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1年生日記(6日目)

4月15日

土日を挟んでまた月曜日、日中は少し汗ばむくらいの気候になってきた4月の半ば。

朝の登校班にはちらほらと半袖の男の子に、あれはなんて言う種類の衣類なのか、肩の部分がシースルーとかむき出しになっているタイプのカットソーの女の子(予防接種の時に喜ばれるアレ)がいて、そこだけなんだか初夏の風が吹いているような。

学校がお休みだった土曜日と日曜日、わたしは入学前に想像していた『病弱児・虚弱児学級』と、ウッチャンが今在籍している『病弱児・虚弱児学級』の実態があまりにも乖離していることについて、ずっと考えていた。

そもそも、ウッチャンのために『病弱児・虚弱児学級』を開設してほしいと去年、市の教育委員会の担当者と話し合った就学相談の際、担当者は「現在、最低でも2コマか3コマは支援学級の方で授業を受けなくてはならないことになっています」ということを仰って。わたしはそれを「ということは、1日の半分は支援学級で勉強するということだよね」と理解していた。

それから小学校に支援学級を実際に見学に行った時も、1年生か2年生くらいの子どもらが3人、支援学級で小さな机を並べて算数の授業を受けていたので、やっぱりわたしは「ほうほう、こうして支援学級で勉強する訳だね」と思っていた。

それで、ウッチャンのケア物品では一番大物になる酸素濃縮器を支援学級の方に設置し、普通級にお勉強に行く時はそれを酸素ボンベに替えて対応しようと決めた。わたしの中には、支援学級に在籍しているウッチャンが日の半分かそれ以上の時間を支援学級で過ごすのだと、そういう理解というか未来図があった。

でも、蓋を開けてみればウッチャンは今、在校時間の殆どを普通級で過ごしている。席を外すのは今のところ教室で過ごす間に疲労や倦怠感を感じた時だけ。その時は

『つかれた』

のカードを担任の先生に提示し、支援学級に休憩に行く。

産まれた時から滅法気が強くて言い出したら聞かない上に、趣味で数学の赤チャートを解く高1の兄に『すうじのかきかた』などのプリントを高く掲げ

「あたしもさんすうめっちゃとくいやし」

と大見得を切る負けず嫌いのウッチャンは、親のわたしが驚くほど普通級について行けている。今のところ確定で「暫く別授業にした方がいいですね」ということになっているのは体育だけだ。

すると『在校時間内に酸素ボンベが1本空になる』という問題が発生する。

ウッチャンが小学校で使う携帯用の酸素ボンベの持つ時間は、今ウッチャンの酸素流量が1ℓなので約6時間。

酸素ボンベというものには特に使用制限はないし、切れてしまったら付け替えてあげればいい、医療用酸素は今ウッチャンの大切な命綱であるので、日々服用しているお薬と同じで保険も適応されている。だからこれで費用がかさみすぎて家計が…ということも起こらない。ただその付け替えができるのが、学校に医療者がいなければ、ウッチャンの親であるわたしか、ウッチャン本人のみなのだ。

これは、酸素ボンベの扱いが一応『医療行為』と定義されている故で、わたしはこのために業者さんにかなり無理を言って、つい最近、レギュレーター(替えの酸素ボンベにはめ込む吹き出し口)を普段使っているのとは別にもうひとつ手配してもらった。

レギュレーターを最初から酸素ボンベにはめ込んでおいて、更にそこにカニュラという透明なホースをあらかじめ繋いでおけば、家から持って来た酸素ボンベがカラになった時、ウッチャンは替えの酸素ボンベに繋がれたカニュラを自分でお顔に装着し、あとはレギュレーターのツマミを1ℓに合わせるだけでいい。

と言ってもそれだって、6歳のウッチャンにはまだまだ相当の練習が必要になる。このことを説明したらウッチャンの支援担当の先生は

「これならわたしでも、できそうですけどねえ」

と言ってくださったけれど、万が一なにか事故のあった時や、器具の破損なんかが起きた時、それについて現場の、それも教師の立場にある人が責任を背負うのはウッチャンが産まれてこの方、彼女の人生の大体全部を背負ってきたわたしからすると

(ちょっと、違うんじゃないのか)

と思うというか。

本来的にはその人の仕事ではないことまでを背負って、すなわち現場の力技で無理難題を乗り切るというのは、ウッチャンの実家たる大学病院にも散見される現象で、患児であり児童でもある子の親としては「ありがたいことだなあ」とは思うけれど、でも『頑張るひとり』がいなくなったらたちまち瓦解する世界というのは正解ではないのではと思う、これは自戒も込めて。

先週の5日間、まるで戦場みたいな春の小学校に張り付いていたわたしには、これ以上現場の負担を増やすのは如何なものかとも。

それに現場の管理職とか責任者のような立場にある人が「無理です」と言ってはいても、当事者サイドの粘りで何とかなることもある、だからわたしは粛々とウッチャンの付き添い登校を続けながらも、実のところ一旦「なし」ということになったいろいろを、まだ諦めていない。

大体今回2個目を手に入れたレギュレーターだって、かれこれもう6年のお付き合いになる主治医に頼んだ時に

「酸素濃縮器2台を持ってて、更にレギュレーターふたつくれって言うのは、俺が業者に頼んでもアカンて言われると思う、もしやったらお母さんの方から営業の人に言うてみて?」

と言って渋るようなやや難問だったようなのだけれど(小さな器具なのだけれど結構お高いのだそう)、なんとかなった。それはわたしが

「いるモンは要るんだよ」

いいから出せとオラついて先方を脅した訳ではなくて、もう5年お付き合いになる某医療機器業者の担当者であるすごく気のいいおっちゃんが「相手はは6歳児ですよ、レギュレーター自体を本人が付け替えるのは無茶です」と、上司の方を相手にかなり粘ってくれたのだ。

(世界は一度に変わらないけれど、少しずつなら変えられる)

そう思って迎えた月曜日、この日から給食がスタートした。

と言っても、その前に4時間も授業を受けていればもうクタクタになっているだろうウッチャンは給食の時間は、支援教室に引っ込んでいるつもりでいたし、35人の児童がひしめく教室で酸素ボンベを引っ張りながらの給食当番なんて

「ぜったい、無理」

とわたしは思っていた。

それが『きゅうしょくのおべんきょう』として迎えた4時目、黒板にぺたりと貼り付けられた『お当番』のマグネットに、ウッチャンの名前があって、ウッチャンもウッチャンで張り切って給食当番の白いスモックにパン屋さんみたいな帽子をかぶっている。

「ねえ、お当番なの?」
「うん、クラスの半分がお当番さん」
「は、はんぶん?なんか多くない?」
「だって先生がそう言うたんやもん」

驚いたことに、1年生はクラスの半分が『お当番』をやるそうで、1年生が自ら給食を給食室に取りに行き、自分達でそれを配膳するらしい。それってつい3月まで幼稚園児とか保育園児だった子にできる芸当なのかとわたしは心配になったけれど、まるで白ピクミンのような小さき人たちは、先生の号令で廊下に2列に並び、先生に付き添われてコッペパンの入った箱、お皿の入ったカゴ、牛乳、それからおかずやスープの入った銀色のバケツをふたりひと組でよちよちと運んできた、たまに

「おっと」

となって、ひとりが躓き、おかずのバケツが傾いたりすると、廊下が待機場所であるわたしもつい手が出そうになる。しかしどうやらこのよちよち歩きの白ピクミンたちのために、校内で手の空いている先生方が総当たりで面倒を見ることになっているらしい、結構な人数の教職員が1年生のクラスの廊下に集まっていた。

「ハイ!しっかり持ちましょう!」

子ども達を引率する校長先生、教頭先生、それから支援担当の先生が皆1年生のクラスに集まって、おかずやスープをひとつひとつお皿によそい、白ピクミンもとい給食お当番さんは、それをせっせとお友達のお席に運ぶ。その姿はただ尊く、ただ可愛い。

(まさに白ピクミン…)

多分あのとき世界で3つの指にはいる可愛いらしさの人類たちと一緒にお当番をまかされたウッチャンのこの日のお仕事は、配膳用のテーブルをピカピカに拭いておくことだった。これはきっとクラス担任の先生が

(おかずや食器を運ぶのは、酸素ボンベに片手を塞がれているウッチャンには難しいけれど、なにかできることを)

と考えてくれたのだと思う。子ども達がいっぱいでどうしても狭くなる通路で、ウッチャンが移動しやすいようにと、同じ給食当番をしているお友達が

「どいてあげて、どいてー」

と、酸素ボンベのある分、動きのとりにくいウッチャンのために交通整理をしてくれているのも嬉しかった。無理だと思っていても、できることはある。

「いっしょに手、洗いにいこー」
「うん、いこー」

ウッチャンはこの日、クラスのひとりの子から声をかけて貰い、小さな声でお喋りをしながら手を洗いに行き、給食だって残さずとはいかなかったけれど、8割方を時間内に食べ切った。

そんなウッチャンを見て、わたしは5月の連休明けに教育委員会ともう一度話し合いをしたい旨を申し入れようと決めた。

伝えたいことはひとつだけ。

『看護師配置なしという就学条件を見直してほしい』


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