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夫が会社に行けなくなった話 後半


夫が『うつ状態』になった2016年から3年後の2019年5月

今度は私が精神科にかかる日が訪れる。

それもガチの精神医療センターの精神科に。

その頃発達障害児でその状態がフィバーしていた息子と、2017年に生まれ、4ヶ月の入院と11時間半の手術の後、やっと手元に帰ってきたものの2回目の手術を控えてリハビリ三昧だった心臓疾患児の娘②を丸抱えしている状態に心が折れたが為に

それはもうポッキリと、いとも無残に。

自分の心の内は見た事ないが

やっと2度目の手術に漕ぎ着ける娘②が明日突然死んじゃったらどうしようと、そして同時に無事に生かして行くこと自体ももう辛い、辛いったら辛い、そればかり考えて眠れなくなってしまった。

精神科案件は突然に。

そして、この病院セレクトは2016年のあの時、その手のドクターがそう易々とは捕まらないということを学んだ私が、敢えてガチの精神科に自らをブッ込むという浅知恵を働かせた故ではある。

経験則の大切さよ。

そんな医療センターでは、医師の診察の前に精神保健福祉士の問診のようなものがあって

個室に案内され、そこに鎮座するニコニコと感じの良いマダムが

「今日はどうしましたか?」

から始まって

「貴女は、どんな子供だった?」
「学歴を言える範囲で教えてね」
「お子さんは?」
「今の健康状態は?」
「既往歴は?」

細かなことを聞き出してくれる、その中に

「過去に虐められた事はある?」
「親御さんから虐待を受けた、そういう経験はありますか?」

という質問が、ここまでダイレクトには聞かれなかったけれど、もう少し柔らかい表現で質問された。

その質問はどうしてですか?と私が問うとマダムは

「子供の頃に受けた傷というのは、その時は大した事はないと思っていても、ずっと残るもので」
「それは大人になったある日突然、ちょっとした出来事やきっかけでその人の心を突然壊したりするものなんですよ」

だから、いじめとか、虐待とか、それが例え些細な事でも小さい子の身体や心を悪戯に貶めたり傷つけたりしては絶対にいけないの。

あのマダムは何というお名前だったか、あの日の私は相当混乱して、泣きながら娘②を抱いて話を聞いてもらっていたのでよく覚えていないけれど、あの

「子供の心を傷つける事は、本当に本当にとてもいけない事なのよ」

という言葉は鼻水を垂らして泣いていたあの日の私の心に刺さった。

そしてあのマダムは私にティッシュもくれた

ええ人やった。

夫が病休を取って数日、その毎日は意外に穏やかだった。

精神科案件での病休。

精神医療方面に疎いというか、その手の疾患の人に自分も含めてまだ関わった事が無かった私は『うつ状態』になると人は一体どうなるのか、何が起きるのかよく分からなくて

夫が布団から一切出てこないとか、

壁に向かってクスクス笑い出すとか、

「宇宙から電波がきている」

とか言い出さないかと、毎日固唾を飲んで見守っていはいたが。

私が、えみちゃんから聞いた恫喝上司の言動をふと思い出しては

「もうしばらくあんなクソ上司のいる会社には行かなくていい」
「あいつは早晩禿げる、頭頂部から」
「あったか〜いコーヒーを買ったら、毎回冷えた烏龍茶が出てくる」
「コピーを取る時、常時コピー機のトナーが切れる」
「PCを使う時絶対更新が始まる」

という地味かつじわじわ来る呪いの言葉を会社の方向に向かって呟く度に

「そんなん起きへんて〜」

と言って笑う程度には普通だった。

昼間は始終眠たそうで、その癖何故か夜は眠れないとリビングを徘徊する様子や、偶に会社のことを思い出すのか漠然と不安そうな表情をのぞかせるのが見ていて可哀想だったが。

意外な所に夫の直接の援軍にはならないが、夫のこの状態に心を痛めてくれる人もいた。

それが夫の『慢性網膜剥離』を最初の手術から診てくれている主治医のK先生。

このドクターは、市内のかなり大きな眼科医院の院長先生で、面差しが滝藤賢一に似ている。

滝藤賢一がどこの誰かわからない貴方、それは『半沢直樹』で堺雅人の同僚役をやったミッチーじゃ無い方。

全く全然キラキラしてない激痩せの方。

そしてとても穏やかで優しく気遣いというかたおやめぶりが凄い。もう生物学的女の私の100倍位フェミニン。

夫が最初に派手に網膜剥離を起こし、緊急手術の後1ヶ月自宅安静を余儀なくされた時も、所謂働き盛りの夫が、そんなに休まないといけないんですかと肩を落とすのを

「うーん、でも、お子さんとゆっくり過ごす時間を神様に貰ったと思って、ネッ!」

「長い人生の中ではちょっとの時間だからネッ」

と言って、気持ちを切り替えつつ家族と過ごす大切さを説き。

この先生は語尾に『ネッ!』を付ける、それがまたそこはかとなく可愛い。

夫が、病休中定期検診に行き『今うつ状態で2週間程病休してます』と言った時も

「2週間位の病休なら、僕が幾らでも診断書書いてあげたのにぃ〜」

職業倫理上問題になりませんかそれはレベルの発言で夫を労ってくれた。

『いくらでも』て

あと、先生眼科医やから。

そして『いくらでも診断書を書く』など、今現在娘②の、彼女が心臓疾患児であるが故に度々各方面に診断書申請書を出さなければいけない、その必要に駆られ

「先生診断書書いてください」

しょっちゅう依頼し

『俺忙しいからそういうの今あんまり〜』
『それ、絶対いるやつ?』

そう表情から態度からダダ漏れする娘②のイケメン主治医(往年の)との攻防を続けている今現在

このDr.滝藤の優しさと、夫への労りはただ事では無かったのだとしみじみ思う。

夫の頼りになる方の上司、えみちゃんも早々に産業医との面談を

「取り敢えず、今の病休明けの翌日に予定しておくから」

あの一流の押しの強さで速攻日時決定し

「そこで会社の方にも現状を鑑みて、配置の転換を考慮してもらうから!」
「ちゃんと養生しときやー!」

というメールが来た

流石や

えみちゃん半端ないわ。

とは言え、この苦境の1月、そんな神風的追い風ばかりは吹かなかった。

先ずは、病休2週間目を目前にして夫の病気休暇が延長になった。

「まだちゃんと働ける自信がない」

OK、理由はわかった。

夫は学生時代も、社会人でもどこでも割とそこそこ優秀でならしてきた男だ。

センター8教科を7割取って、そして二次試験に風邪をひき志望した国立に全敗した男。

そういうそこそこ感。

加えてそこはかとない運のなさ。

いつも『いつも上位2割か3割の優秀さを希望』の夫がメンタルフィジカル共に不調のまま出社を再開しては、元の木阿弥なのはよくわかる

だがしかし

病気休暇の上限は30日

そのギリギリ上限までの延長。

患者に寄り添うDr.柄本は

「本人の気持ちが大事だからね〜」

と言って診断書を追加で書いてくれた、という事で恐悦至極に存じます

30日使い切ったら次は休職では。

そうなると給与ってどうなるんだっけ?

夫の残業代によって家計を支えられていた当時、今もか

家計は病休1ヶ月で既に結構打撃を受けていた。

確かに夫については

▷いのちだいじに
 ガンガンいこうぜ

このコマンドで療養してもらう事を決意し、実際そうしているつもりだったけれど、この後手元不如意から貯金をざくざく切り崩す事になるのは大変にありがたくない。

そうなると、次第に外を歩いていても、コンビニの『アルバイト募集』とか、偶に郵便受けに入る『簡単で短時間のお仕事です!』とは書いてあるけど具体的には何すんのコレ的なお仕事とかが気になり始め、果ては近くの工事現場で働く屈強なおじさんや若者を見ても

「娘①をおんぶして私がこういう仕事を..資材を運ぶとか..」

という絶妙に明後日な方向性のリクルートが私の頭を駆け巡るようになる。

重機操縦どころか普通運転免許も持って無いくせに何を思っていたのか当時の私は。

夫が特急電車に飛び込むような事態に陥っては元も子もない。なんと言っても2人子供をもうけて7年連れ添った夫だ、そう思って会社に啖呵を切って病休には入ったものの

兵糧攻めは地味にきつい。

よく考えよう

お金は大事だよ。

あの頃、外から帰宅すると、同じような扉がずらりと並ぶ社宅の一角にある我が家の明かりは、少しくすんで見えた。

これは長丁場になってしまうのか

精神疾患の快癒には

ベホマは使えないのか。

突然ですが、貴方のお身内に、病気や不慮の事故の際

「あの病院はダメよ」
「気の持ちようよ」
「先祖の霊が」

という、お越しになった際は裏口からお帰りくださいそして塩を撒けワードを持ち出してくる人はいますか?

ウチにはいる。

それは夫の母。

私の姑。

彼女は恐ろしい。

息子である3人の男子は皆同じ私立進学校に学び、一人を旧帝大、一人を最高学府、最後の一人は彼女曰く

「失敗して私立大学よ〜」

その私立大学は私も出ているのですが。

夫の実家では夫の兄二人が規格外に優秀であるのに対し、夫が、彼の実家においては出来ん坊主であるのはテッパンのネタだった。

もう一度言うが、私は夫と同じ私立大学を出ているのですが。

とは言え皆立派に成人し、聞けばそこそこ世間の誰もが知っているようなお勤め先に勤務し、結婚し、子供を持ち、夫の実家である関西の片田舎の子育て市場に於いては絶対勝者と言っていいタイプの人だった。

その彼女はこの時期、夫の事で大層気を揉んでいた

夫が持病の慢性網膜剥離で繰り返し手術をしては休みを取る事をだ。

「アンタそんな事ばっかりで仕事大丈夫なん?」
「また入院したら、冬休みは来れへんの?」
「自宅安静って、じゃあ孫ちゃんと嫁ちゃんはこっちに来させて」

親子の情や関係というのは外からの目では分からない事も多い、それは夫婦も同様だろうと思って、私はこの

「私なら携帯を叩き折るがな!」

レベルの夫の実家での扱いに口を出した事はあまりなかった

多分。

少し位は言ったかもしれない。

そして私自身は向こうの言い分をあまり聞いた覚えが無い。

しかしこのうつ休暇への口出し、これには黙っている訳には行かなかった。

だいたい夫もうつの事は黙っておいて適当に「ちゃんと会社に行ってる」とか言えば良いものを

詰問されるとツルッと吐いてしまうのだあの人は

スパイとか犯罪者には最高に向かない。

『難治性網膜剥離』からバージョンアップして『うつ』

彼女はそれを飛躍して『ガチの精神疾患』と捉えていたようだったけれど、これが最高に外聞が悪い、それで休職から退職で無職になったら更に外聞が悪いと思ったようで

「いつ、出社するの」
「病院を変えなさい」
「『うつ状態』は『うつ病』とどう違うの?」
「違うなら2週間も休む必要ある?」

頻繁に夫の携帯に連絡を取っては

『いつ、出社するのか』

を詰問してきた。

闇金の取立てだってこんな執拗ではないと思いますよお義母さん。

彼女にとって、自身の設定した『優秀』から逸脱した息子は我慢の範疇を超える存在なんだろうなとは思ったが

今そんな事言って追い詰めて、早晩息子が首でも括って死んだらどうすんだこの人は

我が家的には冗談ではないのですが。

私は、彼女の期待というか希望は流石に今この時点ではわがままだろうと、そんな電話が何日か続いたある日に、ため息混じりに同じようなやり取りをしている夫の携帯をいよいよ

「貸せ!俺が出る!」

そう言ってひったくろうと思ったが、

この日、

普段あまり大声を出したり、ましてや人を罵倒するような真似をするタイプでは決してない夫が

「何でそんな自分勝手なんや!」

「トウダイとかそんなん、そんな行きたかったらお母さんが行けばええやろ!」

「俺はしんどいんや!」

この場合のトウダイは灯台ではなく東大です。東京大学。

結構な音量で怒鳴り、携帯を叩き切った。

床に叩きつけないあたりが、夫の育ちの良さを物語っている。

それでも私は驚いた。

いつも親に口答えというか、どちらかと言うといつも機嫌をとるような態度で、あちらの出方を伺うような態度しか取って来なかった夫が

まさに、臆病者の一撃。

英語で言うとBUMP OF CHICKEN

誰か天体望遠鏡もってこい。

思えば、あの日あの時がにいちゃん達より格段にお勉強が出来ない冷遇された末っ子がお母さんを諦めた瞬間だったんだろう。

夫は多分あの「この子はバカ」のポジションに無自覚に、でも結構傷ついていたんじゃないかと私は思っている。

精神保健福祉士さんも言っていた

「些細な事でも子供の心を悪戯に傷つけてはいけない」
「それは大人になったある日突然、ちょっとした出来事やきっかけでその人の心を突然壊したりするものなんですよ」

そう言うことを。

夫はこの日から、夫の母、私にとっての義母に一度も会っていない。

夫の母も会いに来ない。

夫は、その後突然元気に

はならなかったが。

夜寝られないとか、逆に昼その辺で眠りこけているという生活は若干改善し

ちょうどその頃テレビ大阪で毎日再放送していた『SLAM DUNK』のアニメをよく見ていた。

あの1990年代にバスケットボールを世に流行らせたジャンプの人気漫画。

子供の頃、ちょうど放映時期がにいちゃんの受験と被ったがために一切見せてもらえなかったらしい。

私は子供の頃は完全にりぼん派で、ジャンプは読んだことが無かったし、そもそもバスケットボールのルールも一切分からず

「バスケットボールて何人でやんの?6人?」
「この桜木花道は何でこんなアホなのに、この賢そうなメガネの副キャプテンと同じ高校なん?」
「え?流川君もアホなん?」
「この高校偏差値なんぼなん?」

というアニメ本編とは全然関係ない質問をしては夫に嫌がられたりしていたが、夫は原作の漫画を

「これ実家にあったんやけど、もう取りに行く事もないしなー」

そう言って全巻Amazonで大人買いした。

そんで実家には行くこと無いんか、まあいいけど。

それで、そこに転がっている活字は税法六法でも読んでみるタイプの私も一緒になって原作を読んだ

あの井上雄彦先生の絵の美しい原作を

それで驚いたのは

「え?最後負けちゃうの?」
「そうそう、さいご愛知代表に負けんねん」
「ジャンプなのに?」
「ジャンプなのに。」

主人公と言えば最強無敵常勝上等のジャンプにあって最後は敗退で終わるという最後に驚いた。

ジャンプの主人公すら負けて終わるんだから、まあ『うつの病休』位はあるか長い人生。

私は思ったが、夫はどう思ったのか

大体叙情性とか共感性を著しく欠くのが夫の性格の最大の特徴で

役所申請、銀行振り込み、源泉徴収整理、現実的な事が最高に得意な人間なのが夫その人なのだ。

そしてそのSLAMDANKの再放送が終わる頃、伸ばし伸ばしになっていた会社付きの産業医との面談がやっと実現した。

えみちゃん

あの時はありがとうやで。

結論から言うと

夫は病休30日上限をきっちり使い切り

通院しつつ半休、たまに有給を使いながら、通常業務に復帰するのに『会社に行けない』と言い出した1月上旬から2ヶ月を要した。

それでも一般的には短い方だろうと思う。

その間、家計はそこそこ逼迫し、私の名義の虎の子の貯金が目減りしてしまったが。

恫喝上司は下っ端を3人潰した位では、左遷も配置換えもされず、逆に動いたのは夫の配置の方だった。

これについては、2ヶ月近く夫の体調をメンタルを危惧し続けた妻としては奴を南港に沈めようかと画策しなかった訳ではないが

いや、犯罪は割りに合わない。

今後も、今は更に偉くなったらしい奴の頭頂部が禿げ上がる事を静かに祈っている。

息子と娘①はあの時の事を

「パパが家にずっといて、一緒にテレビを見たり3DSしたり結構楽しかったけどアレなんやったん?」

と記憶しているようだ。

何やったんやろな。アレ。

私達夫婦は、あの困難を乗り越えて絆が深くなり、益々おしどり夫婦になったのかと言われると

そうでも無い。

大体息子によるとおしどりというのは毎シーズン相手が違うらしい。

それどころか

その後生まれた第三子、心臓疾患児娘②を育てるにあたり

「私はこんなに、こんなに大変なのに、何でアンタは普通に会社に行って普通に暮らせる訳?」

「私の普通の生活はいつ戻って来るんや!?」

何度この手の喧嘩をしたか分からない。

障害や疾患のある子供を育てるというのは平凡で凡庸な私達夫婦にとってはとても大きな壁だ

それを未だ乗り越えられず、偶に喧嘩して、偶に愚痴を言い合ってとりあえず何とか夫婦をやっている。

ただ、夫はあの長い冬休み以来、みんなより良く出来ないと、上手くやらないとという焦りや拘りを捨ててしまったように思う。

息子や娘①にもそんな事を一切求めなくなった。

まあ『生きててくれたら100点満点』みたいな娘②を育てているという事もあるけれど。

私達はキリスト教式で結婚式を挙げていて

「病める時も、健やかなる時も」

のアレを神の御前に誓ってしまっているが

今のところ、この約束は反故にしないでいる。

そう思うと、あの誓いの言葉は重たい。

あだやおそろかに「ハイ」とか言う物では無かった。

夫は、どう思っているのか

それについては良く知らない。


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