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ふたつ嘘をついた日。

「オソロイネ!オベントネ!」

そう言って娘が指さした先に、その日私がたまたま着ていたものと色違いでお揃いのダントンのフリースコートを着た若い女の人が立っていた。まだ舌足らずで発音が不明瞭な娘の言葉の最後を上手く聞き取れなかった私は、娘がママとお揃いのコートの人がいるね、そう言う意味合いの事を言ったのだと思った。

小さな子の声は高音で人の声と足音がざわざわと騒がしい場所でも意外に良く響く。娘の指と視線の先にあるその人にも娘の声は耳に入ったらしい、私のオートミールのフリースコートの赤いワッペンを一瞥して、それから自分のコートを見た。

病院の総合受付の人の中に居たその人は、大人と大人の谷間に埋もれるようにして立っている娘の鼻についている酸素用の透明なホースを見て少し驚いたような顔をして、それから少し笑って言った。

「ママとお洋服お揃いだねえ」

でも娘はちょっと考えるようにして眉根を寄せて

「チヤウヨ、オベントヨ」

その人の右手にある小さな保冷バッグを人差し指でもう一度指さした。猫柄の保冷バッグは、娘が週に2回通っている障害児用のデイサービスにお弁当と昼の内服薬を入れて持参する時の為の保冷バッグと全く同じものだった。そのことか、あれは確か雑誌の付録だったと思う。

「すみません、そのバッグがウチの子のお弁当箱入れと同じだねって言ってるみたいで、すみません」

子どもを育てていると、とりわけ幼児を育てていると、毎日「すみません」を言う回数がもの凄い。と言うよりも世間全方向に謝りながら過ごしている気がするし実際そう。この時も私は2回スミマセンと言った、文章としてはかなりおかしい。なんだか奇異なホース付きの子どもと化粧もしないで髪を適当に束ねた眼鏡の女が貴方に変な事を言いまして誠に申し訳ありません。その人は、私のすみませんに対してイイエと大きく片手を振った、気にしてませんという仕草。そして娘に向かって

「せやねん。この中にホンマに赤ちゃんのお弁当が入ってんねん」

保冷バッグの中には、赤ちゃんの為のお弁当、自宅で搾乳して冷凍した母乳が入っていて、自分はこの病院の小児病棟にいる赤ちゃんに自宅で搾乳した母乳を届けに来ている。

そんな事を、人の大勢行き交う病院の総合受付の前でその人が私に詳細に説明したわけではないし、勿論私もそんなことは聞かない、ただ私は

「あ、Nですか?」

と小さな声で聞いただけだし、相手も

「Nですか?」

そう聞いただけ。

でも私には、冬場に保冷バッグを下げたその人の少し疲れたような寂しいような表情を見た時それが分かったし、その人は、医療機器を携えた状態で歩く、所謂医療的ケア児の娘を見て分かったのだと思う。NというのはNICU、新生児集中治療室の略称。この人は今NICUに子どもを入院させている人、私はかつてそのNICUに娘を入院させていた人。

「お子さん、何グラムで生まれました?何ヶ月で卒業しましたか?」

互いを、現役NICU入院患児と、元NICU患児の母だと暗に認識し合った後、その人は私の傍らで少しもじっとしていないで足に酸素のホースを絡ませている3歳の娘を見てこんなことを聞いてきた、この子何歳ですか?3歳位ですよね。

NICUは退院を卒業と言う。そこは一度出てしまえば、二度と戻れない場所。

この質問の意味というか意図が私にはとてもよく分かった。この人はただ数字を聞いている訳じゃない。そしてこの質問でこの人がどういう状況の子のお母さんなのかも大体分かった。思いがけずなのか、あらかじめわかっていた事なのか、予定よりずっと早く出産したお子さん。多分まだとても小さくて、いつが退院になるのか、その時どういう状況で子どもを連れて帰れるのか全然分からない。そういう場所に今いる人。まさか自分の子がそんなテレビドラマの中でしか見た事が無い、新生児のケアユニット預かりになるなんて想像もしていなかった、あんな小さな体で、あんな細い手足で。

「お子さんまだ生まれたばっかりなんですね」

「そうなんです」

「おめでとうございます。でもあの、この子、実は39週で生まれてて、結構大きくてNの中では異彩を放ってた子なんですよ、周囲の可憐なおチビちゃんの中ではゴリラ級に大きかったんです。心臓の病気でN入院だったので」

「ゴリラて」

多分私より10歳かもっと若そうなお母さんは少し笑ってくれた。関西の人は小さいボケを高確率で拾ってくれる所が本当に素晴らしい。その時大体年齢差を越えて相手にタメ口で突っ込む事になるので距離感がぐっと近づく。

「でも、手術には体重が必要だって、だいぶデブ活したんですよ。当時は経管栄養だったんでんすけど、鼻から入れてる母乳にオイル入れられたりして。そこを卒業したのは2ヶ月の終わりで、その後小児病棟に移って手術して、退院まではまた2ヶ月位かかりました、でも今は凄く元気ですよ」

「じゃあ大体4ヶ月くらい?」

「それ位かかりましたね」

「大変じゃなかったですか」

「全部忘れちゃいました」

その人は自分の事をあまり話さなかった。沐浴っていつ頃からしました?搾乳ってずっと運び続けましたか?でもそれは自分の事を話したくないんじゃない、多分まだ何も分からないからなんだろうなと、それも私にはよくわかった。

我が子をいつ連れて帰れるのか、この先どうなるのか、元気に育つのか。

小さく生まれてきた子は、私の娘ように初めから「心臓疾患です」と宣言されて生まれてくる子とは違う、小さく生まれた故にこの先出てくる問題が読めない所があるのだろう、そしてそれは物凄く不安な事なんだろう、その辺の見ず知らずのおばさんをつかまえて相談を持ち掛けてしまうほど。

「いつかちゃんと連れて帰れますかねえ」

そう思い詰めた感じでもなく、乾いた静かな声でその人が言うのを私は何とも言えなかった。だって今まで、Nでもその後の小児病棟でも、嬉しい退院だけを見てきた訳ではないから。でもそんな事、つい最近Nのお母さん生活を始めましたと言う人を前にして言葉に出来るだろうか、だから

「ねえ、いつになるかは分かりませんけど、時間は絶対流れますから」

なんだか政治家の人みたいな、とても曖昧な言い方をした。

毎日毎日毎日Nに通い、ただ寝ている我が子の横で声をかけ、看護師の許可があれば少しだけ世話をして小さな体に触れ、そして自宅では空のベビーベッドをほんのり寂しい気持ちで眺めながら搾乳をする毎日は本当に一日千秋という言葉がしっくりくる程、長い。

私は12月生まれの娘をNに入院させていた一時期、もう自分の人生には春が来ないんじゃないかと本気で思っていた時期がある。

でも春は来たし、娘は3歳になった。

だからと言って、貴方にも春は来るし、お子さんもあっという間に3歳になりますよと簡単に言えない所がNを知っている人間の辛いところだと思う。そうなりますようにと祈る事しかできない。

「ママ、コンビニイコウヨ!」

私達の会話は、空気というものを一切読まない3歳児がそう言い出してそこまでになった。私は娘と、検査と会計を終えたら院内のコンビニに連れて行ってあげるからとね約束していた。その人は

「あ、ごめんなさい、じゃあ私、上がりますね」

そう言って天井を指さした、今、小児病棟ではPCR検査が付き添い親にも義務付けられたけれど、Nの方はどうなっているんだろうか。母乳だけ渡しているのか、それとも入室者の制限をしているのか、ともかくその人は母乳を届けに上階に上がりますと言って挨拶をして、私達は別れた。

またお会いするかもしれませんね。

そう言って病棟のエレベーターに向かった人の背中を見て何となく、私はもう面会時間開始から随分時間の経ってしまっている総合受付でぼんやりしていたその人が、本当は帰ろうとしていたんじゃないかと思った。

昔、私も同じ事をしたことがあるから。

その人の赤ちゃんが早く体を大きくして、なるべく元気な体で、そして出来るだけ遠くない将来お家に帰る事が出来ますように。




ところで、私はその名前も知らない偶然出会って立ち話をしたNのお母さんにふたつ嘘をついた。

『でも今は凄く元気ですよ』

嘘です。来週、手術です。

『全部わすれちゃいました』

嘘です。Nで肺炎になった日のことも、体の負担になるからと経口での栄養摂取が禁止された日の事も、手術方針が決まらなかった日の事も、数値がどんどん下降して焦り続けていた日の事も鮮明に、録画したように覚えています。

この子は、ここで死ぬのかもしれないなと思った日の事も。

それは、過ぎ去った事になっていないからだ。娘がNを卒業して手術をして自宅に帰り、それからまた手術をしたり検査をしたりまた手術のような事をしたりしている時は毎回

「死んだらどうしよう」

と思っているし、3回目の大きな手術を目前にした今も、万全の体調で、全幅の信頼を置いている主治医と執刀医に全てを任せられる身の上でふと

『死んだらどうしよう』

そういう発作みたいな感情がやって来る時がある。3年一緒に暮らして来たこの子が術中か術後に命を落とすような事があったらどうしよう。

そんな精神状態で生活しているので、昨日なんか厚揚げを買いに行ったスーパーで厚揚げの会計をしながらお店の人の前で『死んだらどうしよう』と思い始めて涙腺が緩み、それをかなり不審な目で見られてしまってとても焦った。違います、この厚揚げは夫が好きな豚キムチに入れると美味しいので買いに来ました、カサ増しになるしカロリーも抑えられて健康的。

支離滅裂。

同じような疾患の、同じでなくとも長い治療過程を要する子の母である人は、こういう感情を乗り越えて最後の手術室に子どもをつれて行くのだなあと、それを今とても実感している。

人間とは、違うか、私は、体験を伴わないと本当に実感が出来ない。

ただ、私は同じ手術を受けた子のお母さんか、お父さんでもいいのだけれど、そういう人に

「手術って大変でしたか?どれくらいかかりましたか?やっぱり辛かったですか?」

なんて聞いたところで皆、笑顔で

「ぜんぶ忘れちゃいました」

そう言いそうだなと思っている。

その『忘れちゃいました』の行間に言葉に出来ないものを沢山詰め込んで。

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