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娘の新しい先生の話の続き・はる君の事

前回の話は上記、その続きというか番外。

2017年の12月、私は、第三子を産んですぐの身体で必死に探し物をしていて、そこではる君に出会った。

私ははる君のことを何も知らない。

はる君は多分本当の彼の名前ではないし、そのママの事も私は良く知らない。

2017年に生まれた娘②より1つ年上、そこそこ重度の心臓疾患児の娘②より重い心臓疾患を抱えて生まれていて、その当時は専門病院に長く入院していて

そして2017年から今なお続く心臓疾患の治療を続ける娘②と私のパイロットバードを務めてくれている小さな可愛い男の子。

それだけが私の知っているはる君だ。

私の人生三回目のお産で生まれてきた娘②.この子の6つ上にもう一人娘がいるのでここでは便宜上娘②と呼ぶけれど、その娘②には、指定難病210番・単心室症を筆頭にあと6つの疾患名の付く心臓の疾患があった。

全部まとめて『複雑心奇形』。

日本語は便利だ、大体これで誰が見てもなんか複雑でやばそうなヤツと判断できる。

娘②のメインの疾患であるところの単心室症は、本来心臓の心室を左右に分けている筈の心室中隔が無い状態で生まれてくるというもので、それだと、静脈血と動脈血混ざっちゃうよね、体に酸素うまく回らなくなるよねという、放置すればたちまちチアノーゼ、あっという間に低酸素、ナチュラルボーン心臓のままでは下手をすると数日間も生きられない。ついでに言うとこの娘②、心臓に流れ込む肺動脈がほとんど使い物にならないレベルに閉じていたのでこれはあながち冗談ではない。

人間の心臓の形が作られるのは妊娠7週目あたり、妊娠のごく早期らしいがその頃一体何をやっていたのか私よ、人体の錬成になぜもっと気合を入れて挑まなかったのか。返す返すも悔やまれる、悔やんだところで今更何もできないのだけれど。

そう、この世に起こる先天性心臓疾患の大体は神様の起こす偶発的事故。

重大インシデント。

誰か始末書を書け。

そして何より、神よ何故うちの子なのですか。

そう言って悔やんだり、この世界を、森羅万象を恨んだところでどうなるものでもない、私は、この超個人的人生史上未曾有の出来事に一体どんな心がまえで挑むべきなのか、そして同じように重い心臓疾患を持った子を産んだママ達はどんな事を考えてどんな暮らしの中で我が子を育てているのか、それを知りたいと思った。

そもそもの疾患とそれにまつわる治療と手術は、インターネットで簡単に調べる事ができたが、その詳細な病態の説明と治療法を書き連ねた画面のそのスクロールした一番下は大体こう締めくくられていた。

『予後は不良』

そうか、ウチの娘②、ゆくゆくはグレるのか…と一瞬たりとも思った私はとてもすごくかなりばか。

予後不良、それはすべての治療を終了したとしてもそこに完全に健康健常大丈夫な心臓と身体は出来上がらないという事で、外科手術でギリギリ中長期的生存可能・何とかなる心臓ならびに血行動態を作り上げてその後は服薬や身体のメンテナンスをしながら無理せず生きていく、中には残念な結果を迎える事もあるそれを一言で表して

『予後は不良』

なんかもう少しマイルドな言い方ないですか。

だからと言って娘②の執刀医、年中濃紺のドクタースクラブに白衣のK先生が言うように

「うん!娘②ちゃんの心臓は移植でもしないと『完治』という状態にはなりません!」

と爽やかに極論を言われても衝撃で机に額を打ち付ける羽目になるのはなるのだけれど。

しかしどんなに予後が不良だろうと何だろうと、生まれた子は、最低3回の手術を経て『機能的根治』を手にしなければ、早晩この世から去って行ってしまう。

せめて大人になるまで育ってほしい、その後の事はその時考えよう。

娘②のように使用可能な心室がひとつしかない子の治療方法、初手の姑息手術『体が大きくなる迄待つ為のとりあえずの血行動態』を作る手術はそれぞれその子の心臓と血管の状態により異なるが二回目以降は

上大静脈と肺動脈とを直接つなぐ『両方向性グレン手術』

下大動脈と肺動脈を多くは人工血管を経由してつなぐ『フォンタン手術』

この二つの手術を、数年に渡り順を追って実施することになる。

ただ心臓の奇形は、私たちの顔姿かたちが個々人で違うように、ひとつとして同じものが無い。あの子がやった術式をウチの子はやらない、そういう事もあるけれど、大枠はこの二つで、私はこの二つの道路を辿って機能的根治に向かっているお子さんを、同じ病名病態でなくても、同じ手術を受ける子を探して探して

そこではる君を見つけた。

私がインターネットの中で初めてはる君を見つけたその時

はる君はとても重篤な状態だった。

それは娘②が最後に受ける予定にしている手術の『フォンタン手術』の術後経過が思わしくなく、長くICUに留め置かれているという状態でそれを見た私の最初の感想が

『ほう、心臓の手術というものは、術後回復にそんなに長時間かかるのか』

このおばか。

私はこの娘②を産んで直ぐのこの時期、本気で何もわかっていなかったのだけれど、手術は、特に心臓という身体機能の中枢のような重要な臓器を大きく作り変えるような手術というものは、術式自体がすべて滞りなく予定通り実施されたとしても、その新しい心臓の形と血管がその子の身体にうまく馴染んで機能してくれるかどうかは全くの別問題で

完璧に遂行された手術の後、身体機能の立ち上がりがうまくいかないまま、ICUに立ち往生したり、その微妙な状態を生存の方向に維持する為、長く体に医療機器を接続していたが故にその箇所が感染症を起こしたりと、ICU、HCU、PICUと言われる重症者のケアユニットを抜けられるまでは決して油断も隙も無い、そして術後管理の主治医は大体自宅に帰らない。

そんな長い長い膠着状態のその後、はる君はフォンタン手術で作られた新しい循環が上手く機能するに至らず、一度作り上げたフォンタンの循環を、ひとつ前の手術の状態、グレン循環に戻すという再手術に踏み切る事になった。

サロマ湖100kmウルトラマラソンのもう目前に迫っていたゴールから強制的に折り返し地点に引き戻されるようなこの仕打ち。私は思わず声に出したものだった

『え、なんで?』

神様、これではあんまりです。

はる君のこの頃の様子は、はる君のママのブログやツイッターに詳細にそして冷静に書き連ねられていて、当時の私ははる君のママのその気丈さに驚嘆したものだったけれど、この文章を書くためにもう一度あの頃のブログをそっと読ませてもらった今気づいたのは、多分理知的な気性の人なのだろうはる君のママのあのはっきりきっぱりとした言い回しの文章の裏に細かに織り込まれた焦燥とか落胆とか痛哭のようなもので、

それはこの2017年の冬から2年の歳月をかけてグレン循環を手に入れ、来年フォンタン手術に踏み切りましょうと主治医にゴーサインを出された娘②を抱える今やっと、ほんの少しだけわかった事だ。

オマエ誰やねん何やねんというはる君ママからの突っ込みを恐れずに言えば、あの日あの時のはる君のママの生身の感情みたいなものが文章の中から写実的と言って良い程私に迫って来て、2年の歳月を超えて私は泣いた。

そしてはる君とママを初めて知ったこの時から今日までの粉骨砕身というかとにかく怒涛の二人の頑張りとか生活とかその他色々は、今日まで折々に私と娘②を支えてくれている。

『いつ手術するんですかね先生?今でしょ?』という独り言と共に手術室の順番を待っていたあの1度目の手術の春も

退院後に泣いた長い経管栄養離脱の為のリハビリの毎日も

左肺動脈バルーンが難航するかもしれないという話に陰鬱になっていた去年の冬も。

勿論勝手に一方的に。

だからこの『遠くの知らない子のママ』だったはる君のママからツイッターのフォローを返して貰えたときは嬉しかった。

そしてはる君があの時フォンタン循環の確立を一旦断念した手術から2年を経てもう一度フォンタン手術にチャレンジできると聞いた時はもっと嬉しかった。

ストーカーか

否定はしない。

話しは変わるけれど、この1月娘②は、5月に『グレン手術』をしてグレン循環になった心臓の状態を調べるためのカテーテル検査を受けた。

鼠径部と中心静脈から2mmのカテーテルを入れ造影剤を流し込み、その状態を撮影するという極めて内科的そして医師の手腕の試されるこの検査、以前娘②が同じ検査でちょっとした偶発的事故を起こしているが為に緊張して臨んだこの検査はこの時から、入院検査手術を扱う病棟の主治医が、この2年主治医を務めてきたベテランY先生が退職する事になって、1年前に他院から病棟に着任した若いH先生に交代になり

私は大変に非常に誠に失礼を承知で言えば、落胆というか緊張していた。

娘②の表情はもっと端的な感想を物語っていたが

「お前だれやねん」

H先生は明るく親切そしてとても感じが良い医師でルート取りや採血は相当達者、特に文句など一切なかったけれど、これまで2年、不愛想で雑で忙しいとその端正な顔面がかなり怖いY先生を最初は恐れつつ最終的にはその医師としての力量その他をかなり信頼して娘②をお任せしていた私は、この年若い医師をどう捉えたものか正直困惑していた。

願ってもなかなか得られない若くて優秀な小児循環器の専門医、人柄は満点。

でも一体どういう人なのか、娘②を任せても大丈夫なのかどうなのか。

その辺どうなんですか先生と直接本人に問うのは失礼にも程がある、それくらいの分別はある41歳、そんなことを直接本人に聞く訳にもいかず。

しかし、このカテーテル検査の術前ICの時、カテーテル検査とその後の評価によって実施されるであろうフォンタン手術の心配をこのH先生に吐露した時、そのちょっとした雑談の中で

「フォンタン手術は一筋縄ではいかないと聞いているので実施に踏み切れたら嬉しいけれど正直怖いと思っています。知人のお子さんがフォンタンテイクダウンという状態になった事があって」

「俺の前いた病院で一昨年前かな、何件か事例はあったけどそれは凄くレアケースだから…」

その会話に出てきた先生の以前の勤務先の病院ははる君のかかりつけだった、なぜ知っているのか自分よ。

それには少しヒントがあって、はる君の執刀医がかの業界では高名な外科医師でその人の名前を私は知っていたからだ。

ストーカーか

否定はしない。

そして一昨年とは2年前ですね、当たり前か、その何人かいた子の中に娘②より一つ年上の男の子がいませんでしたか?その子が今話していた知人のお子さんです、先生はご存じですか。

H先生には医師としての守秘義務があり、私は本気ではる君の名前を知らないので、お互いはる君の個人の名前や素性は一切出さないまま

「あの子!あの子か!あの後結構長く入院してて」
「そうです!その子、この春にまたフォンタン手術ができるそうです」
「そうかー!よかったなー!」

全然担当ではなかったらしいはる君を覚えていた先生は、はる君がまた手術に踏み切れるという話をとても喜んで

私はこの不思議な偶然に驚いた。

2年前、その危機的状況の中私たちを間接的に励ましてくれていたはる君の病院からやってきた若い医師が今度は娘②の主治医を務める不思議なこの出来事に。

娘②の入院を終え、自宅に帰宅した私がまず考えたことは

「この事をはる君のママに伝えたい」

という事で、普段はもうメールを一つ返すのに一晩、そして知らない人からのDMは見なかったフリをし、実在の人物との対面の会話の度量はお察し下さいという自分の気性を一切顧みず、半年分くらいの勇気をかき集めてはる君のママにこの入院中起こった事をダイレクトメールで送信した。

送信に至るまで、自分のPCを開いて文書を5回書き直し、送信自体は1時間程躊躇した。

気持ち悪いぞ自分。

「去年まではる君の病院に居てはる君のことを知っている先生が娘②の主治医になりました」
「私は病床にあって私と娘②のパイロットバードをしてくれていたはる君がその担当外だった先生の記憶にも残る頑張りをしていてくれた事がうれしい」
「娘②も3歳のお誕生日を迎えて年明けの来年、フォンタンにチャレンジします」

そういうことを。

ひと様のご子息をつかまえてパイロットバード、水先案内人とか

気持ち悪いぞ自分。

でも伝えた。そして先生のお名前と勤務先である娘②の通院先の病院も。

もしメールが返ってこなくても、それで良いんだ。あちらはウチと同じ3人のお子さんを抱えて、多分とても忙しくしているのだから。

と思ったらその数時間後、DMの返事があった。

神からの福音や。

その福音には

嬉しくてお返事が遅れましてというお詫びと、いえいえい何を仰っていらっしゃるんですかもうお茶飲みますか、そして、そのH先生こそ、少し前にはる君がメインの心臓疾患から併発したトラブルで救急搬送された時に当直でお世話になった先生です、その節はありがとうございましたとお伝えください。娘②ちゃん、よかったね!いい先生ですよ~。

とあった。

はる君が救急搬送された事は私もよく覚えている、その搬送理由、それが心臓から起因しているとは言え全然別の個所の病気で驚いた。

そしてあの時もはる君とママは長い入院生活に突入し、その時、経管栄養児だった娘②を抱えて泣いたり笑ったり偶に死にたくなったり情緒が超不安定な状態で暮らしていた私は

「でもはる君は今もっと大変なところにいるのだから」

そう思って本当ならどこかに遁走をキメ込みたい自分を抑えてそこに踏みとどまっていた。その時の初手の診察に回ったのが先生があのH先生ですかそうですか!

私ははる君のママに「私たちは本当に大変な育児をしていますよね!」と励まされたことが嬉しくて、そしてH先生の異動に嘆くお母さんが沢山いたこと、その位信頼に足る医師である事を告げられた事にとても安堵した。

そして何より『その節はありがとうございましたとお伝えください』そう言われた事に何故か本気で使命感を燃やして

伝えましょう伝えいでか何なら近日中に。

勝手に一方的に決意した。

最後にもう一度言うが、

気持ち悪いぞ自分。

私がはる君のママの伝言を伝えるのに謎の使命感を燃やしたのは、パイロットバード・はる君のママからのお返事が嬉しかった、その事もあるけれどもうひとつ

H先生は今、何というかこういう時その状況を端的に大人としてかつ上品に伝えられないのでものすごく雑に小学生的に下品に言いまわすと

『先生ゲロきついやろうな』

という気持ちがあったからだ。

これまで数十年のキャリアのある小児循環器医Y先生の退職、その後の患児を丸ごと引き継ぐ。

しかも循環器専門病院とは違う多種多様な疾患を幅広く扱うマイかかりつけ病院は小児循環器医が極端に少ない。有り体に言えば病棟にいるのは、3月のY先生の退職後はH先生のみになる、多分、私見だけれど。

私なら自分が退職したい。

そういう時人は古巣が恋しいものだ、肝心なことはわからないがそういう人の心の襞みたいなものはわかる。だって41歳だから。

それで、2月に入ってすぐのこれからは外来のみの主治医となるY先生の外来の日の診察後、そのまま病棟に上がり、エントランスのソファに座って娘②におやつのビスコを食べさせながらH先生がいつもの競歩の速度で通りかかるのを待った。

何故病棟に居ると思ったのか、それは、小児循環器医とは病棟に住んでいる生き物だからだ。

じゃなくて、この日は先生が外来診療に出ている日ではないことを把握していたからだ。

ストーカーか。

否定はしない。

果たして、詰所にひょっこり、この先生は背が高いので本当にひょっこりという表現がぴったりな感じで視界にいつも入るのだけれど、その詰所から現れて娘②の姿を見つけると

「お~娘②ちゃん、どうや?元気?」

足早に寄って来てくれて、そして娘②の目線にしゃがみ込んだ。

小児科医は患児とその親が視界に入りそして話しかける時、高い確率で腰を下ろすかしゃがむかして患児の方に目線を合わせて話す。

尊い医者しぐさよ。

これで私が、先生のお姿を俯瞰で見る事が恐れ多いからとしゃがんでしまうと、何か田舎のコンビニにたむろするちょっとやんちゃが過ぎる若者みたいになるので、そこはソファに座したまま失礼して

「あの!先生!前回のカテの術前ICの時にお話しした男の子の事覚えてますか?」

「はい?」

私の話はいつも突然で単刀直入だ、一応社会性のある大人しい主婦を装ってはいるが、これでもろバレだろう、基本引きこもりで話す速度より、文字を打つ速度の方が断然早いタイプの人種だという事が。

「あの時の男の子、フォンタンテイクダウンした子が、その後、今から1年位前かな、心臓じゃない病気でなんですけど、夜中救急搬送されてきたことを覚えてないですか?」

先生は突然、娘②とは全く全然別件のしかも1年前の事を切り出されて困惑しながら

えー?そんなことあったっけ?その子?前言ってた子?あーなんか、その日めっちゃ忙しかった日?成人も結構搬送があって俺やばかった日?

イヤ先生私当時そこにおらんかったし知らんけど。

腕組みしながら考え込むことしばし

「あ!あ!おったね、わかったあの子か!わかった!」

「ハイ!その子のお母さんが、その節はありがとうございましたと伝えてくださいと私に。」
「それでH先生が次の主治医だよって伝えたら、いい先生だよ、よかったね!って」

そう言ってましたよ、と言い切る前に先生はとてもとても嬉しそうに、娘②の両頬を掌でぶにぶにしていた。

先生、貴方今、照れてますね。

わかります、だって私以下略。

この日は、カテ後薬を一種類やめたら何かサチュレーションのベースが下がったとか、酸素を段階的にやめるのはこの子の運動量的にはどう思いますか先生はとかそういう話をしてそして

「あちらのお母さんたちが先生が異動する時、とても残念がっていたそうですよ」

それだけ伝えて、お忙しいのにお引止めしてすみませんと言って病棟を後にした

人の伝言を伝える事は、普段の生活の中でもままある事だけれど

これはとてもとても幸せな伝言だった。

伝言を私に託してくれたはる君のママ、ありがとう。

そして先生、里心ついて向こうの病院に帰るとか

絶対に言わないでくださいよお願いしますよ。

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