見出し画像

入院日記8。

4歳の心臓カテーテル検査は

『今回挿管はなし、鎮静と静脈麻酔で、状態を見ながら量を調整してとにかく術中は眠っててもらう感じ』

『右鼠径部からカテーテルを入れる予定やけど、前回の入院で長くCVの入ってた場所やから、コラテ(側副血行路)がありすぎるとか血管がもうあかんとかで無理かもしらんし、それやったら刺し直しして左、アカンかったら首からいくかも、そんで一通りの検査と、フェネ(手術時、心臓に人工的に開けた穴)を試験的に閉じてみて状態を見る』

術中に血管の損傷等の事故…じゃないイベントが無いとも限らないし、そもそも何度も切ったり縫ったり結紮したりを繰り返している心臓周りの血管であるので、目的の検査が全て終えられるのか、色々とトラブルが無いのかそれは

「まあやってみいひんことにはわからへんのやけど」

今回の4歳の心臓カテーテル検査は大体そんな感じであって、勿論これは事前説明なのでその全ては予定と予測であってそこには結論なんかひとつもないし、実際「なんかようわからんのやけど、こんなになってました」なんてことが飛び出すかもわからんと、何しろ

『小児の心臓疾患は出たとこ勝負』

というのがここ4年ほどの私の、小児心臓医療の所見というか、世界とはそういうふうにできているのだ。という諦念のようなものであって。検査のその朝、カテーテル室に患児本人を連れて行くまで、風邪もケガも全て避けて防いで主治医にこの子を手渡すまでが親の、私の仕事ではあるけれど、いざ血管造影室で小児循環器医チームに4歳を引き渡してしまえばあとはすべてを信頼してお任せするだけ。そして出た結果を静かに受け止めるのみ。

この病院で生まれて、NICUで新生児期を過ごして、小児病棟で手術をして検査をしてまた手術して育って来た4歳にはある部分では親より自分の事を知っている人々であるので、4歳と私にとっては誇張ではなく世界一信頼できるチームだと思う。

…のでぜひとも心停止、房室ブロックだけは絶対避けてください。

その日、検査当日は夜2時から飲水禁止、6時から絶食、当然朝ごはんは抜き、そのため相当な不機嫌で、更に8時半ごろには浣腸をされて腸の中を綺麗にお掃除して、その際は看護師2人、親1人に押さえつけらえて当たり前だけれどかなりの仏頂面になり、最後は筋肉注射で

「そんなに暴れたら!針が!取れちゃうから!たのむわ!」

看護師さんから泣きが入る程にまたひと暴れ。検査自体もずっと拒否していた子であったので、術前の処置のふたつで断然不機嫌になり

(ななたびうまれかわってもおまえをのろう…)

その恨みがましくも恐ろしい表情のまま階下の血管造影室運ばれるのかいなと思っていたら意外にそういうことはなかった。それぞれの処置で少し泣いて、そして「いやもうそれはやりすぎやろ」というレベルに、何の罪もない優しい病棟の看護師さん2人に拳を振り上げて応戦していたはいたものの、その後は検査用の病衣を着せられて「ゆたかだね!」とニコニコとしていた。

4歳、それは浴衣のことやわ。

今回、病棟にはCLS(チャイルド・ライフ・スペシャリスト)という子どものケアの専門家の先生が常駐するようになっていた。この春からの着任なのだそう。その人が何度もこの子の元を訪れては、お話をしたり、同じ年のお友達と先生とで遊ぶ時間を作ったりして、いざ検査の前日に

「検査をするために、やらないといけないのはまず固定板の準備に、明日のお洋服のサイズの合わせ、ひとつずつ終ったら、シールを張ろうね」

そんなちょっとしたスタンプラリーといいうのかな、そういうものを用意してくださっていた。ただそのスタンプラリーの内容とか目的とかいうものが遠足とかお祭りなんかの楽しいイベントではなくて『心臓カテーテル検査』であるので、手放しに楽しかったかどうかはちょっと分からないのだけれど。

「自分が一体今何をされるのか分からない」

そんな恐怖感はかなり緩和されていたのではないのかなあと思う。あくまで親の目線からの感想だけど。

大人だって何だかよくわからない内に、朝も早よから浣腸されて、大人だから剃毛もされ…るのか?その辺はしらんのやけれど、あとはなにやら長い甚平さんのような妙な服を着せられて、それでガラゴロとストレッチャーで赤とか緑のお揃いの服に美容室でおばちゃんの被ってる帽子みたいなのを頭からすっぽり被ってる人達と白い服の医学生と研修医のずらりといる部屋に連れていかれ

「さあ今から右鼠径部にガイドワイヤー入れますよ!」

なんて言われたらフツウに嫌だ、というかただの拷問ではないの、私なら断固拒否するし、何なら逃げる。

これまでは「だって子どもだし、そんな難しい事を言ったところでわからないだろうし、それに覚えてもいないだろうし」と思って

「検査だよーすぐ終わるよー」

という言葉がけだけで、かなり雑にホイとカテーテル室に放り込んで来たのだけれど、去年の今頃、この4歳は10時間を超える心臓の手術の最中に不整脈を起こして結果、結構な長期間ICUのあのほんのりと暗いそして医療機器のアラーム音とランプの赤い灯ばかりの目立つ空間で、PICS・集中治療後症候群らしき症状がこの子に出てしまった時、術後とんでもない数の医療機器に繋がれた自分であるとかICUの閉鎖された空間がストレスになって、視点は定まらずぼんやりとして一切の言葉を忘れてしまった状態になった当時3歳の子を見て

「子どもは、未知の状況を言葉や経験側で理解できない分、大人よりずっとそれらが恐ろしいし、そのことにとても傷つく」

幼さであるとか、こども特有の無邪気さというものは強さではなくてその反対のことなのだということにやっと気が付いて、今回のカテーテル検査には『4歳がそれをどう思うのか』『どこまで理解して納得して検査を受けられるのか』ということに殊更慎重になっていた。だからこそ子ども支援の専門家であるCLSさんの病棟加入は私にとってはとても嬉しい。4歳になった子は今回の検査のことをしっかりと記憶に留めるだろうし、そこで

「カテーテル室がトラウマになった、病院も先生も大嫌い」

ということにだけはしたくない。なにしろ先天性心臓疾患児と病院は一生のお付き合いなのだから。お母さんは今からどんなに頑張っても4歳にワーファリンを処方したり心臓のエコー検査をしたりはできない、大体エコーなんて足掛け4年、先生の背後から覗き込んでいる門前の小僧であるのにどんなに目を凝らして画面を見ても未だに心臓のカタチどころか全部が砂嵐にしか見えんのよ。

4歳が赤ちゃんとそれに毛の生えた程度の存在であった時期を終えて、児童に足のかかった幼児になった今、この子の医療の在り方みたいなものは変わっていくのだろう思うし、それなら親の対応だって、必要に応じて年齢に応じて変えて行かないといけないのだろうと思う。

そういう母の心を知っているのかどうか、CLSさんと看護師さんから粘り腰の説明を受けた4歳は病棟での準備を終えた午前9時すぎ、黄色い小児用のストレッチャーにちょこんと座って、看護師さんと私、それからCLSさんに付き添われてカテーテル室入りした。今回は予定の検査であって外科手術程の

「ややもすれば命の危機」

という懸念はそれほどないのだけれど、一応血管損傷とか、房室ブロックとか心配する点はいくつもあってそれなりに緊張だってしている。それなのに人はどうしてそういう時、かなりどうでも良くてしょうもない事ばかり話すのだろう。この時私は看護師さんと

「先生ちゃんと来てますかねー」

「一度、カテの無い日に来て『あれ、今日ちゃうかったっけ?』って帰った事あるんですよ」

「それ、無い日に来たならまだいいけど、逆パターンだと困りますね…」

4歳の2人いる内の主治医の1人、ベテランの小児循環器医が検査の予定の無い日に来た事があるんですよと、そういうハナシを暴露してもらって笑い、私は血管造影室の前で4歳とほんのすこしの間別れた。

あとから4歳に聞いた話では、4歳が運ばれて行ったカテーテル室の中では主治医がやや遅刻して、それでも日にちを間違えずに4歳を待っていてくれていたらしい。4歳はちゃんと「オハヨーゴザイマース」と先生に挨拶をしたのだとか。この子は若い方の主治医には割と傍若無人なふるまいであるのに対して、ベテランの最も長く4歳の心臓を診てくれている主治医には大変に礼儀正しい、踵落としとか裏拳なんか使う訳もない。

そうして、約2時間「下手すると4時間くらいなのでは」と以前の経験側から考えていた私の予測を大幅に裏切ってあまりにも早くに終了したカテーテル検査は、予想外の早さで

「ママ、呼ばれました、下に降りましょう!」

4歳が不在のしんとした病室で、ノイローゼを患ったシロクマのようにウロウロと検査終了を待っていた私を呼びに来てくれた看護師と階下に降りた。でも私は『血管造影室』と書かれた扉の中には入れない。そのクリーム色の重厚な自動扉の前で待つこと数分、以前コイル塞栓の時に「やってみたけど血管が細すぎてどっこも入らへん」ということで、その施術自体をしないまま即終了したことなどを思い出してしまい

「実はちょっとトラブルがあって肝心のことは何もでけんかったんやわ」

とか言うオチやったらネタのふりすぎやぞカテ室の神と真剣に心配をする私をヨソに、まず最初に出て来た小児循環器チームの女性のドクターが

「あっ!お母さん!全部の検査無事に終わりましたからね!」

そう教えてくれてまずは一安心、安堵はしたのだけれど別件で驚いた。だって先生のお腹が大きく膨らんでいたものでそっちの方に感情が全部もっていかれてしまった。先生に既にお子さんのある事は知ってはいたのだけれど、まあ激務で名の通った業界ではあるし、つい先月の外来にもちゃんと先生の名前があったのだし、まさか現在妊婦さんと小児循環器医を兼任でやっているとは思わなかった。聞けばもうかなりの週数だそう。

「歩かないと、もうお腹がでかくて早めに産みたい」

先生の医者らしい冷静すぎな言葉を頼もしすぎですねと聞きながら、ひとまず無事に終了したことへのお礼を述べた。でもあとからよく考えたらそんな状態なのにどうして病院に、カテーテル室にいたのだろう、放射線を扱う現場のはずやしいたらあかんのでは。その先生は

「1年前は大変だったねーお母さん、まだまだ大変だろうけど無理しないでね」

そう言って検査の終わりを待つ患児の母を心から励ましてくださったけれど、その言葉、今そっくりそのまま先生にお返しします。元気な赤ちゃんを産んでね、それで絶対現場に戻って来てね。

その後、ガラゴロと黄色のストレッチャーで運ばれてきた4歳はその中で、カテ後におなじみの固定板でしっかりと固定された状態の仰臥位。表情は半目でぼんやりとして、完全に鎮静と麻酔で出来上がっている顔をしていたけれど、まあ無事にすべてが終了、やはり例の穴を試験的に閉じるとSpO2は格段に上がるけれど、さあこれを今後どうするかは

「画像を分析して、細かい講評というか所見は今度の外来で」

色々もうちょっと考えさしてくれと、そういう事になった。

その後の止血の為の拘束6時間はまあそれなりに地獄を見たし、固定板を今回とうとう壊す…というか紐を引きちぎるし、4歳はやっぱり麻酔後気持ちが悪いらしく何回も嘔吐してそれを受け止める役目の私はトイレに行けないとかそういうことはあったけれど、今朝、目が覚めた4歳が

「4さいは、きのうけんさがんばったからねえ」

と非常に自慢げに、鼻息荒く私にそう言ったので、カテーテル検査自体の、現在の心臓の状態と評価はともかくも、私が目指した

『4歳にとって検査をトラウマにだけはしたくない』

という目標はクリアできたのではないかなと思う。4歳は今回とてもよく頑張りました。素晴らしかったと、母は思います。

サポートありがとうございます。頂いたサポートは今後の創作のために使わせていただきます。文学フリマに出るのが夢です!