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クリスマスのこと。

クリスマスの時期が近づくと私はいつも思うことがある。

マリア様は偉かった。

クリスマス。聖書の中では、救い主イエス・キリストのお生まれになったという今から2020年前のその日、イエスの母であるマリアとその婚約者であるヨセフはの皇帝アウグストゥスの勅命による人口調査のために元々の居住地であるナザレから、出身地であるベツレヘムに向かって徒歩で移動している最中だった。現在のイスラエルの北部に位置するナザレから現在のパレスチナにあるベツレヘムは直線距離にして約100km。そしてその時のマリア様を当時の初婚年齢から推測すると多分14歳から16歳程度。

中学生やないか。

そして何より、この時、マリア様は妊婦だったと言うのだからもうどうしたらいいのですか主よ。仮に私の推論通りこの時のマリア様が14歳だったとして、それはうちの真ん中の娘の5つ上、息子とは3歳差、そしてその2人の母の私は今42歳なので、14歳の女の子なんて余裕で私の娘の範疇ですね。

そんなまだ世の中の右も左も分からない14歳の女の子から、突然妊娠したなどという事実を聞かされれば大抵の母親は白目を剥く。そして父親は言えないけれど絶対産むからと言われたらもう卒倒する。更に諸事情のために100km徒歩で移動すると言われたら絶対に泣いて止める。

大体このマリア様の妊娠の経緯だって、ある日突然大天使ガブリエルがマリア様のもとにやって来て

『おめでとうございます、貴方が選ばれました。つきましては妊娠します。そしてそれは救い主です。安心してお産みなさい』

と言ったという、DMだったらスパムだなというもので、仮にもしその当選者が私なら、過去妊娠3回のその最中を毎度結構なつわりで苦しんだ身の上、絶対こう言ってしまうと思う。

「え、結構です」

しかもこの時のマリア様はかなり年若い未婚の女性というか女の子、貞操観念が2020年の今とは比較にならない位保守的だった当時の未婚女性が突然妊娠して、そのお腹の子を産みますなどと言ったらどんな目に遭うのか、そんなこと当時の資料を読まなくても分かる。石打ち、村八分、親から勘当。

それを思うと、この『イエスの誕生物語』の中であまり出番のない、当時の婚約者で後の夫、救い主の養父ヨセフも偉かった。だって一度は婚約者の、自分には身に覚えの無い妊娠に戸惑い、婚約破棄を考えたものの、最終的には婚約者であるマリアを信じて「体を大切にして、産んで大事に育てよう」と言ってこの乙女の手を優しく取ったのだから。そういう意味ではこのイエスの誕生物語の中ではかなり地味な役どころだけれど、私はこの優しくて誠実な彼、ヨセフがとても好きだ。いい男だと思う。お人よしとは言ってない。

この時の長距離移動の理由である人口調査は聖書には『皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよと勅命が出た』と記されていて、それは住民登録台帳を作りたいという理由によるもの。私なら必要書類を郵送してください王よ返送します。そう思うけれど何しろ王こそが法であるかの地。そして日本郵便のEMSもない当時。仕方ないので民は徒歩とかロバとかそういうのんびりとした速度で国中を大移動した。大人も子供も、そして臨月近い妊婦も。

でも臨月の妊婦を日がな一日過剰な長距離歩かせるとどうなるか、胎児は段々と下に下がり、お腹の表面は硬く張り、場合によっては早晩産まれてしまう。だから妊娠中の旅行は計画的に慎重を期してくださいというかむしろやめろと産科医の先生方もこれまで散々仰っていると言うのに、アウグストゥスお前ときたら。

そして、推定臨月、大体37週目前後のお腹を抱えての長距離徒歩移動の当然の結果として、旅の途中で産気づいたマリア様は、その国を挙げてのお祭り騒ぎの大移動の中、宿の手配も間に合わないままその辺の馬小屋で男児を出産する。この時のマリア様が初産だという事を考えると、3経の経産婦としてはもう涙を禁じ得ない。もっと清潔な分娩室を、医者を、助産師を。それなのに人生の大一番、出産という大仕事を終えて我が子を胸に抱いたマリア様の元に詰めかけたのは、

『救い主、生まれました』

その一報を、天使のお告げや星の瞬きによって知らされた羊飼いの皆さん、そして東方の三博士。

言い換えれば他人。

これ、結構経産婦にはしんどい。産んで直ぐ、もしくは数日後、産後の体の回復の為に安静にしつつも、慣れない育児に悪戦苦闘していて体調も気持ちも落ち着かないところに突然の親戚の知人程度の関係の人達が大挙押し寄せての『赤ちゃん見せて』。

この時キレ散らかしてピジョンの『母乳実感』を投げつけなかったマリア様は本当に偉いと思う。私なら多分投げるし暴れる。数多のNICUで御用達になっているガラス製のアレを。

「帰れ」。

でもそうして、推定14歳のマリア様は一児の母になった。

『おめでとう恵まれた方。主があなたと共におられる』




マリア様が一児の母になってから2020年目のクリスマスの頃、私と我が家の、その時はもう3歳になっている心臓疾患児である末の娘は多分入院している。通算何回目の入院なのかはもう忘れた。

何事も無ければクリスマスイブまで。

何かあったらクリスマスの当日以降も。

それは10月の末、来年に実施される心臓の手術の下準備の為に左肺にある細かな血管を詰める処理が実施された時、左を詰めるだけでも結構時間がかかってしまって。それ以上は患児の負担になるからという理由から

「右肺はまた今度」

そう言われたその『また今度』の処置の為の入院期間が、丁度クリスマスの時期になったからだ。年中とにかく忙しそうに働いていて「盆?暮れ?正月?クリスマス?何やそれは食えるんか」と思っているに違いないと私が勝手に思っていた小児循環器医の先生が

「あ、これクリスマスイブに被るけど、いい?」

と聞いてくれたのがとても印象的だったその日程。そうは言っても、日程を後ろにずらすと次が年明けになってしまって予定の手術がどんどん遠のくし、かと言ってこれは急遽実施することになった処置なので、それ以上前の日程は取れない。相当な高等技術である小児の心カテ、心臓カテーテルが出来るのは院内で多分この主治医のみで予定は常に満員御礼。だからこれは否応なし。致し方なし。丁度その入院日程の中に予定されていた幼稚園のプレ保育のクリスマス会は当然お休みになり、私は娘に事前にそのことを告知していなくて本当に良かったと思った。だって絶対に暴れるから

「イキタカッタノニ―!」

多分、床にひっくり返って大回転。これをやられると非常に長い上に、肺循環が少し特殊な子なのでチアノーゼを起こしてしまう。とても体に悪い。更に言うと命が危ない。

思えばこの娘は初めてのクリスマスも病院だった。0歳児の時の娘のクリスマスはNICUのコットの中。その時は、まだ全く退院の目処のついていなかった0歳の赤ん坊にクリスマスプレゼントと言っても、ベビー服はNICUで用意された白い肌着を着ているし、点滴の為に両手をぐるぐる巻きにされていてはオモチャを寄越されても触る事が出来ない。仕方なく、せめてもの気持ちでNICUで使用していたのと同じフィリップスのおしゃぶりを買って渡した。そしてそれを頑なに拒否された。

かなしい。

そして今、病児とその親として早3年、いついかなるイベントに入院や手術が被ろうと

「了解しました、では確実に当日病棟に患児をお届けします」

という気持ちでその日程を受け入れる事ができるけれど、街全体が赤と緑と金色に染まり、どこからかクリスマスソングの聞こえるこの時期の入院は少し寂しい、かもしれない。本人もだんだんと季節の行事を把握し始めているし、何より、クリスマスとはケーキとプレゼントの日であると認識して既に楽しみにしてしまっているのがまた、ややこしい。

そして今年のクリスマスの時期は世の中でどのくらいの数の子ども達が病院の中で過ごすのだろう。可哀相という表現は嫌いなので使わない、でも彼らは少し寂しいと思っているかもしれない、ちょっと理不尽だと思っているかもしれない。

それは2020年前のあの日、マリア様だって思ったのかもしれないと、私は思う。

「なんか無作為に選ばれて子ども産む羽目になったけど、なんで馬小屋なん」

だって推定14歳だし。

特に望まないのに、無作為に選ばれて、そして家庭ではない場所で、ほんの少し寂しい気持ちでクリスマスを迎える子ども達にも、マリア様の元に黄金と没薬と乳香を持参した東方の三博士が来てくれるといいなと思う。要は何かとてもいい事が、とても楽しい事が。

来年からは必ずお家でクリスマスを過ごせるようになるとか。

その次の年も、次の年も。

個人的には、マリア様も偉かったけれど、私は長く病院に暮らす子ども達はもっとすごいし、もっと偉いと思っている。

『おめでとう恵まれた方。主があなたと共におられる』


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