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短編小説:プラネタリウム

☞1

本当はいくらでも布団の中で惰眠を貪っていたい5月の3日勤明けの休日、私は適当に通販で購入した税込み28900円の全然似合わない黒いドレスを体に引っかけて、履きなれないパンプスを履き、小銭しか入らない小さなビーズのバッグを片手に、あとの残りの荷物を普段使っている帆布の巨大なトートバッグに全部詰めて電車に乗った。

今日、6つ年下の妹が結婚する。

私は妹が大嫌いだ。

大体、妹の名前が姉妹として平等さに欠けるというか、私を貶めている。私の名前が咲子で、これは父方の祖母がどうしてもと押し切って両親が折れた形で命名された名前だ。母は今でもおばあちゃんはあの時酷かったと言うけれど、ありきたりで平凡の名前というものは医療機関では結構喜ばれる。一発変換可能。読み間違いも無い。そして私の仕事は看護師だ。問題は妹の名前、これは次の子どもこそは命名権を奪取したいという両親の気合のもとに命名された。「咲子の妹だから」という姉妹間の調和を考慮して高校の国語の教師をしていた父が名付けたのは

『咲耶』

「これはね、咲子、古事記ってお父さんの本棚にある昔々のお話の中に出てくる美しいお姫様の名前なんだよ」

父は、古事記の中にある繁栄を司る美しい女神の名を妹に与えて3年後に癌で死んだ。父の49日の後、父の遺品である分厚くて少しかび臭い古事記を思いついて広げて読んでみた私は、木花之佐久夜毘売には石長比売と言う姉がいて、その姉は美しい妹姫とは真逆の容姿をしていたという事を知る。要するにブスだ。この意図について既に鬼籍の人、墓の下に眠る父に何を聞くわけにもいかなかったけれど、子ども心に軽く傷ついたことを覚えている。

実際、妹は名前の通り妖精のように愛らしくて可愛らしかった。

姉の私の容姿については明言を避けたい。とりあえず相対評価で「可愛いね」と言われた事はない。私の外見の評価と言えば、強そう、頼もしい、雪山で遭難しても助かりそう。

☞2

荒野で最後の1人として生き残りそうだと評される外見で、最近ではいつ風邪をひいたのか全く思い出せない程、見た目も内側も屈強な私と違って、咲耶はとても体が弱かった。

いや、弱いなんてものじゃない。妹は死にかけで生まれて、死にかけのまま病院に1年近く入院してやっと自宅に帰宅出来た時には、体中手術の跡だらけで、毎日の服薬は山盛り、そして各種医療機器を駆使しなければ1秒も生きられない、小さなか細い赤ちゃんだった。

1歳を過ぎているの1人で満足に座る事も出来ない。

父は、当時としてはかなり稀有な事に、1年間母と交代しながら学校を休職して咲耶に付き添い、中学理科の教師である母と二人三脚で咲耶を生かすことに奔走し、私の事をすっかり忘れ果てていた。勿論母も。

「咲子がしっかりしている子でよかった」
「咲子はお姉ちゃんだからね」
「咲子が咲耶を守ってあげなさい」

妹と6歳も歳が離れていれば私だって多少の事は承服できる。何しろしっかり者で身体頑健、手のかからない子だと褒めたたえられていた子どもだ。でも、咲耶が入院するたび、咲耶が体調を崩すたび、参観日にも、運動会にも、音楽発表会にも来てもらえなくて、挙句あの時は、こども科学館のプラネタリウム見学があった日に、あれは地区の子供会か何かだった気がする。「咲耶は預かってもらえる事になっているからお母さんも一緒に行くね」母がそう言ってくれた事が嬉しくて、私は当日を心待ちにしていたのに、その日の明け方咲耶が高熱を出した挙句、脈拍がとんでもなく上がり、そのまま入院。私は母を独り占めできると思っていた日に、プラネタリウムの星空を1人で眺める事になった。既に父も出勤して救急車が咲耶と母を連れ去ってしまった自宅で、家庭環境のせいで無駄に自立心が育っていた私は自分で炊飯器の白いご飯をお弁当箱に詰めて白いご飯オンリー弁当で現地に向かい、昼食時に隣の特に面識のない男児に笑われた。

あの日、私はプラネタリウムで一体何を見たのかを覚えていない。

とにかく、隕石が落ちるなら今、ここだと思った事は覚えている。

咲耶は、一体何回入院して一体何回手術したのか分からなくなる位、気の遠くなる程の治療の過程を駆け抜け、ある程度の年齢になる頃にやっと、医療機器だらけの病児から、ちょっと無理のきかない体の弱い女の子にモデルチェンジした。多分小学生になった位の頃だ。

そして、その頃中学生になっていた私は、自分の身の回りの事は大体自分で出来るようになり、その後の進学も進路も全て自己責任による自己決定。しっかり者の姉という名をほしいままにしていた。対して原材料自体は私と同じはずの咲耶は病気のせいなのか生来の性格なのか、とにかくぼんやりしていて常に頭が想像力の翼に持っていかれて口がパカーンと開いているようなアホそうな女に育った。父が早世し、母がフルタイムの教師に復帰した事もあって咲耶は明けても暮れてもおねえちゃんと言って私の後ろに付いてい歩いていた。毎日、学童保育の迎えは母ではなく私じゃないと帰らないと泣き、帰宅したらしたで一緒にお風呂に入ってほしい、ゴハンを食べさせてと人の勉強を邪魔し、夜は本を読んでくれと私の布団に潜り込んで来た。

「咲耶は将来お姉ちゃんと暮らしたい、ずっといっしょがいいなあ」

父譲りのフワフワのくせ毛を私の頬に摺り寄せて微笑む小さくて細い咲耶は本当に面倒くさくてそしてお人形みたいな容姿の女だった。睫毛なんかブライスのドールみたいに長い。姉の私が一重で頭髪は固い直毛の剛毛で固太りでハンガーみたいな肩幅なのにこの違いは一体何なんだろう。本当に気に入らない。

姉の私がそんな風に思っているのに、咲耶はいつも私と一緒が良いと言い、そして母まで私に

「咲子、咲耶をお願いね、顔色をよく見て、唇と爪の色が赤黒くなってきたら注意して、発熱や嘔吐の時はお母さんに即電話して、場合によっては救急車」

とにかくあんたも咲耶の命を守って頂戴。ウチはもうお父さんがいないんだから、お母さんは子どものアンタにこんなことを頼むのが良いとか悪いとかもう言っていられないの。お願い、私と一緒にあの子を守って。と懇願されて私は不承不承いつも咲耶の傍にいた。ある時なんか、夏休みの学童保育のイベントの引率を頼まれた事まである。場所はあの私が1人で白飯弁当を持って行ったプラネタリウムだ。

「お母さん、私さあ、そのプラネタリウムに一人で行ったんですけど、あの日、咲耶が救急搬送されたから」

そう思ったし言おうとも思った。でも、咲耶はあの時確か小学2年生、これまで碌に学校行事に「体調優先」で出られないまま、多分人生初めての遠足に、1週間前から家じゅうをピョコピョコ跳ねまわって喜んでいた。とても姉である私がついて行かないとか、オマエのそう言う能天気な所が嫌だとか言える雰囲気ではなかった。6歳の年の差というのはこういう時本当に不利だ。8歳の妹に14歳の姉がどうしてそんな悪態を吐けるだろう。しかも相手は病弱で体が年よりうんと小さくて見た目が相対評価で可愛い妹。

でも、その私の熾火の如き不満は当日消えてなくなる。咲耶が風邪をひいて熱を出したからだ。咲耶は、プラネタリウム遠足への欠席連絡を入れる母によじ登って叫んだ

「イヤ!絶対に行く!」

「咲耶ちゃん、いい加減にしなさい。お熱が上がったらまた入院になっちゃうでしょう。お母さん流石にそれは困るのよ」

咲耶は、床にひっくり返って泣き、とりあえずお母さんは仕事の引き継ぎ連絡をしないといけないから咲子悪いけど、と言ってゲロ泣きの8歳児を私に託した。はっきり言って迷惑だった。咲耶は体の水分が全部抜ける程泣き、多分今の私ならソリタを点滴したと思う、生理食塩水だ。咲耶は嗚咽しながら私にこう言った。

「私は一生遠足なんか行けないんだ、お姉ちゃんと一緒お星さま見るの楽しみにしてたのに」

私はあの時、咲耶が3時間近く泣き続けて更にそんな事を言ったので「アンタ我儘なんだよ、大体、私はアンタのせいでそのプラネタリウムの遠足に昔1人で行く羽目になったんだよ」とは、とても言えなかった。

入退院を繰り返し、この先の人生にも沢山制限がかかる、それを直感的にも経験則でも知っていた妹の絶望を前に、そんな事を口走れる程私は子どもでも自分勝手でもなかった。

「そんなことないよ、いつかお姉ちゃんと行こう」

咲耶の額に手を乗せてやると、それがしっとりと汗ばんでいたことを覚えている。

☞3

「一生遠足なんか行けないんだ」

そう言っていた割に、咲耶は低空飛行の低調子ながらも、その後、手術や入院を回避し、小学校を卒業すると母の提案で、授業の選択に融通の利く私立中学そして私立高校に進み、就職と言っても無理はできないしまず本人の好きな事をやらせてあげたいという母の気持ちで、確実に飯のタネにならなさそうな美大に進んだ。しかも一番就職とは無縁だと名高い油絵科に。

対して私は、頑健な体で風邪ひとつひかないまま大学まで公立畑を歩み看護師になった。生き馬の目を抜くと言われる三次救急病院の高度救命救急センターに生え抜きとして勤務して今年で10年目になる。その苛烈な勤務環境にあって、同期は殆ど死に絶えた。

その高度救命救急センターで体を張って稼いだ金だって、咲耶が美大に入ってから、やれホルベインの絵の具だ、キャンバスだ、筆だ木炭だと、恐ろしい程高額な画材の為に結構な額が世界堂のレジの中に消えて行った。咲耶が、美大に入学出来て嬉しいけれど、学費以外の教材や画材がものすごく高くてお母さんに悪いし、私もお姉ちゃんみたいにちゃんと自立するんだと言って、こっそり近所のコーヒー屋でアルバイトを始めたからだ。咲耶に立ち仕事なんか無理に決まってる、案の定、3日で体調を崩して倒れた。だから全部私が買ってやった。

「これ、私が買ったってお母さんには言わなくていいから」

咲耶が4年生の時に描いた咲耶の卒業生制作。100号キャンバスのどこからどう見ていいのかよくわからない細密画のような油絵の裏には、本人のサインと共に

「大好きな姉に。ありがとうお姉ちゃん」

と書かれている。

咲耶は美大を卒業して、結局一般的な就職はしないまま、自宅でイラストレーターのような仕事を始めた。児童書の挿絵や、子供向け教材のイラストが主な仕事らしい。

「私が子どもの頃、全然お外に行けなくて、お姉ちゃんに沢山本を読んでもらったから、今度はそういう小さい子の読むお話の中に色を添えて、その子の思い出を作ってあげたい」

私には妹も弟もいないから、これはその代わり。私は凄くお姉ちゃんに大切にしてもらったから。

私立のお嬢様中高から、美大の油絵科とかなり浮世離れした業界を渡り歩いて育った咲耶は、人の生き死にとか、散々生活指導したのに適当こいて救急搬送されてくる我儘な爺さんとか、扱いが面倒すぎる外科部長とか、病棟に患者を上げたいのにベッドが無いとか言い出す病棟師長とかそういう私が普段暮す世知辛い場所とは全然違う世界で暮していた。

天使みたいな子。そしていつまでも小さな子どもみたいな子。

私が28歳の時に家から出て1人暮らしを始めた時だって。

「お姉ちゃん、なんで引っ越すの」

「病院が遠い、朝もっと寝ていたい」

「私と毎日会えないじゃない!」

「アンタの顔を毎日拝むよりお姉ちゃんは睡眠時間なんだよ!」

「じゃあ、近くの病院に転職してよ!」

その時既に6年間必死で勤めていた病院をやめろと言い出し、そんな事できるかと言うと納戸に籠城して食事を拒否した。私は母に

「ちょっと!お母さん?この子何とかしてよ、どんな育て方したら22にもなってハンストするとかそんな子になる訳?」

そう言って抗議した。そうしたら母も母で

「半分はアンタが育てたのよ」

と言い、責任の半分をなすりつけられた。凄い理不尽。お父さん、なんであんなに早く死んじゃったの。

だから、この精神年齢が8歳のまま止まっている妹が結婚すると言い出した時は、まさに驚天動地の心情で、一体どこの2次元と結婚するつもりなの?気は確か?いい?アンタ結婚には双方の合意が必要でそれはアンタの一方的な思い込みでは実現しない法的行為なんだよと説明してやった。

そうしたら

「ちゃんと生身の人間だよ、それでね、お母さんに合わせる前にお姉ちゃんが合ってほしいの。お母さんは絶対心配して血圧が上がりそうだから」

アホの子の咲耶にしては珍しく、母の健康を気遣うような事を言ったので、私は貴重な休みを1日つぶしてその咲耶と結婚を考えているという酔狂な男と会う事にした。もしかしたら咲耶の見た目だけを気に入って、咲耶の体の事を何も理解していないバカな男かもしれない。そうなら一発ぶん殴ってその場で塩を撒いてやろうとしてアジシオをバッグに忍ばせて。

秋晴れのその日、指定されたホテルのロビーラウンジに行くと、吹き抜けの高い天井の下のふかふかとした毛足の高い絨毯の上を数人のスタッフが優雅な動作で立ち働く中

「お姉ちゃん、ここ!ここ!」

何が嬉しいんだか、つい2日程前に合ったばかりの咲耶が飛び跳ねて私を迎えた。やめなさいみっともない。

「お姉さんですか、初めまして、あの、咲耶さんとお付き合いしています、サクライと申します」

ホテルのロビーで両足揃えて飛び跳ねる精神年齢8歳の26歳児の横で突然、折り目正しく90度の角度に最敬礼した男がいて私は度肝を抜かれた。そしてその姿をよく見て更に驚愕した。あなた、ウチの病院の先生ですよね。

「初めましてじゃないですよね、あの、私、救急の…」

私が最敬礼の男にそう言うと、おもむろに顔を上げたサクライは更に大声で

「うわ!救急のカシワギさん?何故ここに?」

こっちの台詞だ。

☞4

サクライは、いやサクライ先生は、私の勤める病院の小児科医だった。確か専攻医だったような気がする。そして咲耶は私の勤務している病院の循環器科に定期的に通院している患者だ。咲耶はこの小児科医に私の存在をあえて伏せていたらしい、曰く「びっくりさせようと思って」。

「相手は患者さんですから、場合によっては重大インシデントです先生」

私はこのまだ若い医師を威嚇した。研修医に毛が生えた程度の若いドクターと、勤続10年の救急ユニットの看護師では業種部門は異なるもののこちらの方が強い。どういう経緯でウチの妹と付き合って結婚にまで至る事になったのか簡潔に説明をしろ。場合によっては斬って捨てる。あの日あの時、私には死んだ父の霊が憑依していたに違いない。

「あの、病院のドトールの前で財布を拾ったんです、咲ちゃんの定期健診の日に。明細書を仕舞おうとしてあちこちにカバンの中身を落として歩いてたらしくて」

なにその陳腐で安易な馴れ初め。と言おうとして、いや待てよ、それは咲耶がやっていそうな事だと思い直した。この子はいつもそうだ、考え事をしたまま移動してアチコチに私物を撒いて歩く。浮世離れしすぎている。だから心配なんだ。

「それで、お財布を届けてくれて、連絡先をくれたの。ご迷惑でなければまた会えませんかって」

「ナンパですね先生」

「すいません」

サクライ先生は頭を深々と下げた、何でも財布や保険証を落としたと気づいた咲耶の所在なさげにあたりを見回して心細そうにしている姿が

「小さい子どもみたいに可愛らしかったもんですから」

流石は小児科医だ、当たっている。この子の中身は小学生です。私がそう言うと、咲耶は少しむくれた。

「そういう事言わないでくれる?」

「本当の事よ」

私とお母さんがアンタを甘やかしすぎた結果、子どもみたいに育ってるじゃないの。先生いいですか、考え直すなら今ですよ。私がそう言うとサクライ先生は、僕あの時かなり勇気を振り絞ったんですよ、それに僕意外と初心貫徹する方なんですと屈託なく笑った。とてもいい青年だと思った。でも

「あの、咲耶の体の事は聞いてますか、先生は循環器はご専門ではないかもしれませんが」

私は咲耶がトイレに立った隙に、咲耶の体の事をこの快活な青年に確認した。私は今日これをするためにわざわざ休日をつぶしてここに来たのだから。

「ハイ、大体の事は。ただ本人があまり把握していない部分もあるので、必要ならカルテを確認します」

「無理が全く効かない事は」

「わかってます」

「今はあんな風に小康状態を保っていますが、先は共白髪とはいかないかもしれませんよ」

「わかっています」

「体中、手術の傷跡だらけですよ」

「知ってます」

「知ってんのかい」

最後の質問の回答につい突っ込んだ私にサクライ先生は笑って、全部わかっています。職業柄もしかしたら本人よりわかっているかもしれません。でも結婚したいと思います。実家の両親には話しました。少し心配していましたが、大丈夫です、きっとわかってくれます。そう言った。

咲耶の結婚は、次の年の5月に決まった。

☞5

そして今日、私は、花嫁の咲耶の待つ式場に特に着たくもないドレスを着て、3日勤の疲労と眠気を抱えたまま向かっている。電車は5月の青空に飛び込むように真っ直ぐに目的地に私の体を運ぶ。でもその目的地がまた謎だった。

「プラネタリウムで結婚式するから」

「ハァ?何で?何の為に?いくら親族しか参加しない式だからってアンタ、向こうの親御さんの手前もあるんだから、普通による普通の、普通のための式にしなさい、ただでさえ」

「ただでさえ?」

アンタは病気持ちで向こうの親御さんに歓迎されていないかもしれないんだよ。という言葉は口にできなかった。サクライ先生のご両親には、あのホテルでの面接のような会合の後、両親の、と言ってもウチは母だけで父の名代には私が立ったのだけれど、その顔合わせでお会いした。豊岡の田舎に住む朴訥としたご両親は、天真爛漫というかアホというか微塵も緊張しないでニコニコと挨拶をする咲耶を見て『ウチの息子にふさわしくない』とかそんな事は一切言わなかった。ただ静かに、体の事を一番に考えて暮らしてくれたら良い、2人で幸せになってくださいと言ってくれた。でも本心なのかは分からない、人間の心は目視で確認できないから。

「なんでもない、でも、何でプラネタリウム?いくらでもアンタが好きそうなチャペルとかがその辺にあるでしょうよ」

「だって、お姉ちゃんが一緒にプラネタリウムに行こうねって言ってたのに、結局一回も一緒に行けなかったから」

「そんなことないよ、いつかお姉ちゃんと行こう」

8歳の夏のあの日、自分は一生遠足にもいけない、それに他の事も、沢山沢山出来ない事だらけだと思ってがっかりを通り越して失望した咲耶にとって

「いつかお姉ちゃんと行く筈だったプラネタリウムは私の希望の象徴なの」

とういう事らしい、私は思い切り忘れていた。そういうと咲耶は、ウソ信じられない薄情者!と言って膨れた。しらんがな。でもそれを言うならアンタだって「咲耶は将来お姉ちゃんと暮らしたい、ずっといっしょがいいなあ」って言って散々人の生活を蹂躙してたの覚えてないのとは私は言わなかった。妹の結婚は、私が十中八九無いと思っていた未来だから。

これで良いんだ。

そんな長い逡巡の後、電車は目的の駅に滑り込んだ。会場のプラネタリウムのあるこども科学館は駅から直ぐ、私は駅の階段を普段は履かないヒールに気を使いながらゆっくり降りて、少し夏の香りすらする5月の強い日差しの空を見上げた。

いちいち些末な事で死にかける妹

父の早世で私が半分親みたいになって育てる羽目になった妹

私の生活の邪魔しかしてこなかった妹

一生私の傍にいるんだろうと思っていた妹

気がつくと、私の足元には沢山水滴が落ちていた。雨?こんなお天気に?違う涙だ。なんで涙?またお父さんが憑依しているんだろうか。だって私は寂しくも悲しくもない筈だ、あの子供みたいな妹が小児科医と結婚してその人生を丸ごとを引き取ってもらえるなんて奇跡だ。大体私はあの子が嫌いだ。面倒な事ばかり、大変な事ばかり。

もう直ぐ会場についてしまう。泣きながら妹の結婚式の会場に入る32歳なんてちょっとヤバイ奴に思われてしまうから泣き止まないと。それか一旦立ち止まらないと。そう思うのに、私の涙も、両足も自分の意思では止まらないまま、私は咲耶のいる建物の中に足を踏み入れて、リハーサル中の会場の扉を開けた。咲耶から「もう館内にいるからね」とメールが来ていたから。

そうしたらそこには満天の星の下にいる美しい花嫁が、8歳のあの時のままの顔で微笑んでいて、私の化粧が涙でほぼ流れ落ちているのを見て仰天した。お姉ちゃんなんでもう泣いてるの!

「うるさい!おめでとう咲耶!」

大嫌いで大好きな妹。結婚おめでとう。

お姉ちゃんはアンタが居てこれまで凄い迷惑だった。

幸せになれ。


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