普段から学校行事なんかはほとんど入院中で、それが長期になると院内学級に一時的に転校になるし、中3の修学旅行の時なんかICUにいて死にかけてたから参加するチャンス自体が全然なかったって言うか」

「ごめん、今小6の真里が校長室に乗り込んでそこを一時占拠したってハナシにアタマ全部持ってかれたんだけど、真里って良くも悪くもヨルの保護者的な立場を周囲に期待されてそれに真摯に応えてきたから段々と、あの他人に割と迎合しがちな癖にいざって時には妙に直線的っていうか好戦的な性格になっていってそれで今があるんだろうって思ってたし、本人からもそんな風に聞いてた気がするけどそれってなに、実際のところあの性格って先天的って言うか、元々なの?」

「わりと」

ああでもそうだ、ヨルは小学校も中学校も、義務教育の約半分をここの病院の中の、近くの支援学校の分室である院内学級で過ごしているんだった。そして僕は小学生の真里がすでに現在の真里であったことにちょっと驚いてそれが何だかおかしくて笑った。その僕の顔を見てヨルもほんの少し笑って、あとはこう続けた。

「遠足とか修学旅行とかってさ、別に行きたくない訳じゃなかったしむしろちょっと行きたいなって思ってたんだけど、私の場合は参加するためにクリアすべき条件が、まあ当然だけど普通の子よりも相当多くなるじゃない。それで私が学校の行事に参加できないのは可哀相だって家族とか周りの人が頑張ってくれるのを小さい頃は特になんとも思ってなかったんだけど、色々周りの様子がわかる年齢になるとそれが段々申し訳ないって言うか窮屈に感じるようになるんだよね。だってみんなが普通に何事もなく誰にも頼らずにできることが私は相当の準備と人手を要して『お世話いただいてありがとうございます』っていうのを全方向にやらないと駄目な訳でしょ。あれ比較的元気な時は普通にありがとうって思うしそう言えるんだけど、人間てさ、例えば健康な人だって常に元気で快調でメンタルが安定してる訳じゃないでしょ、私もそういう時はやっぱり辛いんだよね、そこに更に支援側の人に『助けてあげる』って空気がある場合なんかは特に。まあ援助とか支援ってそれが有償でも無償でも基本的には手間と面倒を乗り越えてのことなんだから実際うつくしいことだし善行だよ、それはちゃんとわかってるの。でもそれって自己顕示欲とか承認欲求と紙一重のことなんだよね、場合によってはそれ自体だってこともあるし、利他にみせかけた利己ってやつ」

その辺は僕もわかる、特にヨルみたいな人間にはちょっと自分の負担にならない程度のいい事を綺麗で可哀相な子どもに施してやって自分の気分を良くしたい自慰的善行を趣味にしているヤツがいくらでも集まるのだろう。その辺は僕にも経験がある、僕の場合は『可哀相な障害児の弟』枠だったけど。

「まあ、それは分かるよ『可哀相』って連呼するヤツは大体地雷とかね」

「それ、真里も言ってた。でも支援も援助も人間と人間との間にあることだし、そういうのが混入するのは避けられないことだって、それは仕方がないってわかってるんだけどね。でもその利己と主観がほんの少しそこに入り込んで私が他人の自己顕示欲とか承認欲求の道具になったって感じた瞬間に私と貴方は人間として対等じゃないってほんのり傷つくのは私の我儘なのかな。それで私はそれがほんの少しでも相手の中に見えた瞬間に『あっ、やっぱりいいです』って全部引っ込めるようになったんだよね。そうしておけば私のココロも世界も平和ってことで。まあ真里はそういうのを偽善的だっていつも怒り狂うんだけど」

ヨルは自分の気持ちをひとつひとつ検分するようにしてゆっくりと、たまに言葉を区切りながら僕にそんなことを話し、話し終わるとふうとひとつため息をついてから、ああそうだと言って手元の大きな紙袋から小さなお菓子をひとつがさがさと取り出し

「これ可愛いからシュウにあげる、カロリー取った方がいいよ、昔から思ってたけどシュウって、ホントにガリガリだから」

そう言って僕に手渡してくれた。去年、病院のコンビニで出会ってここ1年程の付き合いだと思っていた僕とヨルと真里は、実は結構前にここの大学病院の小児科病棟で何度か会っている既知の存在だったということは、最近判明した事実だ。それは死んだ兄の冬也のかかりつけがここの大学病院で、僕は兄の定期外来の時は大体ついて行っていたし、入院中も何度か母に連れられてここの小児科病棟のフロアに来ていたんだという話から、どうも兄が生きている間、年に1,2回程度定期的に入院していた時期と、ヨルがほとんど退院できないまま年単位でここに暮していた期間がかなり被っていて

「私、シュウのお兄ちゃんに何回か会ってるし、同じ先生に診てもらってたこともあると思う。シュウのお兄ちゃんて、普段は体が固定できるバギーに乗ってて、ほらシートが真っ青でカッコいやつ、それでお話しとかはできないけど、たまに弟か兄かわかんないけどよく似た男の子が会いに来てそれでエントランスで一緒にテレビ見てた子でしょ。私も真里が来た時によく一緒にテレビのあるスペースのピンクのソファに座ってドラえもんの映画よく見てたもん」

それが『のび太と恐竜』だった事と、僕もあの頃、多分7歳か8歳位の時だ、小児病棟のテレビの前のソファに妙によく似た女の子が2人座っているなと、自分自身が双子である事を棚に上げてそれを不思議だなあと思っていた事を思い出して、それで僕らは去年あのコンビニで出会ったのが初対面ではないのだという事実が判明したのだった。

過去、それと知らぬ間にもう10年以上前から旧知の仲であったヨルが僕にくれた小袋のお菓子は、子熊の形をした小さなグミで、僕はハリボーならそこの僕のバイト先のコンビニにもあるぞと思ったのだけれど、かつてこれまで他人の自慰的善行の道具になりがちな存在でかつそれを自覚していたヨルが、いわゆる支援者ではない対等な関係である友人と妹の助けを借りて旅行に行くのだと言う今の気分の高揚と、普段から僕の事を自分の華奢な身体を棚に上げて「もっと食べなよ、デブエットだよ」と心配してくれているヨルの混じりけのない善意が僕はよく分かっていたので、そのとりどりの色の子熊たちを僕は

「ありがとう、あとで康太と食うね。アイツこういうカワイイの好きだから」

そう言って背負っていたリュックの内ポケットに大切にしまった。それから僕はふと

「あのさヨル、旅行のことだけど、大体の行先はヨルと真里が決めてくれて、僕と康太もリンク貼ったLINEを何回か貰ってるけど、ひとつだけ住所と地図の添付しかないのがあったよな、現地に行ってからすぐの立ち寄り先のあれって何かの施設とかじゃなくて普通の住宅だよね、グーグルマップで見たら結構敷地の広い森の中の一軒家って感じの場所だったけど明らかに個人宅って言うかさ、あれって何?」

そう聞いた。僕らは、真里と僕は同じ大学の学生だけれど、ヨルは通信制の高校に在籍していて康太は社会人で、そんな4人だから旅行についてはそのほとんどをメールやLINEでやり取りをしていた、そんな風にしてやり取りする中に僕の言う奇妙な目的地はたしか一番最初に送られてきたメールの中に、ここがこの旅行の目的地であるかのように妙な存在感を持って在ったのだ、何の説明も注釈もなく住所だけが。そうしたらヨルはその事についてこともなげにさもそれが自然の摂理であり世界の誰もが知り得る常識であるかのように

「ああ、タカシマ先生の家」

そう僕に言うので、僕は至極当然のこととしてこう聞きなおしたのだった。

「えっと…そのタカシマ先生って誰?」

ヨルの言う『タカシマ先生』と言う人物はつい3年前までヨルの複数名いる主治医チームの中の1人であった人で、専門は外科だと言う。医者の専門分類は細かすぎて今の僕にはもうなにがなんだかよく分からないのだけれど小児心臓血管外科の医師なのだそうだ。僕がヨルにタカシマ先生のフルネームを聞いてそれをスマホで検索すると、確かに医師であるその人の名前はすぐにトップ画面に出て来た。

『高嶋洋二郎 医学博士 小児心臓血管外科学講座 教授(2018.3)』

「あ、ホントに結構最近までウチの大学の教授だった人だ」

「 うん、3年前に定年して今はもうお家のある金沢に帰ってるんだけど。ホラここのスクロールしたところにずらーって並んでる先生の論文のこの『チアノーゼ型心疾患の冠循環と冠動脈血管内皮機能に対する…』えっと、この手の論文の題名って本気で無駄に長いよねえ、あと題名の段階で超絶につまんなそう。まあとにかくこれって私のことよ、私のことが書いてあるの、そういう先生」

「『そういう先生』って言ったって、これだけじゃ僕にはこの高嶋先生がどういう人なのか全然わかんないよ、大体写真もここに無いしさ、元教授だってこと位しか」

「えーそう?こんだけ論文書いてるんだよ、あとほらここの、過去の手術実績とか見て?こんなに沢山執刀数があるの、先生たった1人でだよ?シュウにはそういうのまだわかんないかなあ、とにかくすごい名医ってことだよ、特に私にとってはね」

ヨルが僕に言うのには、ヨルは元気な産声をあげて誕生した真里とは違って、ほぼ自発呼吸のない状態の、わかりやすく言うと仮死状態で誕生して分娩室からそのまま運び込まれたNICU・新生児集中治療室での救命の後、そこにいた医師達の手で緻密に綿密に一体何が原因でこんなことがおきているのかとそれを調べ上げられた。そうするとヨルの体の中は命自体を保ってくれている筈の心臓も血管もそれにまつわる全てに欠損や閉塞や奇形がありすぎてこれで一体どうやって循環を保てているのか、何故これで生きているのか皆目わからないものだったらしい。

『この子はこれでどうやって生きているんだろう、どうして生きて生まれてこられたんだ、それで我々はこの先この子を一体どうしたらいいんだろうか、そもそも治療なんて事が可能なのだろうか』

そんな風にして大学病院中の小児の専門医達が皆一様に頭を抱えている最中、その中のひとりの若い医師がヨルの治療方針のヒントだけでもどこかに見つける事はできないものかと膨大な量の論文の中から必死に類似症例を検索して、ひとつだけ、ヨルにとてもよく似た子どもの外科的治療に関する論文を見つけ、そしてその論文の一番上に名前のある筆頭著者でありその子の執刀医でもある『高嶋洋二郎』という人物の現在の居場所を探し当てた。それで当時高嶋先生が在職していた金沢市の大学病院に、その日は外来診療をしていた高嶋先生に直接連絡を入れて、その人には一面識もないのに突然その時に手元にあった新生児であるヨルのデータを高嶋先生のメールアドレスにあるだけ全て送り

『先生、この子をどう思いますか?切れますか?是非一度診ていただきたいんです、それでこの子が生き延びる可能性があるものか、先生に判断してもらいたいんです』

そう言って電話の向こうで平身低頭、懇願するようにして依頼したのだそうだ、それはヨルが言うのには

「今もたまに会う小児科の先生がね、私のこと生まれたその日から知っている人なんだけど、岸田先生って言う人、その先生が大学の同級生の友達の友達に聞き出した高嶋先生の携帯の番号に直接電話して『助けてくださいマジで』って泣きついたんだって。そういうの患者本人には言わない方がいいんじゃないって私は思うし、私は知らない番号からの着信なんか絶対取らないで即着拒する方だけど、あの界隈では突然知らない誰かから連絡が来てこの症例をどう思うか聞かれるとか割と普通のことみたい。岸田先生なんて『当時はあれがベストな判断だったと思う、俺はなにしろまだ若くて経験が浅かったし、あの時はもうコトは一刻を争うって状況だったんだから』って全部自分の手柄みたいにいつも言うんだよ。それで岸田先生の話を聞いた高嶋先生がその週のうちに自分の患者とか授業とか会議とかいろいろ諸々を全部片付けて本当にこっちの病院に来てくれて、当時の死にかけの新生児だった私を一目見て『僕が全部引き受けます』って言ってくれたんだって。その後しばらくは金沢とこっちを飛行機なんかで行き来しながら私を診てくれてたの、あの時は北陸新幹線がまだ通ってなかったから。それでまあ色々あって結局そのままここの大学に招聘ってわかる?大学側が先生に是非ってお願いして来てもらう事ね、そういう形で家族を金沢に置いて定年までここの病院に勤務する事になったって、そういうこと」

「それってこの高嶋先生っていう人が、ヨルひとりの為に以前の職場を立場ごと捨ててきっぱり辞めて、家族も置いてひとりでここに転勤してきたってこと?その人って向こうでも大学病院の先生だったんだろ、どういう人?」

「向こうでも大学の教授だったらしいけどその辺のことはよく知らない。でもなんか岸田先生があの当時やけくそ気味に毎日殆ど寝ないで色々と検索してやっと見つけた高嶋先生の昔書いた論文の内容がね、私と凄くよく似た状態?病態?そういう女の子のことで、高嶋先生はその子が産まれてからすぐに1回、時間を置いてあと2回手術したんだけど、それはとりあえずの延命みたいなものにしかならなくて、結局その子は3歳になる直前に死んじゃったんだって。私みたいにして生まれた子はねえ、産まれた瞬間にひと山、1歳までに谷越え、3歳あたりが最後の勝負みたいなとこがあるから、まあよくある事なんだけど。でも高嶋先生はそのことをずっと凄く悔しいって思ってたんだって、自分にもっと技術があったらこの子は生きられたはずなのにって、生きている内に家に帰してやるどころか、病院から1歩外に出たらそこにある本物の青空を見せてやることすらできなかったって」

その当時、専門医としてはまだとても若かった高嶋先生は、自分は一体何をしているのだろうと思ったのだと、自分は一体何のための外科医になんかになったのだろうと思ったのだそうだ、結局自分は何もできなかったじゃないかって。

それで、そのとても強い後悔と懺悔の日から数年経ったある日、高嶋先生は全く見ず知らずの若い医師から突然「助けてください」という連絡と共に届いたメールに添付されていたいくつものデータ、CTやレントゲン画像やそれぞれの医師の書き記した所見の中に、あの日自分の自責の念と共に死んでいった女の子と極めてよく似た体を持つひとりの赤ん坊と出会うことになる。それで高嶋先生はその全く見も知らないその新生児のためにすぐさま現地に行く事を決めて、結局そのまま職場と住まいを変えて15年間単身赴任をしたって、そういうことらしい。それはその他にもああいう世界の特有のややこしい事情があったのかもしれないし、当時の高嶋先生が実際はどういう気持ちで本当のところはどんな状況にあったのか、康太から以前に聞いた話だとそもそもああいう、医者の中でも特に外科医とか言う人種の一部には四六時中病院にいて家には殆ど帰らないのがいるらしいから、高嶋先生がそういうタイプだったのなら、どこに住んでもどこで働いても基本的には同じことだと思っていたのかもしれないし、その辺は僕にはちょっと分からないけれど。とにかくヨルが誕生したことで微妙にそして確実に人生を変化させた人が、ヨルの家族の他にもいたということだ。

「凄く優しい先生だよ、やりすぎなくらい優しいの。だって何しても怒らないし、何しても褒めてくれるし」

「それってなに、ヨルが夜中の病棟を抜け出してコンビニを徘徊しても?」

僕は去年までのヨルのあの深夜のコンビニに夜な夜な現れる幽霊だった頃の事を思い出してそう聞いた。思えば僕は結局あの頃のヨルがどうやって鉄壁の守りである筈の小児科病棟の扉を突破して1階のコンビニまで降りて来ていたのか、それを知らないままだった。

「あの高嶋先生がそんな事で怒る訳ないじゃん。大体私が中3の時かな、なんか急に夜中に行ってみたくなって夜の11時くらいに、初めて病棟をこっそり抜け出してコンビニに行って、まあ案の上看護師さんが私がベッドにいないってすぐに気がついてそれで大騒ぎになったのを『夜にコンビニに行く程度の事はできることなら黙認してあげてほしい』って病棟の看護師さん達に頼んだのは高嶋先生だもん。人生の半分を病院で過ごしている子なんだから1階のコンビニに出かける位は毎日の運動だと思って好きに行かせてあげたらどうだろうって。先生はね、自分の患児には超絶甘いの。それに先生は、手術直後とか急変とかでとにかくICUに私が運ばれてくるでしょう、そうしたら私の状態が安定するまでずっと私に張り付いて、依里ちゃん頑張れって、君はとにかく今自発呼吸ができていて偉い、血圧が安定していて偉い、挙句にもう何もかもが全部ダメダメで体の大体の機能が殆ど機械任せになってても君は生きてること自体がもう最高に偉いって言い出すの、そういう人。手術の後にね、麻酔と鎮静を徐々に減らして、そうすると意識がぼんやりと霧がすこしずつ晴れるみたいな感じでだんだんと戻るでしょう、それか、とぎれとぎれの白昼夢みたいに覚醒していく感じなんだけど、その時はいつも絶対先生が私のこと覗き込んでるの、起きたかい、僕が誰だかわかるかなって、いつもだよ。私にとっては血が繋がっている方の本物のパパよりもずっとお父さんみたいな人」

実際に存在しているヨルの生物学上の父親よりもずっと実存的に父親のような存在である高嶋先生に、ヨルは会いに行きたいのだという。

「じゃあそのための金沢ってこと?旅行って言うよりも高嶋先生に会いに行くってそういうこと?なんで?いくらお世話になった人とは言え、わざわざそんな遠くの自宅に訪ねて行く必要ってある?」

3年前が定年だったと言っても先生は医師を引退してもう老後というにはまだ全然若い、きっと地元に戻ってどこかでまた医者を続けているのだろうし、それならわざわざ先生の自宅を訪ねなくても学会だとか出張とか、そういうのでいくらでもこっちに来るんじゃないか、それでヨルと先生はその時に会えるのじゃないかと僕は思ったのだ。僕の兄も少し特殊な病気で、その時に関わった医師は定年だとか退職だとかで大学病院を離れても、体が続く限りはどこかの現場にいて、年に1回は何かの形で兄とは顔を合わせていたし、僕はしょっちゅう兄の定期外来について行って診察室にも同行していたから僕はその中の何人かの医師の顔を今でもよく覚えている。でもヨルは僕のこの言葉を、それはあまり悲しそうな感じでもなくかと言って投げやりな感じでもない、そこにただ純然と存在している事実として

「だって先生、去年、癌が見つかってそれでもう全く臨床には出てないんだもん、療養のためにお医者さんは完全引退しちゃったの。あんまり状態が良くないしもうあんまり長くもないみたい、だからね」

先生がこの世界から影も形もなく消え去ってしまう前にひとめ会っておきたいのだとヨルはこともなげに言ったのだった。僕は最近のヨルが、確かにそれなりに見た目は弱々しいし、肌の色は蝋燭みたいに白いし、一緒に食事をした後に小さなポーチから何種類もの薬をざらざらと出してそれを飲んだり、急にちょっとしんどいから座るとか言い出す事を除けばあまりにも普通の、僕とあまり変わらない人間に見えるものでやや忘れがちだったけれど、ヨルはこれまでの人生の半分が病院という場所にあって年不相応によく慣れている人間なのだった。それは自身が何度も死の淵に立ったということもあるのだろうけど、何より18歳までに友人と言う友人を僕以外ほとんど全て根こそぎ病気によって彼岸に持っていかれているのだからそれは、至極当然のことなんだろうけど。

「だから、会いたいの。会いたいと思う人には会える時に会わないと、人間は死んでこの世界から消えてしまったらそれがどんなに大切な誰かだったとしても、もう二度と、本当に会えなくなるんだって、それはシュウだってお兄ちゃんの時に知って現在進行形でよく分かってることでしょう?」

それは確かに、僕だってよく知っていることなんだけど。

「でもさ、高嶋先生って人、本当にスゴイね、その…過去に救えなかった難しい病気の子にずっと申し訳ないって思い続けてて、その数年後に出会ったヨルにさ、しかもそれ最初は電話で質問を受けただけの間接的な出会いなんだろ。それなのにヨルのことを絶対に救うんだって、それで職位と家族を投全部地元に置いてこっちに来たって、そういう気概とか矜持って医者がみんな持ってるモンなのかな、それは流石にちょっと高潔すぎだろって僕なんかは思うけど。だってその高嶋先生には奥さんとか子どもとかもいるんだろ、それを自宅に置いてほとんど帰らずに15年て、患児を我が子みたいに大切に想う気持ちは患者側からしたらスゴイありがたい話だけど、先生は地元で待たせてる子どもに『パパなんか全然ウチに帰ってこないじゃない』なんて言われて嫌われたりしなかったのかなあ」

「ああ、それはね、大丈夫」

「えっ、ああ先生って結婚してない人なんだ」

「違うよ、奥さんもいるし、子どももいたよ、女の子」

それは、結局その高嶋先生という人が患児の執刀と術後管理に明け暮れて自宅には殆ど戻らず、そのせいで「貴方なんかいてもいなくても同じよ」なんて言われて離婚しちゃったってことなのかな、僕はそんなことを考えたのだけど丁度その時に真里がヨルを探して学部棟に姿を見せて、いつも通りのヨルの薄着を大声で叱りつけたので、この話はおしまいになった。

ヨルの今回の旅行の目的は分かったものの、そして既に僕らは北に向かって出発してしまってはいるものの、そういうヨルにとっては個人的なそしてとても大切な人に、しかもその人の個人宅で会うという機会に僕は立ち会っていいものなんだろうか。僕はその高嶋先生一面識もない赤の他人だし、ヨルの双子の妹である真里はきっと先生を知っているのだから同席していてもおかしくはないのだろうけれど、その時は僕と康太は遠慮しておいた方がいいんじゃないだろうか。

それを行きの高速道路を走る車の中、一度サービスエリアで昼の休憩を挟んだ後に、結局朝の初心を貫徹して運転を誰ともかわらないままずっと生真面目な顔でハンドルを握る康太に僕はそっと聞いてみた、ヨルのこの旅行の目的が高嶋先生という小児心臓血管外科の医者に会うためで、その人に僕は一面識もないのだけれど康太はその人のことを少しぐらいは知っていたりするのかと、そうしたら康太は運転中なのに突然僕の方を向いて、そしてとても厳かな低音で

「俺が高嶋先生を知らないとか、そんなことある訳ないだろ」

そう言った。そうだ、康太があの病院に勤務している期間と高嶋先生が在職していた期間は数年ではあるけれど被っているんだ。それどころか康太が言うには、自分は主に小児のリハビリを担当している理学療法士であって、高嶋先生は小児の心臓血管外科医で、2人で同時期に同じ患児を担当していたこともあるのだと言う。

「だから、それが依里ちゃんなんだよ」

「あ、そうか、康太はヨルのリハビリ担当で、その…高嶋先生はヨルの外科担当で、そういうことか」

「そうだよ、だから俺はな、その…あの高嶋先生がなんて言うのかな、本人の病気がどうしたってもう良くはならないんだって、だから長くないんだってそういうのがはちょっと信じられないんだよ、だって『あの』高嶋先生だぞ」

康太は後部座席でしきりに窓の外を眺めて、時折真里となにか、海はいつ見えるのとか、いまどの辺を走っているのとか、向こうの山の山頂が白いのは雪?とかそういうハナシをしているヨルに聞こえないようにごく小さな声で僕に言った。康太は高嶋先生という人がそう遠くない未来に死によってこの世界から連れ去られるという事実をにわかには信じられないのだと言う。それは、僕も高嶋先生はいわゆる平均寿命と呼ばれるものと照らし合わせると、命が尽きるにはまだとても若いはずだし、何より康太にとってはつい3年前まで同じ職場にあった現実的な知人であるのだから無理もないのだろうけれど。

でも康太が言うのにはそういう事ではないのらしい。

「高嶋先生っていう人はな、10時間越えのオペの後に一睡もしないまま24時間とりあえずのヤマが過ぎるまで患児の状態を瞬きもしないで注視して、その後もその子がICUを出て一般病棟の内科の方の主治医に身柄を引き渡す瞬間まで、どんなにICUでの時間が難渋…だから患児の状態が悪くて長丁場になったとしても絶対に家に帰らないって、そういう人なんだよ。それでまた数日後にはもう次の子どものオペがあるだろ、結果高嶋先生は1年中殆ど自宅に帰らないんだ。だからICUとオペ室のある5階フロアが現住所だなんて看護師によく笑われてて、とにかく信じられない位タフなんだ、俺だって敵わないよ。実際俺がICUに依里ちゃんとか他の子のリハビリに行くだろ、ホラ依里ちゃんみたいに術後は暫く呼吸が人工呼吸器頼みになる子はその間に肺がすっかり弱って呼吸のリハビリが必要になるからな。そうしたら高嶋先生はいつももれなくその子のベッドの横にいるんだよ。それで今日のこの子はこんな感じですって、バイタルはこうで、ミダを何㎎、レスの換気モードは…ってそういうのを俺達に説明してくれるんだ。それはいいんだけどその後に今度は俺達が今日は何をするのか、そのリハビリの根拠は何か、経過はどうなのか、PTとしての君はこの子の今の状態をどう思うか、そういうのをこと細かく掘り下げて聞いてくるんだよ、それを仮に自分の慣れに任せて適当に何となく返答なんかしてみろ、それで君は本当にいいと思いますかって、凄い顔で問い詰められるんだぞ、とにかく俺が今でもこの世で一番怖いと思ってる外科医だよ」

「えっ、そうなの?でもヨルは高嶋先生は何をしても怒らないし、何をしても褒めてくれるし、とにかく世界で一番優しい先生だって言ってたよ。大体深夜にしょっちゅう病棟から抜け出すようになったヨルを黙認してやるように病棟の看護師に掛け合ったのは高嶋先生なんだろ」

「それは、患児とその親に対してはってことだろ。俺達スタッフにはとんでもなく厳しい人だったぞ。柊也もよく覚えとけよ、医者の中でも特に外科医の超絶に優秀なのはな、自分が出来る事を他人にも安直に要求するしそれを何故だか当然のようにみんな出来るモンだと思ってるから、コッチがそれは出来ませんてつい言っちゃうとか、もしくは頑張ってみても相手の求めてるモノにかすりもしない位のアレだったりすると、とんでもなく恐ろしい目に会うんだぞ。怒鳴るかこっちに泣きが入るまで問い詰めるかそれでもダメだとコイツはアホだと思われて完全に無視されて、例えば俺達だとオーダーって言ってリハビリを術後の患者に入れるって時に『彼は駄目です、外してください』って名指しでハブられる。まあ俺はリハビリ科でICUでもオペ室でもない外科とは違う惑星って言うか別部門だからまだ担当から外されるだけで済むけど、手術部の看護師なんかだと相当数が高嶋先生に直接あの低い冷静な声でアレは違うコレも違いますそうじゃありませんねって言われてかなり泣かされてるはずだし、同じ医局の研修医なんかもっと悲惨でエライ目にあってたぞ」

そう言ってから康太は手元のドリンクホルダーの缶コーヒーを一口だけ飲んでから僕の方をもう一度じろりと見て「これ嘘でも脅しでもないからな、完全なる事実で実話だぞ、ちゃんと覚えとけよ」と言うので、僕は分かったから前見て運転してよと言って缶コーヒーを康太の手から取り、それをひとくちだけ貰った。

「でも本当にスゴイ人なんだ、あんな人この世にふたりといないよ、誰もあの先生の真似なんかできない、ウチの病院で一番その手の、循環器系疾患の子どもを執刀した人だよ。その上で自分が執刀した子どもの事をいつも誰よりも考えてた人だ。だからどんなに不備とか不足を指摘されても、君のそれはおかしいだろうって叱られても、まあ…ちょっとは何だよって思ってムッとはしたけど、全然嫌いになんかならなかったんだ、今でも尊敬してる、その人がさ」

ちょっと俺は信じられないし、今日、俺が依里ちゃんに帯同して行ったらあの人ならそれは君の立場的にどうだろうかとか言われて叱られるかもしれないけど、でも俺も会いたいんだよ、もしこれが本当に最後ならお礼を言わないといけないことが沢山あるんだと康太は言った。

だったら僕だけが高嶋先生にとっては完全なる部外者ってことになるし、余計に僕はどこか他の所で待っておこうかなと思って、ちょっと気が抜けるほど空いている、そして心配していた雪もきれいに除雪されて端に除けられている北陸道をするりと滑るようにして通り抜け、そのまま石川県の県庁所在地である金沢市の、と言っても多分そのうんと外れの猪とかサルの出て来そうな山道をぐるりと回りながら上り下りする林の中を通り過ぎ、目的地である高嶋先生の自宅の側近くに来た時に

「あのさ、さっきの康太の大体の話をまとめると、ここにいる4人の中で僕だけがその…今から会いに行く高嶋先生にとっては全く初めての全く面識の無い人間なんだよね、だったら僕はどこか別のところで待っておいた方が良いのかなって思うんだけど」

そんな事を車内の3人に告げてみたものの、僕がずっと山道だと思っていたそこは

「まあ、お前の気持ちは分からなくはないけど、ここはもう高嶋先生の家だぞ」

既に地図上では高嶋先生の自宅であるのらしい。

「えっ?だってここって山道で雑木林だろ」

「田舎によくあるんだよ、こういう『山ひとつ全部自分の家』っていうヤツ、俺の実家もこんな感じだぞ。それにどこか別の場所で待っておこうにもここから市街地まで車で15分かもう少しかかるし、雪もこの辺はかなり積もってて寒いから、ここはまあ諦めて一緒に来い、依里ちゃんもちゃんと先生に『友達が一緒に来ても構わないか』って聞いてくれて、それで先生からいいよって返事は貰ったんだろ」

康太はそう言って真里とヨルが「窓の外の雪が以外に灰色」だなんて話をしている後ろを軽く振り返った。そうするとヨルはこともなげに僕にこう言ったのだった。

「うん。私の病棟の外にできた初めての友達で、2つ年上の男の子だよって先生に言ったら、それは君にとってどういう友達なんだってスゴイ聞かれたけど」

「ヨルは何でそういう謎のハードルの上げ方するんだよ、それに事前に伝えてるなら早く言えよ」

「今言った」

「なんだよ、真里もそっちの味方か」

「まあ厳しかったのは自分の患児に関わる医療者にだけで、実習生にはほぼ患者と同じ顔と空気感で接してたと思うし、そう怖がらなくても大丈夫だよ。臨床教授とは言え教える側だった人だし学生には割と甘かったぞ。とは言っても先生にとっては大学病院時代最後の患児のひとりで15年も担当してきた患児が連れて来た男っていうのにどんな顔するのかは俺にはちょっとわかんないけどな。生まれた時から15歳までずっと途切れずに執刀して担当してきた子なんてもう実質娘みたいなもんだろ」

軽く面白がっていると明らかに分かるような康太の軽口と同時に前方に見えて来た大きな住宅、と言うよりはあれはお屋敷と言うのが妥当なのかもしれない、黒板塀と庭木というのには樹齢のありすぎる巨大な木々にぐるりと囲まれた高嶋先生の自宅が見えて来て、その黒板塀の中心にある巨大な屋敷門のすぐ下に人影を見た時、僕は致し方なくなし崩し的に覚悟を、それは何の覚悟かは知らないけれど、とにかく覚悟を決めて自分の体をレクサスのレザーシートに留めているシートベルトをぎゅっと握った。

その屋敷門の前の空間に車が停車し、こういう時に僕は一体どういう顔をしたものか何て挨拶をするのが適当であるのか、僕にはそれがちっともよくわからなくてできるだけゆっくりとシートベルトを外している間、僕の背後にいた双子の姉妹は、真里がヨルの手を引いて跳ねるように転がるようにして僕らの車のドアのすぐそばまで歩み寄って来ていた黒いダウンジャケットの高嶋先生らしい男の人の前に、じゃりじゃりと固く凍った、これはみぞれ雪というのかな、そんな氷の足音を響かせて飛び出して行った。

「先生!ねえ、どっちが真里でどっちが依里だかわかる?」

それは双子が全く同時にユニゾンで発した言葉で、僕の隣の康太はちょっと吹きだしていた。依里ちゃんと真里ちゃんは、これがやりたくてお揃いのコートで来たのかと言って。僕が車の窓からそっと覗き見た双子の2人はまるで高嶋先生の娘のように見えた、少し年嵩の父親とその娘達、傍から見たら本当にそんな感じだ。まさかそのうちの1人、右側の方があの末期の癌であるというには随分と背筋のしゃんと伸びた堂々とした体つきの、そして老人と言うにはやや若い男の人の手で、確か6回だったかな、あの細い体にメスを入れられて今日を生き延びてきた奇跡の子だなんて誰も思わないだろう。

「そりゃあわかるよ、右が依里ちゃんで、左が真里ちゃんだろ。2人とも元気そうだ。岸田君から君の去年の手術とその後の経過の大体の事は聞いてるよ。依里ちゃん、去年の手術の時は本当によく頑張ったな。君はいつも最後の最後まであきらめないし、僕らは君の頑張りについていくのがやっとなんだよな、本当に今こうして生きてるだけで偉い、100点満点だ。真里ちゃんも久しぶりだな、医学部に入ったんだって?そうしたらいずれ僕の仲間になるんだな、ようこそ、医者の世界は色々と大変だしキツイぞ、大丈夫か?」

「知ってるよ、でも平気。私、先生みたいな小児科のセンセイになるから」

真里がそう言って笑うと、高嶋先生はとても嬉しそうにして「そうか」と言った。それで僕も康太に引っ張られるように車から降りてもう数年ぶりになるのだろう再会を喜ぶ2人の後ろに立ち、ややあって康太がその大きな体躯を直角に折り曲げるような最敬礼でちょっと恥ずかしそうに、それでもとても嬉しそうに、それからあとはどうにも複雑な表情をして高嶋先生に

「先生お久しぶりです、お会いしたかったです」

そう挨拶をした。高嶋先生はその康太の姿を見ると、康太が心配していたような叱責なんかは一言もなくごく嬉しそうな顔をして

「久しぶりだねえ、君も相変わらず元気そうだ。今、依里ちゃんがここまで小走りで来るのを見たけど、術後1年で上肢のふらつきが全然ないな。この子は昔から術後ぜんぜん胸水が止まらなくてドレーンをつけたままほぼ1年寝たきりだとか、まあとにかく安静期間が長くて、そうなると当然普通の子どもと同じような運動なんかはさせられないし、お陰で最低限必要な脂肪も筋肉も全然つかないまま体幹が全然しっかりして来ないって言うのかなあ、ずっと体のふらつきが酷かっただろう、それで僕は何度も検査に出して脳外にも診てもらったんだけど結局あまり改善しなくてね、転倒したり挙句頭部打撲なんて事態になると危険だなあってずっと心配してたんだけど、君達リハビリチームのお陰だね、今、凄くいい状態になってると思うよ」

そう言って康太の仕事を褒めた。康太はイヤそんなことはないですと、頑張ったのは僕らじゃなくて依里ちゃんですからと言いながらも、普段はやんちゃで悪戯な子どもが思いもかけないことで突然教師に褒められたような、そんな最高に恥ずかしそうで嬉しそうな顔をしていた。耳の後ろが赤くなるのは康太が本当に嬉しい時だ。それでそんな旧知の2人のやり取りのその後、先生には初見である僕もヨルの元・執刀医に挨拶をした。

(こんにちは僕が先生がヨルに「それは一体どういう友達だ」と何度も聞いていたらしいヨルの男友達です、でも本当にただの友達です)

とは言わなかったけれど、とにかく僕は初めまして前田ですと言ってできるだけ深々と頭を下げた。そうしたら高嶋先生は先生に向かってほぼ90度の角度で頭を下げている僕の前で10秒程じっと押し黙ったままで、それで僕はやっぱりこのヨルが自分の父親より父親であると称した人から、君はどこの誰でこの子とは一体どういう関係なんだとか聞かれるのだろうかと思って少しだけ身構えたのだけれど、高嶋先生は突然「もしかしたら」とか「違ってたらアレなんだけど」とかそういう前置きもなく僕に

「君は前田冬也君の、ええと…弟だろう双子の。確か名前は…柊也君だ、そうだね」

そう言ったので、僕は驚いて勢いよく顔を上げて僕の正面にある人の顔を見た。そこにはヨルには世界一優しい、そして康太にはこの世で一番怖い外科医である人の笑顔があった。高嶋先生は白髪交じりの短い頭髪にやや細面の顔に掛けられている眼鏡の、さらにその奥にある穏やかな細目がいかにも小児科医という雰囲気のとても理知的な顔立ちの人で、確かに僕はその柔和な目元に覚えがあった。覚えはあるのだけれどじゃあ僕はこの人に一体いつどこで会っているのだろう、冬也の名前が出たのだから、それはきっとずっと以前のことだ、それで瞬時にその詳細が思い出せないでいた僕は高嶋先生の顔を目の前に相当、不審で怪訝そうな顔をしていたのだと思う、先生は

「覚えていないかな、君達が確か7歳の時だよ。ホラお兄ちゃんの心臓の、肺動脈って本来なら太くて大きい筈の血管があんまりにも細くてそれだと都合が悪かったんだけれど、冬也君は他にもっとややこしくて大きな疾患を持っていただろう、そのあたりがネックになって本来ならもっと小さい頃にするべき手術がなかなかできなくてね、それで7歳のその時まで薬やなんかで誤魔化していたんだけど、冬也君の体が大きくなってきていよいよこれはもたないぞってことになって手術をする事になった、君はまだ小さかったけど、その辺の事は覚えているかな」

「えっと…小2の夏休みに冬也が結構長い間入院してたのは覚えてます」

「うん、多分その時だよ。それでね、とにかくその時君は手術終了の夜9時すぎかな、オペ室から僕が出てくる時に、扉の前に仁王立ちで怒ったような、それでいて泣きそうな、そんな顔でお兄ちゃんの手術が終わるのを待っていてねえ、それで僕に『遅いじゃないか』って怒鳴ってから『冬也は生きてるのか』って聞いて泣いたんだよ、僕はあの時の君をよく覚えているよ」

確かに僕が7歳の時の夏、冬也は入院のために手術をしていた。あの夏は本当なら、普段から24時間ずっと冬也の世話のある母では夏休みの僕をどこにも連れて行けないからと、僕は夏休みの間じゅう小田原の祖父母の家に預けられることになっていたのだけれど、夏休みの直前になって小児の手術の枠がひとつが空きましたと病院から連絡があり、もういいかげん着手するべきだろうと言われて以前からずっと懸案であった冬也の手術が急遽決まったのだった。それで僕はそれなら僕は行かないと、小田原の祖父母の家に行くことを拒否した。僕の事を心配した祖母から何度も電話でそっちにいても夏休みどこにも行けなくて退屈でしょうと説得されたけれど、僕は頑として『いかない、冬也のそばにいるんだ』と首を縦に振らなかった。

でもあれはどうしてだったんだろうな、小田原に行けば年上の従兄弟たちが沢山遊んでくれたし、祖父母はいつも冬也の世話に追われて母に放置されがちな僕が可哀相だと僕にとにかく甘いし、だから僕は自宅に残される冬也のことなんかひとつも考えずに、小田原で過ごす夏休みを楽しみにしていた筈なのに。もしかしたらあの時の僕は、冬也が僕のいない間に、例えば手術の最中に死んでしまったらどうしようと思っていたのかもしれない。

とにかく僕は祖父母の再三の呼びかけを退けて夏休みは自宅に残り、冬也の手術の当日は母と2人でストレッチャーに乗せられて少し不安そうな顔をしている冬也が沢山の緑色の人たちの待つ手術室に運び込まれるのを見届けてから、事前に7時間程かかると言われた手術が終わるまで手術室前の待合室にずらりと並べられた硬い長椅子に座ったり寝たり、たまに階下のコンビニに行ったりしながらずっと手術室扉が開いて誰かが冬也の無事を告げに来てくれるのを待っていた。それで本来であれば朝9時半に始まって5時頃には終わりますと言われていた冬也の手術が、終了予定の午後5時を越えても終わらなくて、母には『時間超過はよくあることだから』と言われてはいたものの、僕はそれがとにかく心細くて酷く不安だった。広い海にひとりで投げ出されたら、深い森にひとりで迷い込んだら人間はこんな気持ちなるのだろうかと、あの日の7歳の僕は、もしかしたら今日自分の半身を失うのかもしれないという心細さの中にずっとそんな事を考えていた。

それでこれは後から説明を受けたのだけれど、過去に何回か心臓の付近を手術で切っている冬也は、その古傷の為に体内の癒着が酷くてそれに手間取り結局予告していた手術時刻を大幅に超過してしまっていたのだそうだ。でもそんな事はひとつも知らない7歳の僕は、あの時もしかしたら手術室のガラスの扉のそのまた向こうの銀色の扉の中で冬也が息を引き取ってしまっているのじゃないか、もしくは死にかけているのじゃないか、それが心配でたまらなくて夜の7時を過ぎた頃からずっと手術室の扉の前に立ってただ扉が静かに開くのを待っていた。そうしたら9時過ぎだ、深緑のガウンを着た男の人が手術室の扉を開けて出て来て、僕が勢いで口から滑らせたいくつかの乱暴でかつ失礼な言葉に対して

『遅くなってしまってごめんね、本当に申し訳ない、心配しただろうけどお兄ちゃんは無事だよ』

そう言って深々と頭を下げて7歳の子どもの僕に謝罪をした、その人だ。思い出した。その後も、術後の冬也が運び込まれたICUには15歳以下の子供は入れないと言われたので、そこの扉の前で待っていた僕に紙パックのオレンジジュースを買ってくれて、それで冬也の術後の状態を子どもの僕相手に大真面目な顔で

『胸骨を開いた瞬間からとにかく癒着が酷くてね、でも幸いずっとバイタルは安定していてくれたんだよ、それで肺動脈の狭窄を切って開いてそこに自己心膜を継ぎ足す形で拡張したんだけど、そこはちゃんと丁寧に仕上げたし上手くいったからね』

そんな風に、まるで大人にするみたいに、でも極めて優しい言葉遣いで説明をしてくれた人だ。

「思い出しました、覚えてます。オレンジジュースの先生だ」

「うん、君はあれからもう13年経ってもう20歳か、本当に大きくなったね、もう立派な青年だ」

先生はそう言って手を伸ばすと僕の頭を、まるで7歳の子どもにするみたいにしてくしゃくしゃと撫でてから、次に少しだけ眉根を寄せるような表情をして「冬也君の事は残念だったね」と言った。高嶋先生は大学病院を退職する直前に自分が関わった子ども達の膨大な量の資料を整理し、そのついでに過去のカルテを閲覧している時に兄が、7歳の時に執刀した前田冬也が17歳で既に死亡している事実を知ったのだそうだ。

「あの7歳の時の微妙な状態からその後10年も生きて、カルテで見たけれど緊急入院の回数なんかあの手の疾患の子にしては本当に少なかった、とても安定した体調を保っていたんだね。おかげでほとんどの時間を自宅で家族と過ごして支援学校にも高校2年生までちゃんと通っていたって知った時僕はとても嬉しかったよ。きっと僕みたいな、ただ生存に耐えうる為の体を最低限作り上げるだけの人間には想像できないような苦労が日常的に山ほどあったんだろうけど、君を含めた家族に本当に大切にしてもらっていたんだろうな。もちろん冬也君も頑張ったんだろう。冬也君も君も、親御さんも本当に立派だったと思うよ」

そう言ってあらためて僕に優しく微笑んだ。

この高嶋先生にとって一度でも、患児とその家族として関わったことのある人間は生きていても偉いし、死んでしまってもそれはそれで『命を全うした』ってことで偉いんだな。

そうしている間に、屋敷門の奥から

「寒いからとにかく中に入って、ね、冷えると良くないんだから」

そんな風にして高嶋先生と同じ位の年齢の女の人が僕らを呼びに来て、僕らがその間口も大きければ中に入っても全てが広大な屋敷の奥の、温かに薪ストーブが燃えているリビングに通された時、最初に僕の目についたものはいくつもの賞状であるとか、英文で高嶋先生に何かの認定をしましたとか功績を讃えますだとか、これは辛うじて僕の語学力で読み取った範囲のことではあるけれど、そう書かれて額装してある書類と、それから小さな子どもの文字で書かれた手紙と折り紙やなんかの工作、そういうもののいくつも並ぶ古い階段箪笥で、その沢山の高嶋先生の医師としての業績と功績のさらにもうひとつ上の最上段には小さな女の子の写真が何枚も飾られていた。

娘さんかな。

それにしては随分小さな頃のものばかりだな、じゃあお孫さん?僕がそう思ってその子の写真のとりわけ大きく引き伸ばされている一枚の額縁をじっと見つめていたら、僕らに濃い藍色のカップでコーヒーを運んできてくれた高嶋先生の妻である人が、この人も小児科医なのだとこの部屋に通される前、康太の住んでいるあの部屋がそのまますっぽりと入りそうな広大な玄関の三和土の上で靴を脱ぎながらヨルが教えてくれた、とにかくその人が

「娘なの、生きていたら今年で25歳かな」

その子がそれこそ僕が生まれる前に、3歳の誕生日の直前に病気で亡くなっていることを僕に穏やかに、そしてにこやかに教えてくれた。まるで親密な誰かに大切な秘密を打ち明けてくれるみたいにして。その写真の女の子の母親であるその人からは『我が子の死』という容赦の無いものの苦しさや哀しみのようなものはあまり感じられなくて、時間の経過とともにそれだけが研磨されて残されたような優しい空気がだけがあった。哀しいって感情はいつか時間によって洗い流されて綺麗に消えてくれるものなのかもしれないな、僕には、そのあたりがまだよくわからないのだけれど。

それで僕はなんだかとても普通に「かわいいですね」とその人に言って、もう一度よく階段箪笥の一番上段にずらりと飾られている写真をよく見た。そうやって改めてもうこの世のどこにもいない女の子の写真を見てみると、写真の背景にはシリンジポンプや点滴台やレスピレーターなんかが映り込んでいて、そして一緒に写真に写っている今よりうんと若い父親である高嶋先生は白衣を着ていた。

「僕が執刀したんだよ」

高嶋先生は大きな檜の一枚板でできているらしいリビングのテーブルに僕とヨルと真里に向かい合うようにして、それから康太を隣にして座り、一見元気そうではあるけれどよく見るとその手の甲の節であるとかかさかさとしたやや黄色がかった艶のない肌の質感がやはり病人のそれである両手で大きなコーヒーカップを持ちながら、にこにこと、僕にちょっと意外な事を言った。

「執刀…高嶋先生がこの娘さんを手術したってことですか」

「うん、3回切ってねえ、でもダメだったんだ。普通は自分の身内を、とりわけ我が子を親が執刀するなんてまずない事なんだけどね。何の因果か僕の子が僕の専門分野の疾患を持って生まれて来ちゃったんだよ。当時ここの近隣の病院でこの手の疾患を扱えるのはまだ専門医としては全くの若造の僕だけで、それなのに初回のオペの時は緊急っていうか、一刻の猶予も無くてねえ、それに僕らにとっては待望の娘だったもんだからもう何としても救うんだって僕は自分の実力なんか度外視してとにかく頑張ったし、妻だって頑張ってくれたし、周りのスタッフも、何より娘本人が本当によく頑張ってくれたんだけど、結局一度も家に帰してやれなかった。病院の外を散歩して一緒に同じ青空を見上げる事もできなかったんだ。あの時の僕は自分の無能さがもう悔しくてね、それでその後は必死に勉強して娘と同じような子どもを沢山執刀したんだ、あんな思いをよその親御さんにはさせちゃいけないと思って。それでも依里ちゃんの話が突然僕の元に舞い込んできた時は流石に驚いた。とにかくよく似てるんだよ、色々な血管の閉塞具合とかどこの何が無いとか逆にありすぎるとか、殆ど一緒なんだ、双子みたいに。それで僕は今度こそ何があってもこのユリとそっくりな体を持って生まれた子を何とかしてみせるぞって妻に言って、あの時勤めていた金沢の大学の全部を放り出して向こうの病院に飛んで行っちゃったんだよ」

「それで15年、下手するとお正月さえこっちに帰ってこなかったのよね、もしもユリが生きてたら相当嫌われてたわね」

そう言って先生の傍らの、妻の方の高嶋先生は鷹揚に笑って、僕の隣のヨルは肩をすくめた。どうやら康太が言っていた、高嶋先生が殆ど家に帰らなかったと言うあの話は嘘偽りのない真実のようだった。

僕は、ここに来る直前にヨルから高嶋先生の話を聞いた時、そもそも病気とか障害とかそいうものを持って生まれた子どもの暮す家っていうものは、自然に任せれば長期生存は相当に困難である人を病院じゃなくて家の中で生かして育てている訳なのだから、それは例えるなら乗員オーバーで過積載の軽自動車のように、常識で考えれば相当に過負荷であるもので、結果それが家族の人生そのものを思いもしない形に変えてしまう事があるのだと、場合によっては歪ませてしまうものだと、僕はそう思っていたし今もそう思っているのだけど、それに類する事が偶然ヨルの人生に関わる事になった高嶋先生にも起きたのだろうと思っていた。でもそれは少し違うのかもしれない。

ヨルの存在が高嶋先生の人生を変えたんじゃなくて、高嶋先生の存在がヨルの人生を変えたということなのかもしれない。

ヨルがほとんど瀕死の状態で生まれた18年前、病院中の小児科医が束になっても一体どうしたら良いのか皆目見当もつかないと言われたヨルがそのまま静かに命を終えてしまったかもしれない時、ヨルの事を過去の経験と後悔を燃料にして粘り強く諦めずに今日まで生き永らえる体に作り変えたのは高嶋先生で、そのもっと先にいたのは3歳になる前に死んでしまったたったひとりの小さな女の子だって、そういうことなんだ。

こういうのは何て言うのだろう、運命的玉突き?思念の循環?原因の永劫回帰?

人の運命とか人生とかそういうものって本当に一面的には出来ていない、何層もの重なりと突発的事故と、偶発的な何かと、それからそこにある人々の願いとか思惑とかそういうものが複雑に絡まり合って思いもよらない形に出来上がって終いにはひとり歩きしてしまうって、そういうものなのかもしれないな。

僕は、高嶋先生がヨルと出会うことになって、挙句15年も自宅を留守にしていたいきさつを聞いてるわずかな間にそんなことを考えていた。

「その代わり、向こうの関連病院で偉くなることも雇用延長して大学に残る事も全部断わってこっちに戻って来たじゃないか、まあ病気が見つかったせいではあるんだけど、こういうのは一応怪我の功名っていうのかな」

依里ちゃんの20歳を見届けるつもりでいたんだけどね、ちょっと間に合わないかもしれないなあ。だからこうやって来てくれてよかった。これまで散々小さな子ども達を見送って来た自分がその中の1人に見送られる側になれるだなんて、本当に嬉しいことだよ。大丈夫だ、怖くもないし恐ろしくもない。それに18歳は今年の4月から成人ってことになったからな、まあ依里ちゃんの成人には間に合ったってことにしておこう。先生は自分の病気にも命に期限が付いてしまっている事にも、そこにはさほどの哀惜も苦渋もないと言った様子で妻の高嶋先生にとても穏やかな笑顔を向け、妻である方の高嶋先生も穏やかに「そうねえ」と微笑み返していたのだけれど、その2人のやり取りを真里もヨルも康太もとても難しい顔をして聞いていた。とりわけ情がありすぎてそのために色々と仕事に支障をきたすような性格をしている康太はあと一押ししたら泣き出してしまいそうな表情をしていた。そうしたら

「あのね、先生、それなら私は、もうあと2年だけど20歳になれる?それから20歳を更に越えてずっと生きていくと思う?25歳とか30歳とか40歳とか」

そのすこししんとした空気の中でヨルが高嶋先生にそう聞いた時、僕はその突然のヨルの言葉に少し緊張して反射的に両手を膝の上でぎゅっと握った。それはヨルが僕にもよく言っている「人生の延長戦」の期限のことだ。ヨルの中に人工的に、そしてやや無茶振りに作り上げたいろいろな血管の構造であるとか、とりわけ循環がこの先のヨルの体と命いつまで支えられるものか、それが未知数なんだというのはヨル本人から僕も聞いていることだった。ヨルの10年後の未来が運と、何よりもこの先の医学の進歩頼みに近いものであることも。その事をヨルは先生に聞いたのだった。高嶋先生はヨルの突然の言葉に然程驚かずに

「うん、依里ちゃんは僕にそれが聞きたかったんだね。そうだねえ、それは突発事故的なことはいくらでも予想はできるよ、血栓とか肺炎とか心膜炎とかそういうものがさ。今だって君の体はとても微妙な状態で命を保っているんだものな。でも君は自己管理がとてもよく出来ているから、無理さえしなければ直近に何か大きな不具合が起きるとは考えにくいんじゃないかなって僕は…」

そう答えていだのけれど、その高嶋先生の医師らしい優しくて慎重な質問への返答を制するようにして、更にヨルが強い口調で言葉をかぶせた、それには僕も真里も康太も少し驚いた。高嶋先生夫婦は優しい表情のままだったけれど。

「無理をしないでって、例えば夏の暑い日は家にいて、冬の寒い日も家にいて、感染症に死ぬほど注意して、仕事をして自立して自活する事は難しいかもしれなくて、定期的に病院に通って、次に倒れたらまた長期入院になって、それで家族にいつも心配されてって生活がこの先もずっと続くってこと?小児科病棟にしょっちゅう入院して遠足も行けないし運動会も走れませんよって言われてた小さい頃と全然何にも変わらない感じ?そうしたらさ、それは私にとって」

しあわせなことだと思う?

最後の言葉は流石にヨルの喉の奥に飲み込まれて明瞭な音声にはならなかったけれど、僕にはちゃんと聞こえていた。ヨルは、色々の困難を乗り越えてもうじき大人と呼ばれる年齢になるのだけれど、あのコンビニで別れた夏の終わりの夜、本気で死を覚悟して直近の手術に挑んだ日から1年半の今、『好きに生きることにした』とは言っても結局は体調を考えて無理をせず毎日大量に薬を飲んで、外出はたまに大学病院に行く程度であとは家で過ごし、子どもの頃とほとんど何も変わらない生活をしている自分がきっと酷く不安になったのだと思う。

生きている事自体があり得ないと言われた体で突破困難な状況を、それこそ死力を尽くして作り変えて生き延びたら生き延びたでその人にはその後の物語があるんだものな、そこでめでたしめでたしにはならないんだ。

そこが、17歳で死んでしまった僕の兄と生存を勝ち取ってこの先を不安と不具合と共に生きていくヨルとの大きく違う所だ。

高嶋先生は少し泣きそうな表情になっているヨルの顔をじっと見て、それから姿勢を正してヨルにゆっくりとこう言った。

「うん、あのな、依里ちゃん、僕が娘のユリを亡くした23年前は、依里ちゃんみたいな子が仮に生きて生まれてきてもその後を生き延びる術なんかまずないって言われていたんだ。運よく外科的な処置で何とかなったとしても3年かそこらの延命でしかない。若い頃の僕はそれもやむなしって思っていたんだけれどね、自分に娘が生まれて、驚いたことにその子がまさにその『3年生きられたら幸運だ』っていう類の疾患の子で、僕はその時に初めて我が子の命が消えかけているのに何もしてやれない親っていうものがいかに無力で空しくて悔しいものなのかって身に染みて思い知ったんだよ、命は切って分けてやれないし代替えもできないんだって、そんな当たり前のことに愕然とした。それと同時に自分はこれまでなんて親御さんの心情を考えてこなかったんだろうって猛省したんだ。猛省して何とかしてひとり子の命を1年、あと1年と伸ばして生かしていけないかと考えて努力して、それでとうとう大人になるまで生きていける子が、君みたいな子が出て来てくれたんだ。君が最終的には僕が執刀できなかったついこの前の手術を無事に終えたって連絡を貰った時、僕は本当に嬉しかったよ、この子はとうとう成人年齢まで生きる切符を手に入れたんだぞって」

それはわかってくれるかな。高嶋先生が向かい合っているヨルの顔を覗き込むとヨルは小さな子供のようにして2回、うんうんと頷いた。

「あのね先生、私はね、こんな体はイヤだからだったらもっと小さい内に死にたかったとか、生きていたくなかったとかそういう話をしたいんじゃないの、先生の事は大好きだよ、なんかうまく言えないんだけど、ごめんなさい」

「うん、それは先生も分かってるよ、これは僕が最後にちゃんと締めくくりとして、君に答えを見つけるヒント位は残しておくべきことだったんだ、君が言いたいことはちゃんと分かってるよ。これはむしろ僕が君に謝らないといけないことだな、謝って何か具体的に解決方法が見つかるものでもないんだけどね。あのな依里ちゃん、これは完全に僕の落ち度だ。僕はね、まさか自分が生きている間に依里ちゃんみたいに、大人になるまで生き延びてくれる子が沢山出てきてくれるなんて思っていなかったんだ。それで、依里ちゃんみたいなこういう…色々と生活していく上で不便も不足もあるし健康な人とは一線を画すけれど、それでも成人年齢を越えて長い命を一般の、普通の社会の人達の中で生きることになる子が、じゃあ一体どうやって生きていくのが一番幸せなのかなって、それを全然考えてあげていなかったんだよ、それからその子をずっと支えていくだろうご家族の事も、もっと言うと君達を助けるはずの世の中の仕組みのようなことも」

僕は子どもの命を助けることが仕事だからね、そのままでは明日を迎えることのできない子どもの体を切ってとりあえず明日、そのまた次の日、更にその次の日を生きられる身体を作り上げて、そこで完結したってそれは構わない事だったのかもしれないけど、でも僕が切って生かしたからこそ、その子達は普通よりずっと困難で生きづらい未来を生きていく羽目になっちゃったんだもんな。

ごめんな。

先生はヨルに向かって深く頭を垂れて、そしてこの言葉に続けて

「依里ちゃんが何度も死線を越えてここまで自分の命をここまで引っ張って来られたのは、それはもちろん依里ちゃん自身の頑張りによるものなんだけど、でもじゃあどうして僕が、この先どうしたって完全に健康な人間にはなれない、それなりの苦しみも痛みも不自由もずっと伴い続けるまま生きていくって事を解っているのに、それでも依里ちゃんみたいな子ども達を長年切り続けたのかって聞かれたら、僕の考えはひとつなんだよ」

この世界で君達が生き続ける事がしあわせだと思ったからだよ。

先生はそう言った。

「それは君にとっても、ご家族にとってもだ。例えば君が前回の、もしくは前々回の手術の時に死んでしまっていたら、もうその時点でこの先の思い出を紡ぐことはできなくなるんだ、君が病気で生まれて、そこから派生してしまったとんでもなく辛くて歪んだ感情がいくつもそこにあるとしてもだよ、そのせいで家族が諍い会って結果それでそこから離れて行く人間があったとしても、もし君が早晩死んでしまったら次の一手でそれを別の感情や思い出に塗り替える事ができなくなるだろう。君に新しい出会いがあって、それで誰かをうんと好きになったりして、君が持っている今の感情の色々を考え直したり新しい別の感情を知る事だってきっとできないだろう、だから先生は君に出来るだけ長く生きていてほしいなあと思ったんだ。今もそう思ってる。それだけは、僕は君に断言できるよ」

「異議なし」

先生のその言葉の終わりを待って、迷いなく、しかも挙手までして賛成をしたのは、ずっと黙って2人の話を聞いていた真里だった。それは自分の人生が本来なら無い方が良かったに違いない圧力によって歪められて、そのために色々としなくても良い苦労だとか、なんだか複雑でやや粗暴な精神構造を持つに至ってそれでも姉であるヨルを

自分にとってはかけがえのない、大切な双子の姉だ

そう思い続けるのだと、そうでなければ自分の人生は負けなんだという覚悟を持つに至った真里の、かつ今日に至るまで何人もの友人を僕の兄と同じような運命に連れ去られたことを忘れずに想い続けるのだと決めた、未来の小児科医の力のある一票だった。

結局、本当なら山の端に日が傾くまでに高嶋先生の家を出て、金沢の市街地に出る筈だった僕達は、なんだか高嶋先生のを離れがたくなったことと、妻の方の高嶋先生が、ヨルと真里がナオミ先生と呼ぶので僕もそう呼ぶことにしたのだけど、そのナオミ先生が

「いいじゃない、折角だからご飯たべていきなさい、ね?」

と長年臨床を駆けまわっている医師の力強さで断言するのを最初は流石に遠慮していたのだけれど、自分の親よりもやや年上の人の勧めを流石に断ることができず、そしてあとは僕らが少し入り組んでややこしくて複雑でとても大切な話をしていたその直後、リビングと続きの間になっている和室の奥から『にゃあ』と小さな声で啼きながら柔らかなクリーム色の毛玉が出て来たのを見た双子の姉妹が歓声を上げてそこから動かなくなってしまって、それで僕らはそのまま先生の家で夕飯をご馳走になる事になった。

そのクリーム色の毛玉の猫は、丁度高嶋先生がここの家に戻って来た丁度3年前に近所でお腹をすかせてふらふらと迷い歩いているのをナオミ先生が保護したとてもひとなつこい雄猫で、名前は高嶋先生が三日三晩考えてつけてやったのだという。双子は当然何と言う名前なのかと、猫耳の後ろを搔きながら高嶋先生に聞いたのだけれどそれが

「シンゾ―」

と言う名前で、シンゾ―は心臓のことなんだけれど。まあ心臓血管外科医が暮らしている家の飼い猫としてはとても分かりやすい名前だし、そのあたりのセンスについては割と先生とは似通ったものを持っている僕と康太はいいんじゃないのかな、覚えやすいし、と頷いたのだけれど、真里とヨルは

「何それ先生、シンゾ―っておじいさんみたいじゃん」

「三日三晩考えてシンゾ―なの?センスがやや壊滅的。シンゾ―可哀相」

結構辛辣に失礼な言葉を2人同時に高嶋先生に投げかけていた。そんな2人に対して高嶋先生は特に気を悪くしたような様子もなくむしろ笑ってそうかなあと言っていたけれど、元々高嶋先生の部下ではないけれど、先生のことを勤務先では雲の上の存在であって、影も踏めないような存在なんだと尊敬しつつ畏怖していた康太は、ヨルにとっては命を何度も救われた主治医に対して失礼で、真里からすると真里の在籍している大学の教授であった人に対しての物言いじゃないぞと、2人の事を割と本気で叱っていた。

そしてその横の僕はかなり頑張って笑いをかみ殺していた。

高嶋先生は僕らがシンゾ―を巡って騒いでいる間とても楽しそうに笑い、その姿は僕の目にはあまり死期の近づいている人間には見えなかった、強いて言えば肌の色とあとやや痩せて見えるところくらいで、僕には高嶋先生からその不穏なものの空気を嗅ぎ取る事ができなかったのだけれど

「この中で一番包丁を持たせて危なくない子は誰?」

ナオミ先生が、この4人の中で一番料理ができるのは誰かと僕らに聞いた時だ、康太は基本的に料理をしない超絶に不器用な人間で、真里は「おばあちゃんに甘やかされて一切の家事ができない」らしく、同じように育って来たヨルに関しては「私できないけどやりたい」とは言ったのだけれどそこは両方の高嶋先生に

「やめておきなさい、指を切ったら君は止血が大変だから」

服用薬の関係で怪我の出血が止まりにくいのだからと、真里と一緒にシンゾ―のお守り役を言いつけられ、台所では全く役に立たない上に幅も取る康太は玄関から門までの敷石をみっしりと埋めた固い氷のような雪を除けて来てもらえないかとお願いされて外に出て、僕が鍋にするための野菜を切ることになり、それで高嶋先生が

「僕も外科医だから切るのは得意なんだけど、今入れてる薬のせいで手が震えてね、白菜すら執刀できなくなった」

と言って笑った時に、僕はほんの少しだけ、ああこの人はもう彼岸をちゃんと見えるところに捉えていて、静かにその日が来るのを抗わずに待っているんだなと、そう思ったのだった。命の終わりを見つめる事を、それ自体の来る日を受け入れた人の声は、とても静かに穏やかでそして飛び切り優しいものなんだ。

僕は鍋の材料の野菜をいくつか並べ、まな板とボウルを置いてもらったリビングのテーブルの上で「なんか外科医の前で刃物使うのって緊張しますね」と言いながら日本でも屈指の名医であると言われた小児心臓血管外科医の前でさくさくと白菜なんかを切って、そうして高嶋先生に

「器用だね、君はリハビリ科なんだって?オペもできそうだけどな」

なんて言われた時にふと、さっきの高嶋先生の「ひとりの病児の誕生がその家族への強い重圧になってそれでそこに在る人間の人生を変えてしまう」という話を思い出して、それで人生を変えられたかどうかは分からないのだけれど、とにかく一度は酷く歪んでへこんでしまった自分を記憶している人間として、僕の話を聞いてもらえるだろうかと考えた、きっとこの先生は聞いてくれるだろうと思ったのだ。

「あの先生、さっきの先生の話なんですけど、その…ヨルみたいな子どもが生まれてそれで『家族が諍い会って結果それでそこから離れて行く人間があったとしても』って話なんですけど、あの『家族』はあの場所では真里が該当者であったって、そう思うんですけど、でもそれって僕のことでもありますよね、そう考えていいんでしょうか」

僕は白菜の白くて固い所をさくさくと切る包丁の手元から目を離さずにぽつりと話し始め、僕の向かいの先生は座ったまま静かに

「うん、そうだね、あれは君の物語でもあるね」

と答えた。

「その…僕の兄は、先生も知っていると思うんですけど、生まれて1歳になる前には世界から消えてしまうことになるかもしれないって言われていたんです。でもいろいろな幸運があって命を繋いで、結果兄は僕と17年間一緒に育ちました。そのことが僕にとっても幸運な事だったって、僕が今の僕としてあるためには兄という人が必要だったって、兄こそが今の僕を形作るために最も大切なひとりだったんだって20歳になった今は思えるし、そう思っていたいんです。でもそれと同時に、もしかしたら兄がああいう兄でなければ僕ら家族はごく普通の家族としてもう少しまともな状態で持ち堪えて、この先も普通の家族として続いていったのかもしれないって、そうも思うんです」

「そうだろうね、重症の疾患児だとか障害児だとか言われる子を、ひとつの家族が丸抱えするって事は、とても困難で難しいことなんだよな」

高嶋先生は僕の言葉に穏やかに頷いて、それで僕は白菜の白いところを、ナオミ先生が用意してくれた大きなボウルにできるだけ丁寧に入れながら、今度は高嶋先生の顔を見てこう続けた。

「例えば父が不在がちで僕らのことをほぼ母に任せきりでも、その母が心配性で癇性で僕ら兄弟にちょっと…いやかなりかな、とにかく口うるさい母親でも、世間一般ではそういう家って多いのだろうし、それはそれで幸せな事なんだって、僕らの家族は何とか微妙な均衡を保って普通の家族であり続けたのかもしれない、でもそうはならなかったんです。兄を看取った後、僕ら家族にはどうやっても修正のできないひどい歪みが残りました。僕は多分しあわせな子どもではなかったし、母がぼくらを生んだ後の生活はもっと幸せではなかった。父はそこから逃げました、僕はあの人を勝手な人だと思っています。それでその家族の中で、命の終わるその日まで良くも悪くも家族の中心で、だれかが片時も離れずに傍にいなければ生きる事のできなかった兄は、一体幸せであったのか不幸であったのか、僕にはそれが分かりません。聞いたことがないし、聞いても答えられるような状態ではなかったから。先生、兄はしあわせだったんでしょうか」

僕は、つい高嶋先生にヨルのような事を聞いてしまっていた。ヨルとは真逆の立ち位置にある僕もまた、この人の助けた命によって人生を微妙に変容させたひとりだと、それはこの話をしている途中に僕が気づいたことだ。

「僕は、冬也君はしあわせだったと思うよ。何より今、冬也君の弟である君は冬也君を自分の歪みとか不幸とかの元凶であるって決して思わないんだって決めているだろう、そういう感情があるんだって分かって認めて、でもそれを乗り越えて冬也君を恨まないんだって。僕はずっと昔に冬也君によく似た状態の子で、言葉を扱える子を看取った事があるんだけれどねえ、その子は自分が生まれて来たことを家族にすまなかったって思うって言って泣きながら死んでいったんだ、それを今でもよく覚えているんだよ」

だからね、あとに残された君がその結論に至ることができただけでも冬也君はしあわせな子だったんだよ、僕はそう思うよ。高嶋先生はそう言って微笑んだ。

「じゃあ」

「うん?」

「ヨル…あの、依里さんはしあわせだと思いますか、そうなると思いますか。ヨルは、あヨルっていうのはあの子のあだ名です、僕あの、先生の勤めていた大学病院のコンビニでバイトしてるんですけど、そこで本人が最初に夜しか来ない幽霊だって僕に名乗ったのでそのままそう呼んでいるんです。それでその…ヨル本人は今は大人になる未来って言うのを手に入れてとても戸惑っていると思うし、命の期限ていうもの…ですかね、そういうのが普通の人よりずっと短いのかもしれないって事も、それをどう考えるのがいいのかって困惑してるんだって僕は思っているんですけど、そんな条件付きの生存の中でヨルはしあわせになるんでしょうか、そもそもヨルみたいな子のしあわせって何でしょうか、生きていればそれでいいってことじゃないですよね、だってヨルは18歳の女の子で今はちゃんと人間なんだし」

もう幽霊じゃないのだし。そう言うと高嶋先生は僕の顔を座ったまま覗き込むようにして

「あの子は頑張り屋だからな、多少の事があっても自力でしあわせっていうものが何かを掴むと思うよ、ただ色々とままならない身体だからそこがとても大変だし、本人はそれがとても怖いんだと思うんだ、だからさ」

そう言ってから少し悪戯っぽく笑って、こう続けた。

「君が助けてやってあげてくれよ、君は依里ちゃんの友達なんだろう、どういう友達かは、大体いまの話でわかったよ。僕もできるかぎりあの子の今後の事は後任の先生達に頼んだけど、それ以外の所では君が一番の助けになるだろう。それにあの子は確かに命自体が脆くて弱くて実際の社会ではまだ何の力もないけど、きっと君の事を助けてくれとる思うよ、むしろ君にとっての守り刀みたいなモンだよ。何しろ僕が執刀した中で一番強い子だからな、最強だよ。叩かれて叩かれて一等強くなった鋼みたいな子だよ」

僕が一番のヨルの助けになるっていうのは一体どういうことなのか、それを聴き直そうとした時、ヨルと真里がシンゾ―を抱えてこちらにやって来て、先生おなかすいたと、シンゾ―も『オナカスイター』って言ってるよと僕らの間に割って入って来てこの話は終わり、先生はひとことだけ

「たのんだぞ、僕の君への遺言だ」

そう言ったので、真里が先生に

「そうんなこと言いながら先生はあと1年、あと1年て生きてよ、それで結局通算10年とかね。依里だってずっとそうしてきたんだから」

と言って高嶋先生の背中をぽんぽんと叩いた。真里もまたいろいろを乗り越えて来た人間なんだよな、こういうことにとても強い。そういう途轍もなく重たい話をまるで柔らかな薄紙のような軽さで話す真里に先生はそうだなあ、最後まで出来る限りはやってみるよと言って笑い、その日は結局遅くまで鍋を食べながら先生と昔の話をした。康太が先生に睨まれて凄まれて何も言えなくなってロッカールームで1時間泣いていた話とか、ヨルが術後先生を半分覚醒した状態で蹴飛ばして暴れた話とか、あと冬也が意外に乱暴者で入院中に何度も抜くとかなり良くないCVCとか人工呼吸器の管とかその手の物を引き抜こうとするので、先生が片時も傍を離れられなかった話とか。

そうやって先生とは『また会えますよね』『会おうね』と口々にそう言って別れ、僕らは翌日また金沢市内から引き返す時に先生にの家に立ち寄って同じような挨拶をした、また来ますと言って。その時に先生は小さな声でヨルにこう耳打ちをしていて、それを僕は聞き逃さなかった

「依里ちゃん、好きなヤツができたな」

ヨルは先生の言葉に静かに頷いて、それから先生はヨルに更に何かを言っていたけれど、それは僕の耳には届かなかった。そうして僕らは色々な想いを抱えて冷たい根雪の残る金沢から、それぞれの家に戻った。

高嶋先生が亡くなったのはそれから半年後のことだ。



高嶋先生は冬也をしあわせだったと言い、ヨルを自力でしあわせになれる子だと言った。

そのヨルはこの春から大学生になった、と言ってもそれは通信制の大学だからヨルの生活は高校生のあの頃とあまり変わらない。それで以前のように大学病院に通院してはその後は必ず無事に2年生になった僕を探して大学にやってくる。康太はリハビリ科で主任と言う肩書がついて、次の実習では確実に学生を指導することになるらしい。基本的に精神構造が体育会系である康太はその日が来ることをかなり楽しみにしていて、その時実習生になる僕は今それがやや憂鬱だ。真里はあの時付き合っていた3人のうち2人を切り、今は赤い髪の美容師と付き合っている、それは真里が言うには

「聡明な狡猾よりも、無辜の実直を選んだのよ」

ということらしい。僕が「なにそれどういう意味」と聞いたらヨルが

「バカな子ほど可愛いってことじゃない?真里は付き合う男としては結局のところ医者が嫌いだしね、自分は医学生なのに。赤い髪の人ね、ちょっと軽いけど優しくていい人だよ、すごく」

僕にそう教えてくれた。僕とヨルは相変わらずいつも何となく離れずに傍にいる2人だ、僕らはこの先もずっと一緒にいる事になると思う。ヨルは何かあるとすぐに

「私結構そのうち死ぬと思うけど、それでいいの?」

なんて少し不安そうにして言うけど僕はもうそうすることを決めている。

ヨルが何歳までどんな形で生きるとしてもだ。

それが、僕の今の決定事項だ。


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