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息子をよく怒っていた頃の話②

①の話の続きです。

それでもこれまで、私はこの息子について、何も手を打ってこなかった訳ではなかった。

あまりにも紛失物と忘れ物が多く、集団行動にワンテンポもツーテンポも遅れる息子について小2、小3の時期に市の発達相談に出向き、WISCテストも既に受けさせていたが、そこでの判定というか心理士さんの所見は

「各種スコアに凹凸が激しい傾向はあるが、医療機関を受診するほどではないのでは」

という事で、確かにその当時はまだここまでの暴れっぷりは無かった。

そしてこの息子、知的には特に問題が無く、言語のスコアが大変に高い、平たく言うと口八丁、そんな様は、周囲の人に学校生活に困難のある子だと気づかれにくかったし私も気づきにくかった。

それで初動が遅れたのだ、返す返すも悔やまれる。

自分がバカ。

しかし、今悔やんでも仕方ない、人間は、未来に向かって生きていかなくては、過去は振り返るな、それで探しました専門医、見つかりました市内に三件、その中の一つは娘②のかかりつけ大学病院だった、オマエそこにおったんかい、灯台下暗しとはこの事やないかい。

それで早速、問い合わせをした。

「発達障害の検査を受けたいので、受診はできますか。」

すると答えはこうだった。

「受診は3か月待ちです、そして小児神経科の先生ですが、ここではなく別の関連病院にいらっしゃるのでそちらで受診していただくことになりますが」

え?

待ちは予想していた範疇としても、当の病院に先生が居ないとは。

小児神経科医それは小児循環器医並みの希少生物。

しかもこの頃、イヤ今もだけれど、娘②は極力電車などの長時間密閉された空間に大勢の人と一緒に居るという状態を避けていた、感染症予防の為に。その上経管栄養児はお出かけが長時間になると食事が大変だ、特によく吐くというオプション付きの娘②は長時間外に連れ出しにくかった。だからダメだ、電車乗り継ぎが必要な遠方の病院にこの子を連れて行くのは無理だ。無論、預け先も無い。

故に断念、次。

公立の総合病院、コレ娘①の喘息の受診先、オマエもそこにおったんかい。

それで今度は、娘②と息子を連れて、この病院に直接出向く事にした、ここ電話繋がりにくいから、というより、実際小児科のカウンターで聞いてみないとわからない事もあるかもしれないし、流石にここは唯一無二の一店舗、別の関連病院に行けとかそういうことは無いだろう。

「発達障害の検査を受けたいのですが、コレです、この子」

平日の昼間に、なにがしかの疾患持ちですねという赤ん坊を抱いて、そして小学生ですよねその子、学校は?あとお母さん色々ボロボロという結構壊滅的な見た目の親子三人連れが現れてカウンターの事務さんは若干面食らっていらしたが

『今!困ってます!』

が全面に出ているこの母親に、ここの事務さんは親切だった。

「お急ぎなんです…ね?」

ハイお急ぎです、何なら今日今からでも受診したい勢いです。

「ちょっと先生に聞いてきます」

そう言って事務さんは、くるりと踵を返してカウンターの裏手、小児科の診察室を縦断する関係者通路に入っていった。先生は今そこに居るんですね見つけたぞ専門医。

絶対逃がさん。

受診が決まってから、病院で各種知能テスト他を数回に分けて受け、そして恐ろしい程質問項目の多い保護者用のアンケートに答えてから、真打・小児神経科医の受診を待っていた1か月間は比較的穏やかな日々だった。

あの日、心身ズタボロで出向いた小児科で

「えー?なら8月のさ、お盆の辺り、あの辺入れてあげて!まだ入るから」

第一診察室から響いたその『お徳用キュウリ詰め放題!』みたいな言い方の小児神経科医のものらしき鷹揚な声に驚いたが救われた。初診待ち1か月半はこの業界では破格の速さだと思う。

受診日の決定した自主休校1週間目、息子は登校した。

夏休みが目前に迫っていたという暦も少しそれを後押しした。

あと息子が

「学校の勉強は家でできるが」
「自宅にはプールが無い」

という『東京には空が無い』みたいなことを言い出したからだ、高村光太郎か、オマエは智恵子か。

何ならベランダに出しますけど、その昔、幼稚園時代に愛用した赤ちゃんプール直径90cmを。あと夏休み直前の給食は大変豪華メニューが続くらしい、七夕の日に出されるゼリーも自分が休むとクラスでその残部が奪い合いになる、それはイヤだという。

君は今のこの状況と自分の立場を理解できているのか。

そのまま流れるように始まった長い長い夏休み、その年ももれなく関西は異常な程熱くて、暑さに弱い娘②を通院以外の用事で屋外に連れていくことは危険だからと、私と娘②は家に閉じこもり、そして息子と娘①は水に沈めた。

言い方。

訂正、スイミングスクールで毎日泳がせた。

夏の子供は水につけておくに限る。

そうやって待って待って迎えた8月の中旬、受診日はやってきた。

この日、娘②と娘①はお盆休みの夫と留守番で、息子と私の二人での受診となり、なぜか息子は

「この組み合わせで出かけるのひさしぶりよな~」

と言って浮かれていた。

浮かれてる場合か。

そして可愛いかよ。

電光掲示板に受付番号が点灯して、入室した第一診察室では

北の湖親方が待っていた。

親方どうしてここに、死んだはずでは。

違うやろ。

それがこの後、今でも息子の主治医として息子に絶大な人気と信頼を博すM先生だった。

そしてこの先生を一目見た時の私は思ったものだった。

「神よ、何故私の周りには、こうキャラ立ちする医者しかいないのですか」

M先生は見た目通り豪放磊落な、もっというと単刀直入な、更に付き合ってみてわかった事だが雑な、ブルータスお前もか、兎に角そういうドクターで、私と息子が着席するなり。

「あのさ、これまで受けたテストと、それと提出してもらった以前のWISCのテストとね、あと学校の先生からの書類見たけど」

M先生には事前に過去受けたWISCのテストの結果と、小学校の担任に息子の『学校で起こした息子の問題行の内容』を簡単にまとめたものを書いてほしいと依頼して、それを提出していた。

「ADHD(注意欠損多動性障害)だね~典型的なヤツ、あとさ、息子君、ちょっと片足で立ってみて、それで目つぶってみて」

息子はこのフラミンゴ立ちが苦手だ、大体数秒でぐらぐらする、息子は『え?何言ってんのこの人』的な訝しげな表情を隠そうともせず、それでも先生の言った通りに片足立ちし、ものの数秒でぐらぐらして足を床につけた。

「ウン!多分DCD、発達性協調性運動障害、わかりやすく言うとね~んん~不器用なの!この子!不器用でしょ?」

ハァ、彫刻刀を持たせると流血の大惨事になる子ではありますが。アレ障害の一種なの?私に似て不器用なのかと思ってた、そして『不器用は罪』とか言い合っていた、そうなの?罪じゃないの?

「でね、お母さんはどうしたい?」

どうしたい?

この先生はよくこういう聞き方をする、私は当初これに大層面食らった、例えば心臓疾患児の娘②の主治医ならこういう聞き方はしない、患児の保護者に治療方針を委ねるような聞き方は。

だってお母さん素人だし医者じゃないし、胸部レントゲン見ても『心臓ですね~』位しかわかんないし。

しかしこのM先生はこう言った。

「発達障害っていっても、コレはコレで息子君の在りようだからね!」
「担任の先生からの意見書読んだけどさ、困ってるって言っても、困ってんのは先生なの本人なの?」

どっちかというと担任の先生です。あと何より私ですM先生。


「本人は学習に遅れも出ていないのでそこまで何か学校生活に困難は感じていないと思います」
「授業中に出歩いてしまうのも、規範意識が独特というか、まあいいじゃん位に思っているみたいで」
「でもお友達に暴力を振るうとか、後先考えずに何かものを投げるとか、とっさに嘘をつくとか、兎に角周りの迷惑になるような事は困ります、これは緩和するなり抑えられるならそれにこしたことは」

ないですと私が言うのにかぶせて、M先生は言った。この人はかなりせっかちな性質のようだ。

「嘘ね、つくでしょ、でもそれってすぐばれるヤツだよね、それは衝動的についてるの、お母さんに怒られるのイヤだからとかそんな理由で、好きなとこにプイっと行くのもそう、暴力もそうだね、思いつくとやる、この子は衝動性優位の子だから」

そう、息子はよくすぐばれる嘘をついた、虚言癖があるのかと思っていた。担任の先生からもそれは指摘があったが、虚言とかそういう子はもっと周到でばれない嘘をつくらしい。息子の嘘はもっとこう、口の周りに一杯チョコをつけてもぐもぐしながら

「チョコなんか食べてないよ!」

というヤツだ。

「ねえねえ!聞きたいことがあるんですが」

M先生と話しをしている傍ら、診察用の椅子でぐるぐる回っていた息子が、突然話に割って入った、なんだ息子よ回っといてくれよ椅子で

「何?なんか質問?」

先生は子どもの質問にも親の質問にトーンが変わらない、M先生のこういう点を多分息子は気に入っているのだろうけれど。

「あのさ、僕、メンサに入れそう?」

メンサ、あの国際的高IQ集団。

息子よ、それ今聞かなあかん事?

息子は少し前に受けた病院の診断テストにIQスコアを計るものがある事を何故か知っていて、この質問をどうしてもこの先生にぶつけてみたかったらしい。

この息子はクイズ番組が大好きで、東大王とかそういう子の中にもいるメンサ会員に憧れていて、その集団が普段の活動として皆なで集まって楽しくカードゲームやボードゲームに興じている事に羨望の眼差しを送っていたのだった。

要は賢そうなお兄ちゃんお姉ちゃんを遊び相手に欲しいのだ。

普段、お母さんが付き合ってくれないので。

だってお母さんアンタとその手のゲームすると100%負けるから嫌なんやもん。

「メンサ?ああ、アレな、ぎりぎり入れるで。」

入れるんかい。

メンサとかいいからお母さんとしては学校で大人しく普通に過ごして欲しいのだが。

あと嫌だな自宅に遊びに来て、黙々とカードゲームに興じる高IQ集団。

「それと、この子、環境の変化に弱いから、支援クラスに入れたからハイ解決にはならいないと思うよ、もちろん意味が無い訳ではないけど」

そして、そこに入るかどうか決めるのは保護者だよ、先生方じゃないから、と言った。

そう、息子のこの状態の悪化は娘②の誕生からだ、この子は環境の変化に弱い、自分と周囲の変化とを上手く調整できないのだ。

しかし、娘②の急性期とういうか医療的ケア児で、次の手術の間までの感染症に注意しつつリハビリをし、チアノーゼかどうかを判断して暮らす、そういう看護生活はまだまだ続く、息子の生活環境を落ち着かせる事は急務かもしれないがこればっかりはどうしようも

「それで、薬とかあるけど、どうする?ちょっと試してみる?血液検査とMRIと脳派の検査いるけど」

あの、ちょっと悩ませてもらえませんかね。

このM先生は本当に話が早すぎる。

母はもう少し懊悩したいんや。

結局、息子はその秋からいくつかの検査を経てコンサータを服用することになった。

服用前の検査は大変だった。

採血は嫌だと暴れる衝動性。

脳波を取るのに効かないトリクロ。

結局覚醒したまま挑んだMRIで「うるさい!」とか叫ぶし。

M先生の

「薬はいつでもストップできるし、お母さんが悩むのもわかるけど、まあ一度やってみて合わなければやめたらいいじゃん」

という

『まあ一杯飲んでいけばいいじゃん』

これ以上無い位軽いノリで説明を受けて、え?そう?じゃあ一杯だけという運びになったのだ。

服用するのはあくまで息子だが。

私は脳だの神経だのに作用する薬が息子の人格を丸ごと作り変えて、服をきちんと前後ろ確認して着用したり、脱いだ靴下を洗濯機に入れたり、学校からのお便りをきちんとそろえて私に渡してくれたり、突然カタビロトゲトゲについて語りだすような事が無くなるのかと思っていたが

どうもそういうオプションは無かったようだ。

それ付けてほしかった。

ズボンとパンツを一緒くたに脱がないとかそういう効能ないんやろうかコンサータ。

息子は相変わらず、服は後ろ前だし、水筒はその辺に置いてくるしでもうええ加減にせえよ。

ただ、その秋ごろから娘②のリハビリはほんの少し進み、私も娘②との暮らしに少し慣れた。娘①の爪も伸びっぱなしではなくなって、息子も学校で諍いを起こす回数を減らした。

環境が改善された故なのか、それとも薬のご利益か。

その辺はよくわからない。

私は相変わらず息子の事をよく怒るが、あの頃のように金切り声を上げる事は少なくなったと思いたいが、どうだろう。

何しろ、今は娘②が悪魔の2歳。何をどう言おうが注意しようが学習机に上り、本棚を荒らし、ハサミを振り回すので。

娘の執刀医、小児心臓外科医のK先生からは

「娘②ちゃんは、胸部の手術痕よりも、高いところに上って頭を打つとかそういう事が心配ですね…僕は頭部裂傷とかは診られないから、心臓が専門なので..」

という危惧をすでにいただいている。オイ娘②、すでに自宅での暴君ぶりがばれてるぞ。

それで私は、今日も鋭意子ども達を叱責している。

女の人は、特にお母さんは、というか私は怒りたいから怒っているのではない、子どもを守りたいから怒っているのだ、怒るべきその時に怒らないと、子どもの居場所も命も無いからな。

わかってもらえるだろうか。

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