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出木杉君のかなしみのこと(新年の抱負など)

ドラえもんの登場人物に出木杉英才君というひとがおりますね、主人公である冴えない小学5年生の男の子、野比のび太君のお友達です。

漫画『ドラえもん』が小学館の学習雑誌で連載を開始したのが1969年、その時11歳だった出木杉英才君は多分1958年生まれ、ということは2023年の1月の今64歳ということになります。出木杉君は4月生まれということなので桜咲く春が来たら65歳、前期高齢者ということになって割ともう、どうしてどうしておじいちゃんです。

作者の藤子不二雄A・F両先生方と私は同郷で先生方は郷土の誉れ。その著作は短編のSFものから、まんが道、ドラえもん、笑ゥせぇるすまん、パーマン、大体なんでも図書館で借りられたもので、私はそれらを自宅本棚に所蔵はしていなかったものの、しょっちゅう借りては家で読み込んで結果今でも我が子にちょっと感心される程、私はドラえもんのキャラ設定ならびに誕生日などを記憶にとどめているのです。

その私の小学生の頃の記憶情報によると、成人後の出木杉君は火星開発に携わるお仕事に従事していたはず。

仮に出木杉君が昭和33年生まれの男性としてこの世界に本当に存在しているとしたら今一体何をしているでしょう、火星に関する仕事と言えばまず思いつくのがNASA、次にはJAXAかしらん、そこで60歳を過ぎた今はどうしているのだろう、還暦をすぎたからと言って家でぶらぶらできるような時代でもないし、定年後の再雇用とか嘱託とかそういう形で仕事をしているのかもしれない。

となるとお住まいはどこだろう、NASAの本部はアメリカのワシントンらしいし、時々私のような科学とも宇宙ともあまり関係のない主婦でも耳にすることのあるケネディ宇宙センターはフロリダにあるらしい。もしくは日本の宇宙開発の砦であるところのJAXAであれば管理部門だと調布市深大寺、都下に小さな戸建てを買って住んでいますという方が出来杉君らしいかもしれないしもしくは両親から自宅を相続してそこを直して住んでいるとか。

普通の子のアタマ1個か2個分、さらにはもっと飛びぬけて優秀な子ども時代を経て宇宙開発事業に従事するような優秀な大人になった出木杉君はきっと中学高校と順調に優等生を続けて大学は最高学府だったのかそれとも海外に出たのかそれは分からないけれど、ともかくも私にとって出木杉君は長い年月をかけて動かしがたく『とびぬけて賢い子』という意味の形容詞になっているのです。

さて、『学校で一番成績の良い子』というものは、大体が出木杉英才君のように品行方正で誰に対しても分け隔てなく多方面の物事に造詣が深く自宅の自室はいつも綺麗に片づけられて清潔感のある小さな紳士もしくは淑女、皆その能力の故に大変幸福に生きているんだ、なんて羨ましいのだろう、なんて素敵なのだろう、私もそんな風になりたかった、そうすればきっと「2890円の3割引きがいくらなんだかようわからんが大体でいいだろう」なんて丼勘定の人生をおくることなくお金も貯まって今とは全然違う人生を送っていたはずなのに。

と思っていた時期が私にもあるのですけれど、大人としてもしくは人の親として『とびぬけて優秀な子』を見るにつけ、いま現在の私が思うのは

こういう『普通よりうんと賢い子』というのは案外苦しくて、大変なものなのかもしれないな。

ということだったりするので世界ってほんとうに難しいですね。ここで言うところの『賢い子』と言うのは所謂露地栽培的な『放っておいても先天的に高い知能を有する』タイプの子ですが、時々いますよねそういう子。昔私は塾講師をしていたのですけれどその頃にも時折お見かけした彼、彼女らは、その圧倒的な情報処理能力と信じられないほど大容量の記憶力を駆使して教科書に載っている程度の問題なんぞ鼻をほじくりながら解いたものだし、そういえば年度の始めに教科書を読んだだけで全てを理解してしまったから授業中は大体寝ているという子もいたものでした。

そうして大体の場合、そういう「エッ…こんな問題をまだ子どものあなたがさらりと解いてしまうのですか一体なにを食べて育てばそんなことに…」というタイプの子は、自身と世界との折り合いがなんだかとても悪かったように思います。

森羅万象のあらゆることに興味がありすぎて四六時中落ち着きなくくるくる首を動かしている子とか、いつもカバンの中に未整理のプリント類とその日は使わないはずのテキストと折れたエンピツと真っ黒い消しゴムが攪拌されてぎゅうぎゅうに詰め込まれ果てしない混沌を作り出している子とか、興味のあることを話し出したら全然止まらない子とか、服がいつも後ろ前でどこかにカレーとかミートソースのシミのある子とか、なんでも言葉通りにとるので全然冗談が通じなくて常にだれかと喧嘩になるもので「あの子はちょっと…」という無言の結界が周囲に張られてしまった子とか。

『クラスの子達が月ほど遠い』

そんなことを言っていた女の子もいたものです、寂しそうでした。なんでもちょっと読んだら大体覚えるという棋士・藤井聡太先生のような子もいました。何でもかんでも記憶ができるなんて本当に羨ましい物覚えがいいって素晴らしいと、3歩あるいたら大事なこともそうでもないことも大体忘れるニワトリ的脳みその私は心底うらやんだものでしたけれど、現実世界でまだ心身が成長途中の色々不安定な子どもがその力を搭載しているということはスズキの軽自動車がスーパーフォーミュラ1の3400㏄エンジンを搭載しているようなもので

「何年も前の嫌な出来事を、内容どころかその日の天気、自分の着ていたもの、その場所の匂い、手触り、音、全部を詳細に鮮明に記憶してそれをちっとも忘れられないので、その日に着ていたトレーナーを着ただけで、その日に食べたものを食べただけで、同じ風の匂いを嗅いだだけで、光の加減だけで、その『嫌な事』を簡単にかつ詳細に思い出してしてカーッとなってイーッっとなる」

のだそう。それもあって一度嫌だと思った人間をそう易々とは許せないし、アカンと思った人間は生涯相容れないと言ったのは私の息子、この子もそういう傾向のある子なので母親の私はとても心配しているのです。例えば担任の先生ができるだけフランクで彼の雑さを許容してくれる方だと大体は気が合うというのか「俺あの先生好き」となって1年はまあまあ安心だけど、ダメな場合はとことん駄目。対する先生だって教師だから何かかれば注意するし人間なんだから矢鱈と反抗して嫌ってくる子はどんなに『この子は生徒やし』と思ってもやはりイヤなモンはイヤだろうしそれで小学校の何年かは大変でした。

彼はそんなことでこの先大丈夫なのだろうか、部屋が汚すぎるのだけれどこれでいいのだろうか、というか片付けさないよ、なんでミカンの皮を床に捨てて良いというルールが世界に純然と存在すると思ってるんだ、誰が掃除するんだ、何よりこの紙のゴミの山の中で一体どうして一次関数がさらすら解けるの、点Pだってこのゴミの中に埋もれて身動きとれなくなるのでは。

世界は多面的で、表裏一体で、時折本当が嘘で嘘が本当だったりしてほんとうにややこしい。私がこれまで個人的に見た事があるだけでも、高すぎる知能に対しての微妙な社会性、スパコン並みの記憶力は忘却を搭載することを忘れ、天使のように人当たりの良い子は強いストレスによる抜毛症、傍目にはとても良い表地にはまた別のなかなかにしんどい裏地がついている。

そういう現実を見ているとあの出木杉君にも、人生のどこかの場面で優等生である自分に酷いストレスを感じていつしかお酒におぼれもしくは軽い鬱を患い心療内科に通っていましたとかそういう時期だってあったのかもしれないなと妄想力逞しい私は想像したりするのです。

実際、というか元々これは純然たるフィクションではあるけど出木杉君がしずかちゃんにプロポーズした際、それを断ったしずかちゃんの言葉が「あなたは1人でなんでもできるでしょ」だったというのだから、しずかちゃんもしずかちゃんというか『手のかかる男がいい』なんてそれ私がおばさんだから言うけれどそういうのは40過ぎたら割と後悔するのだよ、のび太君がいい子なのはおばさんも知ってるけれども。

「俺はどうしてこういい子ちゃんに見られたいんだろう、なんでこんなに人の目が気になるんだろう、もうこんな品行方正な学級委員長的いい奴なんてことやめてしまいたいのに、大体俺がどんなに頑張っても、ずっとずっと好きだったしずかちゃんが選んだのはあのばかののび太君じゃないか」

まだ夜の明けない藍色の空を見上げてひとり絶望する出木杉君がそこにはいた(かもしれない)のに、物凄く聞き分けのよくて頭がよくて誰とも仲良くできる理想の男の子の中に彼を閉じ込めて彼の内側か裏側かとにかくどこかに世界との修復しがたいひび割れがあるかもしれないなんて、あまりというか全然考えたことがなかった。

アタマがいいとか、顔がいいとか、実家が大富豪とか、なんだかわからないけれど幸福そうなカードを持っている人々がそれゆえに万全の幸福を握ってい生きている訳ではぜんぜんないのだというのを、むしろ1枚だけあるエースのカードが強すぎるとその人の人生自体がそれを支えきれずに歪んでしまうんだということを、もしくはその逆もありなんやでなんてことを、これまであまり考えてきませんでしたと言い切ってしまうと「おまえはアホか」と言われそうだけれどその点は、まあちょっと否定できません。

ともかく私はそんな全く一面的でなく、一筋縄ではいかず、実のところ世界とひとつも和解できていない、しかしその分愛しい人間というものを、足りないアタマを駆使して自分の言葉で何とかして捕まえたいなと思っています。つまりは出来るだけ挑戦的にかつ沢山書きますということです、娘は今年も結構な回数入院しそうな気配がするのですけれども。

去年の私と言えば目の前におきる現象をただ言葉でおかしな形容詞を使って飾って書き写しているだけでしたけれど、今年はこのつかみどころのない人間というものを自分の言葉でその端か髪の毛一本でもいいので捕まえたい、それができるように今年は5歳児に隣で「そんなことはいいので早くリカちゃんの髪を結べ」などぶうぶう言われながらも頑張りたいと思います。それができたからって何がおきる訳でもないのですが。とにかく努力します、地道に努力だけはできるというのが暗算のできない中年である私の数少ない美点です。

どうぞ、今年も私の拙い言葉たちとお付き合いの程を、よろしくお願いいたします。


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