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夏が終わらなければと思ってた。

夏休みって半分まできたのでしょうか、今日が8月6日でうちの子ども達の夏休みの最後の日は8月24日ですから、ざっくり半分は越えたのだと考えてよいのですか。

私にもかつて中学生だった時代があり、その頃、田舎のとりわけのんびりとした土地のしかし巨大な公立中学校に通っていた私は夏休みの終わる日のくることをとても恐れていました。

当時の私と言えば、妙に過剰な自意識を持つ、遠くで人が笑えば自分が嗤われているのかもしれないと訝るとても面倒くさい14歳でした。別に田舎の何のとりえも特徴もない女子中学生なんて特に誰が注目するものでもない存在であるのに、いつも人の目を気にしてそのくせ大言壮語、自分を大きく強く見せたがる癖があり、それはまだ脆弱な自我しか持たない、すべてに自信のない14歳の私の癖みたいなものだったのですが、それが同級生の鼻についたのでしょう、ちょっと意地悪をされた時期がありました。

大人になった今では、そこまで大したことじゃないと思えるそれも、14歳の、学校か家にしか座席のない年頃には世界が瓦解して消えてしまうような大事件でした。

私はいま子どもが3人あるもので、その子らの授業参観に行くとか、PTAとか、そういう用事で学校に足を向けることも多いのですけれど、その時はまるで首のちくちくとする着心地の悪い服を着せられているように居心地が悪くて、教卓の前で張り切って作文を読んでいる娘を見ているのに

「はよ返りたい」

と思ってしまうのは、そういう体験というのか経緯があるからだと思っています。

それなのにそんな母親に育てられている現在13歳で中学2年生の息子は、まあのびのびと中学生活を謳歌していて、夏休みがとても退屈なのだそう。今日も遠くの空の積乱雲を眺めながら

「はよ学校はじまらへんかなー」

などと言います。のびやかに健全、大変結構です。

でも、あの14歳の頃に世界を一度すべて諦めるような、達観するようなどこか取り残されて時折いじめられて独りぼっちだった時代のある元・子どもには彼らだけの世界があって、それはそれでまあそれでいいのじゃないかなとも思うのです。言葉を綴るとか絵を描くとかそういう生業の人間はあまり子ども時代が健全であると、それができないような気がするもので。

そういう子どものお話です。5000文字はショートショートであると言い切ります(だって星新一文学賞の応募規定が1万字以内だったから)夏休みの後半、絶対真似してはいけないし、「死にたい」とは「生きたい」と同義だったりするのだよというお話です。

ひまわりの夢

それは通学路の細い坂道の脇に植えられた向日葵がトラのバターみたいに溶けてしまいそうに暑い日のことで 8月生まれの私は丁度14歳になったところだったのだけど、それ以外のことがそれは自分自身ことであるのに何ひとつわからなかった。

「なにしてんの?」

「何って…学校にいかなくちゃ」

「いま夏休みだよ」

坂道を上り切った場所で、夏の太陽にそのまま溶けてしまいそうな金色の髪の男の子が私にそう言ってくれなかったら、私は人影のまばらな夏休みの学校に登校するところだった。私はもうずっと高い場所に登って、容赦ない日差しを注ぐ太陽の熱と恥ずかしさで背中にしっとりとを汗をかきながら金髪のその子に御礼を言った

「ありがとう、帰る」

あたし勘違いしてたみたい。

そう言ったのだけれど、金髪の男の子は私の顔をじいっと、まるで生まれて初めて人間を見た仔猫みたいな顔で凝視してから、更にこう言った。

「帰るって?どこに?」

「どこって…」

だってこの坂道を上がりきったこの先が学校でしょ、そして振り返って下りたところはうちのマンションがあるところの筈で、ほらあの大きな川のすぐそばの白い建物、そう思って振り返り、マンションのある坂の下を指さそうとしたらそこはぽっかりと深い暗い穴のような空間になっていて、何も存在してなかった、なにもだ。

「何これ…火事?地震?ゴジラが来たとか?」

「覚えてないの?きみそれになんか切れてない、ここ」

金髪はとんとんと私の左手首を指さしたので私は白いシャツをくるくるとめくった。長袖のシャツを着ている私の腕には無数の細い切り傷があって、それの一番下にある傷はひときわ新しくて濃くて赤い。怪我かな、怪我にしてはこの傷は随分と規則的で手首のからひじ関節の内側のところまで等間隔にある、なんだか物差しで測ったみたいだ。

「今の君は身体ってモンがないんだよ、身体がないとこれまでとは世界が変わって見えるみたい、でもすごく自由だよ、行こうよ」

「自由って、身体がないって、それって一体どういうこと」

「あったものが見えなくなって、見えないものが見えて、それから君はどこにでも行けるってことだよ、だからさ、行こうよ」

金髪が私の袖を優しく引くもので私はそのまま一緒に坂道の先をぽこぽこと歩き、辿り着いた先には学校があった。家は消えてるのに学校はあるのか。そう思ってすっかり錆びてところどころ水色のペンキの禿げてしまっている校門の鉄柵を眺めていたら、私はさっきまでばらばらのパッチワークキルトのようになっていた記憶、私のアタマの中にある情報の断片をちくちくとつなぎ合わせるようにして色々なことを段々と思い出した。全部嫌なことばかりだ、別に思い出したくなかったのに。

きっかけは何だったのだろう、よくわからない。

ある時から突然、クラスのみんなが私の机の前を通る時に必ず机の脚を蹴るようになって、それから私の地理の教科書とアルトリコーダーが中庭の花壇の中に捨ててあって、友達だと思っていた子が誰も友達じゃなくなって、お小遣いで買ったニューバランスのスニーカーが靴箱からこつぜんと姿を消して、あの日はああそうだ、部活のない水曜日で私は職員室のスリッパでぺたぺた歩いて家に帰ったんだ。それから後ろの席の子達は私にだけ聞こえる声でブスとかキモいとか、そういうことを言うようになった、「死ね」とか。

小さな学校のもっと小さな2年1組の、ひとりひとりにとってはほんの些細な愉楽的娯楽的悪意は私の体の中に微量の毒を含む澱のようにしずかに溜まり、だからと言って私はそれを誰かに相談することも、嫌だからやめてと言うこともできないまま、それは体内に溜まり続けた。

14歳の私の世界というのは学校のごく狭い教室の宇宙の中だけで、そこで自分は世界のほぼ全員に嫌われてバカにされて嗤われているんですけど何とかしてくださいなんて、恥ずかしくてそれを大人に伝えることなんか、私には出来なかった、出来るわけない。

それに大人の惑星に私の言葉なんて正確に届くのだろうか。

そう思っていたら知らない間に私の左腕にはこまかい切り傷が増えてゆき、それを夏休みの前のある日、あの「死ね」を言うことの絶妙に上手い子に見られてしまったのだ。

「なにこれキモ、死のうとしてんの?ウケる」

アタマに来たし哀しかった、哀しかったしアタマに来た。私はウケなんか狙ってない真剣なのに。それで夏休みがやってきてから決意して学校に忍び込み、いつもよりこころもち深く思い切りよく左手の付け根のところを切った。そうしたら思いのほか血がぽたぽたと流れてきて私はびっくりして、気が動転したら今度は世界が暗転したんだ。それじゃあ今ここにいる私は何?幽霊とか?

「ねえ、あたし死んじゃったの?」

「多分ね」

金髪は私の放った言葉にこれ以上ないくらい軽く答えてくれた、でも仮に私が死んでいるのならさ

「じゃああんたも死んでるってこと?あたしが見えてるなら」

「多分ね。僕もよくわかんないけど。僕はほら、ひとりでつまんないから誰かいないかなって人を探してたら、君が向日葵の坂道を駆けてきたから、同類だって思って嬉しくてさ」

そういうと更に金髪は「こっちに君の体あるよ、さっき見つけた」なんて楽しそうに言って私を引っ張っていった、既に肉体というものから解放されているらしい私と金髪の体はとても軽くて、学校の灰色の階段を上る時にひとつも重力を感じなかった、へえ死ぬってこういう感じなんだ。いやそうじゃなくて、「君の体があるよ」って。

「それって死体ってこと?」

そう言いかけた時に金髪は理科室の扉をからりと開けて、果たしてそこには私の体が血だまりのなかに倒れていた。当然私は悲鳴をあげた。あげたけれど幽霊の私の声は生者には届かないらしい。真夏の校庭には野球部の掛け声が元気すぎる程元気に響いていたし、廊下には人の歩く衣擦れの音が微かにしていたけれど、誰も私の悲鳴に気がつかないみたいだった。

「…死んじゃってるのかな」

「…死んじゃってるのかもね。僕も何回か起こそうと思って試したけどさ、この体は現実世界のモノには触れないみたいなんだよね、スカッて通り抜けちゃうんだ、自分の体が3Dホログラムみたいになっててさ、スターウォーズみたいに」

「じゃあ、あたしはこのまま死ぬのかな…」

「死にたかったんじゃないの?」

「ちがうよ」

これは手首をうっかり深くざっくりといった瞬間に初めて気が付いたことだけれど、あたしは本当は死にたくなかったのだ。自分の生きている世界がどうしようもなくひび割れていて窒息しそうに息苦しくてそれで手首を切ったんだ、それは生きるために、生きるために切ったのに。

私は泣いた、人前でわんわん泣くのなんかどれくらいぶりだろう、死んじゃうんだ、いやだなあ。せめて、せめてさあ、あたしがみんなに無視されたり、机をわざと蹴っ飛ばされたりお気に入りの靴を隠されたりしてしんどかったしスゴイ哀しかったんだよって誰かに分かって欲しかった、あれ全部死にたくなる程嫌だったんだって。

私が幼稚園児みたいに泣くもので金髪はちょっと困惑したらしい、こんなことを言った。

「ごめんね、僕は何にもできないんだけどさ、僕がこうなってすぐの頃、知らないおじさんがさ、白いスーツの変なおじさんだったんだけど、その人が言ってたんだ、僕らはこうやってふわふわ彷徨ってジョーブツできないままでも何年かこの状態で頑張ったら次の何かに生まれ変われるんだって、だから僕らには次の…来世があるよ」

『来世があるよ』ってなんかすごい斬新な慰め方、私は涙が少しだけ引っ込んで、それでも嗚咽を漏らしながら金髪に聞いた

「それって、何年くらい?」

「さあ…?100年ぐらいとか?」

「それってちょっと長すぎない?でもさあ、それで何かに生まれ変わるとして、あんたは何かに生まれ変わりたいの?」

私が突然涙を引っ込めてそんなことを言うから金髪は驚いたようだった、金髪は理科室の四角い椅子に座って少し考えてから

「猫がいいな、日向にいつも寝てる猫。もう1回人間をやれって言われたらやってもいいけど、その時は、マクドナルドでファンタ飲んで誰かと喋ったりする…そうだなあ、友達が欲しい、パピコを半分こできる友達」

「あんた、友達もいなくて、マックに行ったことなくてパピコの半分こもしたことないの?何で?」

「よく覚えてないけど、なんか妙に白い場所にずうっといた気がする、友達も…あんまいなかったのかもね、誰のことも覚えてない」

「ふうん、あたしは生まれ変わるならきれいな赤い石がいいな、人間はもういいよ、疲れちゃった」

「でも、ホントは死にたくなかったんだろ」

「まあね。だからもし…人間をもう1回やれって言われたら、もう少しましな人間になりたい、いじめられたりしない人間」

「マックに友達と行くとか?」

「そうだね、そうなったらあんたと行こうかな、100年後もマクドナルドってあるかな」

私たちは既に死体であるらしい私の肉体の転がっている理科室で少し笑って、それからそう言えばお互いの名前を知らないねと、私は金髪に名前を尋ねた。あたしは瑠璃の「璃」と子どもの「子」で璃子って言うの、あんたは?

「ワタル」

それで私が「ワタルはどういう漢字のワタル?さんずいに歩く?」と聞いた時、理科室に溢れていた夏の午後の眩い光が突然消えて暗転し、私は物凄い力で遠くに引っ張られた。その強い力で引っ張られる瞬間のほんの数秒の間、遠くで知らない男の人の声がした。

(魂が中空を彷徨う曖昧な時間に互いの名前を呼び合うことができた者は本来にある場所に戻ることができるんだよ、よかったね、アンタ達は間に合ったんだ、戻りなさい、お母さんが待ってる)

その人は、白い服を着ていた。

それがワタルの言っていた『変なおじさん』と同じ人だったかは、私にはちょっとわからない。



あとから聞いた話だけれど、あの日、グラウンドにいた野球部の何人かが理科室にふたつ人影が見えると言い出し、それじゃあと理科室を覗きに行ったのだそうだ。彼らはドロボウか不審者かとにかく怪しい何かが理科室に蠢いているのを捕まえようと、勇猛な若者として理科室に乗り込んだ、そこで血だまりの中の私を見つけたのだった。

それは向日葵もしおれるほど暑い真夏の午後のことで、私は出血も酷かったけれど、高温の室内でひどい脱水を起こしていて、意識障害そのほか、体に起きた諸々のダメージを回復するのに夏を越えて秋まで自宅近くの病院に入院することになった。大体目覚めたのが、重体で重病の人間ばかりの集められている集中治療室だったのだから、むべなるかな。

死にかけた後の体というものは酷くだるくて重たいもので、それだけは幽霊だった時の軽快さが懐かしかった。それでも始業式の後もしばらくの間学校を休むことができたことで気持ちはとても楽だったし、担任と学年主任は私が発見されてすぐ母のもとに慌ててやって来たらしい、クラスのことは彼らが何とかするそうだ。期待はしてない、でもあれ以上悪化はしないだろうと思う、あの子達の言う「ちょっとしたからかい」の対象だった同級生に死なれたらあの子達だって流石に寝覚めが悪いだろうし、内申にも響く。

目が覚めた時、お母さんはびっくりするくらい泣いていた。

これだけはとても悪い事をしてしまったなって思っている。うちにはお母さんしかいない、お母さんは「私がもっと気を付けてあげていたら」と言ってずっと自分を責めているみたいだった、私はお母さんをこんな形で傷つけたくなかったのに、ごめんね、やり方を間違えたんだ。

ワタルの名前の字は『航』だった。

それが分かったのは、集中治療室から一般病棟に、小児病棟に移った時のこと、私の病室の向かいの部屋に航がいたのだ。最初、ちらりと個室の中を覗いた時は全然気が付かなかった、だって航には髪の毛がなかったから。それだから航と目があって互いを認識して、最初に聞いたのは「あれは何だったの?」でも「生きてたんだ!」でもなくて

「なんで金髪じゃないの?」

だった。あんた毛はどうしたのよ。

「抜けたんだ。金髪は多分あれだよ、僕の希望と心象風景が髪の色になってたんだよきっと」

航は病気で髪の毛が抜けてしまってここ数年ずっと毛が無いのだそうだ、よく見たら睫毛も眉毛もなかった、体もずっと倦怠感が取れないのらしい。それで内面的に

「ぐれてた」

のだそうだ。あの時、私と向日葵の坂道で出会った時の航は一番容態が悪くて、ほぼ死にかけの状態だった。私と航は身体からするりと抜けた実体のない何かになってこの周辺をふわふわと彷徨い、それでたまたま出会ったのだ。説明はつかないけれどとにかく私たちはそういうことにしようと病棟のソファに座って話し合った。私たちは全く同じことを、理科室の椅子の四角いこととか、私の倒れていた場所が教室の教壇の上だったとか、真夏の午後の風が教室の中に入り込んで白いカーテンをふんわりと揺らしたこととか、全く同じ記憶を共有していたのだから、そう結論づけるしかなかったのだ。

「僕はこのままあと半年か…1年は病院なんだ、イヤだけどね」

「ふうん、あたしはもう少し元気になったら学校に戻るの、イヤだけどね」

私たちは陽だまりの猫ときれいな赤い石になることをそれぞれ100年後の夢として、とりあえず半年後か1年後に病院のすぐ近くのマクドナルドで会う約束をした。パピコも半分こしよう。

夏の終わり、私はまた人間として曖昧に生きていくことを決めたのだった。

今度は航とふたりで。


さて、長く関西に暮す私がマクドナルドをマックと書いたのは実は人生で初めてのことでした。日本中の夏の終わりを恐れる子どもたちに、どうか秋の穏やかな風が吹きますように。


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