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週休5日。(週5日制。の続き)

 https://note.com/6016/n/n736e4f20a3a9

『言葉は呪縛である』

というのは、日々を言葉とともに暮らす者は皆、なんとはなしに知っていることだと思うのだけれど先週

「うちの4歳が週に5日、幼稚園に通うのは体力的にきびしいのかもしれない」

などと呟いてしまったせいなのか、うちの4歳、自称「ウッチャン」は今週、またもや風邪で4日間幼稚園をお休みしたので、あんなこと言うべきではなかったな、やっぱり。

10月の終わりの週、ウッチャンは結構調子良く元気に幼稚園に週に5日通うことができていた。ただ週5日、目一杯お友達と走り回るともうへとへとになる。やっぱりこの子には週5登園は難しいのかもしれない。静脈血が肺に直接流れる特殊な循環とか、今もところどころ詰まり気味の血管とか、それのお陰様で少し調子の悪い肺とか、そういうものがいかにも

「やられたら、やりかえす」

右の頬を叩かれたら相手の鼻梁にグーパンチ、そういう面構えの(やったことは、ないですよ)気だけは強いウッチャンの体をひどく脆弱にしてしまっているのだろうなあ思うと、その体が生涯治るものではないだけにやや切ない。だいたい本人はそんなことまだわからないし、外遊びが大好きなウッチャンは本当なら保育時間イッパイ、どころか時間延長してお空の茜色になる時間までお友達と園庭を駆けまわりたいと思っているだろうになあ。

絶好調だったその週の1週間前、10月の3週目、ウッチャンはこの時も風邪をひいて平日5日間まるまる幼稚園をお休みしていた。ずるずると鼻の下に小川の流れるごとくの鼻水、固い痰が気管に絡まった音のするしつこいセキ。

幸いこの時の風邪はセキと鼻水と微熱程度の発熱で、救急外来を通過して小児病棟のお世話になるとことなく回復し、次の月曜日からはまた通園を再開。それがハロウィンを間近に控えた週のことで、ウッチャンはとりどりの色紙やセロファンを使ってお菓子の工作をいるのやでと嬉しそうに教えてくれた。

「ハロリンパーティ(本人の発音ママ)があるの」

「へぇ、いいねー、どんなことするの?」

「おばけがきてー、ちいさいお友達にお菓子を買いに来るの、アメとか」

ウッチャンは病院での生活が長かったのでその分一般的な社会経験が同じ年のお友達よりうんと少ない。多分発達もややゆっくりの方、それで先生のお話しがよくわかっていないことが多い。ウッチャンそれ違う、それやと『幽霊子育飴』や。

『幽霊子育飴』というのは今から約450年前、墓場の棺の中で赤ちゃんを産んだ母親の幽霊が、赤ん坊のために毎夜、飴屋に飴を買いに来たという幽霊譚。毎夜やってくる青白い顔の女を不審に思った飴屋の主人が、女の後をつけて墓場にいる赤ん坊を見つけ、赤ん坊は寺に引き取られましてめでたしめでたし。そしてその飴は令和の今も京都で買うことができるのでした。

というのはまあいいとして、ウッチャンはお家の玄関に飾ってあるジャックオランタンの飾りと、幼稚園で作っている工作と、お化けと、コウモリと、魔女の紫色の帽子、その全部が何か相関関係にある楽しいものだということは、何とはなしに理解していて

「なんかたのしいことなんやろ、そうなんやろ」

と10月の末日を楽しみにしていた。同じ幼稚園を卒園している小5のねぇねも妹に色々と教えてくれていた、中2のにぃにはどうだろう、アイツは直ぐにウソじゃなくてホラを吹くからな。「チェーンソーの悪魔が来るで」とか。

この頃、ゴロゴロと喉に痰の絡むセキをする程度に風邪を引きずっていたウッチャンは、秋のひかりうつくしい10月、子どもたちの頬を園庭に撫でにやって来る晩秋の風を楽しみ過ぎたのだと思う。またぞろ鼻水をズルズルとやり出した、いやもう勘弁して。

「ウッチャン、はなみずがー」

とIKEAのワゴンにS字フックで引っかけてあるテイッシュを一度に5枚くらい引っ張り出して鼻をブウブウかんでいたのが金曜の夜のこと、そうして土曜日の朝、お布団の中から這い出てきたウッチャンからはもう滝のような鼻水が。

この子は普段24時間、在宅酸素療法のために鼻にカニュラと呼ばれる透明なチューブを装着していて、それの酸素の出てくる穴が鼻水で塞がれるどころか、酸素の勢いが鼻水のそれに負けて、カニュラの中にハナクソが貯まってしまうと言う珍事が起きた。

「カニュラの中にハナクソがたまることがあります」

なんてテイジンさん(在宅酸素の機械を貸し出してくれているメーカーさん)から聞いてへんのですけど。

「ちょっとーハナクソが中に溜まってるで」

私がそういうと、本人にはえらいことウケていた。しかしそれどころではない、酸素の出ている筈の穴が塞がっているということは酸素が体に回っていないと言うことなんやから。

「低酸素状態になっていいことはひとつもありません」

というのが、ウッチャンの体を3度切った小児心臓外科医の先生の言葉であるので私はそれを遵守している。ハナクソごときで低酸素、なんということだろう。それだから私は即効病院やと、月曜の朝7時1分、気合で小児科のインターネット予約を完了させた。奪取した番号は21番。何故7時1分なのかと言えば、予約開始が7時からだからで、そして何故土曜日に鼻水の滝を作っていたのに土曜に予約しなかったかと言えば、鼻水がやばいと思った時には予約が終了していたからです。

普段ウッチャンが風邪や腹痛、大学病院に行くほどでもない軽い病気の時にかかっているのは、主治医が開業しているクリニックなのだけれど、開業してほんの数年で予約が取れないレストランみたいなことになってしまった。土曜日の朝7時15分に「これは病院にいかねば!」と思ってネット予約しても、その時にはもう予約が満席終了になっている。

思えばこの主治医、大学病院の専従だった時代には患児の母にすら「一体この人いつ寝ていつ帰っているんだろう」と心配されるような状態で、大学に外来診療のみを残してご自身のクリニックを開業した時には「先生もこれで少しはゆっくりした生活になる」と勝手に安堵したものだった、それなのに今先生は繁忙を極めている。忙しい星のもとにうまれた人はきっと、生涯忙しいのだろう。

そうして、忙しい星のもとに産まれた主治医はウッチャンのハナクソの詰まるカニュラを見て、

「あー風邪やな、コレもし熱が出て、それが結構な高熱やったら即大学の方に行ってほしいねんけど、そん時にサチュレーションが下がってたら、酸素今何ℓ?0.5?こころもち…0.75ℓか1ℓに上げて」

そう仰るもので困った。ウッチャンの酸素の機械は時間毎に酸素を何ℓ使用するかを手動で決められる。それは患者の体の状態、酸素飽和度を見て主治医が指示するものなのだけれど、それを「お母さん場合によっては調整して」て、そういうこと、なんで気軽に言うかな先生は。

思えばこの人は以前、ウッチャンが胃腸風邪になった時もよく似たことを私に指示していた。

「お母さんさあ、下痢して嘔吐してる時は、この子の利尿剤、何回か飛ばしてくれてええから」

ウッチャンは心臓の病気で、心臓の病気の子の大半は利尿剤を服用している。その利尿剤は読んで字のごとく体内の水分を尿にして排出する手助けをするお薬なのだけれど、それを脱水になる程吐いたり下痢をしたりしている時には、飲まさんでええでと指示した。そういうことを言う時にはね先生、医師免許を、医師免許を私にください。

そうやって医師免許も看護師資格もない私がウッチャンのバイタルを計測しながら、薬を飲ませ、日中の「遊んでよう」の攻撃に耐えて4日間目の夕方、幼稚園から電話があった。電話の向こうにはウッチャンの大好きな担任の先生。先生は週5通ってまた週5休むウッチャンの体調をひどく心配してくれていた。

「どうですか…?」

「元気は元気なんですけれど、こう…週5登園したら、週5休むとなると、ちょっと登園時間を調節して、午前中だけの登園にまた戻そうかなとか思ってるんですよ」

「そうですよねー、イエス様のお誕生日の練習も、これから始まりますし、ねえ」

幼稚園というのは、保育園も同じことかもしれないけれど、保育計画というものがあって、いついつに何をやりましょうと、予定がちゃんと決まっている。例えば今の季節なら12月のクリスマス、イエス様の生誕劇に向けての練習がある。それが今のウッチャンのように週5登園して、週5休むサイクルでは、みんなで一緒にひとつの劇を作り上げるということは相当難しくなってしまう。先生は折角ウッチャンが幼稚園の行事や日々の色々をいつも楽しみにしてくれているのに、ちょっとしたことでスグにその予定がないことになってしまっているのをとても心配してくれていた。

実際、ハロウィンパーティーもお休みしたし、そもそもこの子は園の行事を半分くらいしか経験していない。半分は、入院だの病欠だので欠席、入園式すら出られていない。

3歳で3度目の大きな手術をして、本気で死線を乗り越えて、入園式から2ヶ月遅れてやっと幼稚園に通い始め、そこでめでたしめでたしとはひとつもならないのだなあと思うのが、このクリスマスを控えた11月のこと。

普通とは違う身体を抱えて、普通のひとびとの中で、ほぼ普通の人生を模して生きるということの難しさよ、これまでこの子の行く轍を作り上げてくれた、ウッタチャンと同じかそれとよく似た病名を持っている先輩達は一体どうやってこの

(元気だけど無理はできない、無理はできないけれどみんなと同じことをやりたい、でもそれをやると直ぐに体がまいってしまう、姿かたちは一見普通に見える)

そういう山盛りのパラドクスを乗り越えて大人になったのだろう。やっぱり大変でしたか?今でも、大変ですか?

私はウッチャンみたいな子の親になるまでは、こういう人と少し違うというか、端的に言うと障害のある子どもが普通の幼稚園や保育園に行くということは

『将来は普通のひとびとの中で自立していかなくてはいけないのだから』

という焦燥の色の強いものなのかなと、それは大変失礼なことなのだけれど、そう思っていた。実際私も幼児教育を選択する時期にはとても焦っていて、それで最初から3年保育の普通の幼稚園を是非にとお願いした。

でも実際に入園させて1年とすこし、私が今一番娘に望んでいるのは、みんなと同じ生活をできるようにとか、将来のためにというよりは

『子ども時代の楽しい思い出をたくさん作って欲しい、それでできるだけ毎日の生活とその延長線上にある人生のようなものを良いものだと思ってほしい』

ということで、そのために私は

「医療機器の調整なんかしろうとがしてええのか…」

そう言いながら、それでも酸素流量の設定を微調整し、痰が絡むならと疾患児界隈のお友達に聞いてネブライザー(喉にもくもくとお薬の蒸気をあてる機械)を手配し、そうしてウッタンの体力と体調を鑑みて保育時間を調整している。

来週は午前だけの保育で様子見、そうすると園に送って家に戻って1時間半後には再度迎えにいくことになるのだけれど、まあ致し方なし。

それは、なんてことのない普通の日々のために。

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