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ヘルプマークと娘。

うちの3歳の末娘は、普段の酸素飽和度が大体75から80%程度しかない。

このパンデミックの渦中でちょっと有名になった『酸素飽和度』という言葉。これは人の体の中の血液中に酸素がどの程度含まれているのかを占めす数値で、きちんと体内で循環が成立し、肺が機能している健康な人間であれば大体96~100%のこの数値が、うちの末娘は著しく低い。普通の健康な人間がこの数値を叩き出している場合、ドクターから言わせると

「普通、立って歩いたりは出来ない」

というものらしいけれど、ウチの末娘はこの数値で歩くし跳ねるし短い距離なら走る。

どうしてそんな事が可能なのか、それは末娘が先天性の心臓疾患児だからだ。体が生まれて今日までずっと低酸素状態のまま成長しているので体がそれに順応してしまっている。

勿論、直ぐに息切れしてしまうので、無理が効く訳ではないけれど。

そしてこの数値は医療用の酸素を使用していてもこの数値でしかない。末娘は今自宅で24時間医療用の酸素を使用して暮らし、外出時も携帯用の酸素ボンベを親が携えて出かけている。

これが結構重い。

だから、娘が自力で歩くようになってからは、リュックサックの形になった専用のケースに携帯用のボンベを放り込みそれを私が背負って外出するようになった。背負う方がまだ親は動きが取れる、末娘は疾患の割に動きがとても俊敏だから。

そして、そのリュックの端から出ている透明のホースが末娘の鼻先にぴったりと装着されているカニュラと呼ばれる酸素の吹き出し口に装着されている様子は、遠目で見ると我が子に紐をつけて歩いている親だとそう見える事がある。

この一本の細いひも状の何かで繋がれている母子は、末娘の歩みがとても確かで力強くあることも手伝って、傍目にとても奇異に見えることがあるらしい。

「ちょっとアンタ、この子、紐ついてるけど?」

「オイ、犬の散歩か?」

『それなあに?』と、そう聞いてくれる人はまだいい方で、困るのはこちらがふざけているんだとか、極端に迷子を恐れるあまり我が子を本気で紐で括っている過保護すぎる親だと指さして嗤ってくる場合で、往来で知らない人に笑われるというのは流石に気分が良くないし、何より末娘は病気のせいで遅れがちな運動や情緒の発達の中で、言葉だけはぶっち切りの発達を遂げている子なので、小さいながら大人に何を言われているのか分かっている。

大人に指さして嗤われて傷つかない子はいない。いやむしろ、末娘はこの小心者の私が39週胎内で育てたというのに何処をどうしたらそうなったのか、とても誇り高く言い換えると不愉快と理不尽を感じた時に一切の躊躇なく激高するという恐ろしい性格をしているので

「ウルサイナッ!」

自身を犬かと言った見ず知らずのおじいさんにブチ切れて言葉もたどたどしいながら相手を怒鳴ったりする。だから私はそういう勘違いがあった場合はあまり相手を迎合しない表情で、つまりチベットスナギツネのあの表情を真剣に模して

「医療用酸素です、心臓疾患なんです、別におかしくありません」

そう言うようにしている、娘を守りたい、いつもそう思って。

そして、この他人から奇異な親子だと思われてしまう理由が、末娘が病気に見えない位元気だという事ともうひとつ、医療用酸素の会社の方が貸してくださっているリュックサックが一見普通のデイバッグでしかないデザインで、それがあまり医療物品を入れて運んでいるように見えないからではないか、そう思い至った私は、リュックサックにヘルプマークを付ける事を思いついた。

あの赤地に白い十字が抜いてあるデザインの手のひらサイズのタグ、それを市役所の福祉課でひとつ貰って来て、その裏にこの末娘の病名全部、計7つと現在の循環状態を書いたシールをぺたりと貼り付け、リュックサックに括りつけた。

『この子は、色々理由があってこのリュックサックとホースで繋がれています、別にふざけている訳ではありません』

私のそんな主張が周囲の人に通じるかどうかは分からないが、とにかく赤いタグを酸素ボンベ用のリュックにしっかりと括りつけて外出するようにした。

そうしたらすぐ、ひとつ困った事が起きた。

「ここ座りなさい、ね?」

ある日突然知らない人にバスで椅子を譲られられた。公共の施設や病院で私が親切な方が、そんな小さい子を抱っこして立ったままで大丈夫なの、と座席を譲られるようになってしまった。

親の私の方が。

末娘はちょっと外に出ると外出が嬉しくて楽しくて座ってなんかいてくれない、その傍らの母はなんだか重たそうなリュックを背負っている上に、この末娘の求めに応じ、散々末娘を抱いたり降ろしたりして疲労困憊の顔をしている。そして私が背負うリュックサックのヘルプマーク。

私自身が病気の体で幼児を世話しているちょっと大変な人だと勘違いされてしまい、周囲の人の親切にあずかる事になってしまった。

とてもありがたい事だけれど、それはそれで困る。

それで、末娘が3つになった時、小さなリュックサックを持たせることにた。

その昔、と言ってもこの人が生まれた3年前、先天疾患持ちでこの先どうなるか分からない末娘の誕生を周りの人にはあまり積極的に伝えていなかったのだけれど、事情を知っていた夫の上司である人が

「でもめでたい事には変わりないんやから、俺は祝うで」

と言って贈ってくれた、こども服のブランドの小さなデニム地のリュックサック。

それにヘルプマークを付けて末娘自身に背負わせることにしたのだ。リュックの中身は末娘の最近一番のお気に入りのドキンちゃんとコキンちゃんの小さなぬいぐるみ。

私はこれを思いついた時、ただ単に子ども用のリュックにヘルプマークをつけて歩かせる、それだけの事だと、そういう平坦な事柄を実践するだけだと思って特に何も考えずに

「娘ちゃん、これつけて歩いてみな、何かあったら助けてもらえるヤツだよ」

そう言って、末娘に自らヘルプマークをつけたリュックサックを背負って貰った。本人もずっと壁にかけて飾ってあったリュックサックを背負った姿が可愛い、カッコイイと家族にほめそやされれば、悪い気はしないらしい、ヘルプマークつきのリュックサックを背負って大学病院の定期外来に出かけてくれた。

大学病院はコロナ禍の今、この末娘の数少ないお出かけ先だ。大好きな先生とお話しをして、コンビニでアンパンマンのチョコレートを特別にひとつ買って貰って帰る楽しい場所。

その場所で、嬉しそうに頭をぴょこぴょこ上下させて歩くヘルプマークを付けた末娘は、総合受付ですれ違った上品なおばあちゃんに

「まあ、可哀相ねえ…」

そう言われた。その時、おばあちゃんは末娘の背中を見ていた。ヘルプマークがそう言わせたのが末娘の背後を歩いていた私には分かった。確かにこんな小さな子どもが自身の病気か障害をあの印で公言して歩くという事は、大人の憐憫を誘う物なのかもしれない。

私もこの末娘の存在がなければ、こんな小さな子どもの病気と障害をただただ可哀相だと、そう思ったと思う。だからその「可哀相」に対して別に腹が立ったとかそう言う事はなくて

この子が立って歩いて、小ぶりながら自分の荷物を自力で運べるようになり、そこにヘルプマークをつけて歩くと言うのは、自分の体の事情を自分で背負って歩いているということになるんだなと、そう思った。気づいたというべきかもしれない。

それは、これまで全部私が抱えていると思っていたものだ。

『ウチの子は病気なんです、だから色々とご面倒をおかけしますがどうぞよろしくお願いします』

でもこの人にはもう直ぐ、人生で3度目の大きな手術がある。

それが無事終わり、あの酸素飽和度80%以下の循環を90%を少し超える位まで、普通の人とほぼ近い形にまでもってこられたら、この酸素を24時間装着した生活もいよいよ終わり。心臓疾患であることは生涯変わらないけれど、幼稚園に入り、普通の子と一緒に小学校に通い、普通の人と同じ場所で生きるようになる。と、思っているしそれをずっと望んで今日まで来た。

でもそうなると、今度はこれまで

「ただ生きてさえいてくれたら」

という姿勢でいたものを

「自立を目指して、先を生きて行く」

そういう姿勢に切り替えないといけない、そういう事は最近になってやっと気が付いた。それまではもうそれどころじゃなかったからだ、だって本当に極端に言うとついこの前まで

『死ななきゃなんでもいい』

と思っていた、正直な所。

でもこの先、そう遠くない将来この人は自分で自分の病気を背負って生きて行く、その一歩目がリュックサックのヘルプマークだ。それを思った時ちょっと泣きそうになった、42歳の母親は涙腺が緩い。

えらいものを背負わせてしまったという、もう今更思っても仕様の無い自責の念と、それでも自力で歩いて自力で荷物を運び、可哀相という大人からの憐憫を

「アリガトー」

という笑顔で返す末娘の頼もしい姿と。

今日も、末娘はヘルプマークをつけてお散歩に出かける。中身はぬいぐるみと小さなお菓子。この人が1人で出掛けられるようになればもっと色々な事があるだろう、何しろ傍目には本当に健康そうに見える人だから。

でも、あの赤いマークを健康そうな見た目でつけて歩く事でどうしても出てくるだろう色々な人の色々な言葉に全て「ウルサイナッ!」か「アリガトー」そんな言葉で答えられる強い人でいて欲しい。

出来たら、この先もずっと。


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