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世界が何かで溢れる日に

このツイートの詳細を書きました。ここで失礼をぶっこいたのはどちらかというと私の方という話。

1世界が自分で溢れる日に

「世界は妊婦で溢れている」

そう思ったのは11年前、息子を妊娠して人生初の妊婦になった時。

少子高齢化が叫ばれて久しい昨今、そんな訳あるか視力検査に行ってこい自分と思ったが、人は妊娠したとかそういう人生のステージが激変した時、突然自分の周りの同じ立場の人がものすごく目に着くようになる。

だから、乳児を連れて歩くようになると突然自分の界隈がエルゴにすっぽり収納された乳児がママやパパに抱えられて闊歩する様に溢れ

幼児のよちよち歩きを中腰になって追いかけるようになった頃には、周囲に同じお付きのばあやじいやもといママとパパを連れた数多の幼児が歩き回るようになる。

年中酸素ボンベを携えて過ごす医療的ケア児、ウチの末娘・娘②(2歳2か月)を連れて歩いている今、流石にこれは絶対数が少ないので、あまり巷ではそんなにはお見かけしないが、私はそんな希少価値のある娘②の同輩とその親御さんの姿を、両眼0・07強度の近眼ながら、スカウターでもつけてんのかあのサイヤ人が持ってたヤツ位に100m先でも確実に捉える事が出来る。

つまりは、人間、立ち位置が変わると、昨日まで見えていた世界が、全然違う風景に見える事があるという事だ。

そして私の戦闘能力は53万です。

言いたかっただけです。

2娘梱包(超邪魔)

雨のそぼ降る土曜の午後、その日私は疲れていた。

間近に迫った自宅の引っ越しに、もういい加減観念して8割方私個人の蔵書に溢れて何ならその周辺にもうず高く積まれた、通称『お母さんのカッパドキア』その本棚周辺を下ろして崩してパンダ柄の段ボールに梱包しなくてはならないのに、ダンボールを組み立てて底を十字貼りにしたのを床に置いたが最後

「ハコ!ハッコ!」

2歳児が飛んでくる。ウチの末娘が。

パンダのマークの引っ越し用ダンボール(サイズS)それは幼児ホイホイ。

そして2歳が箱に詰まれば、次にやって来る姉の8歳児。

「ねぇねも一緒に入る!」

オイやめろ、2歳児入りのダンボールに更に詰め込むな125㎝26㎏その身体を、その上なんだその4頭のコアラのぬいぐるみは箱が崩壊する、ホラ妹が嫌がっとるがな、怒るがな、あ、泣いた。

2歳児こと娘②の右ストレートが華麗に姉・娘①にキマり姉の方が泣き出す羽目になる。

弱。

ウチは姉妹間のもめごとの際は大体姉じゃなくて妹の方が先制攻撃に出る、持病があって割と気軽に死にかける方の娘、死線を超えてきた人間は強いと第二次世界大戦を本気で生き抜いた祖母も言っていたがこれは本当だ。

「娘②ちゃんが叩いた!ねぇね何にもしてないのにぃ!」

何もしてない訳じゃないやろ住居侵入というか領海侵犯というか、だからお母さんソレしたらアカン言うたやん、ほんで娘②はねぇねを叩くな、何や2歳の今から本気のストレートのグーパンて、その粗暴さ、気の荒さ、誰に似たんや誰の子や私か。

これはアカン、仕事にならん、無理。

もう旅に出たい。

3主婦旅に出る。

娘②を背負って寝かせて夫に押し付けて徒歩15分。

夫は娘②が『寝ていれば』子守が出来る。それは果たして子守なのかという問題にはここでは言及しない。

私は美容院にいた。

この絵に描いたような現実逃避。

いやでも、もう長い事髪も切っていないし、前にカットしたのはいつだったか、美容室の窓にジャックオランタンが張り付いていた頃だった気がする。

秋やんけ。道理で頭がかゆいと思った。

私はラッコ並みに頭髪が密集して生えている生物なので、髪は時間の経過とともに伸びるというより『増える』。

故に、長い期間放置するとその密集した毛のせいで頭がかゆくなる。ちなみにラッコは地球上でもっとも毛深い生き物らしい、そして私は海獣の中ではラッコが一番好きだ。だから何だ。あとこのラッコ情報のソースは息子だ、いつもいつでも動物図鑑を傍らに生きるへんな生き物オタクの息子10歳いつもいつでもスポーツ刈りの男児。

しかし、秋から季節が移り、冬が到来すると、常態的に傍らに娘②が張り付いている私は本気で美容院とかその手の自分の見た目を何とかする場所に行くことができない。

心臓に持病のある娘②は感染症に超絶弱く、インフルエンザで自家搬送、腹を壊して飛込み外来、突発疹で救急車、迂闊に外に出て変な病気を貰うとその後が大変過ぎて、自身の美醜、頭髪の乱れなどは、娘②の命に比べたらティッシュ1枚程度の軽い些末な問題に分類されてしまって最近はほとんど構わなくなり、近所の美容室にごくたまに足を向けると

「うわ、生きてましたか?」

挨拶代わりにそう聞かれる。

この日も聞かれた。

どピンクの頭の男の子に。

サービスと技術を売る接客業の究極形・美容室にあってその挨拶は大丈夫なのか、あと『うわ』て何や、その野生動物と市街でエンカウントみたいな感嘆詞は、と思わなくもないが、この店にここ2年程いる、頭髪の色が会うたびに毎回くるくる変わっているこの青年は、最初の内は私と歳の変わらないちゃきちゃきした『姐さん』的店長にその言葉遣いを超絶注意されていたが、最近は

「もういい、それも味。」

姐さんが負けていた。

それくらい態度と言葉遣いが良く言えばフランク、悪く言うと敬語と敬意の方向が若干明後日の方向を向いていて、頭髪の色味からここでは彼をとりあえず兼近君と呼ぶが、あの今人気のお笑いコンビのキレイな顔の男の子、私はこの兼近君の入店当初、来店したら突然初対面の彼に

「今日はどうされるおつもりっスか?」

という、美容室に来たんだから切るか巻くかすんだろどうもこうもあるか、という謎敬語で迎えられて以来、彼の失礼と微妙と愛嬌の狭間で揺れる言葉遣いを特に気にしてない。

それというのも、この兼近君、誰が相手でも、例えばママに伴われ乳児がご来店した時には

「おっ、コレ天パっスか?可愛っスね」

そう言ってまだ虚空を見つめて特に反応しない月齢の乳児に話しかけ、大阪にかなりの数生息している粋なヒョウ柄のカットソーをお召しのマダムには

「いいトラっスね!」

違うぞ兼近、そのまだらなポチポチ模様はトラやないヒョウや色だけで判断すんな、でもそう言って笑顔で可愛いっスよと褒める、いつもこの調子で乳児から老年まで特に態度が変わらず本気で思ってるから言ってるっスというその感じに嫌味とか嘘の要素が1ミリも入っていないので、皆特に怒らないのだ。

そしてとうとうある日店長が負けた。

この日も私の限界まで伸び切った妖怪けうけげんを思わせる私の頭髪を見てニコニコしながら兼近君はこう言った。

「どうしたんスか?髪、伸びましたね~どうしちゃったんスか?伸びましたね~」

時間の経過とともに生きてる人間の頭髪が伸びてなかったらおかしいやろ。

どうしたもこうしたもあるか。

4兼近君髪を切る

「今日カット俺です!」

美容室の上下に高さ調節自由自在油圧式チェアにあのテルテル坊主様のケープをかぶせられて鎮座した私に兼近君がそう言い放った時。

『とうとう万年シャンプー係から卒業か、兼近!よくやった!』

という母心的な気持ちが脳内に到着する、それとは僅差で

『お ま え が か』

という感情が到達した事は彼には黙っておきたい。

ここ数か月来店していない間に店内勢力図は微妙に変化していたらしい。

見習いとばかり思っていた兼近君は生意気にも一人前の美容師としてお客さんのカットを担当しているのか、はてまた今まだ試験期間の道半ば私がお試し用の生贄なのか、私の頭髪をカットをするという。

これも

「特に指名はしません」
「子ども家に待たしてるんで、伸びた分適当に切ってください」
「ブローとかいいです、ワックスとかもつけません、帰ったら即子どもと風呂なんで」

という美容院に来てるのに美容に全然構わない超絶適当な謎の客としてこの店に名を馳せているこの私の人徳と言えよう。

「今日どんな感じにします?アレですか、ホラ前言ってたやつ、キシダなんとか」

兼近君は伸び放題に伸びた人の襟足を引っ張りながらキシダなんて言ってましたっけ?と聞いてきたが、それは以前

『ある程度量を残してショートボブにしてほしい、杉咲花ちゃんの髪型に』

と言いたいところを、いくら何でも煌めく若さを纏った22歳の可憐な人気女優を引き合いに出すのがためらわれた41歳が適当なショートボブ、ショートボブの人、と脳内検索をかけて瞬時に閃いたのが『岸田劉生の麗子像』でそれを伝えたら、その麗子像が良く分からなかったらしい彼に画像検索をかけられた挙句普通に笑われたというもので、多分彼はこのおかーさん冗談言ってんねやと思ったのだろうが私は割といつも本気だぞ兼近。

どうしてあの時阿佐ヶ谷姉妹を思いつかなかったのか私よ。

そして普通にショートボブだ、ショートボブに戻せ兼近。

しかしよく覚えてたな兼近、よほどそのネタが気に入ったのか、そうじゃない、この多分中高生の頃は大変失礼ながら成績良好とは言い難かっただろうなと思える青年はなかなか物覚えと勘が良い、数か月前にちょっと話した事を良く覚えているのだ、勉強は嫌いだったけど頭はすごく切れるタイプ、そういう意味では接客業向き。

「ショートボブに戻しますけど、髪の量減らしますよ、コレ流石に多すぎっしょ!」

相変わらず口のきき方は相当迷走しているが。

5菜切り包丁の心配

耳切るなよ、最初から襟足の毛バッサリ行くなよと心配しながら始まった『はじめてのおつかい』さながらに客と、多分鏡越しにこちらの様子を伺っている店長の心臓に負荷のかかるカットは意外にも心配ないハサミ裁きでその点については安心したが

「あ、そうだ、俺この前お客さん見ましたよ、そこの大学病院で」

カットを始めて数秒カウントしたところで振った話題が『大学病院でのお客様目撃発言』だったのには結構面食らった。

それは私が単独では『壁に同化している』と評されるレベルに目立たないタイプの人間で、あの毎日激込みの大学病院にあってよく個人を特定できたな兼近、古代の狩猟民かお前は、と思ったからと、あと何よりな、病院みたいな生老病死がぎゅっと詰まった場所で見かけた人間について言及するな本人が病気かもしれへんねやで、今日もキレッキレやな兼近、ジャックナイフか、いやちゃうな、抜身の菜切包丁かよ。

そう思ったからだが、それに続けて兼近君は

「あの可愛い小さい子と、ほらあのピンクの酸素ボンベみたいなやつと歩いてたんで分かりましたよ。」

『みたいなやつ』じゃなくてそれ本気の酸素ボンベな。その兼近君が見かけたという娘②は毎月循環器外来と胸部外科外来の受診があって割と頻繁に大学病院に出入りしている、その時偶に心電図取って来てとか、レントゲン撮って来てと主治医から指示が飛ぶので、小児科意外の診療科に足を延ばす事があり、多分その時に見かけたのだろう。

「俺、オカンの付き添いで結構行ってたんスけど、めっちゃ混んでますよね」
「大体『病院』てだけで気が滅入るのに、人超多いし、コンビニ狭すぎじゃないスか」

そうか娘②は、私にとってもう『心臓疾患児であること』がその存在の在り方になっているが、普通の健康な人には病気は突然やって来て過ぎ去る災難みたいなものだし嫌だよなそうだよなと思いながらも、この20代半ば位の若者が、お母さんの付き添いで病院通いという話にちょっと関心して

「でも優しいね、お母さんの通院に付き添ったんや」

そう返した。私は実際20代の男の子なんて、仕事が忙しいだろうし、偶の休みは仲間と遊びたいだろうし家では、飯は?風呂は?寝るわ位しか言わないものだと思っていたので。

すると、兼近君はこともなげに言った。

「入院とかしてたんスよ」

『とか』って何や兼近君とは思ったが、その言い方があまりにも「イオン行ってダイソーとか行ってたんスよ」位の軽い感じだったのでそのまま普通に私たちは、そうなんや、あの病院こんなんやんな、ドトール毎回激込みやんなという世間話をした。

へー私も娘の付き添いで結構しょっちゅうあそこ入院してるよ、何階?7階?そこならデイルームがあるよね、小児病棟なんも無いよ、草も生えねえよ?7階なら電子レンジもお湯も使えて自販機もあるよね。え?マジすか7階にお湯あったんスか、やべー俺1階のコンビニからカップ焼きそばにお湯入れた状態でエレベーター乗ったんスけど。

そんな会話から兼近君は急に

「あの子ね、酸素ボンベの、あの子病気スか?」

娘②の事を聞いてきた、私はまた少し面食らったが、特に嫌な感じもしなかったしこれはもう純然たる事実なので

「そうそう。病気っていうか、心臓が生まれつき変な形してて、そのままだと酸素が身体に回らなくて。」

「それって治るんスか?」

「いやー治んない、何回か手術していいところまでは持っていけるけど、完全に治りました!にはならないんだよ。」

出来るだけ簡単に深刻な感じにならないようにライトに答えた。

『11時間超の手術を過去数回実施しても完治方法は移植のみ』

そんなガチな内容はJ-POPのかかった明るい店内でする話題ではないし。それでも兼近君は少し心配そうな声で、何しろカット中は普段24時間装着の眼鏡を外すので近眼の私には正面の鏡に映る自分の顔も彼の表情は伺い知る事が出来ないが彼は多分『眉根を寄せる』そんな表情をしていたのではないかと思う

「手術ってあと何回するんスか」
「他の子どもさんは心臓大丈夫なんスか?」
「次の手術っていつになるんスか?」

大きな手術は今後イベント、ドクターはよく治療過程で起きる突発的で偶発的な事故のような感染症や合併症などを総じて『イベント』と言うのだけれど、そのイベントがなければ残りあと1回。そして先天性心疾患の殆どは偶然の交通事故みたいなものなので、他の子はぴんぴんしてるよ、次の手術は3歳になってからかな。

「病気なんて言っても、そんな弱々しい子じゃないよ、今日だって、引っ越し荷物詰めるのに凄い邪魔して、挙句6歳も年上のお姉ちゃんと喧嘩して勝ってたし。」

大体を答え終わってから私は、あまり正直に兼近君の質問に答え続けると、店の雰囲気も彼の表情もどんどん暗くならないだろうかと心配になってきて話題の方向を少し変えた、心疾患児の娘②が傍若無人を地で行く暴れん坊将軍なのは事実だし。それで、そうだ、そんな兼近君のお母さんは今はどうなんやろ、もう退院して家にいるのかなと思い

「お母さんは?もう元気になった?」

そう聞いてみた。

今思えば、あの時の私には本当に想像力も注意力も気遣いも何もかも無かった。本当に何も。

いい歳をして。

兼近君のお母さんなら下手をしたら私とそう変わらない歳かもしれない。

それを思った時、自分と同年代の人にそう深刻で重篤な病気がその人生に到来していたとかそんな事は全然考えが及ばなくて、このカットの間兼近君がお母さんの話をする時に使っていた時制がすべて『過去形』だった事に全然気が付いていなかった。

兼近君は、私の質問に普通に、本当に普通に前髪に入れているハサミをブレさせる事なくこう言った。

「オカン、入院してて、この前死んじゃったんスよ。」

6世界が病気の人で溢れる日に


『人間、立ち位置が変わると、昨日まで見えていた世界が、全然違う風景に見える事がある』

とは私自身がこの文章の冒頭で書いた事だ。

兼近君は、その「オカン死んじゃったんスよ」というとんでもなく重たい事実を「ポメラニアンて犬っスよ」位至極当然な、え?フツーっスよねコレみたいな話をする軽さで私に告げた後に

「でも結構前から分かってた事なんスよ。」

むしろ、人間て死んだあとが大変スね、何なんスかねあの葬式とか納骨とか、花?お経?高いっスよねー!お客さん葬式出したことあります?あ、無いスか?もうオトンが本気で使えなくて俺死ぬかと思ったんスけど、やっぱアレっスねこれからの男は料理とか家事とかちゃんとしないとダメだと思いましたマジで。

という『俺のお父さん大変、本気ヤバイ』という事を力説した。

その件については異論はない、私も古希を迎えた実家の母が、父を置いて彼岸に渡る日が来たら相当困る、それは超わかる。

兼近君はいつも通り軽くチャラい感じで、ハイ!どうスか!とカットし終わった頭髪の全景を鏡を使って見せてくれて、この話はおしまいになったが、そしてそのカットは心配していたよりもずっと上手で、ありがとうね、凄いやんいつからカット担当になったんと褒めた。

あの大学病院の私たち親子を見かけたのは中央検査室の近くだと言う。

あの渋谷のスクランブル交差点かここはと患者とその付き添いに思わせる病院随一の人口過密地帯で娘②と私が目に飛び込んだのは、今、あの彼の、兼近君の世界が『病気の人』で溢れているのからなのだと思う。

それで気になって気になって、適当に最近のお天気の話でも振っておけばいいのに、来店した私にわざわざあの子は大丈夫なのかと聞いてくれたのだ。

それが証拠に、ずっと以前、娘②がまだベビーカーで大人しくしてくれる月齢の頃にこのお店に連れてきた事があったが、その時兼近君は「かわいっスね」とは言ったが、娘②の疾患については全く気が付いていなかった。

あの当時は、酸素ではなくて胃管といって、胃に直接栄養を送る為のチューブをつけていてそれなりに病児っぽかった筈なのに。

いくら早い段階で余命とかその手の話を散々されていても、それを頭で理解していても、お母さんが世界から居なくなるって結構なカタストロフだよ、私にとってはだけど、そして君にとってもだと思うけど。

病気の誰かを気遣えるのはとても素敵な事だけど、その人ばかりが目につくというのは、それはあまり楽しい気持ちで生きてる時ではないよ。

でも気にしてくれて、心配してくれてありがとうね。

また他のもっと楽しい何かが沢山目に付くようになるといいね。

そう思って、会計をして帰ろうとした時にこの兼近君は

「また子どもさん連れてきてくださいよ、お客さんの子だったらめっちゃ髪多そう、ホラ、アレ見てくださいよ、お客さんの切った髪、仔犬一匹分位はあるっスよ!」

そう言って笑った。

オマエな、そこ、目行く?

あとな

言い方。


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