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入院日記3。

小児病棟での暮しというものは音が多い。

子ども、幼児と乳児の泣き声。
各種医療機器のアラーム音。
「これは痛い検査じゃないねんて!大丈夫やから!」看護師が患児を説得する声。
その看護師が押して歩くワゴンのガラゴロというタイヤの音。

ここはそういうもので溢れている。

患児の中でも状態の良い子、ベッド上安静を言い渡されていなくて点滴にも繋がれていない子は走って怒られたりしているし、点滴に繋がれて点滴台を押しながら歩かないといけないはずの子も一緒になって走って怒られているし、何なら車椅子の子も時折勢いよくそれを廊下で滑るようにして走らせて怒られているし、君ら病気で入院中なんちゃうかと、あとその子は術後ちゃうんかと、思う日常だったりするのですよ。

小児病棟にいると、一時的な、慢性的な、先天的な疾患の中にあっても、子どもの魂のどこまでも健全なことよとつくづく感心する。

これが大人だと、先に気持ちが負けてしまうというか、自分は病気なんだなあと思うと体の不調と共に魂も、心もしおれていってしまうというのかな、普通に社会生活を送っていた人なら、仕事のことであるとか、それに付随して収入のことであるとか、うちに残して来た子はちゃんとご飯を食べたかなとか、そういうことも心配だろうし、そんなそれぞれの憂患のようなものが寄って凝ってふわふわと漂う大人の病棟はきっともっと静かなのだろうと思う。

思うけれども、実は私は今のところお産以外の用事で入院したことがないもので実際のところはよくわからない。

とにかく子どもというものは、とりわけうちの4歳のような小さな子というものは、命に限りがあるという世の理をよく知らないし、今日の次には明日があり、明日の次にまたその次の明日があるのであって、その先にある未来というものはきっととても善いものだよと信じているフシがあるのよな。まあ親が「今頑張ったらお家に帰っていいことがあるよ」と希望的なことをつい言ってしまっているのもあるのやけれど。例えば

「全部終わったら羽根ピクミンのぬいぐるみ買うたげるから、ね?」

とか。なにせ4歳は今『ピクミンブルーム』に夢中なもので。

そんなことだからこの日の朝、病室のカーテンの隙間から「どう?」と、顔を出してくれた主治医その②が、術後1年を経てこれまで、主治医その①の小児外来に月一回通い、レントゲンを撮り、エコーをして、訪問看護師さんに週1経過観察をしてもらってきた、現在の蓋然的総評というのか、そういうのを伝えに来てくれた時、と言ってもこれはカテーテル検査の前の本当に予測であって

「やってみんことにはホンマの所は分からんのやけど」

という、これはあくまで仮定の話なのだけれど、それがこれまで言われていた直近の未来とはかなりの齟齬があったもので、現在進行形でほんのりと微かに、割と珍しく消沈している。

そもそも今回の心臓カテーテル検査は、1年前の手術後の心臓の評価のため、それと1年前の手術で術後の循環の問題を解決するために心臓あえて空けた(右房、と言っていた気がするけど忘れた)穴が一体どうなっているのかを診て、その穴にどう対処するのか、今後の方針を決定するというもの。

この『穴』というのは、術後まだ循環が安定しない間は必要なものだったけれど、術後1年を経た今現在、左心の役割のみを残している心臓の中で本来混ざるべきではない動脈血と静脈血を絶妙に混合させる小窓になってしまっていて、4歳のSpO2の上昇と安定を阻害しているものでそれはそれはもう

「もうええわ」

という、できればいい加減自主退場、自然閉塞してもらいたいシロモノではあるのだけれど、術後1年の今も漫然と4歳の心臓に存在している。結局それが4歳が冗談抜きで命を賭して手術を受けて回復して退院し、患児親主治医双方の希望的観測というか強い希望としては

「術後数ヶ月で在宅酸素療法を終了、医療的ケアを卒業」

という最終到達点、そこにひとつも触れさせてはくれないまま月日は静かによどみなく流れて4月、4歳はまだカニュラに繋がれて生活している。

「半年くらいで酸素やめられるて言うたやん、アレはどないなったん」

と言って診察室で泣いて暴れていない私はこの点、すっかり分別のある大人になってしまったのだなあと思う、4歳本人ならこうはいかないひっくり返って大あばれする。だってこれがあるのと無いのとでは普段の生活が全然違うのだから。

装備は重いし、外出の時間制限はかかるし、それなのに4歳は普通に動くし何なら走るし、4歳は出先では常に思いの場所に行きたいものだから私と逆方向動い、それは足に絡まり挙句コケる、これやとすぐそこのスーパーに行くのも躊躇するし、遠出なんか時節柄もあってこの人は生まれてこの方殆どしたことがない。

それに去年の手術から1年、また季節がぐるりと巡って温かくなってきた今、近所のお友達がお外で乗っていて、それがとても楽しそうやからと

「うちもあれのりたい」

と言っている補助輪付きの自転車にも今この状態だとちょっと危なくて乗せてやれない。16㎏しかない子が3㎏の酸素ボンベ一式を抱えて自転車に乗るなんていくらなんでも流石に無理。

それで、主治医②の話はこのようなものだった。

「あのフェネの穴なあ、自然閉塞を狙ってたんやけど、今現在やっぱり開いたままなんやわ」

「外来のエコーでも先生がそう言うてました」

「ウン、そんでね、この穴っていうのが切開して開けたてモンではなくてね、穴あけのパンチみたいなモンでパチンて開けたモンなんよ」

「はあ(それ、聞いていない上になんか痛そうやん?)」

「そういうのって切開に比べて自然には閉じにくいんやわ。外科的に再オペみたいな形で閉じる子もおるくらい。せやけど外科手術言うのはお母さんも覚えがあると思うけど、まあ、色々リスクがあるというか、何度も手術してたら癒着もあるし、切らんでもカテで閉じるとかまあ色々方法もあるのやけれど、それやって危険があるという点ではそう変わりないていうか」

「そうですねえ」

「そんで4歳ちゃんの穴て言うのが、エコーで見る限り、はじめ3㎜やったもんがこの1年でそれなりに小さくなってるのよな、SpO2もこの1年でほんの少しやけど上がって来てるし。それやったらこのまま自然閉塞を狙って待つ方がええんちゃうかて、それはまだ主治医①の先生も悩んでたけど、今そんな感じやねんな」

「自然閉塞って、それ何年くらいかかるものなんですかね…?」

去年までは術後評価のカテーテル検査の後に、その心臓に空いた穴をカテーテル処置で閉じると、外科的な処置はやればできんことはないけれど、再度開胸するのは患児の負担にしかならへんしやるつもりはないよと聞いていたそれが微妙にずれておりませんかと思ったものの、その『自然閉塞』て一体期間はどのくらいかかるのですかと私が先生に聞いたらそれは

「それは、ホラ、この手のことは子どもによりけりやから、1年後かもしれへんし、2~3年後かもしれへん、それでも気長に待つ方が安全やろとは僕は思うけど」

とのこと。理屈は、理屈はわかる。

命をただ安全にあるべき場所に運ぼうとする時、それを医療と医師の持ち得る技術ではなくただ時間だけが、子ども本人の持つ力だけがなし得ることもあるのだと、そういう自然の理というのが世界にあることを私もぼんやりと知っているし、手術室やとかICUの、命の瀬戸際の中での『奇跡の生還』と呼ばれるそれはこの力によって起きるのだ。それはわかる。

わかるのですけれどもね、2年経ったらこの子は小学生になるのですよ、それが「酸素あるの?無いの?」が全く不明で未定のまままずは就学相談となると、それって相談自体が難航することだけは今この段階で既に確定事項というか。

これは全くの私見なのですけれどもね、学校界隈の人たちというのは、特に昨今は法律が整備されたこともあって『どんな子も出来るだけ受け入れます』と、そういう姿勢はあってそれはとてもありがたいのだけれど、向こうだってそのために人員の配置とか設備とかの見通しを立てなくてはいけないもので

「この子は今どういう状態ですか、では1年後はどうなりますか、そこでこの子の障害というのか状態は確定ですか」

何なら「治りますか」なんてことを聞いてくるものなのですよね。治りません。

障害というものは、これは私も最近本気で思い知ったのだけれど、状態の固まらない本当に流動的なもので、昨日できた事ができないとか、逆につい最近まで不可能だったことが可能になったとか、これまで命を預けていた医療機器をある日を境に卒業できたり、そうかと思えば別の何かをまた装備したりするものなのであって、健常な子が成長して日々変化していくように、障害ある子だって日々変わっていくのだからそいうの聞かれても、聞かれてもですね

「こっちが聞きたいわ」

と思ってしまうものなのですよね。特に今の私にとっては。それが今回更に予測がつかなくなる、4歳のからだ任せになるのかと思うと、それって何やろ落胆?感傷?それは確かに外科手術は色々とえらい目にあったのは事実なのだし、主治医②に対しては

「待たないといけないのなら、待ちます」

なんてとても殊勝な事を行ってしまったのですけれど、でも実際、というか時差で少しがっかりしてしまった。それにこの日、病棟の中庭みたいな場所に出てお友達にシャボン玉を借りて遊んでいる4歳が、そこからすこし遠くの、ちょっとした広場のような場所でかけっこをするお友達の姿を見て

「ああいうの、さんそがはずれたらやろな」

と言っていたのに対して

「ウン、多分近々そうなるわ」

と言ってしまっていたのにこれ、この先一体どう答えたらいいのか。4歳には最大の人生の難所になった術後のこの1年、いずれ酸素がなくなって、運動制限はあってもそれなりに外で遊んだりすることに今よりは不自由がないやろうから、酸素のついている今はまだもう少し我慢するとして

「酸素が取れたらしような」

と言っていた諸々のことへの時間期間延長の可能性が発生してしまったことと、何よりこの見通しの立たなさよ、今回退院したら即幼稚園と年中児の1年をどうするかの面談があるのですけれど、この幼稚園にだって入園に際しての相談の際に

「酸素はいずれ取れます、いくらなんで年中には」

なんて言うてしもているので、これ明らかな詐欺になるのでは。

酸素とるとる詐欺。

蓋然性の域を出ない事柄でいちいちがっかりして、さらに意気消沈した割と情けない3日目、流石に普段と違う生活にやや疲れてきたのか4歳は、夫と夕方入れ替わって自宅に戻った数時間を「ママがいなかった」と絵に描いように膨れて怒り、夕ご飯もあまり食べずにのりたまが少ないと言って怒り挙句

「おうちにかえりたいねん」

そう言って大声で泣いてそのまま7時に眠ってしまった。

ここに来て初めて気が付いたのだけれど循環器系疾患児である4歳は他の、肺と心臓に問題の無いお友達に比べて癇癪を起している時の泣き声に持続性と迫力が無い、心臓疾患児なのよなあ。それに本当ならこの子だって明日は新学期なのに当然のようにお休みで、それは少し可哀相だなあと思う、ごめんね、でもまだ帰れへんのよ。


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