見出し画像

Queen Angio 3

『子どもだから分からない』

 そう思っているのは大人だけで、自分が子どもであった頃を思い返せば、これは私が大変に生意気な子どもであったからなのかもしれないけれど、結構小さなころから大人が大人同士で話す色々を「わたしはこどもですので」という涼しい顔で知らないふりをしつつ実のところはそれをしっかりと聞いて、割にちゃんと理解していた。

 それだから、という訳でもないけれど自分の子どもが検査だとか手術だとかの前にちゃんとそのための時間を設けて

「明日はね、まずは浣腸があって…ウン、これが一番イヤやんな、それでその後お着換えをして、それから、検査の前に痛いのがなくなるお注射をしてから、白い扉のお部屋に行きます」

 とても丁寧に、自分が受ける手術であるとか検査は一体どういうもので、そこに到着するまでにどういう工程があるのか、貴方が「怖いなあ」と思うのは何か、実際のところそれはこういうことで、ではそれの緩和のために次の楽しみを見つけておこうよ、そういうことをテキストやイラストを使って子ども自身が説明を受けることのできる現在の小児医療の現場をとてもよいなあと思う。

 4歳の入院している病院の小児科病棟には看護師さんや医師やリハビリ科の人々…そういう医療職の人達とはまた別に、子ども達の年齢と発達に合わせて治療や手術処置についての説明をし、それらを理解してもらった上で「受けます」と子ども本人から許諾を得ることを専門の職務にしているスタッフがいる。子ども達から『先生』と呼ばれて親しまれているその人が着任したのは今年の春からのこと。いよいよ知恵とモノゴゴロついて、いろいろが分かってきてしまった患児の母はとても助かっている。

「いやでもやんなきゃダメなのッ!」

と言って処置室や手術室に小さな子どもの腕を無理やり引っ張って連れてゆく時代はずっと前に終焉を迎えた過去のことらしい。どんなに説明をうけても間際になると怖気づいて泣いてしまう子は当然多いけれど、それでも

「なんかようわからんことをするのに、知らん大人がたくさんおる妙に明るく白銀色に光る部屋に放り込まれてとても怖かったし、痛かったし、辛かった」

という状況と

「肺に生えてしまったこまかな血管をそのままにしておくと、もう少し大きくなったあと、苦しくなってきてしまうねん、せやから体の小さないまのうちに肺にコイルというのを詰めて無くしておく、行くのはいつもの血管造影室ね、黄色いカートに乗ってみんなで行こうね」

柔らかに優しい言葉でそれの概要だけでも説明してもらっている状況とでは「痛いしあとが苦しいし(今回の処置では造影剤と麻酔の影響で吐くことが多い)、とにかくイヤなモンはイヤや」というキモチは同じでも、何かがすこし違うように思うし、治療を受けるのは子ども本人なのだから正確な理解や承服はともかく誠実な説明は必要だ。ひとつも事情を知らないままにどこか知らない場所に連れてゆかれて体を切られたり、血を抜かれたり、金属を埋められたりするなんて大人でも嫌だ。それって完全にキャトルミューティレーション(宇宙人に攫われた気の毒な牛や馬が色々されるSF的なアレ)やないの。

 4歳はこの子どもの為の専門職員である優しいN先生のお話しを、いつも困ったような恥ずかしいような顔をして聞く。今回は「ちゃんといろいろがこなせたらひとつずつあげるね」と言われたご褒美のきらきらと光る夏の名残のシーグラスのような石を3つ貰い、大事そうにちいさなペットボトルに仕舞っていた。

 しかし今回3度目になるコイル塞栓術の親へのインフォームド・コンセント(処置前の説明)は

「先生、麻酔と鎮静ってなに使います?」
「エート、ミダとケタとアタPと~」
「吐きます?」
「吐く。あとコイルやから発熱もすると思う」
「えー」
「大丈夫、俺、当日そのまま当直やから」

ほしたらまあ当日!

3分で終わった。病児の世界のある部分はとても緻密に丁寧に形作られていて、また別の部分はやや雑にほぼ慣れでできている。麻酔、鎮静、造影剤、そういうものを使用する処置や検査をするとその後だいたい4歳は吐くし発熱するけれど、まあそのへんはお母さんも慣れてるやんな、コイル塞栓した後6時間はそのまま固定板に固定していつもの絶対安静やから頑張って。

「まかしとけ」

とは言いたくないけれども私もかれこれ血管造影室、アンギオに4歳を見送り続けて10回超、大体の所要時間がどのくらいで、その後の安静時にはどういうことがおこるのか、そういうことにすっかり慣れ親しんでしまった。そんなこと別にひとつも望んでいないというのに。

 4歳の方も十数回目のアンギオとあって、当日の朝は朝イチ一番の恐怖、浣腸で8年目のベテランで4歳を生後2ヶ月の頃から知る看護師のムラタさん(仮名)を自慢の脚で強かに蹴っ飛ばすなどして(ごめん)ひと暴れしてからいつもの病衣に着替え、看護師さん2人と母親たる私を引き連れて階下の血管造影室へ、途中までの道のりは私と手を繋いで、『STAFFONLY』の表示されたCCU(冠疾患集中治療室)のから向こうには、じゃあ看護師さんがママの代わりにお手々を繋ごうかというのを

「いい、じぶんであるく」

ママじゃあねえと自分の足ですたすたと歩いて入室した。そのあとを追うようにして静かに閉じて行く扉、重厚な鉄の自動扉の隙間からは先に入室して患児のお越しを待っていた主治医が「オッ!4歳ちゃん元気か?」と言うのに「オハヨウゴザイマスッ!オネガイシマスッ!」と教えたとおりに挨拶をしている声が聞こえた。4歳は病気とか常に帯同する重い医療機器があるとかその特殊な成育環境のためなのか発達のいろいろが人よりややゆっくりで、ひらがなはまだぜんぜん読めないし、走るとすぐコケるし、実は未だにオムツも外れていないけれど、我が子ながらキモが太いというか、そこだけが妙に成熟しているというか、とにかく大したタマだと思う。

 病気を背負って生まれた子どもは、普通なら確実にイヤだろう辛いだろうことを説明されて承服して乗り越えているうちに、ある部分が途轍もなくそして性急に大人になってしまうものなのかもしれない。

 すべてを乗り越えるべきは誰あろう本人なのだから致し方ないのだけれど、勝手を百も承知で言えば「そんなに急がないで」とも言いたい。

 そうして、朝9時30分に血管造影室に見送った4歳の帰還を病棟で動物園のシロクマみたいにウロウロしながら待つこと3時間。

「ママ!下から連絡ありました、お迎えに行きましょう」

担当看護師さんが呼びに来てくれた。

(ああよかった今回も無事に戻って来た)

そう安堵しながら階下にお迎えに行き、黄色の小児用ストレッチャーに鎮静をガッツリと効かされて半目で眠る娘を看護師さん2人、循環器チームのドクター3人の大変に豪華な顔ぶれで送られてきた4歳は病室のベッドによいしょと寝かされて、そうして主治医から聞かされた今回の所見というのが

「予定の処置が全くできなかった」

というもので、何ですかそれは、一体どういうことですかと当然、聞くと

「コラテ(collateral flow/副側血行路)が肺の奥に細くらせん状に生えてしまっていてどいう方法をとっても、どのカテーテルに変えても詰められへんかった」

無理をすれば詰め込めたかもしれないけれど、それでコイルが全く違う場所に爆ぜて留置されるとかその手の事故が起きたら元も子もないので今回は引いたのだということだった。でもそうなると1年半前に受けた手術の最終仕上げである『循環の対処療法的補助として人工的にあけた心臓の小さな穴(fenestration )、を閉じることがかなわないし、そうすると酸素飽和度は目標値よりも低い現在のまま、結果もう足掛け3年超使い続けている酸素ともお別れできない。

 かと言って、仮にもしこの血管のあるまま強引に穴を閉じてしまっても

「コラテの生え続けるような肺のままでは循環が確立しない」

とのこと。それだと最後の手術のひとつ前の循環状態と変わらへんし、下手をすると本当にひとつ前のグレン循環にテイクダウン、いっこ前の『まだ工事途中です』という形の循環にわざわざ外科手術をして戻す羽目になる可能性すらあるのだから「それはでけへん」と仰る。肺に細かな血管が生え続けているのは肺高血圧の症状であるのらしい。先生、私それぜんぜん聞いてないです。

 でもね、しかしそんな難しい処置であるのなら

「それやったら仮にね、今4歳はこんなに元気なんやし、今んとこはもうこれでええわって事で、コラテも穴も暫く放置ってことにするのではあかんのですか、酸素を使い続けながらの生活はあと数年、私も娘も許容しますってことでは」

 私は、そんな危ない橋を何度も渡るのならここは一旦守りに入るということでしばらく保留ということではどうかと主治医に聞いたのだけれど、それだと

「アカンと思う、コラテは時間が経てば酸素を求めてドンドン生えるし、体のちっちゃい今は良くても将来的なとこではなあ」

はやい話が予後不良を更に不良にする、4歳の寿命の問題になってしまうとのこと。なんですかその未知の宇宙生物に体が乗っ取られましてさあ大変て、SF映画みたいな話は。

 これまで、私は同じお部屋の、同じ病棟の、4歳とはまた違う病気や先天疾患で入院しているお友達のママが「一度入れたシャントが盛大にずれてて再手術やねん」だとか「好中球の数が全然改善しなくて退院見送りなの…」とかそういう一度やったことが水泡に帰す、もしくは足踏みをして少しも前に進めないのだという辛い話をしてくれた時の、落ち込んだ青白い顔を言葉をたくさん見てきたけれど、そしてそのたびに私もそれは気の毒なことやなあと

「それは辛いですねえ」

なんて言ってきたけれど、治療の足踏みって、そして準備に準備を重ねてトライしたことが完全に当てが外れてかすりもせずに終わるって、本当に辛いことなのだなあ。私もめんどくさくて辛い思いをした当人も、確実にやばそうなことに苦心惨憺トライしてくれたドクターも、1年半前の4歳の(当時は3歳の)術後の激闘を共に乗り越えてくれた看護師さん達も

「…まだ終わらへんのかい」

静かにやや沈痛に通夜葬式のごとく一瞬、落ち込んでしまった。けれど落ち込んでいるうちにまた宇宙生物・コラテは生えゆくのであって我々ニンゲンは次の一手を打たなくてはならない。主治医は別の方向からどう手を打てるか関係各所、それこそ国内最大級の循環器医療専門病院の先生とも相談するしと言ってくれているし、とにかく詳しい続きは次の外来で、ということになった。

 アンギオの女王の退位はもうすこし後になる模様。

 小児医療は、特に心臓関係は状態の重篤さで測ると上にはとにかく上がいるし、文字通り切った張ったの世界(と私は思ってる)なので現在ピンピンしていて元気に幼稚園に通えているような子のことでは医療者側はそこまでいちいち落ち込んだりしないものだ、多少ややこしくても次の一手はまだ打てる、だいたいこの業界には

『落ち込んでいいのはもう打つ手のないとき 泣いていいのは死んだとき』

という鉄の掟がある。うそ、今、私が作った。まだ大丈夫、何しろ4歳はカルテ上では「エッ、ナニコレ超大変やないの」と初見の看護師さんがびびる程の病態と治療歴であるのに実物に会うと「この子が?ねえカルテ間違ってない?」と思うほど元気な子なのだし

「思うに心臓以外は超頑健なんよ、あたしは4歳ちゃんが移行期医療(小児科を卒業して成人医療に移行する時期)に入るまで見届けるから!」

とは退院の前日、いろいろを気にしてわざわざ病室に顔を見に来てくれた馴染みの小児病棟の看護師さんが言ってくれた言葉。

4歳ちゃんに越えられなかった山はないのよ。

私もそう思う。

サポートありがとうございます。頂いたサポートは今後の創作のために使わせていただきます。文学フリマに出るのが夢です!