サンタにラーメンを奢られた話
30歳で母になったので、30代から以後、今日までクリスマスといえば子ども達のものだ。
とは言え、この10年絶妙に歳の差を開けて自給自足で幼児を家庭に供給し続けている我が家ではクリスマスツリーを設置すれば途端にオーナメントは剥ぎ取られ、もみの木は葉が毟られそして、本体に登頂を試みる奴が絶対現れるので飾ってはいない。
というか飾ってはいけない。
クリスマスツリーを目の前にした幼児、アイツらは猫。
毎年卓上用の小さなツリーと、陶器のサンタクロース、それから聖家族の置物を狭い自宅の飾り棚に置き、子ども達の好物の献立を作る。
大体唐揚げを山盛り揚げておけば間違い無い。
はずが今年は『きのう何食べた?』にハマっている息子が
「俺はラザニアが食べたい」
という果てしなく面倒臭い注文をつけてきた。
『きのう何食べた』は青年誌に連載している『弁護士のシロさんが恋人の美容師ケンジと暮らしてひたすら飯を作って食って一緒に穏やかに老いていく』という日常淡々系の漫画で
因みにシロさんは毎回出張先で旨いものを食べ歩く『孤独のグルメ』のゴローさんとは特に何の関係も無い、あと私は松重豊が好きだ。
ゲイのカップルが淡々と暮らし食べる様を普通に『美味しいものが沢山出てくる料理漫画』として小学生が読むのがまた新時代というか、そのシロさんが毎年クリスマスに恋人のケンジに作っていたのが件のラザニア。
皆知っているだろうか、ラザニアのあのでっかい板ガムみたいなシート状のパスタを茹でる時、一枚一枚がめっちゃくっついて果てしなく面倒臭い事を。
あの弁護士は余計な事ウチの息子に教えた。
今、現在進行形でお母さん超頑張ってる。
あと娘①が「フルーツサンド作ってね」と言っていたような気がする。
あれも面倒だ、切り口を綺麗にするためのフルーツの配置にいつも失敗するアレ。あと今イチゴが高騰しているからもう中身バナナとかで良い?と聞いたらものすごく不満そうな声で
「え〜...いいけどぉ...」
と言われたので買いに行かなくてはならない。
面倒臭い。
でもお母さんちょっとスーパー行ってくるわ。
30歳で始まったこの『子ども達の、子ども達による、子ども達のためのクリスマス』は、現在最終ランナーの娘②が2歳なので向こう10年は続く。
お母さん頑張る。
◆クリスマスは何をする日なの
じゃあ、子どもがいない頃のクリスマス、私は一体何をしていたのか。
答:仕事。
勤め人だった頃は、何しろ学習塾業界に籍を置いていたので、クリスマス時期、それは冬季講習・世は戦国。
ジングルベルだケーキだプレゼントだと浮かれているヤツには
「この冬を舐めてかかると死ぬ」
『八甲田山・死の行軍』みたいな事を叫んでいた。
ような気がする。
かの業界、最もかき入れ時で達成予算が大きく組まれるのは夏季講習時期だったけれど、クリスマス時期と正月を挟む冬季講習期は、受験が間近に迫っていることもあって現場の空気は緊張感がいきすぎてもう殺伐としていて
その上繁忙過多でよく乗るはずの終電が無慈悲にも行ってしまい仕方なく職場の床にダンボールを引いて寝たりしていたので
「クリスマス?」
「...何だっけ?」
「食えるやつ..?」
宇宙人に連れ去られ、キャトルミューティレーションとかいうアレ、イヤ私生きてるけど、記憶を抜かれた人位、仕事の他は何も覚えていない。
なので鮮明に覚えているのは、もう少し時間を遡って、学生時代のクリスマス。
とは言っても、彼氏にティファニーの何某を貰った訳でも、友達とケンタッキーを買ってきてパーティをした訳でも無く沢口靖子のリッツパーティにも招いてもらえなかった。
というか彼氏も友達も沢口靖子もあまり手持ちがなかった。
で、ひたすらバイトをしていた。
会社員時代と変わらんやんけ。
◆クリスマスかつてのそれは働く日
『クリスマスディナーショー』というものをご存知だろうか。
新高輪プリンスで松田聖子さんが5万円とかのアレ。
ファン層の年齢が若干高めの大御所クラスの歌手やタレントさんのショーと、ホテルのディナーがセットになっている年末恒例のホテルのプランで、さっき新高輪とは言ってみたけど、大きなシティホテルなら大体何処でもやっている冬のホテルの風物詩。
私は学生時代、学生とは表向きの顔で、裏では数多のホテルのバンケットを渡り歩いては、皿を運んだり皿を運んだり皿を運んだりする宴会場のバイトのひとだったので
今でもレープレート(下皿)と、シルバー(カトラリー)とナフキンを用意して頂ければ美しくフルコースのテーブルセットを組むことが出来る。
しかしそれも手掴み食べ期の娘②が我が家の食卓を支配している今、特に役に立たない技能になってしまった。
大学4回生のその年のクリスマスは、特に現金が入用で、大学の授業が終わったのに暮れも正月も帰省はせず、ひたすらそんなディナーショーにシフトを入れまくり皿を運ぶことにしていた。
その年の秋学期、大学院への進学を決めていた私は、来年度の初年度プラス前期納入金が必要だった。
でも、それ、お高いんでしょ?
それが奥様!あの当時で、63万とあとは端数は忘れてしまったけれどその位!
安いのか高いのか
就職もしないで何の役に立つのかも不明な文系大学院に勝手に進学を決め、人生モラトリアムを決め込んだ私は、そうお金が余っているとも言い難い実家に「金を出せ」と言うのは相手が身内と言えどもソフトなカツアゲのような気がして
100万を超えないなら何とかして自分で払えるかも
この小学生並みのどんぶり勘定感覚も手伝って、ひたすらバイトに精を出していた。
2000年代の初頭、この国の景気は既に冷え込んでいたが、そこは観光都市の巨大ホテル、仕事は結構あった。
そしてホテル宴会場のバイトの主力である学生がどんどん帰省するこの時期、現場に残された私の周りの学生バイトの人々と言えば
『貧乏なモラトリアム学生の私』
『留年確定。悲劇の理工学部生』
『京大6回生(大学院生に非ず)』
『就職未決の大学4回生』
という、華やかなライト光量過多のディナーショーにできた濃い目の影みたいなメンバーだった。
昼、レセプションに使われた会場を、夜ディナーセットに変えて、終了後は全撤去
そして件のディナーショー。
ディナー自体はほぼ1時間で料理を出し切り、極力皿を下げ、裏で次の日の朝食会場の準備
普通の宴席では料理のサーブは2時間のところが、1時間となると、ちょっとした短距離走で、宴会場の裏、バックヤードはサービス員が本気で走り回っていた。
これを連日こなすと、元々若干うらぶれた若者達である所の私たちは
「前菜、スープ、魚、肉、デザートて、纏めて一皿で食うたらあかんのかい」
「もうお子様ランチにしようや」
「あ〜あの皿下げたい...はよ食べてぇ〜」
「私の卓、めっちゃええ着物の人ばっかりで赤ワイン行くの怖すぎる、全員スウェットで来て...」
普段の1.5倍くらい文句ばっかり垂れるようになり、ショーが終わり、会場撤去、明日の為の会場セッティングになる頃には、皆段々重力に逆らう力も無くして、全員身体が傾いでいて
パトラッシュ、僕もう疲れたよ...
そう呟き、従業員休憩室に倒れ込みたかったが、そこにはもうこのクリスマスにホテル中のパンやケーキを焼きまくったホテルの製菓部門、ベーカーさん達の墓と化していた。
言葉も無く、タバコのヤニとコーヒーのシミで煮詰めたような、かつてはベージュカラーだった茶色いソファや、もう毛足の無い程、擦り切れた絨毯の床にコックコートのまま半目で横たわる若者の死体の山を見て私達は思ったものだった
名誉の戦死を遂げた者たちよ
皆、安らかに眠りたまへ。
いや死んでないし。
そして、そんなコックさん達の死体の山を見た私達、前述の貧乏人と留年理工学部と京大6回生と多分就職浪人予定の4回生は
「なんか食べて帰ろう..」
「せやな、朝から何も食べてへん」
「ベーカーさん可哀想やな..」
「安らかに...成仏してください」
死屍累々と床に横たわる若いコックコートの一団に、最敬礼をし
死んでないから
私達は表側はそれはそれは豪華なホテルを従業員通用口から後にした。
その年の京都の冬は結構寒くて
というか冬といえば重たい雪とそこから来る湿気のずっしりとした寒さに慣れ親しんでいた北陸出身の私は、未だに関西のこのパリッと乾燥した寒さになれる事が出来ない。
その時、何となく一緒に居た私以外のあの3人も、京都の気候にも、学生生活の主流にも何かついて行けていない下宿組の地方出身者で
「寒い...」
「いろんな意味で寒い..」
「寒いけど、鴨川今めっちゃ人いそうカップルとか」
「9時やで〜?おるな!寒いけど!」
寒い寒いを連呼した。
そしてこの寒空の下、鴨川に規則正しく等間隔で並んでいるであろうクリスマスのカップルの冷えを思い、誰からともなく
「ラーメン食べて帰ろうや」
という話になった。
出来るだけクリスマスから遠い飯を食べたい。
チキンなんか食ってやるもんか。
ケーキも運びすぎて見飽きた。
ところで言い忘れたが、この勇ましい4人は全員女だ。
◆繁華街には背を向けて
京都の洛中にはパン屋とラーメン屋が多い。
私調べ。
そして私はラーメンがとても好きだ。
お陰で、学生の頃はイオンのプライベートブランドの5個入り198円(当時)のラーメンばかり食べていた。
あの頃私にとってイオンは神だった。
多分あの日一緒に居た彼女たちも、そう変わらない食生活を送っていたに違いない。
私達は、何処行こうかと少し思案した後、取り敢えずクリスマスの喧騒の渦中の河原町界隈は絶対やめようねと言い合い、繁華街に背を向け少し歩いた丸太町の
「ココ!美味しいから!間違いないから!」
みんなの姐さんみたいな京大6年生がアツく推した店、名前は忘れてしまったけど、に入ってラーメン(並)を頼んで
「明日朝食サービス入ってる人〜」
姐さんが聞くと
「はい〜」
全員手を挙げ
「ウッソ、皆んな入ってんの?」
「や、だって私ら帰省しませんやん」
「ほかにする事無いんかいな」
「無い」
若い娘が4人揃って凄い不毛な会話をした。
理工学部留年ちゃんは
「だって家に帰ったらもう『不良債権娘』として親に何を言われるか..」
そう項垂れて力なく割り箸を割り、其れを上手く割りそこね、アンシンメトリーな箸を作っていた。
就職浪人ちゃんは
「そんなんアタシもっとやばい奴やで...金返せって言われてるし」
親から就職未決なら学費の返金要求が来たと、乾いた笑いを漏らした。
「じゃあ進学が決まってるきなこちゃんが一番まともやん、まあ人文哲学系に進んで将来何するかはアレやけど」
「言うてはならんことを言いましたね..姐さんなんか来年確実に7回生ですやんか..」
ラーメンは、京都風のすごく美味しいものだったけれど、会話が大変にしょっぱくて、私達は互いのちょっとアレな境遇をやけくそ気味に笑った。
聖夜なのに。
◆サンタが店にやって来た
そんな私たちの席に
突然
「お姉さん達、ハイ!」
頼んでいないビール中瓶が二本とグラスが人数分運ばれてきた。
いきなりの展開に面食らって
「頼んでませんよ」
4人の声が被ったが、ラーメン屋の元気なお兄さんは
「あっちのお父さんから!お姉さん達にって!」
カウンターに居た見ず知らずの、シルバーアッシュというか白髪で、夜更けのラーメン屋に居るには幾分品の良いおじさんを指さした。
おじさんは、多分ちょっとその辺でひっかけて来て少し酔っているのか、ご機嫌で私たちに
「お嬢さん達さ、なんか大変そうやけど」
「若いって良いことだよ、何でも出来るし、元気だして!」
ヒラヒラと手を振り、じゃあねぇと言ってお会計を済ませて店を出て行った。
私たちは恐縮してそのおじさんの後ろ姿にぺこぺこ頭を下げたが、もう抜栓されてるしね、貰っちゃったしねと言ってビールを注いで、即飲んだ。
発泡酒じゃないビールうまいね!と言って。
そして、あのおじさん全員が未成年じゃなくて、下戸でも無いってどうして分かったんやろか...と笑い合ったが、未成年では無い件は、このくたびれ切って世俗の垢に汚れまくった顔面を見れば大体わかるやろというのが全員一致の意見だったが
全然キラキラしてない大体22歳達よ。
更に驚いたのは、食べ終わって
「お会計、別々で」
会計を済まそうと思った私たちに、レジのお兄さんが
「さっきのお父さんが払って行ったよ!」
そう告げた事だ。
これには流石に全員、本気で驚愕して
「えええ?いいんですかね?」
「と言うか、あの人誰ですか?」
「この中の誰かの大学の先生なのでは..」
「あんな品のいい教授はウチには..」
何だったんだろう、そんなに私らが可哀想に見えたんやろうか、それとも新手のナンパか?こんなくたびれたボロ雑巾みたいな私たちを?などと考えてはみたものの、店の外にそのおじさんの姿は無く
「サンタや」
「サンタやな」
「サンタさん単位を下さい」
「お金でもいいです」
ビールの酔いも手伝って、寒空の下4人でゲラゲラ笑い、そしてみんなで下宿のある北に向かって帰った。
ラーメンを奢られてもバスに乗らないところがとても貧乏学生。
「サンタがラーメンを奢ってくれた。」
これはその後暫く、それぞれが
7年生を回避して外国へ旅立ったり
ギリギリで地元企業に滑り込んだり
未履修単位を取るためにバイトをやめたり
同じバイト先から居なくなる次の春までよく話題に登った。
「サンタまた来ないかなー」
と。
◆さいごに
あれから約20年経って、あの上品なおじさんの
「若いっていい事だよ」
「何でもできるしさ」
あの言葉の意味は、今まさに身にしみてわかるようになった。
特に今、10歳をカシラに2歳児まで3人の子を抱えて暮らしていると
夜中にふらりとラーメンを食べに行くとか、そんな事は夢のまた夢だ。
夜9時には2歳児と眠る毎日だし。
もし、無理を通して憧れのラーメンを食べに行けたとしても次の日胃もたれで死ぬ羽目になる。
若いっていい事だ。
若いって素晴らしいよ。
その時は自分の未熟さとか非力さとかがもう嫌になるし、将来は不安だし、この国の未来もどうなんと政治についてまで思いを馳せて、この先の見通しの立たなさに泣けて来るけれど。
これまでで一番楽しかったというか笑ったクリスマスの思い出は、コレだと思う。
言い切ってしまうと、どんなしょぼくれた人生やってんと突っ込みが入りそうだけれど
まあその通りなんだから仕方ない。
そして、昨日一昨日とクリスマスとクリスマスイブ
「バイトしてたわ」
とか
「ファミチキ食べてゲームしてましたが何か?」
とか
「予備校だった..受験とか死ね」
と言う一人で、もしくは友達とちょっとうらぶれたような寂しいような気持ちで過ごしていた若い貴方
それが10年後、20年後意外と一番戻りたくて楽しい思い出になるかもしれないよ。
と、おばちゃんはここに言い切っておきたい。
ビールは奢りません。
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