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Keep calm and carry on

ヨーロッパで第二次世界大戦がはじまろうとしているその前夜という時期、かの地に密かにそして確実に戦争の気配のし始めたその頃に英国情報局(って本当にあるのですね、フィクションだと思ってた)が人々を落ち着かせパニックを避けるためにと制作したポスター、そのコピーが

Keep calm and carry on
冷静に戦い続けよ。

ということらしいです。これはキャッチーなやや意訳であってもう少し柔らかくすると『平静を保ち、普段の生活をつづけよう』という事かも。それはもう80年近く昔のこと。当時の人々は街のあちこちに張り付けられていたのであろうそのポスターを見て、いずれ世界中をその渦中に巻き込み結果人類にいろいろの罪と軛を負わせることとなる大戦の不穏な足音を

「ふん、ドイツ軍が来たからって何なのよ」

そう思って己がココロを鼓舞しつつやっぱり午後のお茶を淹れていたのかなと。そして私がこの昔々の言葉を今、自分の脳内からややホコリをかぶった世界史の知識とともに引っ張り出して来たことの意味はひとえに、あの世界規模の感染症のアレがほんのり姿と形を変えてまたもり返してきたことによるもので、世の中とそこにある人々が少し平静を取り戻しつつあった12月、長く追われてきた姿の見えない敵にからいよいよ逃げおおせて、もしやここがやっとたどり着いた約束の地なのかしらんと思ってほんの少しだけ肩の力を抜いていた時期からまた一転

「大阪 新たに500人前後が感染か」

という見出しの踊る本日ただいまネットニュースを眺めていると(2022年1月6日16時時点)

「また?」

という関西在住早四半世紀のココロと体に沁みついてしまった突っ込みと次いで深いため息が出てくるもので、だって今日でやっと冬休みが終るのですよ、明日からうちでは中学校、小学校、幼稚園が一斉に新学期なのです。それなのに万物を支配している全能の智とか呼ばれている何かは一体ぜんたい何を考えているものか、ウチにいる思春期の中1思考よりも遥かに理解に苦しむのですが。大体この流れは去年の夏休みとそう違わない流れなのでは、それって二番煎じにも程があるやないの。

あの夏は我が家の3人の子どものうち、上の2人はそれぞれ10日間程、下の娘にいたっては本格的な基礎疾患持ちであるので1ヶ月近く夏休みを自主的に延長し、一時は残暑厳しい季節、夏の積乱雲を遠目にしながらこ狭い自宅に子どもが3人。1人は家中を退屈に任せてウロウロと徘徊し、それを家事の合間に構いつつ他2人はリモート授業、あの時は辛かった。下の娘、現4歳はその年の春、心臓の手術とその後の入院のために入園を2ヶ月遅らせていて、やっと入園した幼稚園には1学期はやっとひと月ほど通ってあっと言う間に夏休みがやってきて、暑い暑い夏を越えて2学期という矢先の夏休み自主延長。そうなると夏休み含め3ヶ月近く集団生活から遠ざかることになって、これではさあいざ登園再開という段になって

「ようちえん…なにそれ、しらない、いかない」

しくしくと涙をこぼしながら登園拒否を言い出したりはしないかと、とても心配したものだった、そしてそれは完全なる杞憂であった。4歳は冬休み期間中ずっとそれこそ大みそかの夜にも

「あした、ようちえん?」

と聞いてきたもので、あの夏を遠く超えた小寒の日、世間がかなり不穏な感じになってはきたものの新学期ひとまず登園させてその後の事は様子を見ながら判断するしかないねえと、そんな話をしたのは丁度この日が訪問日であって14時過ぎにうちにやって来た訪問看護師のサイトーさん(仮名)で、サイト―さんは私にとっては歴史に残る大事件であったあの去年の5月、各地の拠点病院、三次救急、高度救命救急センター、そういうものが次々にその集中治療部をコロナ病床に明け渡している中で、関西最大規模の国立大学病院がとうとうICUを一時閉鎖、一定の期間コロナ専用としますと宣言し実際そうなったあの時期

「えっ…そんな事が関西一円でさらに連鎖的に起きたら、例えばウチの子がもし万が一急変とか血栓とか呼吸不全とかそういう事になったらどないしますの」

私のようないざコトが起きれば病棟・PICU(小児集中治療室)をすっ飛ばしてICUのお世話にならなくてはもうどうしようもないタイプの疾患児の親が戦慄していた時期にあって、かつてICU勤務者であったその腕を買われて最前線のコロナ専用病床に派遣され戦いそして生還してきた猛者で

「いや~増えて来ちゃったねえ」

もうコロナの時代に現場で闘い続けて3年目のサイト―さんは、今回流行しはじめているものがどういう症状を引き起こすものでどんな性質を持っているものであれ、4歳のように循環機能が元々脆弱である子はこれまで通り気を付けていくしかないのだけれど、それにしても春に予定されている4歳のカテーテル検査、去年の2月に受けた心臓の手術の評価のための検査がまたずれ込みやしないかとそちらの方を心配してくれていた。思えば4歳はこの数年、コロナで検査が押し、コロナで術前の処置が押し、コロナで手術が押し、これでさらに術後評価の検査まで押すとなると、医学的評価ができないままに、1歳から共に過ごして早3年近くなる在宅酸素療法、通称HOTと呼ばれる4歳の相棒と一体いつお別れの日が来るのか、皆目わからんことになるのですけれど。

「酸素はねえ、まあいつかは無くなる日がくるのかもしれないけど、なんか色々と予定が押してそれで今年中にはもう外れない気がしてきたんですよね…」

そう言ったのは私の方。

この少し前のエコー検査で「在宅酸素療法離脱については諸々の条件が整いつつあるのでは」と医師の所見のあったこれも、生活のレベルで4歳本人を見ていると、姉の10歳とコロコロと居室の中を飛んで駆けてほんの数分遊びまわっただけでなんだかゼエゼエと息を切らしているし、外に出すと5分程度しか歩かないし、やっぱりまだその時じゃないのでは。

ただ息切れはするものの、運動機能的には自力でいくらでも歩き回る事の出来る子であるもので、専用のカニュラと呼ばれる透明のホースとそこに繋いだボンベはとにかく今、この子の生活の邪魔者になっている。歩けば足に絡まり、動けば首に巻きつき、そしてどこかに引っかかる。街中では体に絡みついたそれをほどく為に、たびたび親も子も踊るようにして突然くるりと往来で一回転して知らない人から奇異な目で見られたりしてたまに恥ずかしい。4歳はこの生活のことを一体どう思っているものか、改めて聞いたことはないのだけれど、親の方は

「酸素は一時的なものです」

と言われているからずっと

「いつかは無くなるのだから」

そう思って頑張って来たというのにそれがもう3年、そうなるとこの4歳は既に人生の殆どを在宅酸素療法のための諸々と暮らしているのであって、本人もよくドアの隙間にカニュラに繋いだ延長ホースがひっかかり

(またか!)

と面倒くさそうな顔をしてそれを何とかしようと乱暴に引っ張りつけていることはあるけれどそれはすっかり体の一部になっている。この不便が日常になっていって時折どうしようもなく面倒だなあと感じるものの

(もう致し方なし)

そう諦観して、さらにはその諦観が苦さを残しつつも日常にさらさらと溶けていくこの感じって今の世の中と本当によく似てる。


しかし4歳は、そもそも自分で立って歩いて世界を己が五の子の姉の10歳が定期的に通うアレルギー科への通院にこの4歳も連れて行った時、4歳は普段からすぐ少しの距離を自力で歩いただけで、それは体が肺循環の限界なのかただの甘えん坊なのか

「あるけない…」

と言ってすぐに私に抱っこをせがむもので、そうなると現在約16㎏の4歳と、3㎏弱の酸素ボンベ一式を全部私が抱える事になり早晩腰が大変なことになるものでこの疾患児の界隈では

「なんか4歳ちゃんてさあ、でかい…よね?」

よくそう言われてしまう身長101cmをベビーカーに無理やり詰め込んで出かけた病院で、流石に「狭いのですが?」という顔をしていてその表情の通りにアタマの上にあるサンルーフを突き破りそうな4歳を待合のスペースで一旦下ろしてその時私が背負っていた酸素ボンベの入ったリュックをカラになったベビーカーに置き、4歳をその横に立たせてみたらば4歳が突然いいことを思いついたと

「ベビーカー、あたしがおしてくれるよ?」

そう言って勝手に自分のベビーカーをよたよたと蛇行しながらも自力で押し始めて、それはすなわち自分で酸素ボンベを運ぶような形で散歩に出てしまった。4歳の思いつく「いいこと」は親には困ったものであることが大変に多い。

そうやって4歳はこの日初めて自力で酸素ボンベを運ぶ術を勝手に編み出し、誰にも帯同されること無く誰の力も借りず自身の自由意志で自己の意思決定に従って小児科の待合スペースから勝手に出て左に曲がり、よたよたとした酔っ払いの千鳥足のような足取りでそこの奥のCT室まで散歩で遠征したもので、私としては普段あんなにCTとかMRIとか造影に関する諸々を毛嫌いして、あたしはあんな変ちくりんな機械のあるお部屋には絶対いかないのと現場の皆さんを散々手こずらせているのに、自力で行けるとなったらホイホイ行くのんかと、そしたら次のカテーテル検査はこの形式で自力で移動させたらすんなり入室してくれるやろうかと、まあその辺は何も言わないで黙っておいたけど。

思えばこの子が1歳5か月の頃、それは疾患児によくある事で、運動発達の遅れによりまだほとんど歩けないのを「歩けないのなら訓練します!」と本来術後の呼吸のリハビリの為に来ていた筈の理学療法士が歩行訓練をしている頃に使っていたあの時は巨大なプロパンガスのような緑色の医療用酸素だったものを、今は家庭用のごく小さなものに持ち替えているとは言え4歳はいまやそれを自力で運んで歩いているのであって、それは凄い蛇行運転だし、時間はかかるし、普段特に急いでいる時には絶対使わせたくない技であるけど、それでも4歳の「あたしが自分でやるのだから触らないで」という意味の「ジブンデ!」の怒鳴り声を聞いた親の私には

innovation

という言葉が頭に浮かんだのでした。4歳の自力の技術革新、活用を創造、なんか少し違うかもしれへんけれども。

更にこの4歳は今回の冬休み、自分と共に3年を歩む在宅酸素療法のパーツを使って、例えばカニュラを縄跳びに模して大縄跳びの真似事とか、また同じモノをリードにして犬のお散歩ゴッコなどの一発芸も見出してくれたもので、ただ犬のお散歩ゴッコは流石にヒトとしての尊厳みたいなものが揺らぐ気がするもので、この芸の相棒である10歳の姉の方に

「なんかそれは人としてどうかと思うからやめて、10歳ちゃんが飼い主で4歳ちゃんが犬とかさあ…」

そう申し出たもので、10歳は「だって4歳ちゃんは犬が大好きよ」と言うけれど犬そのものになるのはなんか違わないか。

この4歳は今普通の、医療機器の装備など一切持たない子どもだけが在園している幼稚園に通っているもので、そろそろ自分が周囲のお友達とは少し違うのだと理解し始めているのだなあという言動もちらほらとみられるようになってきた。それがここまで己が医療機器装備を何の臆面もなく、一発芸の道具としてさえ使いこなす子になるとはちょっと思わなかったなあお母さんは。

自然の摂理とそこにある理不尽に負けない4歳。

それって『今そこにある艱難とか危機とかと冷静に戦っている』ということになるのかどうか。まあ自分は今こういう状態なのだから仕様がないのだし、それなら少し位は楽しく、多少なりとも不便を乗りこなせるようにという姿勢はあるような気がする。それで4歳が勝手に酸素ボンベを繋いでそれをベビーカーにのっけてお外に遊びに出かけたりするようになっても少し困るのだけど。また世間が不穏になってきた様子の今、4歳の今の姿に私はちょっと学ぶところがあるような気がする。




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