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やまゆりの日に。

津久井やまゆり園のあの凄惨な事件から今日でもう6年が経ちました。私はあの事件の関係者でもなければ、近隣に住まう誰かでもない、ほんとうにただの部外者でまったくの他人ですが、私はこの事件の翌年の冬に障害のある子の親になったもので、大変に勝手ながら関係者のひとりのような気持ちでこの事件のあった日を亡くなられた方への鎮魂の祈りと、己の反省の日にしています。

これは犠牲者の中で一番若かった19歳の女の子に宛てた届かない手紙のようなものです。

また夏が参りましたよ、あなたが天国に行って、6年目の夏です。

今年の夏は突然やってきて少し停滞し、今日なんかはほんとうに夏らしい灼熱のお天気でアスファルトの上に素足を置いたらじゅうっと音を立てて焼けてしまいそう。夏というのは本当にイヤになるくらいに毎年暑くて、それでも真っ青にとうめいな空の色を必ず私たちの手もとに届けてくれるもので、その点についてだけ私はとても夏が好きです。でもそんな青い空の夏も、去年から途切れなく続く感染症が少しずつその形を変え人を介しながらじわじわと世界を席巻し続け、心臓疾患児である私の4歳の娘の生活をより窮屈なものにし続けています。

 あなたがあんなに哀しい亡くなり方をしてから6年、あなたが確かにこの世界に生きていたのだよと、それをきちんと覚えていてほしいと、あなたのお母様が「美帆さん」というお名前を勇気をもって世間に公表してから2年が経ちました※、時間の経過というものは生きているものにはあっという間ですが、天国にいるあなたには一体どのように映るものなのでしょうか。

 事件の翌年に生まれた娘は現在4歳、冬が来れば5歳になります。重度に分類される心臓疾患児であり、身体障害者手帳を持ち、成人の体に耐える循環を作り上げるための3度の手術に耐えた後も、未だに補助的な酸素を使用している娘ですが、去年から幼稚園に通い始めて現在は年中さん、例によってあの感染症の広がりとそれ以外にもやれRSが流行っているとか検査入院だとかでお休みばかりですが、当の本人は自分の生活とは人生とは

「そういうものだから」

と思っているのかお休みはお休み、幼稚園は幼稚園と、それぞれを楽しんで暮らしているようです。そして先ほども申しましたけれど、生きていると時間はあっという間に過ぎゆくもので、来年にはこの子を今度は小学校に入れるための算段をしなくてはなりません。時間というのは一瞬も止まってはくれないものですね、ついこの間までは「生きていてさえくれたら」とICUの中で手術室の前でただそう祈っていたみどり児に「ランドセルは何色にしようか」なんて聞く日が来るなんて、あの頃は夢にも思いませんでした。

 小学校は今のところ、この子の兄と姉の通った地域の公立小学校を希望しています。でも娘は心機能に障害があるので、それに伴って運動に制限があることや教室に医療機器を持ち込む可能性のあること、それぞれを踏まえて地域の教育委員会と話し合いをしなくてはなりません。特に娘は酸素を常に携帯しなくてはならない医療的ケア児のまま小学校に入学する可能性もあるためにそれは大変に話のややこしいものになるだろうと予測されていて、もともと交渉ごとの苦手な私としては、今から大変に頭の痛いことです。

これは『就学相談』という、障害や病気のある子どもを持つ親には必ずやってくる踏み絵のようなもの、親はその時に世に問われるわけです

「さあ、これからはより社会的な場所でお子さんを育てることになるのですが、あなたはこの子をこの先どうしたいですか?この子の未来をどうしたいですか?」

それが今、私にはよくわかりません。

 娘は、去年の術後の経過が難渋して「これは脳に何か、不可逆的な障害が残ったかもしれない」と言われてとても心配した時期もありましたが、その後なにごともありませんでしたという顔で奇跡みたいな回復をしました。とは言え循環にはかなり問題があるもので生涯、普通の人より酸素飽和度が低くその分体力のない、無理の効かない身体ではありますが、知的な面に今のところ大きな遅れはなく、3人きょうだいの3番目ということで私がすっかり手をぬいて毎日好きなようにさせていますが、最近は兄や姉の手元を真似て数字を書き、ひらがなを読みます。

 それだから多分、この先体調が許すのならいずれ自立のできる大人になることを目標にして育てていくことが適当なのだと思いますが、私がそれを求めすぎて、娘の体が辛いことや、本当は世界の速度についていくことが難しいこと、そういう現実を見過ごしてしまうことがおきやしないかと、それを今とても心配しています。私は娘の実の親ですが、これまで病気らしい病気をしたことのない人間で、障害者だったことは一度もないもので、正直なところ娘の特に体の感覚的なことはひとつも分からないのです。

『障害のある子』

と言ったところでその言葉の意味はあまりに広義のもので、娘のように心機能に著しい障害のある子もありますし、歩行が難しいとか四肢のいずれかが元々ないとか、そういう身体の機能の障害もあるでしょう、ほかにも知的なもの、視覚や聴覚が不自由であるもの、情緒面のもの、そしてそのいくつかが複合的にあるもの、ほんとうにそれぞれですが、そういう子ども達は、未来がどのようにあれば安心して、そして幸福に生きられるのでしょうか。

それも、私にはよくわかりません。

 ついこの前、参議院議院の通常選挙がありました、その時に

「質の悪い子どもを増やしてはダメだ。将来、納税してくれる優秀な子どもをたくさん増やしていくことが国力の低下をふせぐのです」

なんてことを言った候補者の方がありました。かなりムッとしました、そしてその数秒後、哀しいと思いました。

「生産性のない人間は死んでいい」

あなたのことを殺めたあの人もそんなことを言っていましたね。あの時から私はこのことに対しての明確なそして確実な反論は何なのかを考えていますが、それは未だに見つかることなく、どころか世界というのはそういうものだという暗黙の認識の中にあって、娘のことを何とかひとかどの、普通に近い人間に育てるにはどうしたらいいのかばかりを考えています。そういう意味では私も、彼らの目指す社会を形作る部品のひとつなのです。

 自立が悪いことではないことは知っています。自立の力はどんな子にも必要です、娘は上手くいけば全く障害のある人間に見えない、ほとんど普通の、だたちょっと「体の弱い人」として生きていけるかもしれないし、自分で自分を生かすための手段、この場合は経済的な自立でしょうか、その手段方法を得ることは未来の娘を真っすぐに立たせるでしょう。誰に対峙した時にも卑屈にならず臆病にもならず。

 娘が将来、体の不具合や運動機能に多少のことがあったとしても誰にも頼らずにひとりで生きていける人間を目指すというのなら私は勿論、それを鋭意応援します。でも今私が言うのはそういうことではなくて、自立できる人間になり得なければ、健常の人すら生きづらい今の世の中を、循環機能に欠損のある我が子がどうして生きられるのかなと懸念して、本来はどこかぶかぶかだったり窮屈だったりする服を無理やり着せようとしているのだと、そういうことなのです。

「あなたが、どんな体調でどんな循環状態でこの先を生きるとしても大丈夫。あなたの歩幅と速度でちゃんとこの先の未来を生きられるよ、おめでとう、大人になってくれてよかった」

そう言って娘の成人の日を迎えられたらどんなに幸福だろうと、娘はまだ4歳なんですけれど今からそう思っています。それはとても長い道のりです。そしてそれを考える時にいつも、成人してその先も長く暮らせる環境を整えてあったはずの19歳の娘をあんな形で世界から剥奪されてしまったあなたのお母様の哀惜を想います。


 ところで、アラビア語には「YA'ABURNEE/あなたが私を葬る」という言葉があって、それはその人なしには1日も生きられないからその人より1日だけでも先に死にたいというひとつの愛の言葉なのですけれど、その対義語のような言葉が、これは明確に熟語として確立されているわけではないのですけれど

「我が子を看取ってから死にたい」

というものが私は「ある」と思います。それは障害のあるお子さんのいる方が将来、自分が年老いて死んでしまう時、我が子を信頼できる施設や団体、もしくは後見の方に任せられない、それが難しい世の中であるのならせめて我が子を看取りたいと、そうして我が子の死を見届けてから自分も死ぬのだと言う言葉というよりは概念ですが、それは障害のある子の親御さんの幾人かはきっと考えたことのあることで、社会へのこれ以上ない不信です。

私は、今現在は娘のことを「看取りたい」とまでは思っていませんが、でもまだまだ甘えん坊の娘が

「あたしママとずーっといっしょにくらす、にいにも、ねえねも、みーんな」

と言って洗濯物を畳んでいる私の背中に張り付いてくる時、おいおいお年頃になった息子も真ん中の娘もみんなオカンにお弁当作らせて仕事に行って、ついでにパンツも洗わせる気かそれはイヤだなんて苦笑いしつつ、このひときわ脆弱な循環機能を持つ娘についてだけは

(…それもありなのかもね)

と思ったりしています。これもまた社会への不信でしょうか。この娘は終生私が傍にいて守ってやらなければとつい、思ってしまうのです。娘の生涯服用の必要な薬の薬価が突然上がるかもしれない、医療補助や社会保障がある日突然立ち消えになるかも、それに何よりああいう心無いことを言う人のいる世界から娘を守ってやらないと。

 しかし、世界というものの一部には私自身が含まれています。先ほど私は私自身が「生産性のない人は死んでいい」と公言する世界の一部だと言いました。ということは私は、私を信じていないのです。もしかしたら私こそが娘のような、娘の友人達のような、そしてあなたのような人がもう少しのびのびと安心して暮らせる世界を作る部品かもしれないというのに。

それだから、6年目の今日はここに大切な一言を記しておこうと思います。

「生産性のない人は死んでいい」のか。

否。

そうでない世界をまずは私が希求します。

娘は、今年もまた沢山入院の予定がありそうですが、うまくいけば再来年、小学生になります。その頃にはきっともう少しこの子の未来というものが見えてきていると思います。それが明るいものであるよう努力します。来年はもう少し希望のあることをあなたにお話しできるように。

あなたは谷の百合、明日の星、私にとってそういう人になりました。

また来年、お会いしましょう。

※美帆さんのお名前は2020年1月8日の事件初公判で明かされ、写真もその時に公表されました。

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