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小説:グリルしらとり 2 

前作はこの中です。よろしければ
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2『ドミグラスハンバーグ』


ランチ開店前の店内のセットは『グリルしらとり』に勤め始めた日から僕の仕事になった。フロアを掃除して、カウンター横に設えたワゴンの上に広げたナフキンの上にタンブラーを磨いて並べ、下段に銀盆を5枚、水滴のあとひとつ無いようきっちり丁寧に磨いたカトラリーを白いクロスの上にセットして、客席側の冷蔵庫にはランチ用のサラダを盛り付けた直径15㎝のベリー皿を座席3回転分。

僕はこの開店前のこの時間がすごく好きだ。開店前の店のしんとした空気中で段々温まってゆく厨房の温度、レジ前から微かに聞こえてくる文乃さんの鼻歌、少しフライングで来店した女性グループのお客さんに「お急ぎでなければ」とレジ前の椅子に掛けて待ってもらっている間の賑やかな会話

「あの…すみません」

「あ、まだ準備中なんです、すみませんがあと10分ほど…」

「いえあの、こちらで11月半ばに、食事をした者の家族なんですけど…」

ごくたまに、店にはお客さんじゃない人が来る。僕が『グリルしらとり』で働き始めてすぐの頃「ここのランチを食べて腹を壊した」という金髪の男が来たことがあった。その時に対応した僕は何をどうしたものか焦って後ずさりした。

「あの、えっとそれでどうしたら…」

「治療費って、もらえないスかね」

上目遣いの金髪が僕の方にじりじりと迫って来るもので背中に冷たくて嫌な汗をかいた。その時は文乃さんが

「まあそうですか、その日のレシートはお持ちですか、お持ちじゃないの、でしたら何月何日のご来店でした?その時何を召し上がりました?病院にはお行きになったの?」

いつもの早口で今度は金髪の方が後ずさりするほど質問攻めにし、向こうが言い返す気力を削いだ後、最後の締めで

「ウチはねェ、お客さんが召し上がってお腹壊すようなモノはお出してません、義父の代からこの場所で商売やって六十四年、そんなぬるい商売はしてないんですよ!」

そう啖呵を切って撃退した、というよりも文乃さんの立て板に水の滑らかな説教を聞きつけて厨房からまあまあと言いながら洋一さんが出てきた。

「おいおい、そんな言い方しちゃあそちらさんだって立つ瀬がないだろう、なァ」

「なんで向こうの肩持つのよ、ヨウさんの料理がコケにされたんですよ」

文乃さんは憤慨して夫の洋一さんとその金髪をまとめて叱りつけた、けれど洋一さんは事実無根の食あたりをでっち上げて恐喝に来た金髪の男を擁護し、更に優しく諭した。

「なんか事情があんのかもしれないけどお兄さんさ、こういうのって意外に危ないんだよ、素朴な店構えだしおばちゃんしかいない店だからいけるかと思って行ったら、実は怖いお兄さんの立ち寄り先だったなんてことも結構あるんだからね」

金髪はもごもごと口の中で何かを言おうとしていたけど、それを遮るようにして洋一さんは

「あんた、腹減ってないか?」

こっちにおいでと金髪をカウンター席に案内し『グリルしらとり』で一番人気メニューのドミグラスハンバーグを食べさせた。洋一さんの予想通り金髪はかなり空腹だったらしい、無言でがつがつと皿の上の料理をたいらげた。その金髪を横目に洋一さんは粛々と開店準備を済ませ、金髪が食べ終わると特に咎めず警察に通報もせず「これ、俺のおごりだよ」と言って悪戯っぽく笑って、そのまま帰してしまった。

でも金髪は翌日、お金を払いに来た。

悪戯して叱られた後の小学生のような、ひどくバツの悪そうに不貞腐れた顔で二〇〇〇円を文乃さんに投げるようにして渡し、一二〇円のおつりを貰って「じゃこれで貸しなしですから」とだけ言って、すみませんもありがとうも言わず、頭すら下げずにフーディーのポケットに両手を突っ込んで金髪は帰った。洋一さんは金髪の後ろ姿を見送りながら

「うまいもん食って、腹が膨れると人間だんだん正気に戻るんだよ、あの子もメシ食いながら『俺、何してんだろ』って思ったのかもね」

そう言ったけど、僕はお礼も言わなかったですよと洋一さんに不満を訴えた、こっちは通報しないでやったのにと。

「そう思うのは津田君がちゃんとした親御さんに育てて貰った証拠だよ。誰かに親切にされるとか、優しくされるとか、そういうことに全然馴れてない子も世の中にはいるんだ、そういう子はなかなかありがとうって言葉には辿り着かないんだよ。でもあの子はきっと大丈夫だよ、誰かに貸しを作らないってのはなかなか聡い考え方だ。いつかまた来てくれると俺は嬉しいけどね」

洋一さんはそう言うけど、僕が良い親に育てられたのはどうなんだろう、ちょっとわからない。腹が減ると人間は碌なことを考えないっていうのは僕にも何となくわかる。

でもこの時、十二月の最初の日のランチ営業の少し前に店にやって来た文乃さんと同年代の、でも文乃さんよりはややおっとりとして素朴な印象の女の人は、以前の金髪のような用事で開店前の店に乗り込んできたのではないようだった。

その人は朝一番の新幹線で新潟から来たのだと言ってから、東京は初めてじゃないんですけどやっぱり人は多いし迷いますねえと、はにかむようにして少し笑った。

「あの…それでどういったご用件で」

「ああ、そうそう。うちの息子なんですけど、すぐそこの会社で働いていたがです。でも元々ざいごもん…アッ田舎者ですから忙しい都会の会社が会わなかったんでしょうねェ、ちょっと鬱っぽくなってたみたいで、十一月の半ば、とうとう会社に行けなくなって無断欠勤して、もう自分はダメだから最後に美味しいものを食べて死のうって思ってこちらのお店のハンバーグを食べたんだそうで」

「あっ、もしかしてその時に失礼とか、あったんでしょうか?」

僕はにわかに心配になって聞いた。文乃さんが接客で失敗することなんかまずないし、洋一さんの味はブレない、だったら僕だ、僕は何か不味いことをしていたのだろうか。するとその人は、アッそうじゃないんです違うんですわと慌てて片手をひらひらと左右に振った。

「いえね、そうしたらそれがあんまり美味しくて、その上ここの店長さんが奢りだってホットワインやらをこしょって(※作っての方言)出してくれるし、ほんであの子『死ぬ気がそがれた』って、そのまま最終の新幹線に飛び乗ってうちに戻って来てくれたがです。今は病院に通いながら自宅で療養しとります。おかしな話かもしれんのですけれどこちらのお店が息子の命の恩人なんですよ、いつかお礼に寄せてもらわんとと思って」

その人は橙色の包みの入った紙袋を僕に「そんでこれ…」と言いながら渡そうとしてきたので、僕はあわてて厨房の洋一さんを呼んだ、洋一さんは「どうしたー」とのんびりとした口調で客席側に顔を出し、その女の人に気が付くと軽く会釈をした。

「十一月十五日のラストオーダーの時間にご来店されたグレーのスーツのお客さんですね、青いネクタイの。なんだか酷く具合の悪そうな様子だったのでご迷惑かなとは思ったんですけど、ちょっとお声がけしたんですよ、そうしたらはかみながら新潟の長岡が郷里だって話してくれたんでよーく覚えてますよ。そうですか、あのままご実家に戻って療養中…そりゃあ良かった、若いんだからまたいくらでもやり直せますよ、そうかあ…いやホント何よりですよ」

洋一さんはそう言って嬉しそうに頭を掻いた。それは十一月十五日の晩、ラストオーダーの八時三十分ごろのことで、僕はその時間になると洗い物をするのに大体奥に下がる。それでそのお客さんのことを覚えてはいなかったのだけれど、洋一さんはそのお客さんとほんの少し会話した内容、面差しや服装やちょっとした仕草まですべてとてもよく覚えていた。と言うより洋一さんは普段からお客さんの名前や顔や服装、それから注文の癖をこちらがびっくりするほどよく覚えている。

「ドミグラスハンバーグをパンとコーヒーのセットで注文したお客さんなんだけどね、食後のコーヒーをちびちび飲みながら随分深刻そうな顔してたんだよ、それで料理が口に会わなかったのかなって心配になって席まで行ったんだ『お口に会いましたか』ってちょっと聞いてみようかなって思ってさ、そしたらお客さんの方が俺の顔見て『自分はそこの会社で働いてるんですけど…』って話し始めたんだ。目の下にひどいクマがあって、ああ仕事がきつくて疲れてんだなってひと目でわかる顔してたよ。それでホットワインを一杯作って出したんだ、お酒飲めるかいって聞いたら、ハイって笑ってくれたもんだからさ」

その日の晩、長岡の青年のお母さんが「是非皆さんで」と半ば強引に置いていった大きな缶入りの柿の種をおつまみにキリンの中瓶の栓を抜いた洋一さんは、店から五分ほど歩いた場所にある『洋菓子・青山堂』の店主のタケさんにその青年の話をしていた。

青山武則さん、通称タケさんは仕事終わりの週に何回か、仕事を終えると『グリルしらとり』にふらりとやって来る。洋一さんは「うちのこと、飲み屋だと思ってんだよ」と言って苦笑いするけどタケさんが来たら来たでいつも結構嬉しそうだ。タケさんと洋一さんは同じ年で帝国ホテルの修行時代からの友人なんだそうだ。メインダイニングで修行していた洋一さんはお母さんが亡くなった三十歳の時にホテルを辞めて実家の洋食屋を継ぎ、北海道の留萌から出てきてパティスリー部門で働いていたタケさんはそれと同じ三十歳で青山堂の一人娘と結婚し入り婿として青山堂で働くことになった。二人はもう五十年近い付き合いになる。

「やっぱり人間、最後には旨いもの食って死のうって思うのかね、だったら俺はヨウちゃんのカニコロがいいよ、ヨウちゃんが作って死にかけの俺の枕元に出前してくれよ」

缶から大粒の柿の種を取り出しながらタケさんが言った。

「俺はイヤだよそんな出前、大体死にかけてる人間がカニコロなんか食えないだろタケちゃん」

「そうかなー、俺は食うよ?ヨウちゃんのカニコロだよ?大好物だもん、死に際でも余裕だよ」

「イヤ無理だろうよ、覚えておくけどさ。何にしても、今回の青年は思い直して実家に戻ってくれて本当に良かったよ。タケちゃんご所望のカニコロみたいにその人の寿命の…末期の料理ってのならまだしも、自分から死のうとしてる人の最後の晩餐を図らずも俺が作りましたなんてことになったら、料理人としてこんなに哀しいことないからね」

そう言って洋一さんはタケさんのグラスにビールを注いだ、かちりとガラスの当たる音がしてタケさんはオッ悪いねと笑った。

「そうだよなあ俺だって香典返しのフィナンシェ焼くより、披露宴用のウェディングケーキ作る方がやっぱり晴れがましいって言うか、嬉しいもんなあ」

洋菓子店の店主らしい、ちょっと俳優のような細面で優しい顔立ちのタケさんは洋一さんの言葉に頷くと「津田君も一緒に飲もうよ」僕を手招きした。それでビールをグラスに半分だけ貰った僕は『今回は思い直して』と洋一さんがぽつりと言ったことがすこしだけ気になってつい、聞いた。

「あの、さっきの話だと、以前も同じように『最後の晩餐』に来た人がいたってことですか」

洋一さんはそれが哀しかったから、今回の長岡の青年の無事を殊更喜んでいるのだろうかと僕は思ったのだ。

「それね、ちょっと前だよ、って言ってもにせん…何年ごろだったかな、リーマンショックで世の中の景気がちょっとアレだった頃にさ、自分のやってた会社が行き詰まってもう首も回んないってお父ちゃんが七つ…いや八つだったかな、お嬢ちゃんを連れてこの店に食事に来て、店にお嬢ちゃんを置いていっちゃったってことがあったんだよ、なあアレっていつだったかなヨウちゃん」

僕の質問に先に答えてくれたのはタケさんだった。

「新聞にちょっと載ったから俺も覚えてんだ、エートしで…幣原さんてなんだか少し難しい名前の人だったね、ちょっとした会社の社長さんだったよなヨウちゃん」

タケさんの隣に座っていた洋一さんは自分のグラスについた水滴を白いナフキンでぬぐいながら少し言いにくそうにしていた

「あんまり愉快な話じゃないんだよ」

でもあの長岡の青年のようにこの店を最後の晩餐の場所に選ぶような人がこの先全くいない訳ではないだろうしと、僕にその出来事を話してくれた。二〇〇八年のクリスマスのことだそうだ。僕が六歳で、まだ金沢にいた頃のことだ。

そのお客さんは父親と八歳の娘さんの二人連れだった。父親は仕立ての良い濃紺の三つ揃えのスーツによく磨かれたコードバンの革靴とイタリア製の腕時計、娘さんはベルベットの赤いワンピースに黒いエナメルのストラップシューズと黒いファーコート。お母さんの姿はなかったけれどとても仲の良い親子に見えた。二人はドミグラスソースのハンバーグにパンとサラダとスープ、父親の方はそれにカニサラダを注文した。サワークリームと生クリームでカニと玉ねぎとアボカドを和えてベビーリーフかレタスを添えた一皿、それと赤ワイン。幸福そうな父と娘の和やかな晩餐は、父親が「パパ、ちょっと電話してくるからここで待っててね」というひとことで中断され、そして中断されたまま父親は娘の待つ窓際の二人席に戻ってこなかった。

永遠に。

「翌朝にね、お父さんがそこの公園の車の中で亡くなっているのが見つかったんだ。遺書には会社の業績が悪化して負債が膨れ上がった、銀行はもう金を貸してくれない、どうにもならないんだってことが書かれてたって、後から警察の人が教えてくれたよ。でも遺書の最後にその場で書き足したんだろうね、走り書きで『やっぱり娘は連れて行かないことにした』ってあったらしくてね、最初は独りぼっちにするくらいなら連れて行こうと思ったけど、ハンバーグを食べて嬉しそうにしている娘に手をかけられないと思い直した、娘を頼みますって書かれてたんだそうだよ、親子で心中するつもりだったんだ。だったらお父さんも思い留まってくれたら、もっとよかったんだけどね」

洋一さんはため息をついた。店に置き去りにされた女の子は、いつまで待っても戻らない父親を不審に思った文乃さんが警察に通報して、近くの交番から警察官が保護に来てくれた。でも当の女の子はどうしてもここで父親を待つのだと言ってきかず、結局洋一さんと文乃さんが店のすぐ裏の自宅マンションでひと晩、その子の親戚が迎えに来るまで身柄を預かったのだそうだ。もう戻らない父親をここで待つのだと何を言ってもニコリともせず体を固くしている女の子は、洋一さんの淹れたマシュマロ入りのココアは飲んでくれたものの

「パパがここで待っててねって言った!」

何を聞いてもそれしか言わず、顔を真っ赤にして泣くのをこらえていたのだそうだ。その子のことはレジ締めを終えて「頂いた柿の種、あたしの分まで食べないでよタケちゃん」と言ってカウンター席にやって来た文乃さんもよく覚えていた。

「うちの店が人生で一番辛い思い出の場所になっちゃったのよ。可哀相だったのよ、ウチにいる間中ずっと不安だ、哀しいって顔して。今どうしてるのかな、関西にお住まいのおばあちゃんと伯母さんが次の日一番の新幹線で慌てて迎えに来たんだけど、最後まで『ここで待つ』って言ってるのが切なくてね、今は…多分もう津田君くらいの年頃なんじゃないかしら」

その子が二〇〇八年に八歳だったのなら僕の二つ上だ。その子も僕と同じ、父親に置いて行かれた子どもなんだと思ったけれど、それで僕が何をどうできるわけでもないし、窓際の二人席でもう戻らない父親を待ち続けた女の子の話はそれ以後一度も洋一さんの口からは出てこなかった。十二月の店には年末の繁忙期がやってきて、僕達もタケさんも閉店後にのんびりと集まってビールを飲んでいるどころではなくなってしまったし。

🦢

十二月が、飲食店の一年で一番忙しい季節だというのを僕はこの年初めて知った。

官公庁街とオフィスビルの隙間に店を構えている昼間のこの界隈では食堂的な立ち位置の『グリルしらとり』とは言え、古くからの知り合いの頼みだからと雑誌に載ることもあるし、ぐるなびでも食べログでも一体誰がそう言い出したのか『隠れ家的老舗洋食屋』の触れ込みでそれなりに星を取っている。お陰で一二月はディナータイムの予約がどっと増えるし、少人数の忘年会や会食もよく入る、ランチタイムは御用納めまでは大体いつも通り満席の最低でも二回転。お客さんの数も客単価も普段の倍近くになる、その分すごく忙しい。

それはタケさんの店である『洋菓子・青山堂』でも同じことのようだった。クリスマスと暮れの贈答品や帰省の手土産で生菓子も焼き菓子も普段の倍以上の売り上げになるらしい十二月中旬からぱたりと『グリルしらとり』に姿を見せなくなり、クリスマスを無事に乗り越えた翌日、十二月二十六日の晩、冷たい木枯らしを避けるように背中を丸めて閉店後の店にやって来た時のタケさんは、疲れのせいだけでなくずいぶん憔悴して見えた。

「なあヨウちゃん、正月暇?うちで働かない?」

タケさんが「今酒飲んだら俺ここで寝ちゃうよ?泊めてくれんの?」と真顔で言うので僕はコーヒーを淹れた。タケさんはそれを両手に抱えて大事そうに飲みながら洋一さんに正月自分の店を手伝ってほしいと言いだして、洋一さんは即答で拒否していた。

「暇だけど嫌だよ。俺はお得意さん用のお節の引き渡しって地獄が終ったら正月は箱根駅伝見ながら寝正月すんだからさ。大体タケちゃんと美乃梨ちゃんと、あと紀子ちゃんかアルバイトさんのひとりでもいたら正月の店は回せるだろ、大体ケーキ屋に六十過ぎで古希間近のじいさんが二人も突っ立ってたら逆にお客さんが寄り付かないよ。もしかして美乃梨ちゃん具合でも悪いのかい、それか紀子さんの腰がまた痛むとか?」

「そうじゃないんだけどさ、孫がさ」

「うん北斗か?北斗がどうした?」

タケさんの家は『洋菓子・青山堂』の一人娘で妻の紀子さん、息子の大輔さん、それと大輔さんの妻である美乃梨さんと、六つになる孫の北斗君の五人家族。普段は売り子のアルバイトさんと製造のパートさんを入れて正社員は全員家族のみ、それで実店舗をひとつと、デパートで時折入る催事場の出店と、オンラインショップを運営している。タケさんが三代目社長の『洋菓子・青山堂』は数年前にタケさんの息子の大輔さんが勤めていた会社を辞めて経営に加わってからネット販売を始めて売り上げが倍になった。普段は経理を妻の紀子さんが、営業とネット販売を息子の大輔さんが担当し、工房の菓子職人はタケさんと大輔さんの妻である美乃梨さん。それで何とかうまく回せていたのだけれどこの年末になって孫の北斗君が

「お正月は北海道のじいちゃんの家に行く、ぜったいに行く」

そんなことを言い出したらしい。美乃梨さんはタケさんと同じ北海道の出身だ。タケさんの実家が留萌で、美乃梨さんの実家が増毛、隣接する北の町の出身の二人は、菓子職人としては師弟でもあり、普段まるで本当の親子のように仲が良い。

「北斗の気持ちは俺だってちょっとは分かんだよ、保育園の友達は冬休みって言えばじいちゃんの家とか旅行とかディズニーランドとアレ…ほらなんだ、UFJ」

「タケちゃん、それ多分USJだな、ユニバーサルなんとかって大阪にある遊園地。UFJだと銀行になっちまう」

「ああ、そこそこ、そこ行くんだって、そういうのを保育園で聞いてくるんだよ。それなのに自分はいつもどこにも行けなくて店の隅っこでタブレット見て暇つぶしして三が日があければまた保育園て…つまらねえなあと思ったんだと思うよ、でも商売屋の子なんだから、そこは運命って言うか、仕方ないんだからさあって言ったら、大輔がそこを何とかしてくれよって」

タケさんがコーヒーを飲みながら、ぶちぶちとそうこぼすのを聞いて、僕はなんだか覚えがあるなと洗い上がったグラスを磨きながらこっそりと笑った。僕の実家は日本酒の蔵元だった。酒は生き物だ、一日だって様子を見ないで放置することはできないし、蔵元の家というのは元旦から来客が途切れなくて、出かける用事も多い、地元の神社や商工会や同業者組合への挨拶、父も母も忙しくて僕の相手どころではなかった。僕にはもうそんな正月は来ないんだけど、北斗君って子のむくれている表情はその頬のふくらみから眉間の皺まで簡単に想像がつく、僕には君の気持ちがよくわかるよ。

「でもさタケちゃん、美乃梨ちゃんだってここ数年は店の売り上げが倍になったお陰で忙しくて全然実家に帰してやれてないんだろ。それに大輔は留萌の漁師の息子だったタケちゃんと違って、生まれながらに商売屋の息子なんだ、子どもの頃から盆暮正月は北斗同様どこにも行けなくて寂しかった、だったらせめて息子には自分と同じ気持ちを味わわしてやりたくないなって気持ちがあるんじゃないのかい」

「そうなんだよなァ、アイツ『俺が全部やるから美乃梨と北斗だけでも増毛の美乃梨の実家に帰してやれないか』って俺に言うんだよ。でもアイツ親の俺がびっくりするくらい不器用で、洋菓子屋の跡取り息子の癖にホットケーキひとつまともに焼けねんだよ、オマエがいても工房の方は回んねえんだよバカってつい言っちゃって、それで今朝は大げんかだよ」

「へえ、あの大輔が怒ったか、珍しいね」

「俺が職人を募集して店に採用してんのに、誰を連れて来ても親父が厳しくしすぎて辞めてくんだろなんて大輔が言うんだよ。そんなの大輔が連れて来る若い連中に根性がないだけだろ、全部俺のせいにすんじゃねえよ、第一美乃梨はウチでずーっと続いてるじゃねえか」

「美乃梨ちゃんは特別だよ、辛抱強いし根性があるし明るくて腕もいい。それで大輔も美乃梨ちゃんを気に入ったんだろ、二十歳で美乃梨ちゃんがタケちゃんの店に入ったその日に一目惚れして、大輔が何年も拝み倒してやっと結婚して六年経った今でもベタ惚れだ。その美乃梨ちゃんと大輔の間にこの先また一人二人と子どもができないとは限らないんだし、そうなったら産休と育休は北斗の時と同じように取ってもらうんだろ、だったらタケちゃんもあんまり我儘言わずに若い子と上手くやってかないとさ」

「そりゃあヨウちゃんはいいよ、津田君みたいないい子が店の前に『見習い募集』なんて適当な張り紙張っただけでひょっこり来てくれたんだから。アッじゃあさ、津田君貸してくれよヨウちゃん、三が日が明けたら返すからさ」

「貸せって、津田君はモノじゃないんだよ、貸してくれって言われてそうかいって貸せないよ」

洋一さんが苦笑いした時、僕は二人の話にすみませんと言って、割って入った。

「あの…僕手伝えますよ、働きます、正月暇だし」

「え?いいの?実家は?帰んないの?」

「えっと…僕、色々あって実家はないんです、帰ってももう跡形もないって言うか」

僕がそう言うと洋一さんがタケさんの脇腹を僕に見えないようにカウンターの下でつついた。タケさんは僕の家の事情を全く知らないし、洋一さんも僕の実家が倒産して蔵ごと消えたということは話したので知っているけど、その詳細は知らない。僕の父親が会社倒産の負債を生命保険で相殺するために首を吊って死んだこととか、母はそれの三年前に事故で死んでいて、そこから僕の家が少しおかしくなってしまったこととか。

タケさんは助かるよーと言って、僕のことを大げさな仕草と表情で抱きしめた。

それで僕は年末までは『グリルしらとり』で、年始は元日から三日まで『洋菓子・青山堂』のヘルプとして働くことになった。四日からはまた『グリルしらとり』だ。僕らの話を聞いていた文乃さんは「津田君は働き過ぎよ、昭和の職人じゃあないんだから」と心配してくれたけど、僕は何も予定のない正月に何もしないでテレビや動画を眺めてぼんやりする時間があること自体が嫌だったし余計なことを考えることも恐ろしかった。だからアルバイトの誘いがあったことは僕にとってはむしろ丁度良かった、忙しい方がいい、無駄なことを考える時間がぜんぜん無い方が。

実のところタケさんの息子さんの大輔さん同様、ホットケーキも碌に焼いたことのない僕が洋菓子店の工房に入ったところで一体役に立つのかと少し不安はあった、タケさんはうちの店に遊びに来ている時はただの陽気なおじさんだけど工房では鬼の職人らしいし、怒鳴りつけられないろうか。それをそっと相談してみると、洋一さんは

「タケちゃんの言うことになんでも『ハイ!』って元気な声で返事してりゃ問題ないよ。それに津田君は手先が器用だし勘も良い、料理人として大事な資質だよ。まあ折角だから疲れない程度に勉強させてもらっておいで、バイト代は正月料金だぞって言ってあるからきっと弾んでくれるよ、タケちゃんは確かに現場ではとにかく気の短いヤツなんだけど、パッと気前がいいとこがあるからさ、漁師の血筋だからなのかなァ、だってパティシエってより海の男って感じだろ」

そう言って笑った。単純な僕は「津田君は手先が器用だ」「勘がいい」と言われて嬉しくなり、元旦の朝はタケさんに言われた時間よりも随分早く『洋菓子・青山堂』の工房に出勤した。洋菓子屋は朝が早いよと洋一さんからも聞いていたし。

「おはようございます」

「オッ、津田君早いな、三日間よろしく頼むね。オーイ正月のヘルプが来たよ、津田君こっちはね、去年の暮からウチに来てもらってる新人」

洋一さんの言葉通り、早朝の『洋菓子・青山』の工房ではタケさんが既に何本もロールケーキを巻いていたし、あともう一人の新人だという職人さんがジェノワーズ、ショートケーキ用のスポンジを焼いていた。その人はアタマの位置が僕の肩くらいで、手は小さいし、ゆるやかななで肩で、なんだか随分小柄で華奢な職人さんだなと思ってよく見たら女の人だった。

僕と同じ年か少し上くらいの年頃に見えるその人は木原さんという名前の菓子職人で、本来なら年明けの一月中旬から『洋菓子・青山堂』に採用される予定だったのを、採用担当の大輔さんがどうしてもと頭を下げて年末の三〇日から来てもらったのだそうだ。僕は木原さんに「よろしくお願いします」と挨拶をした、そうしたらその人は、マスクをしていても分かる位の人懐っこい笑顔で僕に話しかけてきた。

「ねえ、東京の子と違うよね、どこの子?どこ出身?」

「あ、えっと…北陸です、金沢…」

「雪が降るとこ?正月実家には帰らへんの?確か、社長の友達の洋食屋さんで働いてるコックさんやんな」

「まだ見習いです。雪はイヤって程降ります。それと実家はその、もう無いって言うか、その…両親が早くに亡くなったので、帰ってもしょうがないんで、それで」

「へー…」

しまった、こんな話、初対面の人には無駄に重いよな、反応に困るよな、相変わらず対人に関してはホントにポンコツだな僕は、相手は女の子だぞ、僕は瞬発的に後悔したけれど、木原さんはむしろ僕の話にぱっと顔を輝かせた。

「ウチもウチも、ウチも両親おらへんねん。おばあちゃんはおったんやけど去年病気で死んでしもて、そうなると正月ひとりやし、テレビつけてもあんま知らん芸人さんのお笑い番組とフレッシュな若者のスポーツ中継ばっかでなんかこう…逆にものすごい寂しいやん?」

「エッ…アッ、そうですね、お祖母ちゃんが無くなったばっかりだったら、そうですよね」

「やろ?そんで、これはアカン鬱になるて思ってたら専務さんが『早めにこっちに来られるようなら新幹線代払うし住むところも用意します』って連絡くれたもんやから、やったラッキーって思って、そんで急遽予定を早めて神戸から東京に来たんよ」

木原さんはその関西訛りの通り神戸から来た女の子だった。小学生の頃から祖母と二人暮らしで、高校卒業後はあちこちでアルバイトをしながら製菓の専門学校に通い、いろいろあって普通よりも少し時間がかかったけれど去年、製菓衛生士の免許を取得した。それから社員採用してくれる勤め先を探している時に先輩から『洋菓子・青山堂』紹介され、つい最近正社員として採用されたのだそうだ。

「ここの美乃梨さんとウチの先輩が友達で、それで家族経営の老舗で大きくはないけど、フランス伝統菓子系統のすごくいい店やからどうかなって言うてくれたから、じゃあ思い切って心機一転、東京に戻ろうかなって思って」

「戻る?」

「ウン、うち一族郎党ほとんど関西やけど、小さい頃は父親が東京で仕事してて、目黒の方に住んでたんよ。それでこの辺のことも少しだけ覚えてたし、だったら東京でもいいかなって」

木原さんが自分の呼び名を木原さんではなく「ニコでいい」と言うので、僕は流石にそれはちょっとと思い、木原さんのことを『ニコさん』と呼ぶことにした。

ニコというのは木原さんの下の名前で漢字では『椛子』と書く。読み方は難しいけどなんだかキレイな名前ですねと僕が言ったら、漢字自体にあまり意味はなくて親御さんは「ニコニコのニコ」のあて字で名付けたのだそうだ。笑顔の絶えない人生になるようにって。それでその名の通りにこにことよく笑うニコさんは僕のことを

「うちは航って呼ぼ、だって年下やし」

生年月日を聞いて僕が二歳下だと知った瞬間に子分扱いして名前を呼び捨てにした。物凄くフランクだ、関西の人ってみんなこうなんだろうか。ニコさんは製菓のことをひとつも知らない僕に初日から色んなことを教えてくれた。それに僕が父親が死んでそれで大学を辞めたのだと言ったら

「大変やったなァ、ほんで大学やめて今はコック見習いなんや。でもそれって土壇場でええ選択したってことと違うかなあ、手に職があればどこでも働けるのやし、うちは親が早くに死んでるから絶対職人になろうて決めてたもん。看護師さんなんかも手に職系やしカッコええなって思うけどうちはあかんねん、死体が怖い。あ、航はフランス語って分かる?」

そう言って、金銭的なこともあるだろうから調理師の学校に今すぐ通うのは難しくても、フランス語はやっておいた方がいいと正月の御年賀用にどんどん出るカットケーキに透明フィルムをせっせと巻きながら僕に教えてくれた。

「だってクレーム・パティシエール、クレーム・フォユテ、メラング・イタリエンヌ、クレーム・ダマンド って、製菓用語でちょっと『クリーム』て言うただけでそんだけあるねやもん、それにルセット…あレシピね、それが全部フランス語のメモで書いてあったりするし、調理の方も洋食なら用語はフランス語ばっかりやんか、いずれ調理師学校にも行くやろ、調理師免許もとらなあかんのやし」

「あんまり考えたことなかったけど、そうか…免許がないと困るよね」

僕は大学を辞めて食い詰めて、その後たまたま洋一さんに拾われて、毎日ただ必死に皿を洗って芋の皮をむいて鍋を磨いてきただけだったけれど、未来のことをそろそろ考えていかないといけないんだって、ニコさんの話を聞いて少し考えた。あたりまえだけれど生きている僕にはこの先に未来ってものちゃんと存在している。そんなことを思ったのは、父親が死んで実家の蔵が跡形もなく消えてしまってから初めてのことだった。

「オーイ、喋っててもいいけど手も動かせよー、あともう一回ずつフィナンシェとマドレーヌ焼くぞー、フランス語なら俺は水道橋のアテネ・フランセでヨウちゃんと一緒に習ったぞー、すげえ苦痛だったぞォ」

タケさんが正月の妙なテンションで僕らの会話の間に入ってきた。アテネ。フランセというのは有名な語学学校で、洋一さんとタケさんの修行していたホテルでは「黙って行けそしてとっとと覚えろ」と言われて放り込まれる場所なんだそうだ。タケさんは話しながら高速でクレーム・ダマンド、生クリームとカスタードを合わせたクリームをザラメをぱらりとふって焼いた香ばしいシュー皮にじゃんじゃん詰め

「シュークリームがこんな出るとか俺は超予想外だよ、どんな正月だよ、なんでシュークリームなんだよ!」

「安いからちゃいます?」

「地味に面倒なんだよウチのシューはよ!誰だよこんなの考えたの!」

「社長」

ついこの前入社したばかりのニコさんを相手に絶妙な掛け合いをしながらそれを仕上げて速やかに店に運んだ。青山家のお嫁さんであり菓子職人としてのタケさんの右腕でもある美乃梨さんを欠いた職人ひとり体制では正月の店なんかとても回せないとタケさんが恐れていた通り、正月の『洋菓子・青山堂』は途方もなく繁盛していた。

店舗に足を運んでお年賀用のケーキや焼き菓子を買い求めるお客さん、年明け帰省用の手土産だからと電話注文で商品を取り置きし電車の時間に合わせて取りにくるお客さん、初売りの陣中見舞いに生ケーキをショーケースの端から端まで全種類箱に詰めて近くのビルの一階店舗に運んでほしいとメールしてくるお得意さん、ウーバーイーツのお兄さんまで来た、しかも何人も。商品は入れるたびにはけていく、僕らは必死に練って焼いて飾り付けてリボンを結び、僕とニコさんは三が日の終わる頃にはこの正月の戦場で戦った戦友としてすっかり仲良くなっていた。

「二人が来てくれて何とか乗り切れた、ありがとう!」

一月三日のアルバイト最終日の晩、僕はタケさんからバイト代の入った封筒と、それから大きな発泡スチロールの箱に入った紅ズワイガニを持たされた。本当は四日まで増毛でゆっくりしてくるはずだった美乃梨さんと北斗君は、北斗君があんなに「北海道のじいちゃんとこ行くんだ」と言って泣いた癖に、いざ増毛の美乃梨さんの実家に着くと今度は

「東京のじいちゃんとばあちゃんに会いたい、ケーキは本当にパパが焼いてるの?目玉焼きだって失敗しちゃうのに?」

と言って今度は東京のタケさんと紀子さんと『俺がケーキを焼いとくから行ってこい』と大見得を切った大輔さんを心配して泣き、美乃梨さんも同じように店を心配していたこともあって二人は結局予定を一日切り上げて帰ってきた。ズワイガニはそのお土産のお裾分けだった。

「北斗はじいちゃん子だからなァ、おまえは生粋の商売屋の子だよ」

「そんな言い方したら美乃梨が次から帰りにくくなるじゃありませんか、あちらのご両親がウチに気を使ってくださったのよ、ホントに申し訳ないわ、次は絶対もっとゆっくりしてきてもらわないと」

タケさんは妻の紀子さんがそう言って叱って諭しても、そんなこと一つも見耳に入っていない様子で、上機嫌で北斗君を抱き上げて頬ずりし「じいちゃん、おひげが痛い」と嫌がられていた。

「これさあ、ヨウちゃんとこ持ってってくれないかな、俺がメールしとくよ、半分はみんなで食っていいけど半分はほぐして俺にカニコロ作ってくれって。津田君もヨウちゃんとこでカニ食わしてもらいな」

それで僕は僕にしては凄く珍しく退勤するニコさんを誘った。というより女の子に『一緒に帰ろう』なんて言ったのは僕の人生史上、初めてのことだ。

「あの…これ一緒に届けにいきませんか、タケさんの言う『ヨウちゃん』て僕の勤めてる店のオーナーさんなんですけど、僕もここのバイトが終わったら顔だしなよって言われてたし、すごくいい人なんです、だからニコさんが来ても喜ぶと思うし…」

「そうだな、ヨウちゃんとこにはウチの店からプチフール用の焼き菓子とか時々予約のお客さんのバースデーケーキなんかも届けてんだ。津田君と一緒に顔見せてやって、ニコちゃんならヨウちゃんになんでも食わして貰えるよ、あいつの作るモノなんでも旨いよ」

タケさんがそう言うし、そもそもニコさんは全然人見知りをしない人らしい。

「え、なんでも食べさせてもらえるんですか。じゃあ行こ!」

初対面の相手だなんて一切気にせず僕と一緒に洋一と文乃さんの暮しているマンションに行くと言った。洋一さんはずっと昔は家族で『グリルしらとり』の建物の二階部分に住んでいたらしいけれど、家族で暮らすには少々手狭だし水回りなんかも古くて不便だからと、店のすぐ近くに分譲マンションを買ってそこで暮らしている。店の二階は今、半分が倉庫で半分は僕の家だ。人が暮らしていない家はすぐに痛むから家賃は取らないし、良ければ住んでくれないかなと洋一さんに言われて、それで僕が今水回りを少し直してもらって『グリルしらとり』の店舗の二階に住んでいるんだと言ったら、夜道を歩きながら僕の話を聞いていたニコさんは二回首をひねって僕に店の名前を二回、聞き直した。

「そのお店って、グリル…しらとり?って言うん?お店の名前って漢字?ひらがな?」

「グリルがカタカナで、しらとりはひらがな、六十年くらい前からそこでずっとやってる店だよ、ハンバーグとグラタンが凄く美味しい」

「あんな、うちその店昔行ったことあると思うねん、多分、いや絶対、お父さんと」

「東京に住んでた時?」

「うん、ずーっと忘れてたんやけどね、でもそう、絶対しらとりって名前の店やったわ」

独り言のように何度もうん、間違いない、絶対と言っていたニコさんは突然叫んだ。

「走ろう!」

「エッ?なに?走るの?待って僕カニが」

ニコさんが突然駆けだしたので、僕は慌ててカニの入った発泡スチロールの箱を横抱きにしてニコさんの小さい背中に揺れる長い髪の毛の後を追った。すっかり日が落ちて夜の藍色に包まれた三が日の街は、オフィスビルに殆ど灯りのない、しんとした空気に包まれていた「東京は東京以外の人、地方から来た人が頑張って成り立っている街なんだよなあ、正月に人が急に減るとホントによく分かるんだ」っていつだったか洋一さんが言ってたけれど、普段スーツ姿の人が早足で行き交う街には、本当に人が少なかった。

体が小さい割に、いや体が小さいからか、身軽で足の速いニコさんは、何故か洋一さんのマンションの場所を知っていた。それどころかニコさんは洋一さんのマンションの一機しかないエレベーターがなかなか来ないことを知っていて、階段で行く方が早いということを知っていて、四階のエレベーターホールの右を曲がるとすぐが洋一さんの家だと知っていて、自ら洋一さんの部屋のインターホンを鳴らして、おう来たかいと言って出て来た洋一さんを見て嬉しそうな顔で

「おじさん?あたしあたし!ニコ!」

なんだか特殊詐欺みたいなことを言った。こんばんはでもなく、初めましてでもなく、木原椛子ですでもなく。そしてそれを言われた洋一さんは当然酷く驚いた顔をしていたけれど、でも三秒ほど固まってから「あっ」と何かに気づいたという表情をした。

「ニコちゃんか?きみは幣原椛子ちゃんなのか?えっと…ニコちゃんが津田君と一緒って、これ一体どういうことだ?」

文乃さんも奥から騒ぎを聞いて家の奥から「どうしたの、なに玄関で大騒ぎしてんの」と言いながら出てきて、ニコさんの顔を見て洋一さんと同じように三秒ほど固まってから、悲鳴と歓声の間くらいの大声を上げた。いやだ、ほんとに?なんだか嘘みたいって。

🦢

十五年前、父親が『グリルしらとり』に置き去りにして行った八歳の女の子の名前は幣原椛子といった。その子はそのまま神戸にいる母方の祖母の家に引き取られ、相続とか扶養とか外聞とかそういうものの関係で、引き取られた翌年母親の旧姓である木原に苗字を変えた、現在の名前は木原椛子。

「あのあと、一体どうしたかなってずっと気にしてたんだ、でも連絡先も聞いてなかったし、ニコちゃんにとってはあの店が人生でいちばん辛い思い出になってしまったんだし、連絡先が分かったところで何て言っていいのか見当もつかなくてね、だからなんて言うのかな、ニコちゃんがもう一度ここに、しかも笑顔で来てくれる日が来るなんて思ってもみなくて、ほんとにおじさんは嬉しいよ」

十五年前に泣き顔で別れた女の子が笑顔で訪ねて来たということが余程嬉しかったのだろう、洋一さんは

「ニコちゃん、カニ食べるか、それ以外の料理でもいいぞ、家庭用のコンロだと俺の料理には火力が足りないし、今からこのカニ持って店に行こう、店の冷蔵庫になんでもあんだから、俺、今日はニコちゃんと津田君になんでも作ってやるよ」

本当に嬉しそうに、家の奥から店で使う白いサロンエプロンを持ってきてぎゅっと腰に巻いてノースフェイスのダウンを羽織った。そうしたらニコさんは遠慮なんか一切しません、そんな言葉は知りませんという感じの表情で

「じゃあね、うちハンバーグが食べたい、あの日、パパと食べたやつ」

そう言ったので僕はすごくすごく驚いた。それはニコさんの人生で一番辛い日の思い出のひと皿のはずだ、父親がまだたった八歳の自分を捨てるようにしてレストランに置いていった、哀しい思い出の日の料理。

僕の驚きをよそに洋一さんと文乃さんはいそいそとニコさんを連れて正月休み中の『グリルしらとり』までの夜道を歩いた。僕はその後ろをカニの箱を持ってついて行ったけれど、冷たい空気の中に白く吐き出される息まで嬉しそうだった。そうして店のカギを開けてホールと厨房の灯りを全てつけると、中に通されたニコさんは

「あの日、パパとここに座ってたの覚えてるわー」

自ら十五年前と同じ窓際の席にぽんと座って、テーブルの上を指でくるくるとなぞった。

それからあの小さな体のどこにあの量の食べ物が吸い込まれて行くんだろうと驚くほどの食欲で、ハンバーグと、カニコロとそれからカニサラダ、出てくるものを次から次に腹ペコのリスみたいな顔で平らげた。ニコさんに僕と文乃さんはあれはどこに入っていくんだろうと驚き、厨房に立つ洋一さんはとりわけ嬉しそうに笑った。

「ニコちゃんはタケちゃんの店で十分やってける子だな、美乃梨ちゃんも小柄だけどホントに良く食べる子だからね、よく食べる子はよく働く」

「そうなんよー、死んだおばあちゃんにも、うちには女の子はおらん、神戸製鋼のラグビー部員がおるんやって言われてたし、近所に住んでた伯母さんもなんか作るとすぐに『ニコが食べるやろから』って鍋ごと持ってきてくれてた」

「親戚の人に大事にしてもらって育ったんだね」

「ウン、うちが神戸に行った後、倒産したパパの会社の破産手続きとか葬儀とか後始末とか、親戚の皆様をエライ大変な目にあわさしてしもたのに、伯母さんにもおばあちゃんも神戸の親戚みんなに良くしてもらって育ったんよ。イトコも沢山おったからいっつも一緒に遊んでたし、夏にはみんなで須磨に海水浴によく行ったんよ。高校出た後は伯母さんが、お金は出してあげるからニコも大学に行きって言うてくれたけど、うちあんま賢ないから、それで専門」

「そうか、大事にされてたんだな、よかったよ」

ニコさんは本人が「もう食べられない」という程山盛り食べて、それから僕はニコさんの暮しているアパートに送っていくことになった。『洋菓子・青山堂』の専務である大輔さんが新入社員のニコさんのために契約した社員寮だ。『グリルしらとり』からそう遠くなその場所への道のり、僕はニコさんの僕のあたまひとつ分小さいニコさんのつむじを眺めながら、どうしてなのか自分の父親のことを包みかくさずニコさんに話していた。僕の父もニコさんのお父さんと殆ど同じ事情で自分から死を選んだということを、結果的に一人息子の僕を置いて行ったことを。

僕は、きっとこの話をずっと、それを分かってくれる誰かに話したかったんだと思う。

「僕は、父親が自分で死ななきゃならない程追い詰められる前に、どうして自分にひとことも相談してくれなかったのかなって、今でも納得がいかないって言うか、正直恨んでるんだ。僕も途中から父親と二人だけの家族だったんだ、それなのにあの人は僕に何も言わず僕を置いて行った。借金だらけでいいから、会社なんか残してくれなくていいから、なんでもいいから生きててほしかった。ニコさんはそういう風には思わなかったの?お父さんを恨んでない?」

「ウーン…どうやろ、うち当時はまだ八歳やったから、そこは十八?十九?でお父さんが首括ってしもた航とは全然違うと思うねん。でもやっぱり淋しかったし、うちはほら、まだちいちゃい子どもやったから親戚の誰かに扶養されなあかんかったやん。それが実際親じゃない人に育てられるって、みんながどんなに親切で本心から優しくても、ウチの方は何となく『うちみたいな親ナシを養っていただきましてほんまにスミマセン』って感情から逃げられへんもんやねん。おばあちゃんも伯母さんもイトコのお兄ちゃんもお姉ちゃんらも優しくしてくれたし、うちは大好きやねんで、でもどうしてもな。そういう意味ではパパって、ひどいな勝手やなとは思ったことはあったかも、でもなあ」

「うん、でも?」

「でも、あの時パパが思い直して、うちを道づれにはせえへんて決めて、お店に置いて行ってくれたことはホンマによかったと思ってる、今日はあらためてそう思った。生きてるうちには、未来の物語がずっと続くんやもん」

それは、帰り際、店の前で文乃さんが「またおいでね、ニコちゃんはいつでも来て良いのよ、フリーパスだから」と何度もニコさんに言ってお土産を持たせている時、洋一さんがぽつりと言ったことをいっているのだと僕にはわかった。

「あの日、ニコちゃんのお父さんがさ『ちょっと電話してくる』って、そこの席を立って店の外に出た時、三回くらい店の中を振り返ったのを俺は見てたんだよ、きっと座席に娘さんをひとりで待たすのが心配なんだな、だったらそこの店の隅で電話したらいいのにって、俺は声を掛けようとしたんだけど注文がいくつも入っててね、それで声を掛けられなかったんだ。そうしたらお父さんは二度と戻ってこなかった。ごめんな、あの時俺がお節介をしていたら今、色んなことが違ってたのかもしれないのにな」

そう言ってニコさんに深々と頭を下げた。洋一さんはそのことを今日までずっと気に病んで、後悔していたのだそうだ。

「パパは死ぬ間際までうちのことを最後まで気にしてた、パパの様子がおかしいって気づいてたのに止められへんかったって十五年も気にしてくれてた洋一さんがおった、それが分かっただけでも今、うちの人生の風景がなんかちょっとだけ違って見える気がするもん、それにやっと一宿一飯のお礼も言えたし」

ニコさんは、十五年前の懺悔と共に頭を下げた洋一さんを「おじちゃん何言うてるのよー」と笑い、そうして

「うちこそ、十五年前に一晩泊めて貰ってあんなに親切にしてもろたのに、ずっと何のお礼も言えないままですみませんでした。おじちゃん、おばちゃん、ほんまにありがとう」

そう言ってニコさんもまた、洋一さんに頭をぴょこんと下げたのだ。

僕は以前、金髪のカツアゲ男が店に来た時に洋一さんが「優しくされたりすることに馴れてない人間は、ありがとうになかなか辿り着かないもんなんだよ」と言っていたことを何となく思い出して、だったらニコさんはニコさんの言う通り周りの人達にとても優しくされて育ったんだなと、そう思った。

「だめだ、走ろう!」

店の灯りが遠く、遠くの星のような小さな点になった頃、突然ニコさんがまた「走ろう」と言い出した。調子に乗って食べ過ぎた、これは正月太りが避けられへんと言い終わらないうちにニコさんは物凄くきれいなフォームで正月の街を翔けだしていた。

「エッ、ちょっと待って、そんな満腹で走ったら吐くって、やめなって、ちょっと!」

元陸上部らしいニコさんの後ろを僕はまた慌てて追いかけた。僕らの遠くに東京タワーが見える。正月三が日の街はどこまでも静寂で東京の冬の空気は水分が足りない分頬が叩かれるようにピリッと冷たい、全速力で走る僕ら二人を、乗客のまばらな高速バスが静かに追い抜いていった。


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